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サイエンスコミュニケーター宣言(36)

Dscn1684▼見えていなかったものが見えてくるのが面白い。楽しい。
いつもその気になれば、すぐできる「雲見」で、これは人生の半分「もったいない」ことするところだったと気づき、今度は「コケ」だ!!
 まだまだ、レベル「1」にも達しない程度だ。
「へーどこにもでも、こいつはいるもんだ」「こいつらも仲間をふやして生きているな」
たったそれだけのこと見えてくるだけでも面白いもんだ。
▼ゲッチョ先生の文脈から、私なりの勝手な読み取りをヒントに
◆サイエンスコミュニケーターの条件
を手前勝手に考えてみた。
【条件1】「私の科学」をもつこと
 他人の科学なんか、いくらうまく伝えたって面白くない。
専門家のだれそれが言っているから、教科書にのっているからの「科学」ではない。
もちろんそれは、それで大事なことだ。けっしてそれら無視しようというのではない。それらがベースになければならいとは思う。しかし、やっぱり究極は「私の科学」を持っているかどうかだ。
「私の科学」をもたないところに、サイエンスコミュケーションなんかありえない。

【条件2】「私の科学」を楽しむこと
「ねばならない」からはじめるコミュニケーションなんかあり得ない。
「私の科学」を楽しむ姿こそが、最高のパフォーマンスだ。

【条件3】Twitter的であること。
 またして使う「Twitter的」
けっしてTwitterそのものを意味したり、ネットの世界のことを言っているのではない。
Twitter的の5つの要素=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
は方法であり、道具であり哲学でもある。
Twitter的こそがサイエンスコミュニケーターへの道を切り拓く。

【条件4】 「科学魂」をもつこと
 「科学魂」なんか誇りかぶった古めかしい精神主義をイメージしそうだが、そうではない。
あの寺田寅彦が提言したあれだ。いつもビィビィドな感性をもつことだ。

【条件5】「学び」続けること
 他の条件とも深く関係するが、最後にこれをあげておく。
サイエンスコミュニケーションがなにか「完成」したものの報告会、伝達会、発表会になるなら、これは既存の会でやればよい。それら目的に応じて特化した会をもてばいい。
 サイエンスコミュニケーションの場では、コミュ二ケーションのなかから「科学」が生まれる。それは、授業のなかかから、すぐれた「教材」が生まれるように。
 これからの「学び」は、「学び合い」としてしか成立しないこともわかってきた。
 サイエンスコミュニケーションに携わるものの大前提は、学び続ける意志をもつことだ。

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