サイエンスコミュニケーター宣言(35)
▼「これは、やばいな!」とい感じがあった。
そこで、あの【お薦め本】『コケの謎』は面白すぎる!!を書いた。
実は、その段階では全部読んでいなかった。読み進めると平行して、この病が深刻化し、発症していくのが自分によく自覚できた。
朝の散歩からして、ちがってきた。地面ばっかりながめてカメラを向ける。
「ほんとだ!!」「ここにもいる」「こんなところにも…」の連発である。ぜんぜん前にすすめないんだ。
なんということだ。もともと持っている「ばっかり病」をまたしても…。
▼この読み進めるあいだに、「面白すぎる!!」と感じたわけがわかってきた。
分析しようとするところがあるだけ、まだ「軽症」かも知れない。と自分に言い訳しながら
これもたくさんあるが、自分にひきつけて考えると三つある。
(1) 授業のとらえ方に共感できる。
自分が「コケ」の「ふしぎ!?」を追いかけるだけでない。面白いと思ったことを授業にかけておられる。
その授業は、知ったことの伝達だけではない。「ふしぎ!?」への共感、あらたな「ふしぎ!?」の発見を授業でやっておられる。まさにサイエンスコミュニケーションとしての授業が成立しているのである。
「3Kの法則」をつくったりして、コミニケーションの相手のことをよく理解しておられる。
(2) 「等身大の科学」がここにある。
等身大の語り口調もそうだが、コケの名前を漢字で書き換えて、イメージふくらまそうとしたり、体感的理解をすすめるために「食べてみる」にこだわったりしておられる。
ここにまちがいなく「等身大の科学」への意図がある。
それは、こんなコトバにもあらわれている。
普段、あまりに「あたりまえ」と流してしまいがちな身近な自然をコケから見直してみることができないだろうか。(同書P141より)
(3) 「熊楠」にツナガッテいる。 これは、もう完全な我田引水の話だ。
なんとゲッチョ先生、小学生のときよりあの南方熊楠の大ファンであるという。
それを読んだとき、すべてが納得できた感じがした。
私のようなにわかファンではないんだ。恐れ入りました。
むしょうに私もぜひ「クマノチョウジゴケ(熊野丁子ごけ)」をこの目でみたくなってきた。
私は、ゲッチョ先生の大ファンになってしまいそうだ。
▼ この本の出会いを通して、「サイエンスコミュニケーターの条件」のようなものを考えはじめた。
さあ、今朝もいくつかの「コケ」たちにあいさつしてこよう。
名前で呼びかけるまでには、まだもう少し時間が必要なようだが…。
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