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【授業】道具としての凸レンズ

Dscf9705▼今朝も、深夜に一度は雷と雨に起こされた。闇夜の稲妻、これは恐怖である。光と音の「ふしぎ!?」は大昔からこんなところからはじまっているのかも知れない。
 その「ふしぎ!?」の謎解きとわかったことを「くらし」に利用する歴史は、それは今日の「くらし」をつくりだした。そして未来の「くらし」を切り拓くものとなるだろう。
 そんなことぼんやりと考えていた。
▼光の授業を進めた。早くも終盤である、凸レンズである。
「焦点」
「焦点距離」
の確認をする。おきまりのコースだ。
そして、定番実験を行う。
物体(光源)、凸レンズ、スクリーンを距離をおいてできる像の大きさ、正立か倒立かを問う。
そして種明かし的に光の通り道の作図を行う。
それなりの「納得!!」を引き出す作戦だ。
それを否定はしない、ひとつの「科学の方法」であることは認める。
しかし、それがすべてでない!!
▼理科室には、まだあの「教室全体のピンホールカメラ」がセッティグしたままだった。
梅雨のあいまの天気のいい日など、その坂道を人が通るのが見えたりして、感動である。
このときに使った凸レンズは、少ない光を集めて、穴だけの場合にくらべてスクリーンの画像をクリアーなものとした。これだ!!
定番実験中にも、これに注目させた。
そう!!
凸レンズは光を集める道具なんだ。
もうひとつあった。
虫眼鏡である。ずっとずっと昔から使ってきていた。
凸レンズはものを大きくしてして見る道具なんだ。
道具としてしての凸レンズ、その認識はきっと「実像」「虚像」のコトバや作図を学習をよりゆたかなものにしてくれるだろう。
 使える便利な道具として、凸レンズを「くらし」のなかで利用していけるだろう。

やっとのことでここへ到達したかと思って、過去の授業記録のページを見ていたら同じようなことを書いていた。
進歩がないと言えばそれまでだが、ある面でうれしくなりそのことに感動した。

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