« 新・私の教材試論(46) | トップページ | ついにその日はやって来た!「ありがとう!!」 »

新・私の教材試論(47)

Dscf7589▼いつもの空だ。それは、「雲見」の定点観測地の空だ。「いつもの」はもうすぐ「いつもの」でなくなる。
それはわかっていた。
わかっていても、どうすることもできない。
その空も数時間後には泣き出してしまった。
Dscf7591▼最後の最後まで貫き通してみよう。
「私の教材試論」を続けてみる。
ひとつの結論があった。それは、この試論の現時点での到達点でもあった。
コンテンツはコンテクストから生まれる。
教材試論風に翻訳すると
すぐれた教材は、すぐれた授業からうまれる。
逆も真なり
すぐれた授業は、すぐれた教材からつくられる。
▼ならば、今もっとも必要とされることは
「くらし」と「科学」をツナゲルこと。そのコンテクスト(文脈)から生まれる教材があるはず
それは、たとえば草木染めだ。
藍染めの染色家は藍瓶の藍をなめて言った。
「藍は生きています、藍は薬」
「もともと害になるようなものでふだん身につけるものを染めたりしません」
と。
「くらし」と「科学」をツナゲルもののなかにこそ、すぐれた教材になる可能性を秘めたものがころがっているのではないか。これは、まだ拙い仮説である。

|

« 新・私の教材試論(46) | トップページ | ついにその日はやって来た!「ありがとう!!」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新・私の教材試論(47):

« 新・私の教材試論(46) | トップページ | ついにその日はやって来た!「ありがとう!!」 »