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新・私の教材試論(49)

▼今、いろんなメディアを通して流れてくる情報に触れながら、繰り返し繰り返し同じことを自分に問うてみる。
「科学とは…」「科学教育(「理科」)とは…」そして、私にとっての「科学」とは…。
堂々巡りだ。
 急がば回れ!!私は教材試論を続ける。
▼はじめにあった「教室全体のピンホールカメラ」について語っていた。
故大竹三郎先生が「教材を仕上げるのだ」という提言について非常に興味深いことたくさん書かれている。

やはり、自分の中に、それだけの必然性がなくてはなりません。そうした必然性は、果実の熟するのに似ていて、ある期間の熟成を待たないと、具体的に現れてこないようです。それもなにかのきっかけが必要です。わたしの場合実験改善の必然性も、新しい実験の発見も、そのきっかけは、授業における子どもの発言です。また、授業をした先生のつまずきです。(『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5) P120より)

納得だ!!
ならばこそ、私はこの教材を、私の中で仕上げなければならない。
▼やりたいことがいっぱいあった。
ひとつは「ピンホールカメラの歴史」である。
歴史と言っても、ふたつある。
(1) 科学・技術史としての歴史(~ピンホールカメラからデジカメまで~)
(2) 科学教育史(とりわけ日本の理科教育史)におけるピンホールカメラの歴史
こちらの方は、現代理科教材発展史『ピンホールカメラ』としてまとめていきたい。
▼もうひとつは、実際にピンホールカメラをつくって、あの「やわらかい画像」を楽しみたい。
これは、ずっと時間ができたらと思い続けてきていた。
それと、あの『母と子の針穴写真』(美術出版社)『針穴写真を撮る』(雄鶏社)の著者
の田所美惠子さんの写真展に行ってみたいな。
■田所美惠子の針穴写真

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