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新・私の教材試論(51)

Dscf8719▼昭和の日の今朝、外に出たら久しぶりに「1日でいちばんきれいな空」が見えた。
そこに細くなった月と明けの明星のツーショットだ!!
なんとみごとな光景だ。冬の透明感はないが、そこにはやわらかい光がある。
思わずデジカメを向けた。
そうだ、この光景を情報に変える「カメラ」を追いかけていたのだ。
▼自分でも不思議なぐらい私の思考というやつは気儘なものである。
この気儘さかげんを「自由」というのだろうか。
「教室全体のピンホールカメラ」をWebで追いかけようと思っていた。現時点での多くの人の情報を集めようと思っていた。今日のうちにもこれをすすめるだろう。
ところが、今日のblogを書くだんになって
自分で書いた

(1) 科学・技術史としての歴史(~ピンホールカメラからデジカメまで~)
(2) 科学教育史(とりわけ日本の理科教育史)におけるピンホールカメラの歴史
こちらの方は、現代理科教材発展史『ピンホールカメラ』としてまとめていきたい。

の(1)の方へ急に興味が先行しだした。

▼それにはわけがある。
◆『日曜日の遊び方 やわらかい光、ゆるやかな時間 針穴写真を撮る』(田所美惠子 著 雄鶏社 1998.2.20)
を再び読み始めたからである。
ここに私の知りたい(1)のことがうまくまとめてあった。
この本によれば「写真」の誕生は1839年。画家ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(フランス)がカメラ・オブスキュラが結んだ像や影を定着させることに成功し、その画像が公表されたことにはじまるという。
このときに発明された「写真」は今、デジカメ全盛時代を迎えて私たちの周りから姿を消そうとしている。
 だからこそ、今一度「写真」の歴史を見ておきたなるのである。
▼その道を極めようという人は、どうしてかくもうまく語るものなんだろう。
田所さんはこう言うのだ。

 また、写真の元祖である針穴写真を知ることは、写真の歴史そのものに触れることでもあります。
なぜなら写真とは、自然現象、人間のものの見方、技術の発達と分かちがたく結びついているからです。
(前記同書 P15より)

納得!!である。
私の興味とみごとに重なるのである。
急ごう!! ゆっくりと…。

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