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今、「授業」を綴ることの意味!

Dscf5578▼今日は、小正月。そして昨日は「とんど」であった。となりの隣保と一緒になって「とんど」をやり出してから、2回目であった。今月の4日の日には、みんなで準備をしていた。朝出かける前にも、夕方には参加させてもらう予定で話もしていた。しかし、どうしても用があって、少し遅れての参加となってしまった。
 もうすでに、火は小さくなってしまっていた。しかし、小さいと言っても、ふだん見る炎にくらべるとやっぱり大きな炎だ。その炎をみながら、「燃焼」の授業のことを考えていた。
 やっぱり「ばっかり病」は持病のようだ。
▼先日、私の尊敬する中村敏弘先生から、とても興味深い冊子を送っていただいていた。
今も教壇に立っておられる先生の「駆け出し時代(昭和30年代初期)」の「実践記録2編」を綴じたものだった。
私は、ただただ
「すごい!!」「すごい!!」
「やっぱりな!!」
 ばかりを連発しながら読ませてもらった。半世紀以上の時空を超えて響いてくるものがあるのである。
ほんとうにこれが、半世紀以上も前に書かれたものであるのかと疑ってみたくもなるのである。
それぐらいその「実践記録」が投げかけてくるものは今日的なのである。
▼私が教師生活をつづけてきたなかで、何度なく多くを学ばせてもらった、示唆を受けてきた本に、中村先生の書かれた『教育実践検討サークル 創造する東北の教師たち』(1975年、国土社)がある。
 そのなかに次の文がある。

 『もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。
 実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。』
(前著 P423)

 なんと示唆的であることか。
なんと今日的であることか。
 私が、今日もこの拙いblogをこうして書き綴る意味もここにあるのかも知れない。
▼blogを書き続けることで言うなら、いつも示唆を受けているもうひとつの文章がある。
それは、ネットの世界で出会っていつも示唆を受けているサイエンスライター森山和道さんの書かれた文章である。
それは「ネットワークと教育」(15年以上前に書かれた)のなかにある。
そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。

例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。

これから15年以上が経ている。
しかし、なんと今日的であるのだろう。
「電子教科書」のことが、云々される時代だ。
いまこそ、この提言が生かされる時代なのかも知れない。
だから、私はやっぱり「小さなこと」「気づいたこと」「思ったこと」「失敗したこと」「私の小さな発見」…を綴りつづけようと思う。


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