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Twitterはじめて600日目に思うこと。

Dscf9112▼昨日は、大賀ハスとヒガンバナの定点観測日である。大賀ハスの方は植え替えから4週目である。一時はピンチかと思ったが、雨で救われ起死回生であった。ところが、晴れてきてみると再びピンチである。
観察池の水面に銀色の粉のようなものが出現した。何かの菌であろうか。
心持ち大賀ハスが元気をなくしていっているように感じる。どんな手を施したらいいものかわからない。きっと大賀ハスのことだからなんとかしてくれるだろう。それに期待してしばらく観察することのみとする。
Dscf9125▼一方、ヒガンバナの方はほんと完全に枯れてしまった。
あとは、たっぷりと水を吸い込んで眠りに入るのみである。
「引っ越し」の時期と場所を考えているところである。
http://twilog.org/junkusudaによると本日5月15日は、2009/09/23よりはじめたTwitterが600日目だ。
えっ、そんなに経ったのか、という感じである。
 これまで、ほぼ100日ごとにふりかえってみて「これから」を考えることを恒例にしてきたので、今日もそうしてみる。
▼まず最初に100日ごとのblog記事をならべてみる。
やってみる。

◆新・クラウド「整理学」試論(10)(102日目に思うこと 2010/01/03
◆Twitterはじめて200日目に思うこと(2010/04/10)
◆Twitterはじめて300日目に思うこと(2010/07/20)
◆Twitterはじめて402日目に思うこと(2010/10/29 )
◆Twitterはじめて500日目に思うこと。(2011/02/04 )

こうしてならべて読みかえしてみると気づくことがある。
それは「Twitter的へのこだわり」である。
Twitter的=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
は、私がTwitterを続けている理由の全てである。
▼500日目から600日目の今日まで100日のあいだに、たいへん大きなこと(変化)があった。
ふたつある。
・3.11 東日本大震災
・4.01 サイエンスコミュニケーター宣言
ふたつは深く関係している。
Twitter的にももちろん関係している。
500日目の最後は、「Twitter的の進化」であった。
このふたつことが、Twitter的の大きな変化をもたらしたと思っている。
▼Twitter的は、かならずしもTwitterそのものを意味しない。
Webページ、SNS(mixiなども含む)、blog、各種MLなどいくつもを拙いながらも利用してきている。
そして、思うのだ。今の私にとっては

TwitterがいちばんTwitter的である。

と。
そして、次なる100日、700目までの課題は

「サイエンスコミュニケーターにとって、Twitter的とは」

である。

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