【授業】「やってみなけりゃわからない」!?
▼ひとつの行事を終えて、久しぶりの学校だった。校庭のヒガンバナが、ここ数日のあいだにどうなっているかすごく心配であった。校庭のヒガンバナ観察の「定点」は、去年から決めている。
そのひとつである校門近くで、グランドの隅でフェンスに寄り添うように生えているヒガンバナに注目していた。
その第一「定点」は、ここ数日みないあいだに、みごとに花茎がのび開花に向かっていた。
▼ヒガンバナの「ばっかり病」にかかっているあいだにも、時間は過ぎていっていた。
授業の方だけはおろそかにするわけにはいかない。
描いたシナリオを具体化する必要があった。音の授業である。
(1)音をつくる
(2)音の伝わり方
(3)音の速さ
(4)音の大小・高低
(5)音を見る
この流れである。
(1)の「音をつくる」はまだひとクラスしかやっていない。両クラス実施した後に報告しよう。
構想したとおりにはなかなかいかない。
▼「やってみなけりゃわからない!」生徒もときどき使う言葉である。
私自身も使う。
「これまで勉強してきたことから言ったら、○○になるはずだけど、やってみなけりゃわからんよな!」
と実験することをあおるときなどに。
これを昨日、実感した。
容器のなかになっているブザーを入れて、簡易真空ポンプを使って容器のなかの空気を抜いてブザーの音を消してしまう実験である。
そして
「空気が音を伝えている」というシナリオだ。
かわり番子になりながら夢中でピストンを動かしている。
それだけのことでもやっぱり楽しそうだ。
▼ひとりの生徒が言った。
「これ、ほんとうに音は消えるんですか!?」
そうなんだ。それは無理なんだ!完全になんて無理だ。
完全に空気をなくすのも、スポンジの台があるもののブザー本体の「振動」はスポンジを伝い容器に伝わっていく。
「理想的には…」と実験の結果とはちがう。
だから「やってみなければわからない」のである。
それは思考する科学を否定しない、むしろ思考を深める。
「今、音(振動)は伝えているモノはと…」
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