【授業】『溶解』を構想する。
▼正月三が日は、そこに立たなかったから、ちょっと久しぶりだ。「雲見」の定点観測地にたって、いつもの空を見た。仕事始めは、ここからはじまった。もう4日であるが、その坂道が、初詣に向かう人でけっこうにぎわっている。
ところどころにまだ少しだけ雪ものこっていた。
▼理科室に入ると、次の授業のことが少し気になりだした。
授業は序章「物質探検」につづく三部作「気体」「三態変化」「溶解」のつづきであった。「三態変化」が、一応終わっている。
どこまで、原子・分子は見えてきたのだろう。それがいちばん気になるところでもある。
そして、次は「溶解」である。
これで、1分野の学習は終わる。
▼これで1分野の授業も終わりかと思うと少し緊張してくる。
『溶解』ではいったい何を学べばいいのか。
いつものように、教科書のページをめくることからはじめた。
「とけるとは」からはじまっている。
そして「透明性」「均一性」でまとめている。さらっといけばそれまでのこと、しかし、そこにも「ふしぎ!?」がある。
そこに目に見えて存在していたモノが姿を消すのである。
しかし、姿は消すが消えてなくなるわけではない。確かに存在している、それが証拠に再びとりだすことができる。
▼私は、「溶けるとは」に、「透明」「均一」に加えて「いつまでも底にたまらない」を加えたい。
ずいぶん昔になるが、ある生徒が言った。
溶解の学習もひととおり終わったころだった。
「いつごろまであの青色はもつんですか?」
硫酸銅を水に溶かして、「透明性」「均一性」「底にたまらない」もやったあとだった。
やったから、「ふしぎ!?」は解消し納得したわけではない。
やっぱり「ふしぎ!?」なんだ。
かき混ぜもしないのに「いつまでも下の方が濃くならない、底にたまらない」なんて。
私は、一メートルばかりの円筒のアクリル容器を用意して、そこに硫酸銅を溶かし、長い間、理科室の柱にくくりつけていた。たしかに、いつまでたっても下の方が濃くなったり、底にたまったりすることはなかった。
▼「とける」の「ふしぎ!?」で記憶していることがもうひとつある。
それは、小学校の実践録で読んだ憶えがある。
「あの固い食塩の結晶はとけるのに、あのやわらかいやわらかい豆腐はなぜとけないの?」という「ふしぎ!?」
だった。その実践録がこの疑問にどう答えたかはおぼえていない。
ただ、私だったらどう答えるだろうと思い、「私には無理だ!」と思ったという記憶がある。
こうして考えてみると、
「とける」とはけっこう「ふしぎ!?」な現象である。
しかし、同時に
「とかす」はきわめて有効な科学の方法である。
ことも確かである。
しばらく「とける」の「ふしぎ!?」を追いかけるところから授業の構想を練ってみよう。
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