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夏休みが終わる!!

▼今日で、夏休みが終わる。私にとって最後の「夏休み」が…
夏休みのはじまる40日ほど前に、システム手帳にメモしていた。
・2010年夏休みに読みたい本
・2010年夏休みの Do it!!
いずれもが、青の色鉛筆でのチェックが途中までだ。
何度も、何度も 繰り返してきたこと。
半世紀はつづけてきたこと。
でも、地球は回り、夏休みは終わる。
▼こんなときは、
やっぱり真壁 仁の「峠」だ!!
声をあげて 読んでみる。

峠にたつとき すぎ来し道はなつかしく ひらけくるみちはたのしい。 みちはこたえない。 みちはかぎりなくさそうばかりだ。

「みちはかぎりなくさそうばかりだ。」が好きだ。
今日は「峠」に立つ

もう一度読んでみよう。

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【Web更新8/29】10-33『新・「自由研究」のすすめ試論』更新

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高き空 雲まがいけり 百日白
 10/08/26 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-33
週末定例更新のお知らせ
 情け容赦なく「時間」は過ぎていく、アタリマエのことだ!!
最後の夏休みも終わりである。『夏の創造』も終わりである、いくつもの「宿題」が片づかぬまに終わった。
終わりは、常にはじまりを意味する。

 ああ 私の魂よ、不死の生に憧れてはならぬ、
可能なものの領域を汲みつくせ、
ピンダロス『ビュテイア祝捷歌第三』

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ 百日白
 校庭には、サルスベリの樹か紅白一本ずつある。
同じサルスベリでも味わいちがうものである。武道場の東にある百日白の方は、今、勢いよく伸びそれは高い空に届きそうであった。青空に浮かぶ雲のようにも見えてきた。
 九月に入って登校してきた生徒たちを、純白でむかえてくれる。

◆『新・「自由研究」のすすめ試論』更新
・アカソナキヤ方式こそ自由研究の流儀である
・自由研究のすすめの究極は現代版『学問のすすめ』である。
・すぐれた「自由研究」には物語がある。
そして
・Twitter的「自由研究」のすすめこそ「これから」の自由研究を示唆する。
このあたりまで来た、今週には、今年の作品に出会うだろう。
また、教えられることいっぱい出てくるだろう。それがまた楽しいのである。 

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新・「自由研究」のすすめ試論(29)

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▼昨日は、夏休み最後の土曜日だった。もう「残暑」と呼びたいところであるが、そう呼ぶにはちょっと厳しすぎる夏の太陽が大賀ハスを照らしていた。大賀ハス観察池は植え替えから22週目をむかえていた。
ひょっとして夏が少し後ろまでずれているのなら、「あこがれの4日間」もずれているのかも知れないと、淡い期待をして、大きく広げた葉のあいだを入念にチェックするが、それはやっぱり見あたらない。
 連続して開花するということはないのだろうか。ため込んだ栄養に「不足」があるのだろうか。
まだまだ大賀ハスの「ふしぎ!?」はつづく。
▼夏休みの終わりと言えば、「自由研究」の仕上げの季節でもある。
「大賀ハス」や「クマムシ」の観察をしながら、自分自身の「自由研究」も含めて、これからの自由研究のことについて思いを馳せていた。
「これからの自由研究」
で思いだした。今から12年前の夏、
◆『お勧めスポットとこれからの「自由研究」』
のなかで、4つのことを提案している。 

(1) 研究の成果をデジタル処理をしていく。

・デジタルカメラの活用(処理、加工・保存性・共有性にすぐれている。)
  ・共通ソフトの使用によりビジュアルで説得力のあるまとめが可能。
  ・研究の蓄積が可能(何年もかけた自由研究も可能になる。)

(2) インタラクティブな研究の可能性を追求する。
  インターネットを利用したテーマに関する情報収集からはじまり、研究の過程においても、電子ネットワークの活用してその道の研究機関・専門家への問い合わせをするなど、これまで以上に広範囲のなかでの「学びあい」のなかから研究をすすめていく。

(3) 遠隔地との共同研究を実現する。
すでに、「学級・学校間交流」などで、いくつか先行する実践例のある「共同研究」を、生徒個人のレベルでも実現していく。それは、すでにプロの研究者たちが実現している手法でもある。ネットワーキングとしての「自由研究」の具現化である。

(4) Webページ上に研究発表(情報発信)をしていく。
上記のことをふまえるなら、自由研究の成果をWebページ上に発信していくことは、きわめて有効な方法と言えるだろう。

 それから12年。
その後、Webは進化してきた。それにあわせて「自由研究」も進化してきたはず。
自画自賛になるが、時代を超えてこの提案は「これから」を考えるとき今なお有効ではないかと思ったりする。
▼そこで、これを含めて、今
●Twitter的「自由研究」のすすめ
を提案する。
新・私の教材試論においても、現時点で「Twitter的教材開発」を提案している。
自由研究についても同様である。
電子教科書時代がにわかに具体化してきた今、
Twitter的はきわめて有効なんではないだろうか。
Twitter的=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
 それは、私自身のなかでは12年前の提案ともみごとに重なってくるのである。

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新・「自由研究」のすすめ試論(28)

Dscf0869▼朝の気配がどこかちがってきた。少しだけの風に「秋」を感じるようになってきた。日の出前の空も、さらにきれいだと思うようになってきた。
 そうだ、夏休みは終わるのである。
子どものころからそうだった。この時期ほど物思う季節はないのである。
「ああしておけばよかった」
「こうしておけばよかった」
幾度繰り返して思っても、時はかえってこないのに…。
変えれるのは、自分と未来だけ!!
▼昨日もやっぱり、少しだけ私の「自由研究」クマムシとつきあった。コケの森探検をした。
20日ぶりに蘇ったコケの森は、生命にあふれていた。
一昨日以上にゾウリムシの動きが活発に見えた。時間は少なかったけど、一匹だけクマムシに出会った。
では、他の箇所では…
とは行けない。今週はここまでだ。
ゆっくりと、ゆっくりと私の自由研究仕上げていこう。
▼ずいぶんと久しぶりに、新・「自由研究」試論のこと思いだした。夏休みの入り口で試論(27)を書いていた。
そこで、新しい判断基準を提案していた。

●すぐれた自由研究には物語がある。

いかにていねいに緻密にやられていても、そこに「物語」がなければ面白くない。
失敗の連続の記録でもよい。
そこに、借り物やコピペでない。自分だけの「物語」があれば、それはすぐれた「自由研究」になるのである。
そこには、「発見」があり
さらなる「ふしぎ!?」挑戦の意気込みを内包しているはず。

今年は、どんな「自由研究」と出会えるか。
楽しみである。

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コケの森に「クマムシ」は生きていた!!

▼昨日も、私は残された「宿題」を片付けるあいまに理科室にこもった。二回こもって、あわせて1時間30分を越えていた。少し、秋の気配がしてきだしたといってもやっぱり暑かった。しかし、そんな暑さは気にならなかった、もっともっと気になることがあったからだ。
 「クマムシ」である。理科ハウスの山浦安曇さんからいただいたサンプルカプセルのなかに、確かにそいつは居た。生きていた!!なのに画像に収めようとして、そいつを見失ってしまった。
巨大な「乾眠」状態のものかと思ったものも、どうも疑わしい?なにか別の生物???
▼仕切り直しをすることにした。いただいたもうひとつの方で挑戦である。採集したコケそのものをいただいていた。そちらの方だ。
 いただいてから、もう20日以上たっている。
 その間、なにもしていない水分の補給もなにもしていない。ずっと気にはなっていたが、それは後回しにしてしまっていた。一昨日、コケの半分をシャーレに移し、水を加えていた。
 それをほぐすことからはじめた。ピンセットと柄つき針で、コケをバラバラにしていった。
そして、顕微鏡で観察してみた。
Dscf0862▼まず最初に驚いたのは、コケの緑だ!!
コケたちはみごとに緑を回復していた。そして次が、うごくものだ!!
センチュウだ!
猛スピードで動き回るゾウリムシ(?)!!
名も知らないものが動き回っている。生きているのだ!!
20日以上も乾燥したままだったのに。
 そしてそいつは居た。生きていたのだ!!
 コケの森に「クマムシ」は、生きていた!!
森をゴソゴソのし歩く「クマ」のように…。そのスピードは、センチュウやゾウリムシのスピードにくらべるとゆっくりである。しかし、それは実存の足どりである。
「緩歩動物」とはうまくいったものである。
▼これは画像に収めなければとあせって、デジカメを接眼レンズにつけていると、また見失ってしまう。
懲りずに、またコケをかき分けて捜す。
そんなことしていると時間の経つのはすぐだ。
1回目の発見から一時間はすぐに経っていた。いったん時間切れで引き上げた。夕方になって、それでも「もう一回」と顕微鏡をのぞいた。
 居そうな場所がなんとなくわかってきた。
他の動物たちが、活発な動きをしているところだ。そこには「生命」の気配がある。
それにしても、コケの森の生命の豊穣さには感動してしまう。
▼次々と課題でてくる。
○「自校の校庭」「我が家の庭」のコケからも発見したい。
○今度は、きっちりと画像に収め、私の「自由研究」として生徒に見せたい。
○なぜ、コケでなければいけないのか。コケのすごさはどこに…。
○誰でも、いつでも見られる環境を理科室につくりたい。

誰でも、いつでも見れてこそ「科学」だ!!

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ホントに「クマムシ」なのか!?

▼時間というモノは、どうしてこうも非情なものなんだろう。しかし、逆に言えば「情け」があったら、ややこしくて混乱の極みであろう。月はきっちりと時間の経過どおり、昨夜は「満月」になっていた。今年一番小さな「満月」とカレンダーに書いてあった。
 時間の経過を無視しても、今どうしても追いかけたいものがあった。
「クマムシ」である。
Dscf0818▼どうやら持病の「ばっかり病」が発症してしまったようである。
時とところをかまわず発症するから困ったものである。その予感があったから、少しあれから時間をおいておいたばずにしていたのに。
 一昨日の続きである。朝から「仕事」がつまっていた。
少し時間がとれるようになったのは、夕方近くになって、スポイトで例の「クマムシ」らしきものに水を注いだ。
じっと顕微鏡のぞきながら、そいつの変化を待った。
猛暑は続いていた。休み中で締め切っている理科室、そこは恐ろしく暑い。
顕微鏡のぞき込む顔から汗がしたたり落ちて、接眼レンズにかかる。やばい!
少し目を接眼レンズからはなし、タオルで汗をふく。
そのくりかえしだ。
10分がたち、20分、30分が経つ。
▼そこで、疑りだした、これはホントに「クマムシなのか?」と。
ホントにそうであるなら、「三分待てば…」はオオバーであっても、これだけ時間がたてばなにか変化がみられるのではなかったか。
 顕微鏡の視野を別のところに移してみた。
そしたら、一昨日見たはずの「ゴソゴソと」動き回っていたはずのものの姿がないのである。
こちらの方は、まちがいなく「クマムシ」であった。
では、それはどこに行ったのだろう。
どこかで「チリ」「ゴミ」のようになって眠っているのだろうか。
「ふしぎ!?」だ。
▼気持ちの仕切り直して、ゴルジ体さんからいただいていたナイロン袋の入ったコケの方で、最初から再度挑戦
してみることにした。
 コケの半分をシャーレに入れ、水でふやかしてみた。
昨日は、そこまでとした。時間切れ!である

家に帰って、再び
『クマムシ?!』(鈴木忠著 岩波科学ライブラリー)
をひらいてみた。

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ついに「クマムシ」を見た!?

▼夏休みの最後の一週間、後回しばかりにしてきて「山積み」になった宿題を、かたわきにおいて
ひとつずつ
ひとつずつ
ゆっくりと …
呪文のように唱えながら、リストアップしておいてプライオリティつけて、今の「課題」を設定していっていた。
しかし、どうしても気になってしかたないものがある。
「クマムシ」である。
▼本格的に興味をもちはじめたのは、丁度2年前の夏休みの終わりであった。
2008/08/29 のblogには次のように記している。

▼この場に及んで、昨夜からとんでもないことにはまってしまった。
注文していた『クマムシを飼うには』(鈴木忠・森山和道著 地人書館)と『クマムシ?!』(鈴木忠著 岩波ライブラリー)がきてしまったのだ。
別に、私は「熊楠」と「クマムシ」、不謹慎な語呂合わせを楽しんでいるのではない。
「クマムシ」ちょっとだけ、興味はもっていた、今回、「クマムシ」本を購入したのは、森山和道が書いていると知ったからである。森山さんにここ10年以上いろんなこと示唆を受けてきている。ネットではいちばん気になる人のひとりだ。
読み出したら、面白すぎるのだ。\(^o^)/
「研究」についても、いっぱい書いてある。
合点することばかりだ。
ほんとうは車中では、熊楠のヒガンバナについての文『石蒜の話』を読んで復習して、熊楠に会いにいこうと思っていたのに・・・(^^ゞポリポリ
 まあ、熊楠のことだから許してくれるだろう。勝手な理屈である。
柳田國男が南方熊楠を訪ねてから、95年の歳月が流れた。
今日、「熊楠」に会いにいく。

 紀国オフに向かう車中で、夢中で2冊の本を読んだのを思い出す。
その後、何度も「クマムシ」について触れ、授業でも何度か話をした。
はやく自分のこの目で、見たいと思っていた。
▼理科ハウスでは、すでにそれを飼い始めておられた。今度、お邪魔したときには、ぜひこれを見せてもらおうと思っていた。それが、前に書いたようにその場で、捕獲してもらっていただいていたのだ。
今回はいろんな事があって「後回し」「後回し」になっていた。クマムシのことだから、時間が経過しても大丈夫だろうという思いもあったから。
 でも、もう気になってしかたないので、昨日のすき間時間を利用して、理科室で見てみた。
Dscf0781▼まずは、双眼実体顕微鏡でみた。サンプルカプセルに入った方からみた。
ネットや本では、何度も見ているというものの生のものを見るのははじめてであった。
見始めは、まだ半信半疑だった。双眼実体顕微鏡の方では、なんかみずらかった。ペトリ皿にあけて、顕微鏡でみてみた。
 そしてみつけた!!
 まちがいなく動く生物を、水の中を泳ぐというより、ゴミ(コケのかけらだろうか)のあいだをゴソゴソと動く物体を…。おっ、歩いているのでは…。
 でも、顔まで確認できない。ゴソゴソ動き回りじっとしていない。
すき間時間は短かった。ゆっくり時間を無視して観察することができない。
あわてて理科室を出た。
Dscf0804▼次に、時間をとれたのは、それから数時間後であった。装置はそのままにしていた。
観察のための蛍光灯もつけたままにしておいた。なんということだ、ペトリ皿の水はほとんど蒸発してしまっていた。先ほどの観察で「動いていたもの」の姿は、今度はなかった。
しまった!!と思いつつ、ペトリ皿のなかをスミからズーッと観察する場所を移動させていた。
そしたら、今度は先ほど観察したよりも大きなものが、動かずに顕微鏡の視野に入ってきた。
えっ!!
樽のようになって乾眠!!するってこれかも。
ついに私は、クマムシを見たのか!?
いや、見せてもらったのか!

今日は、そこに再び水をいれてみよう。

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【推薦本】『理科の自由研究室』が本に!!

▼昨日は、昔の勤務校に行って『「化学領域」とその授業』について話をさせてもらった。実に楽しい機会だった。理科のことについていろんな人と「あーでもない、こーでもない」と語り合うのは最高に楽しい。
理科にはさらにモノ(実験)があるからなおさら面白い。ひとつの実験をめぐっても、多様なやり方がある、それを文字情報や画像情報の一方通行でなく、双方向での情報交換しあうのがなんとも楽しい。昔から科学者たちも、こんなの繰り返してきたんだろうなと思う。機会を与えていただいた先生方に感謝する。
▼これは、私自身の夏休みの宿題のひとつとしていたことだったので、これでまた「ひとつ」終わったという感じである。夏休みもあと一週間あまりとなってしまった。残りの私の宿題は、まだまだ山積みである。
そのひとつに「自由研究」がある。
 生徒たちの「自由研究」はどうだろうと、思っているときにこの夏に出された一冊の「自由研究」本を手にした。
◆『小・中学生むき 理科のわくわく実験』(理科の自由研究編 理工図書 2010.08.04)
 この本は、あまたの自由研究本とちょっとちがったところがある。
それは、あの驚異的なアクセス数をカウントするホームページ『理科の自由研究室』が編集してだしたところである。
 『理科の自由研究室』はニッシー先生が、「理科の自由研究で子供たちに役に立つように」とはじめたページである。この種のページの先駆的な役割をはたしてきたページである。私もずいぶんいろんなことを教えられてきた。自由研究だけでなく、Web発信そのものについても技術的なことも含めていろいろ学ばせてもらってきた。
▼ニッシー先生は「はじめに」で次のように語っておられる。

ホームページが訪れてくれる人々によってバージョンアップしいくというか、いっそうよいホームページへと進化してくのです。これが、双方向のインターネットの光の部分です。有意の多数の人々による共同製作です。今、この「理科の自由研究室」ホームページは、私だけのものではなくなっています。(同書ⅲより)

 先駆者ならではの言葉だ。説得力をもつ。
 そして、ここには「これからの自由研究」を示唆するものがある。
▼私は、遅々たる歩みであるが「新・「自由研究」のすすめ試論」を展開している。
そのなかで
●自由研究のすすめの究極は「学問のすすめ」である。
と思うようになってきた。
Webの時代の「学問のすすめ」が必要である。
それと関連しても「あとがき」にあった。ニッシー先生の言う「自由研究」の部分を「学問」と読み替えたらすごく納得がいく。
 実は、自由研究の醍醐味は、自分で考えてやってみる、やってみたらうまくいかなかった。そこでまた、違う方法を考える。何度も失敗して、ようやく結果(完成品)にたどりつく。この試行錯誤にあるのであり、このときの達成感がなんとも言えない喜びでもあります。
 そのような意味で、この本の中で紹介しましたが、ホームページの「Q&R」(質問と応答)のやり取りは、「あーでもない、こーでもない」という「試行錯誤」の記録そのものです。むしろ、アンサー(正解)ではない方が、お互いの考える力を育てているとも言えると思います。書き込んでくれた人と、答える人が、一緒に悩んで考えて行く。これが、大変意味のあることではないかと思うのです。(同書P76より)

▼もちろん例として上がっている「テーマ」も、発展性のあるもの、等身大の「ふしぎ!?」を出発点したものが多く紹介してある。繰り返しになるが、あまたの自由研究本と少しちがった切り口をもった本である。
これからの時代の「自由研究」のあり方・すすめ方を示唆する本である。
さらには、これからの「学び」をも示唆する。
 『理科の自由研究室』が先駆的であったように、この本の出版も理科教育のなかで先駆的なものとなるだろう。

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【Web更新8/22】10-32『新・私の教材試論』等

Dscf0729
百日紅 咲き満ちるやに 人待たず
 10/08/19(木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-32
Web週末更新のお知らせ
 ずいぶんと久しぶりの更新のような気がする。3週間ぶりである。
「情報は発信するところに集まる」を20年近く唱えてきた人間の「情報発信」の中断である。この程度の中断は大なり小なり、これまでもにもあった。
 その都度、この唱えてきたことの意味を実感した。再開を促してくれたのも、やっぱりこれまでにできてきたヒューマンネットワークであった。ありがたかった、深謝。
 持続可能な範囲で、少しずつ少しずつ発信を繰り返していこうと思う。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ 百日紅
 実は、中断に入る前に週末更新の画像を準備していた。それもやはり百日紅であった。
盛夏、残暑を象徴するような花だ。校庭には百日紅と百日白とそれぞれ一本ずつある。いずれも、今鮮やかに咲き満ちている。名前のとおり、百日も咲き続けるという。
 散る前に母は逝ってしまった。せめて百日紅が散るまで…。

◆『新・私の教材試論』更新
 中間報告のようなかたちで話す機会があった。
 ある人が言ってくれた。「もうそろそろ『試』はとっては…」ありがたかった。うれしかった、ずっと読んでいてくださる方があるということが。
 しかし、やっぱり私にはこれは、まだまだ「試論」なのである。教材をめぐっての私の試行錯誤のプロセスなのである。少なくともあと半年は、これを続けようと思う。

◆【大賀ハス観察日記】更新
 中断している間にも、大賀ハスの時間はどんどん過ぎていっていた。
今一番の関心事は、
今年は「あこがれの4日間」は訪れないのか。

全国のそれぞれの「大賀ハス物語」の行方である。 

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それぞれの「大賀ハス物語」は今

Dscf0761▼昨日は、大賀ハスの蓮根を今年バージョンに植え替えてから21週目であった。この度のblogの中断により、大賀ハスの種子から育てはじめて、2年目 蓮根を植え替えてからずっとずっと毎週土曜日ごとに画像をもって報告してきたのを中断した。定点観測(観察)というのは、観測者が静止し、観測対象の動的変化をキャッチするのである。そのときの観測者は定期的であり継続的でなければならない。
だから、中断していたこと再び再開する。
 大きく成長した葉をかき分けて、花の芽をさがすが、その気配はない。こんなに大きく成長したけれど、今年はひとつも花を咲かさないのだろうか。それはなぜだろう?
▼あらためて、ここまでの【大賀ハス観察日記】をふりかえってみているといろんなことが、走馬燈のように蘇ってくる。
昨年のあの「あこがれの4日間」が夢物語のようだ。
 その夢物語は、結実した、5粒の大賀ハスの種子として…。
その5粒のうち3粒は旅にでた。
・神戸
・京都
・秋田
へと、それぞれ地で「発芽」したと報告を聞いた。
最後に発芽したのは、みちのく秋田であった。7月の下旬であった。うれしかった!!
これは奇跡的であった。
私の手元に置いておき、発芽処理をして「発芽」した2粒を含めて、5粒中5粒ともが発芽したのである。
100%の発芽率である。
それぞれの地であらたな「大賀ハス物語」がはじまったのである。
▼残念ながら、私の手元で育てた2粒と、神戸で発芽した分については、第二世代は消えた。
京都、秋田はどうだろう。
どんな報告が出てくるだろう楽しみである。
それと同時に、いろんなところの「大賀ハス物語」が気になる。
府中図書館の大賀ハスは、今年はどうなっただろう。
本家本元の「大賀池」の大賀ハスは今どうなっているだろう。
それぞれの地の「大賀ハス物語」の今が知りたくなってきた。

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原子論的物質観はほんとうに有効か?

▼日常が続きだした。もどってきつつある「日常」のなかで、もう少し自分の頭のなかを整理しておこうと思う。
来週の月曜日に人前で話すことから、少し整理してみる。
いただいたお題は
『化学的領域への興味・関心を高める理科授業の創造』
ポンコツ頭は、すぐ思考が拡散し焦点を見失ってしまう。
そこで、あらかじめ「焦点」をきめてしまっておく方法にでる。
▼いちばんの焦点は「原子論的物質観」である。
では、そもそもその「原子論的物質観」とはなんなのだろう。
「この世の中のすべての物質が、百十数種類の原子からできている。」
「身のまわり物質のほとんどは、20~30種類の原子の組み合わせによってできている。」
このことは、はじめて知るものにとって驚異的なことと言えるのではないだろうか。
▼いろんな新しい物質に出会う。21世紀の「くらし」である。
科学リテラシイーのことが云々されることも多くなっている。
私は、身につけておくべき科学リテラシーいろはの「い」は「原子論的物質観」であると思っている。

これからの学問は<読み・書き・原子論>!!

<つづく>

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「リコリス」たちの季節へ!!

Dscf0746▼まだまだ猛暑がつづく。気温が38℃を上まわるような情報が流れても、さほど驚かなくなった。それこそが「異常」である。さらにその大気が水蒸気を含んでいるいるから、不快感はいっそ増すばかりである。
 そんな季節のなか、いつもの年のように目につくようになった。散歩のときのあの家の庭に、通勤路のあの土手に、道路沿いにつくられたフラワーガーデンに…。夏ズイセンである。
▼いちばん印象深い土手があるのだが、そこではなかなか車が停めにくい。帰宅するとき、家のいちばん近くの「定点観測地」で車を停めて、カメラを向けてみた。
 夏ズイセンの後が、キツネノカミソリ、そして本命のヒガンバナとつづく。
今年も、またそんな「リコリス」たちの季節がやってきた。
 私の知る「リコリス」たちは、夏ズイセン、キツネノカミソリ、ヒガンバナ程度であるが、ほんとうはいっぱい仲間たちがいるようだ。リコリスさんの「今日のリコリスガーデン」ではそれを楽しませてもらえる。
▼それにしても、この仲間たちは「ふしぎ!?」である。
そのときが来ると、スルスルとされている花茎をのばし開花する。この「ふしぎ!?」さに、昔からいろんな物語をつくって謎解きをしようとした。それは、ヒガンバナの里名の多様さでもわかる。
 それでは、私たちのもつ科学では、この「ふしぎ!?」のすべてがわかっているのだろうか。
 この猛暑は、本命のヒガンバナの開花の時期にどう関係するのだろうか。
いや、それはもう7月ごろの天気で決定されていることなんだろうか。
・ヒガンバナの開花時期を決めているのはなにか。
・究極の決定要因はなんなのだろう。
・それはどこに、どんなかたちで「情報」として入力されているのか。
・たどっていけば、それは「物質の化学変化」なのだろうか。

シロウトの「等身大の科学」が、この「ふしぎ!?」に挑戦したくなる。

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「クマムシ」に出会えるかも!?

▼夏休みがどんどん残り少なくなってきている。最後の夏休みが…。
昨日久しぶりに講演を聴く機会があった。
何度も、自分に言い聞かせてきた言葉が出てきた。なんかうれしい気分になった。

「過去と他人(ひと)は変えることができないが 自分と未来は変えることができる」

過ぎ去った過去を如何に努力したって変えたりできない。
この当たり前すぎるほどアタリマエの事実。そのエネルギーは「これから」に注ぎ込むべきだ。
Dscf0703▼夏休みに入る前に、「夏の創造」と題して、いくつかの宿題を自分に出した。
そのなかに私自身の「自由研究」がある。
そのなかでも、いくつかのものをあげている。
・大賀ハス
・クマムシ
・ピンホールカメラ
・教材づくり  等々
 そう、そこにあげているのだ。例の「クマムシ」を…
 一昨年の夏の終わり、遅ればせながら「クマムシ」の存在を知った。そして、これだ!!
と思った。
【動物の世界】の最初にも、こいつを「粘菌」とともに登場させた。
その後も、何度か機会がありながらも本格的にはまだ捜していなかった。
いつか、いつかと思っていた。
Dscf0698▼この夏休みは、最後のチャンスかと思っていた。そこへ、うれしい思わぬ展開となったのだ。
理科ハウスのゴルジ体さんが、この度の科教協大会の会場で
「ここの校庭で、捕まえて見せてあげますから…」と言ってくださり、ほんとうに【理科の部屋】オフの場に持ってきてくださったのだ。時間がなくて、その場では観察できなくて、帰ったらすぐみせてもらうつもりでいた。
 ところが、この度のことがあってまだになっている。ずっとずっと気になりながら…。
 如何に「世界最強の動物」と言えども、もう死んでしまっているか、「乾眠」状態に入っているかも知れない。
はやく「クマムシ」に出会いたい。!!

 

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【授業】「化学領域」のシナリオは

Dscf0689▼猛暑が続く。過ぎ去ったのは、私のなかの「夏」だけだ。
暑さで寝苦しかった。めざめて、外に出て空をみたら、オリオンが登ってきていた。間違いなく地球は動き、季節は移り変わってきている。地球は等速運動を続け「時間」を刻み続けていることに感動してしまう。
私の小さな営みも、少しずつ「等速」をとりもどそう。
▼近くに、「化学領域」の授業について話をさせてもらう機会がある。
そこであらためて、この領域での授業の「これまでとこれから」を考えてみた。
**********************************************
・【物質の探検】
○世界の三大物質 金属・砂糖のなかま・しおのなかま
「 火ぜめ・水ぜめ・電気ぜめ」
○「密度」
 ・【気体】
 
・【三態変化】
http://homepage3.nifty.com/kusudadb/Santai/santai-index.htm
・【溶解】
○「質量パーセント濃度」
  ○「再結晶」

・【化学変化】
http://homepage3.nifty.com/kusudadb/Kagaku/index.htm

・【水溶液とイオン】
http://homepage3.nifty.com/kusudadb/Ion/ion-index.htm

・【科学技術と人間】
卒業論文『科学技術とこれからの私』
**********************************************
これは、考え始めたレジメの一部だ。
自分で書いてみた「シナリオ」を語ってみることで、教えられ学ぶものも多く出てくるのではと思っている。

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新・私の教材試論(40)

Dscf0678▼夏は逝った。と思っていたら、そうではなかった。
それは、私のなかでの「夏」だけだったようだ。久しぶりに定点観測地に立って「雲見」をしてみたら、まだまだ夏は繰り返していた。あきらかに変化はしているものの、やっぱり繰り返していた。
 壊しては再生する「生命」のごとく。
 あらためて投げかけられた「ふしぎ!?」
「生命とは何か?」その「ふしぎ!?」の謎解きができたからと言って、時間を遡行できるわけではないのだが、やっぱり追い求めてしまう自分がいる。
Dscf0369▼やっぱり「記録」しておこう。
消えてしまわないあいだに、そうすれば、ひょっとしたらプロットしたものをつなぎ合わせて見えてくるものがあるかもしれないから…。
 新・私の教材試論の中間報告で、私は具体例のひとつめに「教室全体のピンホールカメラ」の例をあげた。
それに関連して、今回すごいものを見せてもらった。
 それは、愛知の鈴木久さんがつくっておられた。目の模型だ。
透明半球を二個貼り合わせておられた。透明半球のひとつには、レンズがはめ込まれていた。
もうひとつの半球は、「網膜」(スクリーン)になるようにペーパーで擦られてザラザラにされていた。
みごとだ。
 「3K1Aの法則」「3Hの法則」を十分に満足しているのである。
私の光の授業の文脈にピッタリだ。
コンテクストのなかにこそ、コンテンツは生まれる。
それをも証明してくれているように思った。

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哀しみこらえて夏は逝く

Dscf0652▼大賀ハスの観察池。植え替え19週目、20週目の記録を残さない間にも葉は大きく成長していた。大きく、大きく…。大きく池をはみ出し太陽から届くものすべてを受け取ろうとしているようだ。お盆の昨日、それらをかき分けて入念にチェックしてみたが、花はなかった。昨年のような「あこがれの4日間」はまだである。と言うか、ひょっとしたら今年は、それはないのかも知れない。
▼皮肉にも、我が家の仏壇にはつくりもののハスが咲いていた。

母が死んだ。
「おかん」が死んだ。お盆を待たずして亡くなった。
その時は、きわめて唐突にやってきた。
「哀しみ」という言葉だけでは表現できないものがある。
この予定不調和
虚無感
足もとの大地がくずれていく感覚

どんなにもがいても
時間は遡行しない。
時間は未来にしか拓かれていない。
時間の経過するに従い
小さな母の偉大さがみえてくる。
母の教えが蘇ってくる。

哀しみこらえて夏は逝く

▼今年も実り始めた稲穂の上空をトンボがとびはじめた。
夏が逝くことを知らせるがごとく。
 10日間中断していた。blog、Web、SNS、Twitter等の情報発信を再開する。
少しずつ、少しずつ
ゆっくりと
それが「おかん」の教え!!

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新・私の教材試論(39)

▼昨日から、久しぶりの科教協大会に参加している。すごい熱気である。この空気をすって私は多くを学んできた。多くをは正確ではない、「すべてを」の方が正しい。
大会の冊子の後ろについている、この大会の57年の「歴史」を見てみた。マーカーを使ってチェックしてみた。
自分でも驚いた。参加したごとに手に入れた「教材」(ネタ)とリンクして思い出される。
▼今年の「お楽しみ広場」もやっぱりすごかった。見るものすべてがおもしろい。
 出展者の口上を聞けば、ますますおもしろさが増す。ネタの仕入れもさることながら、久しぶりの人と会うのも楽しい。出会った瞬間に何年もの時空を超えてしまから、これが楽しい。まさにこれぞ「お楽しみ広場!!」だ。
 ナイターは「小さな工夫」を語り合う場にでた。
 これが、実におもしろかった。
▼「小さな工夫」の意義を話し合う機会があった。
 そのなかで思った。
 「小さな工夫」こそが、授業中で教材を「仕上げる」のに必須の営みだ!!
「小さな工夫」こそが、ガラクタ教材をすぐれた教材にカスタマイズする。

▼さあ、今日もたくさん学ぼう。
 

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『Twitter的の可能性』

Dscf0151▼昨日も、定点観測地にいって何度かの「雲見」をした。刻々と空がかわっていくのがわかる。
ごくふつうに、この「大気の物理実験室」での観測の様子を離れた地で報告しあうようなそんな学習が展開できる日はそこまできているような気がする。
▼そんな日のための『Twitter的の可能性』を【理科の部屋】オフで語ってみたいと思う。
そのアウトラインだけを考えてみた。

『Twitter的の可能性』

1 Twitterはじめたのは

  ・「パソ通回帰論」からTwitter的へ 

2 Twitter的とは
 5つのキーワード
  「リンク」
  「シェア」
  「フラット」
  「等身大」
  「リアルタイム」

3 Twitter的の可能性

・Twitter的「教材研究」
  ・Twitter的「自由研究」のすすめ
  ・Twitter的「読書」
・Twitter的「自然観察」【星空の連帯】『雲見』
・Twitter的「整理学」
  ・Twitter的「・・・」

・これから…


【参照】新・クラウド「整理学」試論

▼久しぶりにお会いするひともいるだろうし、あらたに出会う人もいるだろう。
久しぶりにあのことばを思いだした。
「時空を超えて 響き合い 学び合い 高めあう世界を」
さあ、でかける。

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新・私の教材試論(38)

▼ここまでまとめてきた『新・私の教材試論』の中間発表が近づいて来た。
あらたに中間発表を意識してこのblogで語り出してからでも話が多岐にわたってしまったので、もう一度まとめ直すことにする。試論(28)から、項目だけ拾ってみる。

■『新・私の教材試論』~これまでとこれから~
(1) 私にとって「教材」とは

・授業づくりのネタ
・授業観のすべてが表れたもの 寿司屋のすしネタのようなもの
・私の科学観、世界観を表象するもの
・ヒューマンコミュケーションをつくり出すもとになるもの
・人から教わったものばかり。
・科教協「お楽しみ広場」から
・【理科の部屋】から
・授業づくりのプロセスにおいて核となるもの
・【教材入手DB】の試みから…。
・すぐれた教材は、すぐれた文脈(授業)なかから生まれ、あらたな文脈(授業)を創り出すのである。

(2) 「3K1Aの法則」「3Hの法則」とは

『3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則』
『3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則』

◆『教室全体のピンホールカメラ』

◆『究極のクリップモーター』

◆「非接触温度計」

◆究極のマグデブルク半球

◆「頭骨コレクション」

(3) 教材史と科学史

 定番実験には必ず「歴史」がある。
 それぞれの教材開発物語がある。

◆鉄と硫黄の化合
◆鉄と硫黄のダンゴ

◆現代理科教材発展史(教材を追うシリーズ)

◆現代理科教材発展史「スライム」

(4) これからの「教材開発」は

 これからの教材研究はTwitter的だ!!
Twitter的教材開発にこそ可能性がある!!
「Twitter的とは…」
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」

▼なんかごちゃごちゃしているように思ったが、blogから拾ってみてプロットしてみるとさほどのことはなさそうだ。
さて、どこまで伝わるかは別問題だ!
 後は人から学ぼう、徹底して…。
『Twitter的の可能性』については、【理科の部屋】オフでの私のプレゼンテーマだ。 
 

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【Web更新8/1】10-31『新・私の教材試論』等

Dscf0057
入道や 花かんざしに 笑みこぼれ
10/07/30 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-31
 すべてを私は人から学んできた。このアタリマエ!!
 授業、教材、Web、等々はては生き方そのものまで、クリエイティブであろうとするが、それはあくまで「人からの学び」が前提である。学び合い、高めあうことによってこそ、クリエイティブを貫くことができる。
 それを再認識する週がやってきた。クリエイティブシンキングウィーク!!
◆科教協第57回全国研究大会(兵庫大会)

の週である。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ アベリア
 どこか西洋を匂わせる花だ。名前からしてそうだ。ともかくこの花のいのちは長い。6月ごろからずっと咲き続けている、寒くなっても咲いていたと記憶している。校庭の前には列をなして植えてある。剪定を昨年したばかりと思うが、かたまりからピョンピョンと枝がはみ出している。その様は、まるで猛暑の空の積乱雲(入道雲)にかんざし
をさしているように見えた。秋空にアベリアはどのように見えるのだろう。

◆『新・私の教材試論』更新 科教協の発表レポート向けに、少し論をすすめてみた。
 拙論にどんなコメントをもらえるだろう。そこから何を学べるだろう。楽しみである。

◆【音の学習】新設!!
 私の夏休みの宿題のひとつ。構想だけであるが、二学期以降に入れる「容れもの」のページをつくっておいた。

◆【力学の第一歩】更新
 十数年ぶりの更新である。構想をいろいろ考えてみたが、大枠は昔と同じところに落ち着いてしまう。
 授業の準備もかねて、Webページを更新しておいた。 

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【授業】【力学の第一歩】を構想する。(2)

Dscf0087▼ついに8月になってしまった。ちょうど昨年の今頃である、大賀ハスに「あこがれの4日間」が訪れたのは、まさかの開花であった。それは、大賀先生と同じペースだった。私は、夢中で写真を撮りまくった。あんな短期間にあれだけ枚数の写真をとったのははじめての経験だった。その花が結実し、5粒の種子を手に入れた。この5粒は、全国いろんなところへ行き、すべてが発芽したという。
 その大賀ハス観察池、うえ替えから18週目である。蓮池の様子は、だいたい昨年と似たような感じになっている。立ち葉の間を、かなりていねいに見てみるが、花の芽はみつけることできない。少し送れるのだろうか。
今年は、咲かさないのだろうか。目をはなせない一週間になりそうである。
▼8月に入ったのだから、私の宿題もいそいでおこう。【力学の第一歩】の構想の続きである。
もう少し、具体的にすすめたい。
使う時間数は6時間を想定する。
(1) 変形と力
・「力」を見る 光弾性試験
・変形と力
【実験】ガラス棒の弾性
(2) おもりと力
・「おもりは引力の代理店」
・力の単位 N(ニュートン)
・質量と重力
【実験】ゼロ空中浮遊
【実験】磁石とクリップの宙づり
(3)力を矢印で表そう。
・力の三要素 作用点 大きさ 向き
・「力さし」を使って
<ドリル>
(4)力の大きさと変形
【実験】力の大きさとバネののび
・グラフ化
・フックの法則
(5)変形と応力
・「力はふたりぼっち」
・2力のつり合いの条件
【実験】バネはどちらの方がよくのびるか。
   A 一方壁 一方おもり
   B 両方おもり
▼これはあくまで、大枠の構想、実際にやるまでに軌道修正を加えていきたい。新しい視点があればまた加えたい。新しいネタを手に入れることができるかも知れないし。
「受け皿」を作っておくと、ここに入れようと考えられるから。
さっそく一冊本を読んでみた。
○『たくさんのふしぎ「重さと力」』(池内了著 福音館 2010年4月号)
である。さすが池内先生だ、「重さ」からはじめて「へえーそこまでいくのか」というぐらいどんどんひろがる話の展開だ。こんなの読んでいると、授業(2)の展開も考えてしまうな。


 


 

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