Twitterはじめて500日目に思うこと。
▼立春の朝だ。昨日は節分、すき間時間に「雲見」の定点観測地から、空を見上げてみた。みごとな青空である、その青空の表情に春を見た。毎日の空や雲にも人間の顔と同じように表情があることを教えてくれたのは『雲の顔』の著者武田康男さんだ。繰り返し繰り返し見ていると、少しずつ少しずつその表情が読めるようになってきた。同じ青空でも寒中の青空とは少しちがうのだ、表情に「春」が読めた。
▼別の場所からあの人が見た空はどうなんだろう。
そんなときは、Twitterだ!!
そのTwitter、
http://twilog.org/junkusudaが教えてくれた。
今日がTwitterはじめて500日目だと。
先日はじめたばかりに思っていたら、もう500回も地球は回転したのかと、あらためて驚いた。
▼「Twitter」そのものことを、他のメディアも話題にすることはなくなった。それだけ多くの人に普及し、アタリマエ!になったのだろう。
それは、それでうれしいことであり、ありがたいことである。
私にとっては、Twitter的である機会が増えてくることであるのだから。
▼「Twitterはじめたけど、こんなのどこが面白いの?」と聞かれることがある。私は答を持たない・
「そうですか」「そうかも知れないですね」
としか言いようのない。
だって質問する人のタイムラインと私のタイムラインはちがうのだ。
つまり、まったく違う情報が流れているのである。それこそが、Twitterの最大特徴なのかも知れない。
現時点での究極の「私メディア」なのである。
そこにこそ、無限の可能性を秘めているのである。
「世界の鼓動」になる可能性をも…。
▼Twitterはじめてから、ほど100日ごとに、そのときの思いをプロットしている。
プロットしているものつないだらなにかが見えてくるかもしれない。
やってみる。
◆新・クラウド「整理学」試論(10)(102日目に思うこと 2010/01/03)
◆Twitterはじめて200日目に思うこと(2010/04/10)
◆Twitterはじめて300日目に思うこと(2010/07/20)
◆Twitterはじめて402日目に思うこと
▼自分でも驚いてしまった。
「Twitter的」は、はじめて100日目ごろから、言っていたことなんだ。
Twitter的=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
Twitter的こそ私のタイムライン流れる主流なのである。
これからのテーマは「Twitter的の進化」である。
600日目の私のタイムラインには、どんな情報が流れているだろう。
楽しみである。
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