【授業】「溶解」の「ふしぎ!?」はどこにあるのか。
▼昨日の朝出かけようとしたら、まだ「一日のうちでいちばん美しい空」が続いていた。それに今は、明けの明星のおまけがついているから、なんともうれしい。
金星の下の山に、私はずっとずっと「ふしぎ!?」を感じている。山なのにひとつの山のかたちでなくて、まるでそこは土手のように同じ高さの山脈が続く。きっとこの地形にツナガル物語があるはずだ。そう思いながらも、まだその物語をきっちり追わずに保留にしたままだ。
▼「ふしぎ!?」を追うといえば、次の授業の【溶解】というのも、ほんと考えてみると「ふしぎ!?」でいっぱい
だ。
・目に見えていたものが、消える。でも間違いなくそこにあるという。
・不思議なことにどこにも「均一」にあるという。
・いつまでも「均一」であるという。
・そのとき熱の出入りがあるという。
・溶解は化学変化なのだろうか。
・溶けて見えなくなっても、ほんとうに質量は保存されているのか。
・溶けたモノを再び取り出したら、なんでそんなみごとな形をしているんだろう。
・どんなルールに基づいてそんなみごとな形をしているのだろうか。
・…
あげたら、きりがないほど「ふしぎ!?」でいっぱいだ
▼しかし、限られた時間の中ではそればっかりをやっている訳にはいかない。
だとしたら、それらの「ふしぎ!?」をどこで保留にするかが問題だ。
最初から、アタリマエで切り捨てていては面白くない。それでは理科ではなくなってしまう。
「ふしぎ!?」を保留したままも、次なる学習を展開し、次に学習したことと繋げて「ふしぎ!?」のレベルアップをはかる。そんな作法があるのではないか。
そんな「ふしぎ!?」追求の流儀のようなものがあるのではないだろうか。
最近になってそんなこと思うようになってきた。
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