« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

サイエンスコミュニケーター宣言(24)

Dscn0379▼5月が終わる。門田のムギの穂が熟れてきた。麦秋だ!!
サイエンスコミュケーター宣言はじめたころは、麦がどんな状態であったのかさだかでないぐらいの時間がたってしまった。自分のなかでも、まったくあらたなものが生まれてきているような感覚。その感覚は同時になにかを喪っていっているような喪失感を伴っている。
▼そうだ、今度、他人に「サイエンスコミュニケーター」を名のるためには、「サイエンスコミュニケーター」がいったいなにものかをもっともっとわかりやすく語れるようにしておかなければ。
・自然の「ふしぎ!?」を追う人
・自然の「ふしぎ!?」を追うことを楽しむ人
・自然の「ふしぎ!?」をツタエル人
・自然の「ふしぎ!?」を語る人
・自然の「ふしぎ!?」を一緒に楽しみながら語り合う人

うんうん、なんとなくイメージに近づいてきているナ!!
でも、人にそれこそツタワルかな。
▼もっともっと具体的な方がわかりやすいな。
どんな小さな「ふしぎ!?」にも物語がある。
伝えたい「科学」には物語がある。この物語の語り部になればいいのだ。
かつて自前の拙い「科学読み物」を書いたように、この物語を創作すればいいんだ。
サイエンスライターだ!!
これは人にわかりやすいぞ!!自分のイメージともかなり重なるぞ。
またしても大法螺を吹こう。

サイエンスコミュニケーターとはサイエンスライターだ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新5/29】11-22新・クラウド「整理学」試論 更新!

Dscn0319

咲くまでの 梅雨前線 何処にや
11/05/28 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-22
週末定例更新
 新しいモバイルコンピュータを使えるように環境を整えるのに悪戦苦闘をしている。コンピュータの根っこのところをよく理解して人間は、こんなときに困るのである。
 しかし、ふりかえって考えてみると、ほんとうに遠くへきたもんだ!!。コンピュータ大の苦手人間が「ネットの社会」と出会ってもう20年数年か。この世界の魅力はなんといってヒューマンネットワークのすばらしさであろう。通信ツールや環境が如何にかわろうともそれは不易だろう。ゆっくり 急ごう!!

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ カキ
 5月中に梅雨入りとは、いずれはやってくることと言って早すぎる。やっぱり大気の異常な動きがおこってきているのだろうか。植物たちは、それをどう受け止めているのだろう。過剰な擬人化は非科学的であると思うが、私には、「植物の身になって考える」もりっぱな「科学の方法」のひとつであると思うのだがどうだろう。
 門先のカキの木の花は、早すぎる梅雨、台風をどう受け止めただろう?

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 新たな「道具」も加えて、整理を加速するつもりだった。しかし、ことはそんなスムーズには進まなかった。
もういちど原点にたちもどり、ゆっくり ゆっくりと楽しみながらすすめていきたい。
どうせ楽しくなければ、長続きはしないのだから…。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 これも同様である。宣言のいちばん最初の「ふしぎ!?」にたちもどって考えていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(23)

Dscn0289▼昨日は土曜日だから、定点観測・観察の日だ。まずはピンチだった大賀ハスだ。植え替えから6週目である。
またしても雨に助けられたようだ。何時間かおきに見ていると、どんどん「元気になる」様子がわかった。
雨で流され更新をしていくかのごとく姿を変えて行っている。ハスの葉の上に水玉がのるようになっている。これが「私の科学」では、元気さのあらわれだと思っている。葉っぱの上で水玉がコロコロと絶え間なく姿形を変えながら転がる。ピンチ脱出か!?
Dscn0282▼枯れたヒガンバナの葉に、雨がかかる。
やがて葉は腐り、風に飛ばされあとかたもなくしていくだろう。そして、仮眠に入る。
眠ってはいるが間違いなく生きている。地下にくらしの場所をシフトするのである。みごとな戦略だ!!
6月・7月の天候が開花期を決定づけているという報告を読んだことがある。
地下で地上の変化をきっちりと受け止めているのである。それにしてもスゴイやつだ。
▼退職してから、2ヶ月が経とうとしている。いつも遅れん坊の私は、やっと退職の挨拶状をお世話になった先生方に送った。そしたら、ご機嫌伺いのメールやお電話をいただいた。
ありがたい限りである。深謝<(_ _)>
「どないしょってんや」
「はい、ぼちぼちやっています」
「なにもしょってないんか。家で…」
「いや少しだけ勤めに出ています。週に15時間程度ですけど、あとはのんびりと…」
というような具合だ。
▼なかなか、「サイエンスコミュニケーターをやっています。」とは言えない。
そこでモノローグモードで
「サイエンスコミュニケーターになったんです」
「?(゚_。)?(。_゚)?それなんな」
「まあ、自然の「ふしぎ!?」を追いかけるしごとなんです」
「自分でも追いかけると同時に、それを多くの人と一緒に楽しもうと思って」
「それやったら、あんたがやってきたことの続きやな」
「はい。ありがとうございます。そうなんです、私自身もやっとそのことに気づきました」
「?(゚_。)?(。_゚)?」
「「私の科学」を存分に楽しもうと思っています。」
「「私の科学」???って」
「そうです。「私の科学」です。誰もが持っている「私の科学」です」
「私の場合の「私の科学」って言うのは主に
・常民の科学
・熊楠の科学
・ファラデーの科学
・等身大の科学
からつくられていまして…」
「はあエッ?(?_?)エッ?」「まあ、身体だけはよう気をつけて元気でな」
「また、お茶でも飲みながらゅっくりとな。」
「はい、ありがとうございます。」
「今度お会いするまでに、もう少し話わかりやすくしときます。今日はどうもありがとうございました。」
「…」
というようなところかな。
▼「整理」をすすめながら、ここのところ新しい「整理」道具を手に入れた。
・新しいデジカメ(一眼レフではない。)
・新しいスキャナー(10年以上前のモノを持っていたが、個人用の小さなモノを)
・モバイルノート(レッツノートJ10)
どこまで使いこなせるかは疑問だが。

「古いヤツほど、新しいモノを欲しがるものでございます。…」
どっかで聞いたセリフだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「引作の大楠」が見たい!!

Dscn0234▼職員の窓から見えるクスノキが花をつけているのだろうか。それともその準備の段階だろうか陽が照ると異様にまぶしい。しげしげとこんなのは見る機会がなかったが、幸いにもこの学校には何本もクスノキが植えられている。(なぜなのかまだ確かめていない。なぜだろう樟脳の関係だろうか。これを追っていくとけっこう面白いこと「発見」することできるかも知れないと思っている。)ずっとずっと観察をつづけて見ようと思う。
▼クスノキと言えば、最近「引作の大楠」をぜひ見たいと思うようになってきている。
私は、和歌山の阪本尚生さんのお世話で、2008年と2009年の夏、連続して2回南方熊楠を訪ねた。
柳田國男でも実際に熊楠を訪ねたの一回だけであるというのに、贅沢な体験させてもらったものだ。
 しかし、そんなちょこっと行ったから何かがわかるというものではなかった。
とてつもなく巨大な「熊楠」山脈がそこにあった。
仮説だけが生まれた。
・熊楠は過去の人ではない、これからの人である。
・南方マンダラ「萃点」は、「科学の方法」を示唆している。
▼こんな手前味噌の仮説を実証するためにも、こらからも何度も熊楠詣でをしたいと思っている。
2009年の詣ででは「萃点」に焦点を絞って行った。
今度は、「粘菌」「神島」かなと思っていたが、その前に熊楠が日本初のエコロジストとして動き、柳田國男と連携して守ったという「引作の大楠」が無性に見たくなってきた。
 行く限りは、顕彰館の橋本さんのお話もぜひ聞きたいところだが、欲張ったら何も見えてこないしと迷うところである。
▼クスノキにこだわるところから熊楠を追ってみる。この私の夏の宿題だ!
 楽しみな宿題は計画するところから楽しい。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・クラウド「整理学」試論(28)

Flanklin「Time is money 」
あの有名なベンジャミン・フランクリンの言葉である。私なんかは、あの雷の電気を集めようとした男として記憶しているが、どうもそうばかりではないようだ。
 「フランクリンの本」を本棚からひっぱり出してきた。この本が私の手元にある経緯については、3年前のblogにあった。フランクリンの究極も「時間」であったということだろうか。
▼「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」とステップアップしながらも、感じ始めていた。
究極は「時間の整理」である。
と。「時間の整理」とは、時間を管理すること、時間をコントロールすることである。
言うのは簡単だが、これほど困難な営為はない。
またまたオーバーなことを言うが、人生最大の課題かもしれない。
「空間」「情報」「思考」の整理も実はこの「時間の整理」に向かうプロセスなのかも知れない。
▼さらに飛躍した話だが、この「時間」というやつは、「ふしぎ!?」を解く鍵でもある。
宇宙の「ふしぎ!?」を解く鍵は「時間」にある。
生命の「ふしぎ!?」を解く鍵は「時間」にある。
してみると
Time is science 
とも言えるのかも知れない。
今日も「時間」の許す限り、究極の「整理」にむけてがんばってみよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・クラウド「整理学」試論(27)

Dscn0215▼朝の散歩コースの変更から二ヶ月がたとうとしている。そのコースそのものにも大きな変化があった。大きな工事が行われているのだ。そのために、「風景」大きく変化しようとしている。
でも不思議なものである。大きく変化していく「風景」数日見続けると、それがアタリマエの風景として定着してしまうのである。過去にはもどらないという諦観も手伝ってであろうか。
 休耕田のホトケノザの群落が新しい風景の「新名所」になった!
▼4月からはじめている「整理」に一段落つきそうである。
その一段落というのは「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」とあるうちの「空間の整理」についてだけである。ここまでやって確かに言えることは、この三つの整理は深くツナガッテイルということだ。
「空間の整理」を少しすすめたことで、他のふたつの整理も大いに加速された。
▼たとえば、このblogの情報発信も、ウメサオタダオよろしく「こざね法」で書いている。
「空間の整理」で机の上はなんにもなくしてしまった。その上にメモ書きされた何枚かの紙片がひろがっている。
それらを順番にツナゲルだけだ!
自分でも驚くほどスピードアップしてきた。
 どちらかというと疎ましく後回しにしてきた「空間の整理」。まだまだ入口にさしかかったところだが方向は定まってきた。
▼これからは、「情報の整理」にも時間をかけていこうと思う。
いくつのメディアに分散して山積み状態にあるゴミ情報。このゴミのなかから、「宝物」を探し出してツナゲテいく作業にかかるのだ。
 テキストデータ、ログ、画像データ、音声データなどなど、それらを前にしていましばし「峠」に佇むのである。
そして、自分に言い聞かせるのだ。
 
「整理」のすべては未来のクリエイティブのため!!

と。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(22)

Dscn0202▼「ゲゲゲッーゲッ♪」「ゲゲゲッーゲッ♪」いやちがうか。「ゲロッゲゲゲッゲーッ♪」かな。ともかくすごい声だ。
カエル君たちの大合唱で今朝は目がさめた。
今朝からだろうか。いや、もっともっと前からだったのかも知れない。気づいたのが今朝だけの話かも知れない。なき声からして一種類とは思われない、何種類かいるようだ。ずっと眠らず起きていたのかな!?
▼昨日の朝の雨はもっと長引くのかと思ったら、そうでもなかった。きれいな青空が見えてきた。
「雲見」の季節がやってきた。
いろんな場所から「雲見」やっていると、同じような雲にしてもまったくちがう表情を見せてくれる。
帰ってから、もうすぐなくなってしまう「ジャガイモ畑」を見た。
ジャガイモに例の花が咲いていた。
このまま摘むことなくねばってみよう。最後のチャンスである。
ほんとうに実は「コロンブスの卵」だろうか。あのトマトのような実はなるだろうか。
▼その後は、また大賀ハス観察池を見た。しばらく見入っていると、雨で洗われた水面に泡が浮かんでくる。
この泡はなんだろう。生き返った蓮根が深呼吸したのだろうか。
ほんとうに生き返ったのだろうか。
  こうして身のまわりをみていると、小さな「ふしぎ!?」だらけだ。
▼小さな小さな「ふしぎ!?」を紡ぎ続けると「科学」になるのではというが、次なる私の仮説である。
そのためには、どんな小さな「ふしぎ!?」も置き去りにしないこと。
そのときに解決しなければ、保留する。寝かせておく。
時がきたとき、それらの小さな「ふしぎ!?」をツナイデミル!!
それが無手勝流!私の「科学の方法」!
▼そう言えば、寝かせたままになっている「ふしぎ!?」、ときどきは引っ張り出してきて日に当ててやらねば、カビが生えてしまって腐ってしまうな。
・磁石石の「ふしぎ!?」
・コウガイビルの「ふしぎ!?」
・丹生の「ふしぎ!?」
・ピンホールカメラの「ふしぎ!?」
・テフラ時計の「ふしぎ!?」
・ベニバナの「ふしぎ!?」
等など。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(21)

Dscn0156▼昨日からの雨が今朝も降り続いている。九州の方では「梅雨入り」の声も聞かれているようである。一昨日と昨日の温度差は10℃を越えるとニュースで言っていた。せっかく夏服に変えたのに…。
 それにして「ふしぎ!?」なものだ。この天気の変化というものは。
▼「大気の物理学実験室」で毎日毎日ちがう実験を繰り返しているようなものである。これまでの実験データから、大まかな、そして使えるルールを私たちは獲得している。
それが、
「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」だ。
北側の冷たい空気と南側のあたたかい空気がぶつかる。ぶつかった空気のあたたかい方は軽いので上にあがる。そうすると「上がるとザアザア」となり雨が降る。これが「私の科学」だ。
雨が降るのを見ると、私はいつもこの「私の科学」を持ち出してくることにしている。
▼先週末から、多くの人の「私の科学」に出会った。そして、こう思いだしていた。
コミュニケーションのなかからこそ「科学」は生まれる
また
「私の科学」のコミュニケーションこそがクリエイティブである。
と。だから、サイエンスコミュニケーターとしては、これは続けていけばいいんだとちょっと得意げであった。
今さら、先達の本から学ぶことなんて必要ない。
もうひとつのサイエンスコミュニケーターの系譜をめざせばいいと思っていた。
▼そんな思いと裏腹に気になる本が一冊だけあった。
先行するプロのサイエンスコミュニケーターがこぞって引き合いに出す推薦本だ。
◆『一粒の柿の種』(渡辺政隆著 岩波書店 2008.9.5)
感服である。
読み出したら、やめられなくなってしまった。「もうひとつの…」なんていきがるのが恥ずかしなってきた。
私の浅学故に言葉にならないものを言葉にしてくれている。
タイトルの「柿の種」は、あの我等が寺田寅彦の「柿の種」からきている。それに表れているようにとてもうなずける文脈である。
著者は中谷宇吉郎の「科学というものは、米の飯のようなものだ」というのが気に入り、「科学が米の飯」のフレーズを繰り返す。
 井戸端会議で今日の飯を話題にするように、「科学」が語られなければホンモノにならないと。
科学が文化となり、くらしのなかに「米の飯」のようになってこそ意義あるものになるのだとする文脈に同感である。「知」「書」「文化」「博物館」の起源にまで言及して、この文脈を貫くのはみごとである。さすがである。
やっぱりプロはちがうな。
私は、今年一番のお気に入り本に出会ったのかも知れない。
▼まだ、雨は降り続いている。
今日のあいさつは
「よう降るな!」
「もう梅雨なんやろか?」からはじめる。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新5/22】11-12「サイエンスコミュニケーター宣言」更新!  

Dscn0119

雨上がり 誰ながめんや 花の果て
11/05/21 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-12
週末定例更新のお知らせ
 一週間をふりかえり、次の一週間を展望しながら更新作業をすすめる。この作業はけっこう面白い!
計画していた通り、ことがすすむなんていうことは滅多にない。しかし、時間は確実に進んでいる。
まわりの自然がそれを教えてくれる。大気の動きが、動植物たちが、天体の動きが…、自然とはなんと正確に時間を刻んでいくのであろう。この流れは遡行することはない、ならば…。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ボタン
 見えていなかったものが、見えてくるときというのは妙にうれしくなるものだ。とくにそれが身近であればなおさらである。それは、私だけの大発見に思えてくる。庭先の牡丹が見事に咲いていた。
こんな見事なものが、我が庭にあったのかと驚いた。しかし、ほんとうに感動したのは、その後だ。
花の後に実ができるアタリマエのこと。しかし、それをゆっくりと見たのははじめてであった。
これは私にとっては「大発見」だった。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新
 先週は、ほんとうに多くの人の「私の科学」物語と出会った。実に楽しいことだ。少し照れくさいところがあるが自称「サイエンスコミュニケーター」を名乗ってみた。
 単純な私は、だんだんその気になってきたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の【100人リンク集】の旅はじめる!

Dscn0084▼昨日は土曜日だが、定例定点観測の日だ。
大賀ハスの方は植え替えから5週目だ。あいかわらず、水はにごっている。
ほんとうにこの後、どんな展開になるのかわからない。ともかくあの「あこがれの4日間」に行き着いてほしい。
1日のうちに何度も観察池をのぞいているとその都度、表情が変わってきているようにも見える。栽培というより飼育という方が近いのではという感じになる。
Dscn0086▼ヒガンバナの方は、植え替えるなら今なんだろう。
昔の人も、ヒガンバナを移植するのに、ある程度時期を考えていたのだろうか。
それにしても、今さらながら3倍体のヒガンバナが東北まで、どのようにして拡がっていったのか「ふしぎ!?」だ。
いくつものいくつもの「ヒガンバナ物語」あるのだろう。
いつか最北端のヒガンバナへの旅をしたいものだ。
▼旅と言えば、かねてより考えていた「私の【100人リンク集】の旅」をはじめた。
10年以上前になるが、Webページ
◆私の【100人リンク集】でリンクさせていだいていた方、お一人おひとりに直接お会いして
「今」を、その方の「私の科学」を、そして「これから」をお話しするのである。
▼リンクをさせていただいた当時も、直接お会いした人ばかりではないのだが、今回の機会に出会ってお話ができたらと思っている。【100人リンク集】の方だけにこだわるわけではないが、その人たち100人にお会いするということは、「六次の隔たり」ではないがほんとうに多くの人につながっていくことになるだろう。
 膨大な数の「私の科学」と出会うことになるだろう。
▼昨夜は、甲山・伊丹昆虫館・懇親会に途中参加をさせてもらって、甲子園口でお会いしたのはお二人だった。もちろんお二人にツナガル人との新しい出会いもあった。
◆内山裕之さん[97]
 内山さんとおつきあいも古い。ふりかえってみるとずいぶんお世話になってきた。
 内山さんは、今も熱く「私の科学」を語る人だった。大学の先生になっておられた。
 内山裕之自然探検発見ほっとけんであいかわらずアクティブな情報発信がつづく!!
◆寄木康彦(康さん)[31]
 寄木さんは、ずっと以前から(【理科の部屋】ができる前からの)私のICTの師匠である。困ったらいつも相談して教えてもらってきた。それは実は今も続いているのだが。
 ときに自作ソフトでテレビ登場したり、本を書いたり、大学院に通って学ぶなど。
さすが師匠だ!!今回は帰りの電車の中で写真のこといっぱい教えてもらった。これからも宜しく。
☆ 康 ☆ヾの部屋 もちろん先駆者のページは今も健在だ!!

新たにお会いした方々の「私の科学」も聞かせてもらって、とても楽しくなってきた。
新々・私の【100人リンク集】をつくりなってくる。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

再び「ファラデーラボ・かがくカフェ」に行った!

▼昨日は、ちょっとうれしいことがいくつかあったんだ。そのひとつが、木曜日の夕方にやっと決断して注文していた新しいデジカメがやってきたんだ。
 私の使い道をよく知ってもらっている人に相談をして、これに決めたんだ。
ニコンのCOOLPIX P7000だ。手にしてみると重量感があるな。私に使いこなせるかな。
ちょっと不安!!
▼夕方からは、再び「ファラデーラボ・かがくカフェ」に行ったんだ。
 今回は「光通信を作ろう」だ。
離れているのに伝わるってやっぱり「ふしぎ!?」だ。
その不思議を簡単な工作をしながら楽しむという趣向だ。
Dscn0062▼森本雄一さんから、
「かがく」カフェ」はなぜひらがなの「かがく」なのかの話からはじまった。
くらしのなかの「科学」は、「かがく」なんだ!
納得だ!!
 工作の前の原理の説明からだ。
毎日世話になっているものだが、その原理なんてあまり考えたことなかった。
ちょっとついて行けない生徒になってしまった。
▼「光通信」の私の「ふしぎ!?」は、離れているのに伝わるというところにある。
感動もそこにある。
工作もそこにキモをおいておられるようだ。
一見複雑そうなものも、実は簡単な「からくり」からつくられているだ!!
 「からくり」を半田ごてなんて使わないで、簡単につくりながらこの「ふしぎ!?」追いかけてみようということだろう。
 おみやげもいただいたので、もう少し家で、この「ふしぎ!?」楽しんでみよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

マッチ一本化学の元!!

▼今日20日で意識して、「整理」をはじめて50日だ。身のまわりを見ると少しはすすんだかと自己満足をしている。
 「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」そして究極の「時間の整理」とならべてみて、「空間の整理」からはじめた。その「空間の整理」をすすめるなかで、いくつかの宿題を思いだした。
この「ふしぎ!?」を追いたいと思いながらも「時間ができたら…」と後回しにしてきたがいくつかあるのだ。
▼そのひとつに
「マッチ一本化学の元!」
というのがある。「マッチ」については以前から興味があった。
・姫路の地場産業であること。国内生産の7割を占めるということ。
・理科実験の必須のアイテムだった。
・今、徐々に理科実験室から姿を消そうとしている。
等々からである。
マッチならでは実験がいくつかある。すぐさま思い出すものでもいくつもある
・過熱水蒸気でマッチに火をつける。
・鉄と硫黄の化合実験で、発熱反応であることを確認するのに使う。
・液体の食塩でマッチに火をつける。
・気体の確認実験。
等などである。
▼昨年の11月に姫路の科学館で「マッチ展」があって行ってみた。これは面白いと思った!
特に面白いと思ったのは「マッチの歴史」である。
これは、マッチそのものがすぐれた教材だと思った。「より簡単に」「より安全に」を求めてきた近代化学史そのものが、マッチ一本につまっていると思った。
◆マッチの歴史(日本燐寸工業会)
「マッチの世界(マッチ博物館)」には歴史以外にもいっぱい興味深いことが紹介してある。
▼歴史のなかでも、今一番興味をもっているのは、ファラデーが『ロウソクの科学』(1860年)で使った着火道具はなんだったのか、マッチだったのだろうか、というところである。
ありがたいことに近くには
◆燐寸博物館
もある。
 しばらく時間をかけて「マッチ」を追いかけてみようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(20)

▼月がとっても大きくなって、そしてまた小さくなろうとしていた。何度も何度も見てきたこと。どんなことをイメージしながら、その変化をみつめてきたのだろう。三球儀の世界が頭にあるのだろうか。昔の人はどうだったのだろう。今の子供たちはどうなんだろう。
 いや、人のことではなく私はどうなんだろう。そんなことが知りたかったのではなかったか。
▼私は、ひょっとしたら大きな勘違いをするところだったのかも知れない。
それは、自分が携わってきた授業の「科学」とたった今、社会で必要される「科学」との齟齬性の「ふしぎ!?」を解決する糸口を「日本の理科教育史」に求めようとした。
 先日来少しは整理が進んだ本棚から、関連しそうな書籍をひっぱりだしてきた。少しずつ少しずつ作業を進めようと思った。
 なんか面白くない!
「これはちがう!」という気がしたきた。
怠惰な私のことだから、その地道な作業から逃げたいという気持ちからきているのかも知れないが。
▼もう、「…ねばならない」を優先させることはやめたはずだ。
別に私は、「学者」になろうというのではないのだ。
もっと、もっと面白いことだけを優先させていこう。
もう一度仕切り直してみる。
▼サイエンスコミュニケーターとして、何をコミュニケートしたいのか。
それは、それぞれ「私の科学」!
私自身の「私の科学」はどのように生まれたのか。
まずは、ここをはっきりさせたいのだ。
・「常民の科学」
・「熊楠の科学」
・「ファラデーの科学」
・「等身大の科学」
そして、「私の科学」にいたった。
肝心のところを忘れるところだった。
 それは私は30年以上の中学校の理科の授業=サイエンスコミュニケーションを通して、「私の科学」を形成してきたのだ。これは事実である。遡行することのできない事実。
 もう少し、この事実にこだわることから、これからの「私の科学」を考えてみよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(19)

Dscf9230_2▼昨日、雷雨の後しばらく「大賀ハス観察池」を眺めていた。どうもなにかがおかしい、大賀ハスに元気ないのだ。正体のわかっていなかった「白いモノ」はすくい上げた。それしてもこの雨で、もっと元気になるだろうと思っていたのに。水面がなんとなく淀んでいる。展開する途中で枯れてしまった葉もある。
どうしたというのだろう。「ふしぎ!?」だ。
Dscf9229▼もう一方の「残りものの」の方に目をやれば元気になっている。意図せずに対照実験をやったかのようである。
どこが違うのだろう。肥料として与えた身欠きニシンに問題があるのだろうか。
飽食状態になってしまったのだろうか。
5/17と言えば3年前のこの日を思い出す。私の大賀ハス物語は
3年前のこの日の「大賀ハス」種子入刀!!」にはじまるのである。3年のあいだには実に数々の物語が生まれた。
たったひとつの大賀ハスの種子からはじまった「ふしぎ!?」を追う旅は実に面白い!!
「ふしぎ!?」を追うことはかくも楽しく面白いこと。
▼「サイエンスコミュニケーター」に話をもどす。
私は
・理科の授業は科学コミュニケーションの最前線である。
・ならば、理科教師こそがサイエンスコミュニケーターそのものである。
の認識に立つまで話をこぎ着けた。少し強引なところもあるが…。
ここまできて、ふりだしの「ふしぎ!?」にもどってしまうのである。
理科の授業と今いちばん問題の社会の「科学」とがツナガラナイのだ!!
なぜなんだろう。この違和感!「ふしぎ!?」だ!!
これは私の浅学無知からだけくるものなのだろうか。
▼世間の人が「理科」を語るとき、よく枕詞のように使う「理科嫌い」「理科離れ」の文言を私はすぐさまに受け入れることができない。ほんとうにそうなんだろうか。どのように検証したのだろうか。
それからはじめる論理も、どこか空々しく聞こえてしまう。
どうして、こうなんだろう。
今一度、遅まきながら私は「日本の理科教育史」を勉強したくなってきた。
ツナガル科学をみつける糸口が発見できるかも知れないから。
ゆっくり 急ごう!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(18)

▼昨日、一冊の本を読み終えた。
◆『科学コミュニケーション 理科の<考え方>をひらく』(岸田一隆著 平凡社新書 2011.2.15)
である。
手にして読み始めてからずいぶんとかかった。ほぼこの本が出ると同時に手にしたので、2ヶ月近くかかって読んだことになる。新書本だから、そんなにページ数があるわけではないが、それだけ時間をかけて最初から最後まで読んでしまった。
▼もともと遅読でかつ、根気もなくなっているのか、一冊の本を最初から最後まで読むことも少なくなってきている。しかし、この本は読んでしまったのだ。
 昔から本は、私は勝手に「私の文脈」のなかで読むことにしている。
だから、気に入った部分、気になる部分の「つまみ読み」することが多い。この本についても、はじめはそんな感じで読み始めた。
「共感・共有のコミュニケーション」という文言がなにか、それこそ共感するものがあった。
ひょっとしたら、私に「サイエンスコミュニケーター」を最初に意識させてくれたのはこの本なのかも知れない。
2月末であった。
▼3月に入って、退職までの最後の一ヶ月、この本は途中まででほっておいた。
2月の終わりまでで読んだときの印象は、
この本を書いている人は誠実な人なんだろうと思った。文体から、この人が見えてきた。
いちばん気に入ったのは、
元祖サイエンスコミュニケーターのひとりとして、ファラデーの名をあげているところだ。
大いに同感である。
▼再度読み始めるまでに、私にはふたつのことがあった。
3.11
4.01
である。こんどは、同じサイエンスコミュニケーターとしてつづきを読んでみた。
理化学研究所の物理学者とポンコツ理科教師を対等として語るなんてふざけた話であるのかも知れない。
でもそれが通のが「科学コミュニケーション」の世界であると傲慢にも思っている。
著者は最後に語っている

今のところできることは、良識を持つこと、人のためを思って行動すること、そのために世界のことをきちんと勉強すること、人の心の痛みを自分のことように感じること、もちろん人の嫌がることをしないこと、一生懸命考えること、それでも道に迷ったら愛深い方の道を選ぶこと、幼稚園や小学校や家庭で小さな子供たちが教わるようなことを、すべての大人が、企業家が、国際政治のトップたちが、まるで当たり前の習慣のように、できるように努力すること。でも、一番肝心な、どうすればそんな世の中を実現できるかが、まだわかっていないのです、と。
(同書、P255)

私には、こう語った著者が今、何をどう語っているのかすごく興味ある。
そして学びたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新5/15】11-20「サイエンスコミュニケーター宣言」更新!

Dscf9198

我が庭も 白極まりて 五月かな
11/05/14 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-20
週末定例更新のお知らせ。
 昨日、なんと42年ぶりの高校の同窓会に出席した。卒業から気の遠くなるほどの時間が経った。
それなのに、あって話をしているとすぐにその「時間」というのは縮まってしまうのである。
 すぐさまタイムスリップするのである。なんとも「時間」とは「ふしぎ!?」なものである。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ツツジ
 「校庭の樹木シリーズ」から「人里の植物シリーズ」にして一ヶ月半が経った。
当初は「校庭の樹木」があまりにも面白かったから、「自分の家の周りでは…」と思っていた。
それは大きな間違いであることに気づきはじめた。
 それはこれまで自分がちゃんと見ていなかったにすぎない。家の周辺100メートルもとれば十分なぐらいいろいろ「大発見」があるのである。今週は、何もないと思っていた我が家の前庭が真っ白な世界になった。
「純白の美」をみつけた!!
ええっ、ほんとうに毎年こうだったのだろうか。自分の記憶を疑う。

◆「サイエンスコミュニケーター宣言」 更新!
 「サイエンスコミュニケーター」って、何をしているん?
と人に問われたら、どう答えようかな。
問われもしない質問の答えを、あれやこれやと考えてみる。
まあ、楽しいことでもある。ひとりで考えるのも楽しいが、人と会って話をしながら考えてみると、
これまたよりいっそう楽しい作業に思えてきた。
「正解」はひとつではないはずだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Twitterはじめて600日目に思うこと。

Dscf9112▼昨日は、大賀ハスとヒガンバナの定点観測日である。大賀ハスの方は植え替えから4週目である。一時はピンチかと思ったが、雨で救われ起死回生であった。ところが、晴れてきてみると再びピンチである。
観察池の水面に銀色の粉のようなものが出現した。何かの菌であろうか。
心持ち大賀ハスが元気をなくしていっているように感じる。どんな手を施したらいいものかわからない。きっと大賀ハスのことだからなんとかしてくれるだろう。それに期待してしばらく観察することのみとする。
Dscf9125▼一方、ヒガンバナの方はほんと完全に枯れてしまった。
あとは、たっぷりと水を吸い込んで眠りに入るのみである。
「引っ越し」の時期と場所を考えているところである。
http://twilog.org/junkusudaによると本日5月15日は、2009/09/23よりはじめたTwitterが600日目だ。
えっ、そんなに経ったのか、という感じである。
 これまで、ほぼ100日ごとにふりかえってみて「これから」を考えることを恒例にしてきたので、今日もそうしてみる。
▼まず最初に100日ごとのblog記事をならべてみる。
やってみる。

◆新・クラウド「整理学」試論(10)(102日目に思うこと 2010/01/03
◆Twitterはじめて200日目に思うこと(2010/04/10)
◆Twitterはじめて300日目に思うこと(2010/07/20)
◆Twitterはじめて402日目に思うこと(2010/10/29 )
◆Twitterはじめて500日目に思うこと。(2011/02/04 )

こうしてならべて読みかえしてみると気づくことがある。
それは「Twitter的へのこだわり」である。
Twitter的=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
は、私がTwitterを続けている理由の全てである。
▼500日目から600日目の今日まで100日のあいだに、たいへん大きなこと(変化)があった。
ふたつある。
・3.11 東日本大震災
・4.01 サイエンスコミュニケーター宣言
ふたつは深く関係している。
Twitter的にももちろん関係している。
500日目の最後は、「Twitter的の進化」であった。
このふたつことが、Twitter的の大きな変化をもたらしたと思っている。
▼Twitter的は、かならずしもTwitterそのものを意味しない。
Webページ、SNS(mixiなども含む)、blog、各種MLなどいくつもを拙いながらも利用してきている。
そして、思うのだ。今の私にとっては

TwitterがいちばんTwitter的である。

と。
そして、次なる100日、700目までの課題は

「サイエンスコミュニケーターにとって、Twitter的とは」

である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・私の教材試論(53)

Dscf9098▼昨日、ここに「チューリップの種子!?今」を書いた。
その後、Twitterで話題は拡がった。
またたくまに、ジャガイモ、ヒガンバナへと…。まるで授業をやっているようであった。
こんなのみていると、教材にも「不易」なものがあるような気がしてくる。
「教材における不易流行」これを少し追ってみたくなってきた。
「チューリップの種子」
についで思い出す不易教材と言えばやっぱり
「ジャガイモの花と実(種子)」
である。確かに、授業でもこれはよく出てくる。
「ジャガイモには花が咲くが、実も種もできない」
「ジャガイモは種イモでふやすのだから」
このアタリマエをこわして、アタリマエの大発見!をもたらしてくれた不朽の名著がある。
『ジャガイモの花と実』(板倉聖宣著 福音館書店 1968.7.1)
である。
▼これを最初読んで、ナルホド!!と思った。
本棚のこの本に面白いものをはさんでいた。
カルビーポテトチップの袋である。なんでこんなもの置いているだろうと思ってみたら、袋の裏に
「ジャガイモの実ーチップス博士のジャガイモ一口話⑫」が載っているのである。面白い!!
ちなみに製造年月日は'86.11.18となっていた。
やっぱり、これはいつの時代にも驚きの不易教材なんだ。
▼さらに、面白いことを指摘する人がいる。
『ジャガイモの花と実』に若干異議申し立てをしているのである。
ジャガイモのページをもつ若菜博さんだ。
◆ジャガイモ果実(berry)を見る・食べる(若菜博さん他)
ここではジャガイモの実は「ほとんど」ないのでなく、けっこうその気で見れば見ることできるよ。
ということを指摘しているのである。
見逃しているだけではと。全国からの見た・食べたの報告もあげてある。
この指摘、報告があってから10年が経過した。

不易教材『ジャガイモの実』の今が知りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チューリップの種子は!? 今

Dscf9083▼ここに昨年の夏に収穫した「チューリップの種子」がある。すっかり忘れてしまうところであった。再び授業で扱うということで袋ファイルから取り出してきた。
干からびているし、なにか「種」という質感がない。
Chu1しかし、まちがいなくあのチューリップから採取したものである。
▼授業で聞いてみた。
「花は種子をつくるために咲く、では花が咲くけれど種子ができない花はあるだろうか?」
いつの時代もどこの生徒も同じだ。いちばんにあげるのは
「チューリップ!!」
「チューリップ?あれ球根やろ」
「球根って種け?」
みごとに突っ込みまで同じだ。不朽の「ふしぎ!?」だ。
▼ならば、この種子を育ててちゃんとチューリップの花を咲かせてみせよう。というのは私のずっとの課題であった。人の話では花が咲くには何年もかかるらしい。3~5年とも言われている。
でもはじめなければ、いつまでたっても実現できない。!!
これが発芽するかどうかすらわからない。
今日でも、プランタンに蒔いてみることにする。
ゆっくりとはじめてみる。

教材論的ガーデニング!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(17)

Dscf9072▼5月11日(水)、あれから2ヶ月経った日の私の定点観測地からの空は雨だった。夕方からは強い雨だった。大気はどんな運動をしているのだろう。
得意の天気のツボから天気図を見てみた。なるほど温かい大気と冷たい空気が衝突しているようだ。
それにしてもこの天気図とは便利なモノだ!!
「ふしぎ!?」を見える化した「天気図」!!
▼この便利な「天気図」のこともう少しくわしく知りたくなって、ながく「つん読」になっている
『天気図の歴史ーストームモデルの発展史ー』(斎藤直輔著 東京堂出版 昭和57年2月25日初版)を開いてみた。その書によれば
ドイツの気象学者ハインリッヒ・ブランデスが「…特に1783年3月のストームについてヨーロッパ大陸上の気圧、気温、風の分布を示す天気図を1820年に発表した。」(同書、P14より)
これが、どうやら天気図の始まりであるであるらしい。
 ファラデーの1831年「電磁誘導の発見」より10年ほど前の話だ。(私は、このごろこの1831年を基準に科学・技術史をみることがクセになってきている。)
▼この『天気図の歴史』では、このあと現代まで天気図の歴史がわかりやすく紹介してある。
ちゃんとは私も読んではいない。
「いつかは…」「いつかは…」と思いつつ今日まできている。でも絶体に読みたいと思っている。
それは、エピローグの次の文章を手に入れたときに読んだからである。

 低気圧とはなんだろうか、一口でいえば寒暖両気からなるうず巻であろう。
我等の地球大気の中には、こうしたうず巻が存在できることを傾圧不安定理論も、数値シミュレーションもあるいは実験室内の流体を使った模型実験も教えてくれる。しかしやっぱり不思議な感じがする。それは偶然の産物としてはあまりにも美しく組織だっているし、秩序ある概念に統一されている。
 このささやかな歴史的回想の中で、私は約1世紀半の間に人々がストームについて、低気圧についてめぐらした考察のあとをたどってみた。そして多くのことを学んだが、雲をつくり雨を降らせ、風を巻いて過ぎ去ってゆく低気圧をやはり不思議に思う。(『天気図の歴史』「エピローグ」より)

なんいうすばらしい!!
ここに真摯に「ふしぎ!?」を追う人のホンモノがある。
「私の科学」を持っている人のすごさである。
▼やっぱり、もっともっと多くの人の「私の科学」を学んでゆこう。
「最もよく学ぶものこそ 最もよく教える」
の鉄則は健在である。
ゆっくり 急ごう!!

さあ、今日の空は…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(16)

Dscf9060▼昨日は雨だった。ちょっと降りになって陽がさしたかと思ったら、また降り出した。そのすき間に気になっていた例の大賀ハス観察池を見た。
 驚いた!一昨日まで「みどりの泥沼」していた池の水面が透明になっているのだ。たった一晩に何が起こったのだろう。手の施しようのない状態になっていたのに。
「ふしぎ!?」だ。
▼どうしたと言うのだろう。雨がふったからだろうか。池のにおいをかいでみると、なんかドブのにおいがした。
なにかが腐っているのだろう。ボウフラたちが、元気に上下運動を繰り返す。
大賀ハスの巻葉に元気みどりが、回復しつつある。やった!!
Dscf9066▼掘り出してしまった身欠きニシンのことが気になっていた。「きつすぎる」ということで撤去したが、葉が伸びてくれば、ミネラルも必要になるのでは、顔色を見ながら与えてみることにした。
池の周辺に新しい身欠きニシンをさし込んでみた。
 それにしても「ふしぎ!?」なもんだ。アタリマエだけどやっぱり「ふしぎ!?」
大賀ハスは生きている!!
▼この「ふしぎ!?」を追いかけることを寺田寅彦も応援してくれていた。
◆寺田寅彦「雑感」青空文庫より

 科学の知識はそれを求める熱さえあれば必ずしも講義は聞かなくても書物からも得られる。頭が良くなくても根気さえあれば人が一日に一時間ずつ費やして会得(えとく)しまた仕遂げる事を、二時間三時間ずつかければ会得し遂行されよう。
 科学教育の根本は知識を授けるよりもむしろそういう科学魂の鼓吹にあると思われる。しかしこれを鼓吹するには何よりも教育者自身が科学者である事が必要である。先生自身が自然探究に対する熱愛をもっていれば、それは自然に生徒に伝染しないはずはない。実例の力はあらゆる言詞より強いからである。
 すべての小学校、中学校の先生が皆立派な科学者でなければならないという事を望むのは無理である。実行不可能である。しかしそんな必要は少しもない。ただ先生自身が本当に自然研究に対する熱があって、そうして誤魔化さない正直な態度で、生徒と共に根気よく自然と取込み合うという気があれば十分である。先生の知識は必ずしもそれほど広い必要はない。いわゆる頭の良い必要はない。

そうだ!!
サイエンスコミュニケーターにとっても、もっとも必要なものも
この科学魂
なんだ。
▼まだまだ脆弱な私の「科学魂」を磨こう!!鍛えよう!!
大賀ハスに聴きながら
先達に学びながら
あの「あこがれの4日間」はやってくるだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(15)

Dscf9049▼何の変哲もない毎日の空、しかしほんとうは大きな変化が起こっている。「見えない」がもっとも大きな変化なのかも知れない。もう初夏を通り越して夏の気配すら感じる。いつもの「雲見」定点観測地にたってそう感じた。
▼まだまだ「整理」を続けている。
 実はちょっと中断していた。そして、昨日の夕方になって再開したのだ。中断のあいだに、ちょっと新しいことをやろうと思った。
 「整理」を再開して、そのことが恥ずかしくなった。再開のはじめにやったのは、ここ3年間に生徒たちが書いてくれた授業の感想文、レポートの整理だった。
▼「新しいこと」に求めなくても、すでに答えはここにあったのだ。
感想文をひとつひとつ読んでいると、整理ははたと止まってしまった。
「なんだ!すでに答えてくれていたのか!」と。
特に卒業論文『科学技術とこれからの私』 などを読みかえしていると痛切にそう感じた。
サイエンスコミュニケーターとしての仕事も示唆してくれている。ありがたい!!
▼恐る恐るの仮説は、やがて確信にかわっていく。

中学理科授業は、サイエンスコミュニケーションの最前線だ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新5/8】11-19「サイエンスコミュニケーター宣言」更新!

Dscf9022_2

藤の花 ゆれて深まる みどりかな
 11/05/07 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-19
週末定例更新のお知らせ
 だんだんと曜日がわからないような生活に馴染んできた。それは、ある面ではとてもうれしい、望んでいたことでもある。しかし、一方では本来怠惰な私にはメリハリのない生活になってしまう。
 そういう意味では、Webの週末定例更新という枷はありがたい。
これで、一週間という時間の枠をつくり生活のリズムをつくるのである。

◆表紙画像集2011 人里の植物 ヤマフジ
 玄関を外に出ると、向かいの竹藪にも、見上げるかたちになる西の山にも藤の花がきれいである。五月の風にゆれている。ずっとずっとここにいるから、ほんとうはこの季節になれば毎年見てきたはずの風景のはず。
ところが「見えていなかった」のだ。
 そんなことが多い!悔やんでもしかたない。時間は遡行しないのだから…。
そこで居直って見ることにした。「新発見」の毎日を楽しむことにした。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!
 「サイエンスコミュケーター」を言い出して40日になろうとしている。
あくまで自称である。遊び心で手作り名刺にこの肩書きをつけてみた。
まだ、しっくりとこないところもあるが、なんとなく気になるところもある。
世に「サイエンスコミュケーター」と名乗る人はすでに多くいるだろう、その人たちがプロのサイエンスコミュニケーターだとするなら、私はアマチュアでフリーのサイエンスコミュケーターだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今年の大賀ハスはピンチ!?

Dscf8998▼昨日は土曜日だから、定点観測の日だ。実は憂鬱だった。迷い悩みもしていた。
大賀ハスがピンチ!!に見えるからだ。植え替えから3週目。
今年は、蓮根の植え替えがすごく遅かった(4/17)。そして、やっと植え替えたと思ったら、それではまずいというプロのアドバイスを受けた。身欠きニシンをそんなかたちで与えれば蓮根の根の生長に悪いと。そこで身欠きニシンを掘り出した。ドロドロにかき混ぜるようになってしまったので大豆まで外に出てくる結果になった。
ここで手を抜いたというか。邪魔くさかったのでそのままにしておいて様子を見ることにしたのだ。
Dscf8992▼結果的には、2度植え替えるようになってしまった。
やがて、大賀ハスの観察池はみどりの泥沼のようになってしまったのだ。巻葉はいくつか顔を出すが、なんとも元気のない色だ。茶色っぽいのだ。それはすでに枯れているかのように…。
 一方、残りものの蓮根を水だけの瓶にほりこんでいた方は、元気にみどりの葉を広げだした。
なんということだ!!そのままの方が元気に育っているとは…。
シロウト学の哀しさだ。全体が見えていない、未来が見えてこない。
Dscf9008▼もうひとつの定点観測のヒガンバナは、ますます草むらに埋もれていく。
それにしても、つくづくと思うのだ。
植物たちの「光合成」という営みのすごさ!!
もうひとつある。タンポポの種子をティシュペーパーを苗床にして蒔いていた。
朝には気づかなかったのに、夕方には一斉に芽をだしていた。
初夏の兆しをキャッチしたのだろう。
「みどり」がまぶしい!!
▼「ピンチはチャンス!!」なんて言っている場合ではないかも知れない。
もう少し迷い続けてみよう。再度、リセットするか。
最後は、大賀ハスに聴いてみよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ファラデーラボ・かがくカフェ」へ行った!!

Dscf8963▼昨日は夕方からが楽しかった。ファラデーラボに行ったからである。
今年の3月12日(3.11の翌日)にスタートして、次々と科学を楽しむ催しが展開されていた。時間の余裕ができたらぜひ参加させてもらいたいと思っていた。
▼そのチャンスがきた!!
行く前から少しワクワクしてきた。車でたった50分だ。
そんな近いところにこんな楽しいところがあるなんてうれしい限りである。
昨日のファラデーラボ・かがくカフェのテーマは『日本列島3億年の歴史の岩石実物図鑑をつくろう』であった。
話をされたのは觜本格さん(かがく教育研究所長・サイエンスボランティア)である。
Dscf8962▼フロアーにブルーシートが敷かれた。その上に觜本さんが海岸(海岸の石はきれいに洗われて観察に最適だそううだ)で拾ってきてくださった石が広げられた。
この石のなかから、目的の石を拾い出し実物図鑑をつくろうというのが今回の趣旨である。
▼觜本さんの話は地球の歴史からはじまった。
この人の話は何度聞いても面白い!!
聞くたびに発見があるのである。ややもするとたいくつな「地球科学」が、生き生きとした「壮大な地球物語」になるのである。そして、次なる「ふしぎ!?」が浮かび上がってくるのである。
素朴な「ふしぎ!?」にも、答えてもらえるのはとってもありがたい!!
Dscf8990▼やがて「日本列島3億年」の意味がわかってくる。
いよいよ標本の「石拾い」になる。
最初は、どれも同じ顔したただの石ころに見える。色が白いか黒いかがわかる程度ある。
ところが、觜本さんの解説つきだと、ひとつひとつの石が「その石の物語」を語りはじめるから不思議だ。
実に面白い作業に変わっていく。
<チャート>
<石灰岩>
<玄武岩>
<泥岩・頁岩>
<砂岩>
<流紋岩>
<凝灰岩>
<花崗岩>
<安山岩(サヌカイト)>
 
どれも、どれも面白い。
時間が経つのをすっかり忘れていた。

今朝起きて、外にでたら思わず門先の石ころを拾い上げていた!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

坂本遼『タンポポ忌』に行った。

Dscf8913


おかんはたった一人
峠田のてっぺんで鍬にもたれ
大きな空に
小ちやなからだを
ぴよつくり浮かして
空いっぱいになく雲雀の声を
ぢつと聞いてゐるやろで

里の方で牛がないたら
ぢつと余韻に耳をかたむけてゐるやろで

大きい 美しい
春がまはつてくるたんびに
おかんの年がよるのが
目に見へるやうで かなしい
おかんがみたい

坂本遼詩集『たんぽぽ』より

Dscf8905▼ずっとずっと以前の話だ。私にとっては『子ども日』は『タンポポ忌』の日だった。
いまでも「タンポポ」と言うと、坂本遼を思い出し、「タンポポ忌」を想いだし、『今日も生きて』にあるタンポポの花で染めた黄色したセーターを思い出すのやった。
Dscf8930▼教師になってすぐの頃のことやった、ある先生を通して坂本遼のことを知ったのは。
そして、この『タンポポ忌』に連れて行ってもろた。
小さい子どもたちを連れて家族で参加したこともある。あの灰谷健次郎さんとはじめて話をさせてもらったのも「タンポポ忌」やった。何年間か続けて参加させてもろていた。
 今は昔の話やった。
▼それ以後も何度も、「今年こそ…」と思いながら、年月が過ぎてしまった。
やっとその時が来た。昨日、妻とふたりで行った。
その生家と詩碑は鮮明に憶えているのやが、そこまでの道があやふやになってしまっている。
近くまで行っているのやが、なかなかたどり着かない。道すがらいろんな人に尋ねてやっとそこへ行ったときは、もうお昼を過ぎていた。
▼生家に近づくも、あまり人の気配がない。表札にはしっかり「坂本遼」の文字が…。もうどうやら「タンポポ忌」の集まり行われていないようだ。生家から見る峠田の方に詩碑がある。行ってみることにした。
詩碑の前には、綿毛になったタンポポがいっぱいだ。
 詩碑に映った生家がきれいだ。
タンポポのある原風景がそこにあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(14)

Dscf8869▼「みどりの日」の昨日、いちばん印象に残った「みどり」は、前の田んぼのムギ「{みどり」だった。ムギはちょうど花を咲かせているところだった。ムギは栄養を生産しようとしていた、生産した栄養で次世代に生命をつなごうとしていた。偉大なる営みを繰り返しながら、その象徴が「みどり」だった。
▼昨日は、とってもうれしいことがあった。20年前の教え子たちが、私の退職を記念して同窓会をしてくれたのだ。卒業以来顔を見ていない生徒もいた。
 しかし、顔を会わすと瞬くままに20年前の「教室」にタイムスリップするのだ。ああ、この仕事をしてきてよかった感じる瞬間である。
 話は、思い出話からはじまり、それぞれ「20年の人生」を語り合うのだ。
 仕事のこと、家族のこと、自分の子の教育のこと、震災のこと(すでに宮城に行った生徒もいた)、等々である。話は多岐多様にわたる。話はつきることない。
▼H君が語ってくれた。私が転勤して最初の授業のことを
「私は、○○中からきた。○○町には、コーヒー会社がある。そのためコーヒーのにおいがよくしていた。私は、タダで何杯もコーヒーを飲んできた。」
最初から、変な話をすると思ったのだろう。鮮明に記憶してくれていた。
きっと「匂い」=分子と言い、「見えないものを見ることが科学」であるとでも言いたかったのだろう。
その後の授業でやりたかった原子論的物質観のさわりのつもりででもあったのかも知れない。
▼そうその原子論的物質観である。
ずっとずっとこだわってきたように思う。それは、ほんとうにこれからも有効なんだろうか。
これまでに自分が語ってきたことを、ネットから拾ってみる。
●今、なぜ「原子論的物質観」なのか
●【授業】原子論的物質観はいつ?
●「こども環境白書」と原子論的物質観: 私の【理科教師日記】
●原子論的物質観はほんとうに有効か?: 私の【理科教師日記】
●【化学変化】の目次
等々である。
 自分でも驚くほどこだわり続けてきたようだ。この20年間も同様のようだ。
それを、久しぶり出会ったH君に気づかされた。

やっぱり
自然は最高の教科書!!
子どもは最高の指導書!!
は健在だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(13)

Dscf8853▼今朝も、新しい「雲見」定点観測地から空を眺めてみた。やっぱりおかしい、晴れてはいるのだが、なにかがそこにある、霞んだよう状態だ。昨日もずっとそうだった。
黄砂だ!!
気象庁の黄砂予測図を見てみる。
やっぱりそうだ。今日もまだまだ飛んできそうだ。
▼黄砂は、西の中国大陸からやってくるんだ。
黄砂を見るたびに私は天気の大大原則!!
「光は東から 天気は西から」
を思い出す。これと
「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」
の二つがあったら、天気の「ふしぎ!?」の謎解き(「天気の学習」)はできると思っている。
▼そうなんだ。サイエンスコミュニケーターって何も新しいことをはじることではない。
「くらし」のなかでの「ふしぎ!?」と「科学」をツナゲルことを意識的にやることなんだ。
「ふしぎ!?」なんて、毎日の「くらし」のなかにごろごろいっぱい転がっている。
その「ふしぎ!?」を追いかければいい。どこかで必ず「科学」にツナガッテくるはずだ。
それを楽しめばいい。
▼楽しむことを続けていくためにはいくつかのコツが必要かも知れない。
それはやりながら考えればいい。
それ教えてくる人と出会えるかも知れない。
まずは、なんでもまるごとサイエンスコミュニケーターしよう。

▼今日は「みどりの日」!!
「みどり」→「光合成」→植物の偉大なる営み(植物最大の「ふしぎ!?」)
きっといっぱい「ふしぎ!?」ころがっているはず。
さあ!!
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(12)

Dscf8837_2▼連休が続く。
ゆっくりとした時間が流れる。そんな季節にいつも出会える植物がある。
もっともありふれた人里の植物とも言えるタンポポ。そのタンポポにもいくつもの「ふしぎ!?」がある。
その「ふしぎ!?」を追いかけてみるといっぱい「科学」が見えてくると思った。
そこでこの連休の課題として【タンポポの研究】を出すことが多かった。
いっぱい発見があっておもしろかったな。ありふれたなかにこそ「ふしぎ!?」がいっぱいつまっているのであることを知った。
▼昨日も、このゆっくりした時間のなかで、タンポポの「ふしぎ!?」の大発見!!
をした。タンポポの綿毛ができるプロセスである。
花の咲く時期があって、それからしばらくして日にちを置いて(数日から一週間程度)、綿毛がふくらんでくるのだ。そこに少しタイムラグがあるのである。アタリマエと言えばアタリマエのこと。
その間に、胚珠は種子へと準備しているのである。旅の準備を…。
それは、まるで「生き物」のように…
▼5月になって、できるだけ多くの人の「私の科学」に出会っていきたいと思った。
その前、少しだけ現時点での「私の科学」整理したい。
ここ数年で、他人の「私の科学」でいちぱん合点したのは「等身大の科学」と「新しい博物学」だ。その提言をしている
 『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房)の「第四章 科学・科学者・科学教育」をまたまた読みかえしてみた。

 ここに、科学の有りようについてのヒントが隠れているような気がする。日常身辺の現象を新しい眼で捉え直すことである。私はそれを「等身大の科学」と呼んでいる。サイズが等身大で、研究費も等身大で、誰でもが参加できるという意味でも等身大である科学として、気象や気候、生態系、地球環境問題などを対象とするのである。これらはすべて「複雑系」であり、多数のデータを何年にも渡って集積する必要がある。また、これらに共通するのは「循環するシステム」という点であり、循環の意味をじかに経験するには好適である。(同書 p110より)
 もう一つは、「新しい博物学」である。モノを収集して共通性と異質性によって分類するという博物学は、十八、十九世紀に盛んとなり、そこから物理学・化学・生物学・地質学などの専門分野が分化してきた。それによって科学は進歩したのだが、一方では科学はますます専門分化が進み、「極」とか「超」が接頭詞として付く状態になってしまった。(極低温、極微物質、超高温、超高エネルギーなど)。科学が細分化され縁遠くなってしまったのだ。そこで再度学問を総合化して身近に引き寄せることを考え、科学だけでなく、歴史や文学や民族学や神話など広く文化全体の眼でモノを見直すことを構想するのが「新しい博物学」である。(同書 p111より)

やっぱりである。
何度読みかえしても合点がいく。
種子は熟した旅に出よう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新5/1】11-18「新・私の教材試論」更新!

Dscf8806

門先に こぼれ咲きたる ゴンビかな
 11/04/30 (土)撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】11-18
週末定例更新のお知らせ
 新しい生活をはじめて、一ヶ月がたった。ほんとあっという間の話だ。
定刻どおり動く生活にくらべて、ある面では「自由」とも言えるが、流されたらそのままだ。
時間は自分で毎日作らなければならないから、たいへんと言えばたいへんだ。
そのとき、Web更新/週、blog更新/日、Twitter随時は、とても役に立つ。
ある面で習慣化してしまうと後は、いい面での惰性だ。
くらしに「慣性の法則」は成り立つんだ。

◆表紙画像集2011 人里の植物シリーズ ナツグミ(「ゴンビ」)
 私の家の周辺の風景が一変してきている。日々というより刻々と言ってもいいぐらいである。
朝と夕方ではまったくちがうのだ。変化してしまうと、昔をなつかしむというのが人情というものである。
今の風景をしっかり目に焼き付けておきたい。それがアタリマエの風景であっても…。
 そんなこと思って、家の周辺を見ていると、ずっとずっと幼い頃より馴染んできた「ゴンビ」(「グミ」のこと私のところではこう呼んでいる)に花が咲いていた。溢れんばかりに多数の花が。
 この花が咲くと、田植え思いだし、初夏の風を感じる。

◆「新・私の教材試論」更新 
 私の十八番教材「ピンホール・カメラ」を今一度追いかけてみる。
まだ、まだ続けます。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

サイエンスコミュニケーター宣言(11)

Dscf8751▼4月最後の日の昨日は定点観測(観察)の日だった。まずは、蓮根植え替えから2週目の大賀ハスだ。
大賀ハスは、先週には身欠きニシンが根の生長に悪いのではという指摘でニシンを泥のなかから掘り出した。そのため観察池はドロドロ状態になった。だからリセット状態になったのだが、もとから言えば2週目ということにしておく。掘り起こされてしまった大豆が緑色になっているのが印象的だ。巻葉がいくつか伸びてきた。
Dscf8759▼ヒガンバナ、完全にカラスノエンドウたちの包囲網のなかだ。
このあと人知れず姿を消して、眠りに入る、その季節まで。やっぱり、この定点観測地の移動はしかたなさそうである。さて、どこへ…
▼4月が終わり、今日から5月である。
「サイエンスコミュニケーター宣言」をして一ヶ月だ。
この一ヶ月ほど、「科学」と「くらし」のつながりを考えたことはなかった。
大げさな表現になるが、自分にとって「科学」とは何か。
「私の科学」は、ほんとうに有効なのか。できるだけ真摯に「私の科学」に向き合おうとした。
▼この一ヶ月で少しだけ見えてきたことがある。
ひとつは
「私はすでにサイエンスコミュニケーターであった」
ということだ。
「サイエンスコミュニケーター」は特別の仕事を意味しない。
けっして、はじめにサイエンスコミュニケーターありきではない。
サイエンスコミュニケーションの最も有効な形態・システムが「授業」だとも言える。
 ならば、自分がこれまでにやってきたことのなかに、サイエンスコミュニケーターとしてのこれからの仕事をみつけるのもいいかも知れない。
▼もうひとつ気づいてきたのは
「科学はコミュニケーションのなかから生まれる」
という事実だ。
 逆に言えば「コミュニケーションなきところに科学はない」とも言える。
少なくとも、「私の科学」はそうだ。

できるだけ多くの人から、その人の「私の科学」を学んでいこうと思う。
さあ、今度の一ヶ月でどこまでいけるだろう。
よりアクティブな一ヶ月にしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »