« 新・クラウド「整理学」試論(22) | トップページ | 新・クラウド「整理学」試論(24) »

新・クラウド「整理学」試論(23)

▼今朝は試論のつづきからいきなりはじめる。
「空間の整理」の手始めに名刺の整理をさらにすすめた。
「整理」と言いながらも、それは行為としては、それは「捨てる」ことだった。なぜだろう、不思議とこれまで捨てられずに置いていたものが、スムーズに捨てられるのだ!
▼「捨てる」ことによって、目的がどんどん純化していく。
これまで生きて構築してきたヒューマンネットワークの姿が見えてくるのだ。どうしても捨てられない名刺がある。
その名刺を眺めていると、名刺の主の顔が見えてくる、交わした言葉が浮かび上がってくる。
なんと楽しい作業だろう。こんな面白い作業をなんで早くやらなかったのだろう。
いや、今だからできるのだろう。
▼「空間の整理」はいつしか「情報の整理」になっていた。
さらにはこの試論のねらいでもある「思考の整理」へと向かっていた。
現時点でのこの試論の究極のねらいは「クリエイティブ思考」である。
▼「クリエイティブ思考」ということでは、よく思い出す一文がある。
そして、今こそ強く心に響く一文がある。
半世紀近く前に東北の教師たちによって発せられた言葉だ。

「やさしく教える」と私たちがいうとき、それは努力しなくても教えられる・頭を使わなくてもわかる」
ということではありません。探検することの楽しさ、頭を使うことの楽しさが湧くことを私たちは目指します。新しいことを新しく教えるために、私たちは新しい教授原理をつくり出さねば成りません。
「テキストをつくろう」と私たちがいうとき、それは私たちの成果を不動のものとして定着させることではありません。
リフトのある山は山ではない!飛行場のある極地は極地ではない!活字でテキストに固着した私たちの「極地方式」は、私たちの自然観・科学観・教育観のあまさ、足りなさの動かぬ証拠となるでしょう。私たちはそれを否定して、更に新しいテキストをつくらねばなりません。それが、実践というものではないでしょうか。
みなさん!
疲れを忘れて前進しようではありませんか。
(『極地方式入門~現代の科学教育』高橋金三郎・細谷純編 国土社 1974.3.20 p7より)

彼らは続けて言う。

わたしたちに源流はない。わたしたち自身がいま源流として分水嶺をつくっている。(同書 p8より)

ならばこそ、私は今、「クリエイティブ思考」の源流をここにみるのである。

|

« 新・クラウド「整理学」試論(22) | トップページ | 新・クラウド「整理学」試論(24) »

コメント

自分が使ってないのに言うのもどうかと思うんですが、
上司が「自分の出身高校同窓会のメーリスで見たんだけど」って、
以下のものを紹介されました。
http://www.kagakudojin.co.jp/special/elementrump/index.html

モノの整理は…苦手です、とほほ。

投稿: いっちゃん | 2011/04/21 19:18

おはようございます。
なかなか面白い情報をありがとうございます。
存在だけはうっすらと知っていましたが、いっちゃんからの情報ということで手に入れようかなと思っています。ありがとうございます。

投稿: 楠田 純一 | 2011/04/22 07:30

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新・クラウド「整理学」試論(23):

« 新・クラウド「整理学」試論(22) | トップページ | 新・クラウド「整理学」試論(24) »