新・「自由研究」のすすめ試論(28)
▼朝の気配がどこかちがってきた。少しだけの風に「秋」を感じるようになってきた。日の出前の空も、さらにきれいだと思うようになってきた。
そうだ、夏休みは終わるのである。
子どものころからそうだった。この時期ほど物思う季節はないのである。
「ああしておけばよかった」
「こうしておけばよかった」
幾度繰り返して思っても、時はかえってこないのに…。
変えれるのは、自分と未来だけ!!
▼昨日もやっぱり、少しだけ私の「自由研究」クマムシとつきあった。コケの森探検をした。
20日ぶりに蘇ったコケの森は、生命にあふれていた。
一昨日以上にゾウリムシの動きが活発に見えた。時間は少なかったけど、一匹だけクマムシに出会った。
では、他の箇所では…
とは行けない。今週はここまでだ。
ゆっくりと、ゆっくりと私の自由研究仕上げていこう。
▼ずいぶんと久しぶりに、新・「自由研究」試論のこと思いだした。夏休みの入り口で試論(27)を書いていた。
そこで、新しい判断基準を提案していた。
●すぐれた自由研究には物語がある。
いかにていねいに緻密にやられていても、そこに「物語」がなければ面白くない。
失敗の連続の記録でもよい。
そこに、借り物やコピペでない。自分だけの「物語」があれば、それはすぐれた「自由研究」になるのである。
そこには、「発見」があり
さらなる「ふしぎ!?」挑戦の意気込みを内包しているはず。
今年は、どんな「自由研究」と出会えるか。
楽しみである。
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