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【授業】【力学の第一歩】を構想する。

Dscf0082▼今日でついに、7月が終わる。時間が意思とは関係なく過ぎていく。
アタリマエのこと、その「時間」をもコントロールできるかのように錯覚するところから、大いなる間違いがはじまったのかも知れない。
 私は、すきま時間を利用して、これからの授業の構想を続ける。
あの「シーシュポス」の如く。
▼次は『力学』である。
まず、移行期の教科書を見る。
教科書から、システム手帳のリフィルにポイントだけプロットしてみる。
7枚になった。
・力を受けると
 「力は見えない」
 変形 支える 運動を変える
・地球上の物体にはたらく力
 「重力」
・力の大きさ
 N(ニュートン)
 実験「ばねののびと力の大きさ」
・ グラフの書き方(データのまとめ方)
 フックの法則
・重さと質量
・力の表し方
 作用点 大きさ 向き
・物体にはたらく力
 2力のつり合い
 2力のつり合う条件
 同一直線上 向きが逆 力の大きさ等しい
▼なるほど思うこともある反面、何かアタリマエをひっくり返すような「ゆさぶり」が感じられない。
なんとかそんなものを入れることによって、より感動的な授業を構想することはできないか。
再び、自分のこれまでにやってきた実践をふりかえってみる。
◆【力学の第一歩】実践DB
 残しているのは、目次だけだ。
 でも大枠の流れだけはわかる。これはここまで試行錯誤の末の到達点をしめす。
教科書をプロットしたものを見比べながら、もう少し構想をつづけてみる。

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【授業】授業『音の学習』を構想する。

▼今日は、7/30(金)。と言うことは、夏休みも1「クオーター」過ぎたことになる。なんという速さだ、残りは3/4しかない。このままいくといつものパターンにはまってしまいそうだ。
 できなかったこと悔やむよりできたことを喜ぼう。そう思うことにする。夏休み前にひとりプロジェクト「夏の創造」をたちあげて、自分にいくつかの宿題を課した。そのひとつ目に「二学期以降の授業を構想する」あげている。
学期がはじまってしまうとなかなかじっくりと構想を練ってというわけにはいかない。そこで、この夏休みに大まかな「構想」を練ってしまっておきたいと考えたのだ。
▼その第一番目が「音」である。
教科書のページを繰ってみる。
そして、今回はちょっと気になっている資料があった。それが新聞の次の特集記事である。
◆「音探し」の新次元
なかなか面白い。
「音と科学」もある。授業づくりのヒントがここにあるような気がした。
そう言えば、生徒たちの「私の「ふしぎ!?」」のなかにこんなのもあったな。

●「音はどうして目にみえないのか」
私はこえをだして、ゆれるので、たしかめる方ほうはしっているけど、色がついていそうなことばもあるので、ふしぎです。

▼もう少し、限られた時間内での授業を構想してみる。
授業としては5時間を考えてみる。
(1) 音をつくる
・音の正体→「振動」
(2) 音の伝わり方
・音を伝えるモノ
・「真空」での実験
・宇宙で音は聞こえないのか。
・○○電話
(3)音の速さ
・光の速さとの比較
・花火
・雷の音と光
<大科学実験「音の速さを見てみよう」>
(4)音の大小・高低
・音を大きく(小さく)するには
・音を高く(低く)するには
(5)音を見る
・オシロスコープ
・音のルール
 振幅 大なら 音は…
 振動数 多ければ 音は…

 まだまだ大まかな構想である。より具体的には時間をかけて…。

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新・私の教材試論(37)

Dscf0004▼「梅雨明け十日は晴れ」「朝焼けは雨」もあたりだった。しばらく続いていた同じ「晴れ」の天気は、昨日は変わった。それにしても、すごいものである。この観天望気の遺産「天気コトワザ」は…。
みごとに言い当てている。繰り返し繰り返しの観察から、ルールをつくる。ルールをできるだけ使いやすいように修正を加えていく。それを伝承していく。間違いなく、ここにもすばらしい科学がある。
すぐれた「教材」があることも確かである。
▼教材試論を続ける。
Twitter的教材研究・教材開発のつづきである。

【フラット】
 すぐれた教材は「フラット」にやってくる。教科書に載っているからすぐれているのでない。
偉い大学の先生が開発したから、すばらしいのでない。
 逆に、教科書にのっているありふれた実験だから、新鮮味や斬新さがないわけでない。
 すぐれた教材は、日々の現場の授業から生まれるのである。
 今、定番実験・観察もそうして生まれた。
 教材は垂直にやってこない。水平にやってくる。

【等身大】 
・「等身大の科学」「等身大の「ふしぎ!?」」から教材は生まれる。
このことがわかっていても、なかなか克服できない壁があった。私はかつてから現場の「三行レポ」を提案していた。提案はするものの自分自身でもできていなかった。
 ところが今はちがうTwitterがある。TwitterだけにかぎらないSNSやblog、ML等の簡単な情報交換の手段もある。たとえばTwitterなのである。
 140文字もあれば、十分に必要な情報交換はできるのである。
 ひとつの実験をめぐって、小さな工夫、ちょっとしたアイデアの情報があつまれば、ガラクタ教材と思われているものも、すぐれた実験に変わっていくかもしれない。
 ほんとうに欲しい情報は「失敗例」かも知れない。成果の情報だけが情報ではない。プロセスの情報こそが生きた情報なんである。

【リアルタイム】
 情報がリアルタイムであること、それだけでなにかワクワクするものである。感動である。
教材でも同じこと、「リアルタイム」というだけですぐれた教材になる可能性をもっているのである。
同じ時刻の空の観察、空がつながっていることを実感する。
「雲見」が、個人の楽しみになるだけでなく、「大気の大物理実験室」での実験観察となるのである。
よりビジュアルにを考えるのなら、画像だってリアルタイムに共有が可能になってきた。
さらには、USTの出現によりリアルタイムの動画だって可能になってきた。

これからの教材研究、教材開発を考えるとき
「Twitter的の可能性」を考えることは必須である。

  

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新・私の教材試論(36)

▼はやくも28日である。夏休みに入って2週目も半ばである。なんとはやく日が過ぎてしまうのだろう。夏休みに入ったら、あれもこれもと持ち越してきた「仕事」がある。入る前には「夏の創造!」と、自分の中でプロジェクトもたちあげたのだか…。
 「一日一生」というコトバがある。好きなコトバである。今日できないことが、明日(未来)にできるなんてことはありえない。今日始めたことなら、明日に繋げる可能性はある。始めもしないことができるわけないのだ。
▼試論を繋いでいこう。
試論の方は「教材史と科学史」のところまで来ていた。もう少し具体例があるだろうが、次に話をすすめる。
今回の中間報告のサブタイトルを「これまでとこれから」としている。
だから、「これから」にウエイトをおいて、まとめてみよう。
結論から行く。

 これからの教材研究はTwitter的だ!!
Twitter的教材開発にこそ可能性がある!!

 まったく新しい提案ではない。むしろ、最も古典的な、古くからの提案である。
▼何度も、何度も繰り返してみよう。
「Twitter的とは…」、5つだ。
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」

 教材論にそってもう少し考えてみる。
【リンク】
  教材そのものもスタンドアローンでは存在しない。教材群としてあり、それぞれもともとリンクされてある。教材開発にしてもそうだ。Webの世界はどんどん豊かになり、時代は「クラウドの時代」に向かってきている。電子教科書のことも、現実味を帯びてきている。そこまで射程にいれる必要がある。
 過去の実践、他の人の実践をふくめて「リンク」して考えていくことがますます重要になってきた。

【シェア】
 平たく言うなら、「おすそ分け」の発想である。私なんか、ずっとこれである。全国の多くの人に「おすそ分け」いただきっぱなしだ。深謝。
 お互いに「おすそ分け」しあうことによって、その教材は豊かになっていく。「おすそ分け」の対象は、モノであったり、情報であったりする。科教協の「お楽しみ広場」などは、その典型である。

<つづく>

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新・私の教材試論(35)

Dscf9986▼土用の丑の日。私は、朝から「雲見」の定点観測地に行き、そこからの「雲見」の画像を撮った。刻々と変化していく雲の姿は面白い。アタリマエだが雲は、西から東へ移動する。ときに上下運動を繰り返す。大気の物理実験をくりかえす。感じでは、先週ほど激しさを感じない。朝、昼、夕方と時間をかえて定点観測地に立つ。
Dscf9993その変化も面白い。武田康男さんの『雲のかお』(小学館文庫1998.10.1)みたいなこといつかできたらいいのになと思いながら…。
 夜、定番のうなぎを食べた。「このうなぎどこからやって来たのだろう?」と、それを話題にしながら。
Dscf9998▼試論をつづけよう。教材の方も、「この定番実験、どこからやって来たのだろう!?」と問うことの意義まできていたのだと思う。
 そのことに関して、私は小さな試みをはじめた。
◆現代理科教材発展史(教材を追うシリーズ)
である。そのなかでも少し進めたものに
◆現代理科教材発展史「スライム」
がある。
 「あなたのスライムはどこからやって来たのか?」と問いかけながら取材していった。これは実に面白い作業であった。最初の開発者からアドバイスをもらうこともあった。
 このような作業が、きわめてクリエイティブな営みにつながることを実感した。
それも、今は「開店休業」としている。時間ができしだいぜひ再開したいと思っている。
▼私が現時点で思っているのは
・究極のクリップモーター
・ピンホール、カメラ
・U-CAS
・ビースピ
・記録タイマー
等々である。
もっと定番中定番というものについてもやりたいな。
たとえば
・「水の電気分解」
などと言うのもいいなと思っている。この定番実験がどんな装置を使って、どのようにやられてきたか。
これまでにどんな工夫があったのか。授業ではどうだったのか。
 それは、また科学・技術史とどう関連しているのか。興味はつきない。
 それは、これからの教材開発につながる道であると思うから…。
そして、なによりもその作業が明日の授業づくりに役立つと信じるから。

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【Web更新7/25】10-30『私の教材試論』更新

Dscf9890
青空や 彼のこころざし 届くなり
 10/07/22 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-30 週末定例更新のお知らせ
 いつのまにやら、なんと2010年になって30回目の更新である。これを50回をすぎると2010年も終わりである。毎日のblog更新と毎週のWeb週末更新をつづけるようになってどのくらい経つのだろう。
地球の自ら一回転するスピードも、太陽のまわりを回るスピードも変わらない。みごとなまでの等速運動である。
しかし、私のスピードメーターでは加速度運動をしているように感じてしまうのである。
 夏休みに入ってはやくも一週間が経ってしまった。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ メタセコイア
 グランドの西に、二本のメタセコイアがある。まっすぐにのびて大暑の空まで届きそうだ。何十年も前に寄贈されたものだという。「中学生よ まっすぐにのびて夢まで届け!」と願ってのものだろう。
 校庭の樹木の面白いのは、いろんな樹木がそれぞれの「こころざし」を内包して、そこに立つからである。人の思いや・願いを託されいるのである。じっとその樹木をみていると、託されたものが聞こえきそうな気持ちになる。

◆『新・私の教材試論』更新
 先週一週間は、集中してこの試論を書き続けた。8/5の中間発表に向けてである。これを機に、私の「現在地」を再確認する試みである。今週も続けようと思う。

◆『新・クラウド「整理学」試論』更新
 こちらの方も、同様の意味がある。
『Twitter的の可能性』
Twitter的が如何にクリエイティブかを…。

 今、刻々と変わる「一日でいちばんすばらしい空」を見てきた。
さあ、この一週間でどこに向かうのだろう。
 
  

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新・私の教材試論(34)

Dscf9965▼昨日も、真夏の太陽は朝から大賀ハスの大きな葉を照らしていた。人間たちが、送り込まれる太陽エネルギーに悲鳴をあげているというのに、植え替えから17週目の観察池の大賀ハスは元気だ!!太陽から送られてくるエネルギーをダイレクトに「生命力」に変えてしまう、そんな驚異のシステムはやっぱり「ふしぎ!?」だ。けっしてアタリマエではない。
 昨年度の「あこがれの4日間」の日が近づいてきた。「今年も…」となるのだろうか。今のところその気配はない。
▼試論を続けよう。
「3K1Aの法則」
「3Hの法則」
の具体例をあげてきたが、まだまだあり尽きることはなさそうだ。
「法則」と呼んだのだから、いろんな教材にあてはまるだろう。当然である。
 ここだけにとどまらず、話を少し進展させよう。
▼次は、教材の「歴史」について話をすすめる。
三年前に、久しぶりに授業を再開して、じっくり教科書をみて見て驚いたことがある。
教科書の「実験・観察」の教材が様変わりしていることについてである。
 かつて、この実験こそ必要なのではと思っていたものが、さりげなくごく自然に載せられているのである。
 変わっていない定番実験・観察もあった。
新しく記載されるようになった教材にも、ずっと定番であり続けて教材にも
「歴史」がある。!!
▼その「歴史」のルーツをたどる旅は、けっこう面白い作業である。面白さだけではない、その実験・観察を、自分の授業における「自分の教材」とするためのきわめて有効な「教材研究」の一部なのである。
さらには、新たな「教材開発」につながる道なのである。
繰り返そう。
 定番実験には必ず「歴史」がある。
 それぞれの教材開発物語がある。

▼ひとつの具体例でいこう。定番中の定番
◆鉄と硫黄の化合
◆鉄と硫黄の化合2
◆鉄と硫黄のダンゴ
 
 化学変化の醍醐味、「原子と原子が衝突して、まったく新しい物質がつくられる。」「化学変化には熱の出入りをともなう」を教えたくて、開発された実験である。
 定番化にいたるまでの紆余曲折の歴史、その歴史は化学史そのものまでたどり着く。物質観の歴史でもある。
この教材の定番化に尽力された大竹三郎先生は、きわめて示唆的なことをおっしゃっています。

わたしは、現在、学校で実施されている多くの実験が、なお教材として仕上げられていないと考えます。これらの実験が授業の課題にピタリ答えられるように、その内容、形式ともに仕上げられなくてはなりません。ところが、わたしたちは、もうこれ以上、変えようとしても変えられないものと受けとめています。とくに長い歴史をもった伝統的な実験に対してそうです。(『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5)  P119より)

すごい意思表明です。理科教師としての誇りに満ちた決意です。
定番実験も、さらにもう一度、自分の授業に照らし合わせて、生徒たちの発言に応じて「仕上げて」いくのです。
そのときに、その定番実験のもつ「歴史」に目を向けることは、きわめて有効な手段と言える。

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新・私の教材試論(33)

Dscf9949▼ほんとうに暑い日が続く。夕方になると大きな積乱雲が発生するという日々が続く。毎日毎日、この夏の最高気温更新!!のニュースが流れる。そして熱中症の犠牲者も…。一昨日、和歌山の阪本さんからすごい積乱雲の画像が届いた。そして、レーダー画像をみていて「夕立は…?」の問い合わせがあった。ハッと思った、和歌山からここがわかるのかと妙に感動してしまった。空はつながっている!!そしてこの「大気の物理実験室」の空間をイメージしていたら、またまた「雲見」が面白さを増してきた。
▼無手勝流の「教材試論」をすすめよう。
もうひとつだけ「3H(ホット・本質的・ホンモノ)」を蛇足ぎみにひとつ加えておこう。
それは「頭骨コレクション」である。

◆「頭骨」コレクションの思い出-1
◆「頭骨」コレクションの思い出-2
◆「頭骨」コレクションの思い出-3

 ホンモノのもつ迫力、リアリティな情報は、デジタルのバーチャルな情報とは格段の差があるのである。
 よりすぐれたアナログ教材(=ホンモノ)は、ますます教材としての価値を高めていくのである。
蛇足の蛇足を
◆【授業】心臓は筋肉のかたまり

<つづく>

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新・私の教材試論(32)

Dscf9919▼今日は、二十四節気の「大暑」である。確かに昨日も暑かった、いつも感心してしまうこの二十四節気には。生産の現場の体験から編み出された知恵、みごとなものである。ここにも科学は確かに存在する。
 それが、私の科学との付き合い方である。昨日猛暑のなかであったが、「雲見」と表紙画像撮影のためグランドにたった。そして、例の「雲見」のとも=非接触温度計を取り出した。
Dscf9914▼これも教材試論のつづきとして綴っていこう。
◆「非接触温度計」
猛暑のグランドで非接触温度計を、空とグランドに向けてスイッチオンにしてみる。
この温度差はどうだろう。
教えたいことはたったひとつ、
「上空の方が温度が低い」
この事実だけである。それだけとりあげれば、単なる「知識」である。これが「上がると ザアザア」「下がると カラカラ」にいたるプロセスのなかでは、キーになるのである。地球は下から(地面からor海面から)暖められるのである。発せられる赤外線によって、そしてその赤外線をキャッチするのが、この「非接触温度計」というわけだ。
 こう考えると、この「非接触温度計」はきわめてすぐれた「教材」(教具)と言えないだろうか。
「3K1Aの法則」「3Hの法則」の多くをクリアしているのではないか。
・ともかくK「簡単」である。いつでも、どこで簡単に温度を測ることができる。
・そもそも「温度とは」に応えるものがある。
・数値化する。データ化する。科学のはじまりである。
・2H「本質的!ホンモノ!」である。
▼ついでに、もうひとつ最近のお気に入りをあげよう。
◆新・新マグデブルク半球
あらため
◆究極のマグデブルク半球
 ここにも、「3K1A」「3H」があった。
とりわけ、私は、この教材の1H「ホンモノ」に注目している。
こいつは、工場の現場で使われているホンモノである。本来の「教材」としてつくられたものではない。
現場で使われているホンモノである。それだけにカリモノでないシビアであり、便利なのである。
これでものを持ち上げているときに落下するようなことがあれば、大きな事故につながりかねないのである。私が、一番最初これを曽我部教子さんから一個だけ分けてもらったときは、ガラス屋さんから入手したと聞かされた。古くなかったから新しく手に入れたいと思ってガラス屋さんに問い合わせたことも何度もあったが、なかなか手に入らなかった。ネットで、ずっと問いかけもしていた。
そしたら教えてくれる人がいた。
■サン・グリップ(ワンタッチ吸盤)
である。同じ購入するならと、二個セットで購入した。
これが、また幸いした。吸盤としての実験だけでなく、二個くっつけることで「マグデブルク半球」を思いついた。
そして「究極のマグデブルク半球」が生まれた。
▼今日は、もうひとつだけ書いておきたい。
それは、昨夜帰宅すると、とてもうれしいメールが届いていた。それは秋田から届いていた。
あの秋田に旅に出ていた大賀ハスの実がこの7/21に発芽した。
なんということだ。昨年の「あこがれの4日間」で咲いた大賀ハス。結実した5粒の種子すべてが発芽したことになる。神戸・京都・秋田それぞに一粒ずつ、そして私の手元には二粒。
すべてがめでたく発芽!!発芽率100%!!
私の手元のものは、発芽後の観察は十分にやったが、植え替えタイミングをはずし残念な結果になってしまったが、神戸・京都・秋田それぞれの地で「大賀ハス物語」は新展開をむかえていくかも知れない。
面白い!!ひょっとしたらこれも新しい「教材の種」が生まれているのかも知れない。

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新・私の教材試論(31)

Dscf9844▼昨日も猛暑は続いた。猛暑のなかでの「雲見」のしめは、茜の空だった。これもそんなに長時間ではない、わずかな時間だ。こうして、夏休み第一日もすぎていった。
 やらなければならないこと、やりたいことリストアップしておいて、翌日の朝にチェックするということ続けている。
ならべてみて、プライオリティをつけるのが、いちばんツボの作業となる。
▼試論を続ける。
これを始めたときに、「期間限定(2011年の春まで)でともかく日々の授業にそったかたちで続ける」と決めている。
 そして、それまでの自らの実践をふまえて2つの法則をつくっている。
●『3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則』
●『3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則』

である。
 これを私の教材作り、教材開発の「ものさし」とすることを宣言している。
 新たな教材に接したとき、この「ものさし」を持ち出して吟味してみる。3K1A、3Hのうちのひとつを満足している場合もあれば、これらのいくつもが複合している場合もある。
 ただ、これだけははっきり言える。すぐれた教材で、このうちのどれひとつも満足していないものは絶対にない。
▼もう少し具体例でいこう。
◆『教室全体のピンホールカメラ』
 これほど、2つの法則を満足している教材もないのでないか。最近の実践でも再度確認した。
・なによりも教師自身のK「感動」がある。
・硫酸紙1枚(15円)あればいい。超K「簡単!」
・映ったその風景は特別の意味をもってK「きれい!!」
不思議にも「カラーや!!」ことばとびだす。
・これがカメラのはじまり、デジタルへ移行する今こそ超アナログ!!を
 3H(ホット、本質的、ホンモノ)
◆『究極のクリップモーター』 授業から「すぐれた教材」は生まれる、その典型だ。もう20数年前のひとつの授業から生まれた。
これもまた「3K1A」「3H」の多くを満足する。
・世界で最もK「簡単」なモーター
・シンプルイズベスト!!
・原理・原則がむきだしだから「応用」「工夫」が生まれる。
・いつでも、誰でも回せる!だから「科学だ!!」
・やっぱり「ふしぎ!?」
・教材が、またひとつの「ブラックボックス」であってはならない。
・定番化したのには、それなりの訳がある。
 

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新・私の教材試論(30)

Dscf9828▼昨日もすき間時間を利用して、梅雨明けの空の「雲見」をしていた。

 ある夏の暮(く)れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座(すわ)って、雲見ということをやって居りました。一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峯(みね)を見ることが大すきです。じっさいあのまっしろなプクプクした、玉髄(ぎょくずい)のような、玉あられのような、又(また)蛋白石(たんぱくせき)を刻んでこさえた葡萄(ぶどう)の置物のような雲の峯は、誰(たれ)の目にも立派に見えますが、蛙どもには殊(こと)にそれが見事なのです。眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
 雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。ペネタ形というのは、蛙どもでは大へん高尚(こうしょう)なものになっています。平たいことなのです。雲の峰(みね)はだんだん崩(くず)れてあたりはよほどうすくらくなりました。

 これは、宮沢賢治の『蛙のゴム靴』の一節である。
ここに「雲見」が登場する。「雲見」の楽しさが、蛙の目を通して語られている。
▼「雲見」をしていると思うのだが、次々と雲が姿、かたちを変えていく。
次のかたちが予想できないのだ、それを一度見逃してしまうと、二度とみることができないのだ。それもが、「雲見」の醍醐味のひとつである。
 刹那の楽しみだけではない。未来は予測できないといいながらも、こんなときにはよくこのような雲が観察できると科学する楽しみもあるのである。
 地上の話にもどそう。雲の未来形を語るよりはより簡単だろう、夏休みの未来形を考えよう。
夏休みに入ったからといって時間は無限にあるわけではない。プライオリティをつけておく必要がある。
まずは8月のはじめの『新・私の教材試論』発表が最初だ。
何を語るのか。もういちどあげてみよう。
(1) 私にとって「教材」とは
(2) 「3K1Aの法則」「3Hの法則」とは
(3) 教材史と科学史
(4) これからの「教材開発」は

▼(1) 私にとって「教材」とは
から行こう。
私にとっての教材とは
・授業づくりのネタ
・授業観のすべてが表れたもの 寿司屋のすしネタのようなもの
・私の科学観、世界観を表象するもの
・ヒューマンコミュケーションをつくり出すもとになるもの
・人から教わったものばかり。
・科教協「お楽しみ広場」から
・【理科の部屋】から
・授業づくりのプロセスにおいて核となるもの
・【教材入手DB】の試みから…。

どんな切り口の文脈からまとめていこうか。試行錯誤をくりかえす。

<つづく>

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Twitterはじめて300日目に思うこと

Dscf9821▼学校の定点観測から見る空にも夏が来ていた。しばらくの「雲見」がうれしい。そうだ、昨日でちょうどTwitterを使い始めてから300日目であった。
 日にちをいちいち数えているわけではないが、twilogが教えてくれていた。これは、日にちだけでないlogのすべてが残っていて面白い。「LOG」としての本来の役割をしてくれている。
「Twitterはじめて200日目に思うこと」を読み返していて気づき面白いと思うことがいくつかある。
・徐々にTwitterそのものことを語らなくなってきている。
・フォロアーの人数、フォローしている人数が安定してきている。
 これまで増える一方だった人数が少し減速してきた。
・ツィートする(つぶやく)数が減ってきている。
・いっときの熱はない。しかし、なかみは濃くなっている。
・USTにもいっときほどの魅力を感じなくなってきた。
・「Twitter的」というコトバを多用するようになっている。
・Twitter的読書=著者とTwitterでつながりながら読むという試みをはじめている。その面白さに気づいてきた。
・量的変化が質的変化に転化してきた。
・・・
まだまだありそうだ。すべてをひっくるめて言おう。
それが、Twitter的!!
▼Twitter的は必ずしも「Twitter」そのものを意味しない。
Twitter的の最先端のツールがTwitterであり、USTであったから面白く魅力であったのだ。
問題はTwitter的であるかどうかだ。
SNSだって、MLだって、他のものだうと、よりTwitter的なものに私は魅力を感じる。

「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」

この5つの要件を充たすものそれが「Twitter的」だ。
300日から400日までに私のめざすもの、それは

『Twitter的の可能性』の追求!!
である。

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【Web更新7/18】10-29『新・「自由研究」のすすめ試論』更新

Dscf9709
イガグリや トゲのびたりて 夏は来ぬ
 10/07/14 (水)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-29
週末定例更新のお知らせ。
 一週間が経つのがほんとうにはやい。この一週間のうちにと思っていても、何もできない。そう感じながらも、この定例更新のときに、ふりかえってみる。するとけっこういろんなことが一週間のうちに詰まっているので驚いてしまうのである。思考の一週間と現実の一週間の「落差」これをも楽しいものである。
 今から、これからの一週間をデザインしてみよう。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ クリ
 定例の朝のコースをまわっていると、どの日が同じという日はない。刻々と時間が流れていることがわかる。
樹木たちにも時間が流れ、その姿かたちを変えていた。二ヶ月前には、みごとな馬の尾のような雄花がめだっていたクリも、今度はイガグリのトゲののびが目立ち始めていた。クリに訪れた時間も連続していたはず、時間をスキップしたなんていうことはないはず。夏休みでしばらく見ないうちにどんな変化をしているだろう。


◆【光の学習】更新
 とりあえずは授業を終えている。やっぱり面白い単元である。
まだまだ「ふしぎ!?」は残っている。やってみたいこともいっぱいある。
生徒たちが書いてくれた。授業の感想文を読んでいるとそんな感が強い。

◆『新・「自由研究」のすすめ試論』更新
 この試論のいきつくところが、『新・「科学研究」のすすめ』であり、さらに究極は新・『学問のすすめ』であることが見えてきた。私などには荷が重すぎる仕事であるが、誰かの手によって21世紀の今、新・『学問のすすめ』が書かれるべきである。

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新・「自由研究」のすすめ試論(27)

Dscf9773▼夏休み前の、三連休がはじまった。私の「大賀ハス観察池」の大賀ハスは植え替えから、16週目をむかえていた。ジャングルとまではいかないが、ずいぶんとたくさんの立ち葉が立ち、我こそがと光を受けている。
ひょっとしたら花がと思い、注意深く探して見るがそのようなものは見あたらない。昨年度で言えば、この7月の末に気づき、8月のはじめに、あの「あこがれの4日間」が訪れたのだった。今年の物語はどのように展開するのだろう。これは、私にもわからない。わからないから面白いのかも知れない。私の「大賀ハス物語」。
Dscf9786▼昨日は、ずいぶんと久しぶりに大山をみた。
すごい存在感だ。空の雲は、すっかり梅雨明け宣言をやっているようだった。記憶の糸をたぐってみる。
家族で登山をしたのはいつのことだっただろう。
研究会の後に、仲間といっしょに眺めた「大山」の姿はどんなだったろう。
見ているのはきっと同じ「大山」だ。この山との出会いを語るだけでも私の「大山物語」となる。
▼そうだ!!この物語だ!!
「アカソナキヤ」方式自由研究の次が、自由研究の物語性である。
面白い自由研究には物語があるのである。
こけまで見聞してきた、これはすごい!!面白い!!
と思った研究には、必ず物語があった。
定番自由研究のすすめでも、「研究の動機」「ねらい」「考察」が重要視される所以がここにある。
面白い物語は、ものまねやコピペからは生まれない。
一見拙い取り組みに見えても、そこに「物語」があれば、一挙に輝きはじめる。
その物語性によって、その自由研究は、世界でたったひとつの研究になるのである。

●すぐれた自由研究に物語がある。
●物語の文脈のなかでコンテンツは生きる。

私の新しい自由研究の判断基準だ。

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新・「自由研究」のすすめ試論(26)

Dscf9755▼見えだした青空がうれしい。「梅雨明け」近しだろうか。見えてきた青空と雲をながめながら、自由研究の「アカソナキヤ」を自分でも繰り返していた。
空にもいっぱい「ふしぎ!?」があった。空だけでない地上の日々の暮らしのなかにもいっぱい「ふしぎ!?」がころがっていた。
▼そんな「ふしぎ!?」に対して、理科教師としてはどう対応するのか。ずいぶんと示唆的な文章があった。
●寺田寅彦『研究的態度の養成』(大正7年10月)
である。なんともう92年近く前の文章だ。
しかし、これが雑誌の「今月号」に記載されていると言ってもなんの違和感もないだろう。
それぐらい提言は今日的であるのだ。
その提言を読みながら、私自身も「ふしぎ!?」を追う「研究」を許された時間のなかでやってみようと決意するのである。
▼考えてみると、私自身もいくつものことを追いかけてきた。
思い出すままにあげてみる。
・ヒガンバナの研究
・草木染めの研究 ベニバナ、藍染め
・丹生の研究
・ピンホールカメラの歴史
・姶良火山灰を追って
・コウガイビルを追って
・大賀ハス

どれひとつとして「完了」したものはない。
等身大の「ふしぎ!?」を追う旅は、私自身の「自由研究」そのものだ。
今年の秋には、私も生徒一緒に研究発表をやってみようかな。

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新・「自由研究」のすすめ試論(25)

Dscf9719▼朝方には、厚く覆っていた雲が、午後には青空が見えかけていた。校舎の窓から見えるのは、いつものあのアタリマエの風景だった。「雲の発生」である、はじめてこの風景をみたときの感動がよみがえってくる。すごい!!
雲が目の前で発生しているのである。私は、今、「大気の物理実験室」でダイナミックな物理実験を観察しているという感動!!それはいつしかアタリマエとして流れてしまっていた。
▼そうだ、このアタリマエの「ふしぎ!?」の再発見こそ「自由研究」になる可能性があるのだ。
それが、これまでの新・「自由研究」試論のひとつの結論だったはず。
今年の夏も、一学期最後の授業では
「13の夏の「ふしぎ!?」への挑戦」を呼びかけてみた。
伝える時間が短すぎた。
何としても伝えたかったのはあの「アカソナキヤ」方式!!
▼こんな暗号じみたのが伝わるだろうか。不安はある。でも私としてはけっこう気に入っている。
 タリマエ を当たり前として流さずに
 ンガエテミルト けっこう「ふしぎ!?」なことはいっぱいある。 
 ウイエバ そのこと教科書に、本に、Webにあったような。
ントクナク でいい。その「ふしぎ!?」に予想をたててみよう。
ットコウナルハズ の私の仮説をたててみよう。
ッパリ そうだったか!!となれば、これは大発見だ。

小さな小さな「ふしぎ!?」も、「アカソナキヤ」繰り返せば大発見!!
この夏、どんな「アカソナキヤ」が展開されるのだろう楽しみである。

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【授業】まだまだ残る光の「ふしぎ!?」

Dscf9674▼学期末である。あわただしく時間がすぎていく、こんなときは自分に繰り返し命じてみる。「忙しさで、心を亡くすことなかれ!!」と。
 そんななときほっとすくわれる気持ちになるときがある。それが、授業で生徒たちと「ふしぎ!?」を楽しむ実験をやったり、授業後の感想文を読んでいるときである。
▼【光の学習】の方は、【植物の世界】の学習にくらべれば、ずいぶんと短時間の授業であった。
まだ、まだ光の「ふしぎ!?」が終わったわけではないが、
「光とくらし」を最後にちょっとだけやって、一区切りつけた。
「光」が「くらし」とどれほど関係するかを教科書の「読み物」などを使ってやった。
・光の速さ 30万㎞/秒→ 地球7.5回転/秒
・光ファイバー→全反射  光通信

光の「ふしぎ!?」で、ぜひとももう少しやりたいことがある。「光と色」のことである。
夏休み明けには、これに挑戦してみたい。私自身の夏休みの宿題とした。
▼いつものように、単元終了後の感想を書いてもらった。
やっぱり面白い。「そうか!!」と教えられるところも多い。
まだまだいっぱい光の「ふしぎ!?」が続くと…。

・カーテンのすき間から入った光をスクリーンに当てると、ボーと何なんだろうと思っていました。後から先生がカーテンのすき間とスクリーンの間に大きなレンズをはさむと、外の景色が逆さまになって、はっきりくっきり見えたのでびっくりしました。それがカメラの始まりだったことにも驚きました。…ビー玉は凸レンズとして使えるのかも考えています。
・一番楽しかったのが外の風景をカーテン閉めて、スクリーンに映す実験が一番楽しかったです。
・前は、なんでかがみを見たときにうつっているのが逆になるのが「ふしぎ!?」だったけど、今は光の学習をしたからそうなる理由がわかる。
・最初にやった紙に△、○、□の穴をあけて、電気を写すのも楽しかった。
・目の中にも凸レンズが入っている事もわかりました。
・ガラスに光をあてて屈折させる実験が印象に残りました。でも、なぜ真ん中だけはまっすぐ進むのかが「ふしぎ?」と思いました。
・目の中には凸レンズがありそれで見えることがわかって、トンボもおなじなんだろうかと思った。

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【授業】道具としての凸レンズ

Dscf9705▼今朝も、深夜に一度は雷と雨に起こされた。闇夜の稲妻、これは恐怖である。光と音の「ふしぎ!?」は大昔からこんなところからはじまっているのかも知れない。
 その「ふしぎ!?」の謎解きとわかったことを「くらし」に利用する歴史は、それは今日の「くらし」をつくりだした。そして未来の「くらし」を切り拓くものとなるだろう。
 そんなことぼんやりと考えていた。
▼光の授業を進めた。早くも終盤である、凸レンズである。
「焦点」
「焦点距離」
の確認をする。おきまりのコースだ。
そして、定番実験を行う。
物体(光源)、凸レンズ、スクリーンを距離をおいてできる像の大きさ、正立か倒立かを問う。
そして種明かし的に光の通り道の作図を行う。
それなりの「納得!!」を引き出す作戦だ。
それを否定はしない、ひとつの「科学の方法」であることは認める。
しかし、それがすべてでない!!
▼理科室には、まだあの「教室全体のピンホールカメラ」がセッティグしたままだった。
梅雨のあいまの天気のいい日など、その坂道を人が通るのが見えたりして、感動である。
このときに使った凸レンズは、少ない光を集めて、穴だけの場合にくらべてスクリーンの画像をクリアーなものとした。これだ!!
定番実験中にも、これに注目させた。
そう!!
凸レンズは光を集める道具なんだ。
もうひとつあった。
虫眼鏡である。ずっとずっと昔から使ってきていた。
凸レンズはものを大きくしてして見る道具なんだ。
道具としてしての凸レンズ、その認識はきっと「実像」「虚像」のコトバや作図を学習をよりゆたかなものにしてくれるだろう。
 使える便利な道具として、凸レンズを「くらし」のなかで利用していけるだろう。

やっとのことでここへ到達したかと思って、過去の授業記録のページを見ていたら同じようなことを書いていた。
進歩がないと言えばそれまでだが、ある面でうれしくなりそのことに感動した。

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【授業】光の道は、行きも帰りも同じ!!

Dscf9658▼今朝も雨音で目が醒めるほどである。「きょうの天気のツボ」をみる。東西に長くのびる梅雨前線。「東・西日本局地的に滝のような雨 土砂災害など警戒」と書いてある。それにしても便利なものを我々は使っている「天気図」である。見えない大気の流れを可視化した科学的財産である。これをも見ることできない状況にあるときは、どうしているかというと観天望気である。
 そして、観天望気から生まれた天気コトワザ、これほど便利なものはない。ひとつ谷を越えたら、天気は激変する。しばしば経験することだ。 最近よく耳にするように「ゲリラ豪雨」だってそうだ。
ちょっとした大気の流れの変化で、天気は激変することがある。そんなときにも有効なのが
『上がるとザアザア 下がるとカラカラ』
である。こんな短いフレーズで、天気の変化は一挙に可視化されるのである。
世界の気候から、急変する「ゲリラ豪雨」まで、これで見えてくる。
 今日も降る雨を見ながら、唱えてみる。『上がるとザアザア…』
▼学んだことを使えるというのは、そんなものではないだろうか。
使える科学とは、そんなもので構成されているむのではないだろうか。
「光の学習」を一学期末でけりをつけようとピッチをあげている。
「光が目に入るから見える!!」
「ピンホールカメラ」
「反射」「屈折」「凸レンズ」…と進めている。
進めるなかで気づいた。アタリマエと言えばアタリマエ!!のルール
「光の道は、行きも帰りも同じ!!」
反射のとき気づきはじめた。屈折のとき、それがよりはっきりしてきた。
空気→ガラス(水)
ガラス(水)→空気
光は、別の物質を通るときポッキンと折れ曲がる。物質の順番が入れ替わると逆になる。
教科書でもワンフレーズだ。
「逆の道すじを通り」だけだ。
これが使えるのだ!!
▼我々は、見えないもの、わかりにくいものを図示して可視化する。それはきわめて有効な「科学の方法」である。付け加えて、もうひとつ有効な方法がある。
 ルールをコトワザ的に短いフレーズにしてインプットしておくのである。それが使える科学への道だ。
『上がるとザアザア 下がるとカラカラ』のように
『光の道は、行きも帰りも同じ!!』
もっと短い方がいいかな。
『光は、行きも帰りも同じ!!』
今日も使ってみよう。

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【Web更新7/11】10-28『新・私の教材試論』等

Dscf9574
残りたる シロ哀しきや 夾竹桃
 10/07/08 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-28
週末定例更新のお知らせ
 またしても一週間がすぎてしまった。限られた時間、決まった時間のはずなのだが、長く感じたり短く感じたりするのは、どうしてなんだろう。究極の「ふしぎ!?」は、きっとこの時間のこととなるだろう。そんな予感がする。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ 夾竹桃
 最盛期を過ぎてしまった夾竹桃。グランドの東のフェンス沿いにあり、木全体を真っ白に染めて、それは「夏の使者」のように見えた。それも散り、残りのシロがぽつり、ぽつりと咲く。これもけっこう長くである。
 「夏の使者」からのメッセージはなんだったのだろう。しばらく足をとめて、読もうとする。

◆【光の学習】更新
 夏休みまでと限定で授業をはじめたので、今週には最後までいく。
 どこまでも、アタリマエの「ふしぎ!?」を追う。そんな学習でありたい。
残る「ふしぎ!?」は、夏休みの自由研究につないでくれるといいのにと願っている。

◆【新・私の教材試論】更新
 急遽、これまでのこの「試論」を発表してみることにした。「教材」のこと考えはじめると尽きることがない。
ガラクタ教材も含めて、教材を語るだけでも、自分の教師人生のほとんどを語ってしまえそうな気がする。
「コンテクストのなかでの教材(コンテンツ)」ここまできた。

◆【新・「自由研究」のすすめ試論】更新 
 これも、旬のものだ。今週、提案と同時並行ですすめていきたい。


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新・私の教材試論(29)

Dscf9638▼昨日7/10(土)。大賀ハス観察池の大賀ハスは植え替えから15週目をむかえていた。立ち葉も数も増えてきて立体的な世界になっていた。三次元的世界は、拡がりを見せていた。各地の大賀ハスのみごとな姿がニュースになっている。開花真っ盛りというところが多いようだ。私の観察池の大賀ハスはゆっくりのようだ。葉には虫がつき必死に、広い葉をたべている。そばに「ふん」のかたまりがいっぱい落ちている。わずかに見える水面には、ボウフラたちの動きも活発だ。観察池だけで小宇宙ができあがっているかのようだ。
Dscf9614 となりの「あまりもの」は完全に枯れてしまったようだ。第二世代の小プールにも変化はない、プールの底には、たくさんの小動物たちの巣のようなものがあるのみである。いくら目を凝らして見ても、起死回生の気配はない。
 私の「大賀ハス物語」は、THE ENDとなってしまったのだろうか。
▼「物語」を描きながらが有効なのは観察だけではない。
「教材」においても同じではないだろうか。

 この場合のコンテクストやストーリーとは、いわゆる物語というよりは、ブランドのバックグラウンドやコンセプトなどの大きな軸に沿って、一つひとつの要素がつながり文脈を成している状態を指しています。新たなコンテンツを加える際にも、ブランドの根幹や他のコンテンツとどう関わってくるかを常に吟味する必要があります。 バラバラだったものがひと続きになると、各々の前後関係も見えてくるので、ストリーを描くことができればブランド全体の輪郭が鮮明に浮かび上がり、消費者にとても分かりやすく伝わって行くのです。(『佐藤可士和のクリエイティブシンキング』(佐藤可士和著 日本経済新聞出版社 2010.6.25)P1169より 強調は私)

 これは、佐藤可士和氏が、近著のなかで「コンテンツからコンテクストを作る」こと唱えるなかの一節である。
私には、ここでのコンテンツが「教材」と読めてしまうのである。
▼では、ここで各種のコンテンツを「教材」と読み替えたら、コンテクストとはなんでしょう。
「コンテンツからコンテクストを作る」とは何と読めるのでしょう。
私は、いくつかの読み替えをやってみる。コンテクストのいちばんの気に入りの訳は「文脈」である。
それを使うとこうである。
「教材から文脈をつくる」
文脈、物語、ストリーを具現化したものが授業である。
ならば、さらにこう読める。
「教材から授業をつくる」
なんというアタリマエ!!にいきつく。そうだ、このアタリマエこそ、今問い返すときだ。
授業から、教材だけをひっぱりだして考えることなんてできないんだ。
そんなことしても何も伝わらないのだ。
すぐれた教材は、すぐれた文脈(授業)なかから生まれ、あらたな文脈(授業)を創り出すのである。

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新・私の教材試論(28)

▼ちょっとした「思いつき」「気づいたこと」の覚え書きのために、私は今、3つの試論を同時平行に、このblogで展開している。
◆新・私の教材試論
◆新・「自由研究」のすすめ試論
◆新・クラウド「整理学」試論
である。
ならべてみてあらためて気づいた。すべてに定冠詞のようにして「新」をつけている。冷静に見るとちょっと恥ずかしい。どこが「新」なのだろう。そのときの勢いと、「古いものほど、新しいもの欲しがるものです」の論理です。
「新」をつけることで未来進行形で語りたいという願望のあらわれとも言える。
▼3つの試論のルーツを私の個人史のなかでたどれば、それなりの「歴史」があることも事実である。なかでも「教材」については、理科教師としてはその思い入れが強いものがある。
このたびの、科教協の全国大会で少しだけなにかを報告することになった。
どこかの単元の実践報告をとも考えたが、それらをまとめる時間もあまりない。そこで、ここで展開している「新・私の教材試論」の今を語ってみることにした。
▼大まかな内容としては、
(1) 私にとって「教材」とは
(2) 「3K1Aの法則」「3Hの法則」とは
(3) 教材史と科学史
(4) これからの「教材開発」は

である。あれ、ツタエタイことは3つにせよ!という鉄則をはずして4つもある。
(1)は、イントロダクションということで…。
なかみもなにも見えていないが、とりあえずはこれで…。

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【授業】浮き上がるコインの「ふしぎ!?」

▼理科室の入り口のところに、簡易の「教室全体のピンホールカメラ」をやってから、設置したままにしている。理科室にきたときも、授業やっているときも、理科室をでていくときも、ごく自然に目にするために。
昨日は、もう真夏日だった。太陽からの光はひときわ強く暗室り外の風景(山、ガードレール、電柱など)を照らし、反射した光もいっぱい暗幕の穴を通ったのだった。
Dscf9586▼授業の方は、暗幕をしめたままで条件が悪いなかではあるが、少しずつ少しずつすすめていった。
「光の反射」につづいては、「光の屈折」である。
定番の実験もやりながらであるが、やっぱりここでも等身大の「ふしぎ!?」を追いかけた。
浮き上がるコインの「ふしぎ!?」だ。
Dscf9597▼こんなこと、ことさらに理科の授業でとりあげなくても、毎日の生活のなかで見ていること
○湯飲み茶碗のなかに箸を突っ込んだら折れ曲がった!
○プールに足を入れたとき
○お風呂場で遊んでいるとき

でも、いくら見ていたからといって、「ふしぎ!?」は解決しているわけではない。
その「ふしぎ!?」とりあげて謎解きをやってみるのが理科なのかも知れない。
 そんなのアタリマエ!とせずに。
理科室でやるので、少し理科室っぽくやってみた。
カップは乳鉢で、ビーカーで水を汲んで繰り返しやってみた。
乳鉢の底に十円玉を入れる。目の高さをギリギリ十円玉が見えないところにセットする。
ビーカーの水を、班のひとりが徐々に入れていく。
十円玉が見えだしたたら「見えた!!」と言う。
これだけのことだ。実験というにはあまりには簡単なこと。
 なみなみと水を満たすまでを繰り返しやって楽しんでいる。
「見えた!!」
「あれ!?、こんなところまで浮いて見える。」
「もういっぺんはじめからやって!!」
わいわいがやがやと…。
理科ってやっぱり面白い。「ふしぎ!?」の謎解きは楽しいものだ。

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新・「自由研究」のすすめ試論(24)

Dscf9548▼朝の散策のスタート地点のクチナシは八重咲きだが、コース途中にあるクチナシは、ふつうのクチナシの花だ。
同じように今が盛りの時期である。そして、このふつうのクチナシには実がつく。黄色い「おこわ」の染料として使っていた実だ。ところが、八重咲きのクチナシは実をつけないという。甘いかおりも、葉のかたちもおなじようなのに花の八重咲きには実をつけないという。「ふしぎ!?」だ。この「ふしぎ!?」追いかけたら、「花」の起源について少しわかるかも知れない。
▼そんな小さな「ふしぎ!?」を追いかける旅の季節である。夏休みの宿題の定番「自由研究」の取り組みをはじめる季節である。試論の方も、久しぶりに先日再開したところである。
今年バージョンつづけよう。
大まかな流れから
(1) はじめの「私の「ふしぎ!?」」を思い出す。
  友だちの「ふしぎ!?」も参考にする。新たに等身大の「ふしぎ!?」を書き出す。
(2) 研究テーマを決める。
(3) 研究計画を立てる。
(4) 研究をする。データ、資料などはすべて「研究ノート」に書き込む。
 ・実験、観察の方法、結果なども
(5) 研究ノートをまとめる。(考察を含む)
(6) 研究発表を準備する。
(7) 研究発表をする。
▼今年度の特徴は「研究ノート」を使うところにある。あの課題研究「タンポポの研究」のためにつくったノートである。すでに、そこには「私の「ふしぎ!?」」も貼りつけてあるはず。
 さて、今年はどんな展開になるだろう。
 この展開と同時にこの試論の方も、少しずつすすめていきたい。

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【哀悼】『知的生産の技術』の梅棹忠夫先生!「さようなら」は言わない。

Dscf9546▼昨日帰ると、ネットにあの梅棹忠夫先生死去のニュースが流れていた。今月の3日に亡くなられたという90歳だったという。幅広い分野で活躍された先生だが、私には『知的生産の技術』の著者「梅棹忠夫」なんである。
謹んでご冥福をお祈りします。
 しかし、「さようなら」は言わない。言えないのである。
▼これまでの人生でもっとも影響を受けた一冊をあげよ。と言われたなら私は、文句なくこの一冊をあげるだろう。
 『知的生産の技術』(梅棹忠夫著 岩波新書 1969.7.21初版)
本棚から、取り出してみた。
背表紙もボロボロになっている。
何十年も前の落書きしてあったり、色あせたマーカーの後がなつかしい。
初版の翌年に手に入れている。私が学生のころである。
その後、何度なくあけたのだろう。その時代時代の「あか」「汚れ」がこびりついている。
 方向に迷ったら開けたのだろう。
何度開けても、開ける度に新鮮な「発見」があり、時代を先読みする「提言」があった。
▼最近お世話になったのでは、2008年の1月から3月にかけて、やく二ヶ月かけて、このblogで『知的生産の技術』を読むことやっている。
◆『知的生産の技術』を読む
 このときの収穫も大きかった。きっと今も、毎日blogを書き続けているのは、これがあったからだろう。
blogのエントリーをWebページにリンクさせる方法をとったのもこれがはじめてであった。
読みながら、何度も何度も確認している。「原点」がそこにあると…。
41年の時空を超えての提言の数々
●blogを書き続ける意味、意義を教えられた。
●「京大型カード」の提案は、今も使い続けるシステム手帳につながった。
●「一ページ一項目」主義は、今もノート術に貫いている。
●自分の文脈で読む「読書術」
●「手紙」「日記」「原稿」の書き方、文章の作成術
どれひとつとっても、私の「はじまり」がここにあることを感ずる。
この本の最後の最後の提言

わたしは、やがて「情報科」というような科目をつくって、総合的・集中的な教育をほどこすようになるのではなるのでないかとかんがえている。(P218)

 これ読むだけでも、梅棹先生の先見性がわかるというものである。
Webの時代、クラウドの時代に時代は流れていくとも、時代を貫く提言の数々。それは私のなかに生きる!!

私は、「さようなら」は言わない!!

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【授業】二面鏡の「ふしぎ!?」

Dscf9482▼また、一週間がはじまった。一週間のはじめに考えたことと、週末になって考えることがちがう、なんていつものこと、一週間どころか、一日にちのうちでも朝と夕方では、ずいぶんと考えることが変わってきている。
 そんなこと嘆いてみてもしかたない。もっとありままでいこう…。
▼【光の学習】は、先週のうちにもう少しすすでいた。すべての授業の「記録」を残しておくという意味でも、「反射の法則」の授業についても書いておこう。
 光源装置から出てくる光を鏡にあて、入射角=反射角を確認する定番実験をおこなう。
暗室のなかでの実験であったが、きわめて当たり前のこととして簡単に済ませた。
光を直線でかくことに慣れていく。
でも、それはアタリマエにせずに、ことあるごとに呪文のように唱える。
「光は四方八方へまっすぐ進む」
「光は束で進む、全部書けないので…」
もうひとつ必ず唱える呪文があった。
「見えるのは、光が目に入ったからで…」。光の学習の最初の最初に確認にしたこと。
すべてが使わなければ、定着しない。定着して使えるようにならなければ学んだことにならない。
▼この「反射の法則」にしても同じこと、教科書にも少しだけでている二面鏡の「ふしぎ!?」にふれてみる。
聞いてみた。
「まる一日、鏡をみなかった人?」
誰も手をあげなかった。そうだ、毎日みんなこんな「実験」はやっているんだ!!
それは、二面鏡でないかも知れない。しかし、それを一面鏡の応用と考えるといい。
学んだこと使って、この「ふしぎ!?」解いてみよう!!
 

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【Web更新】10-27【光の学習】等

Dscf9373
うず巻くや 甘き香りも クチナシの
 10/07/01 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-27
週末定例更新のお知らせ
 「セレンディピティ」という言葉がある。求めるもの以外の副産物、偶然がもたらす「大発見」だ。考えてみると人生なんてこれに充ち満ちているのかも知れない。私にとって、ネットとの出会いは「セレンディピティ」そのものである。今では、Twitter的こそ、すべての判断基準になっている。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ クチナシ
 玄関近くに移植されたクチナシの花が忽然と咲き出した。八重咲きは、螺旋的に渦巻いていた。
甘い香りは、アリたちにも届いているのだろうか。咲く前から、アリが群れをなして集まっている。
思わず甘い香りの正体の物質について知りたくなってきた。雨の中、急ぎ足で通り過ぎる生徒たち。
白い花に気づいても、この甘い香りに気づくだろうか。

◆【光の学習】更新
 「光が目に入るから見える」からはじめた【光の学習】、新しい「発見」をしながら、定番実験の数々に向かう。
どこまでも等身大の「ふしぎ!?」を大切にしながら…。

◆【植物の学習】更新 授業は終わったが、まだまだ植物の「ふしぎ!?」は残ったままだ、時々は更新をつづけてみるつもりだ。

◆新・「自由研究のすすめ」試論
 久しぶりに試論(23)を書いた。自由研究の提案をする時期も近い。今年作った「研究ノート」も使いながら新たな提案方法を考えていきたい。

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新・「自由研究」のすすめ試論(23)

Dscf9449▼昨日は、朝からすごい雨だった。ついには「大雨」警報が出てしまった。待望のホタルウォークは中止となってしまった残念しごくである。大賀ハスは、植え替えから14週目である。大雨とは関係なく新展開を見せていた。3Dになってきているのである。立ち葉がついには葉をひろげていた。水面を覆い尽くしてしまった大賀ハスの大きい葉は、次は立ち葉となり立体的な展開となってきている。この賢明な判断はどこで行ったのだろう。どんなレセプターを持っていて、どのような命令システムをもっているのだろう。「ふしぎ!?」は尽きることがない。
Dscf9455 第二世代の方の起死回生の気配はない。池にはボウフラが発生していた。
▼「自由研究」の言葉がよく聞かれる季節がまたやってきた。私は、2年前の夏に孫の誕生を記念して「これからの自由研究」を考えるページをつくり、新・「自由研究」のすすめ試論なるものをきまぐれに展開してきた。15の夏の「自由研究」発表を聞きながら、その(21)(22)に、昨年の夏までの結論じみたことを4つにまとめている。

(1) 「等身大の科学」の意識が少しずつ芽生えてきている
(2) 「ふしぎ!?」はつなぐことによって豊かになる。
(3) 「アカソナキ」方式は有効である。大なり小なりこれを繰り返す。
(4) 「自由研究」のすすめの究極は「学問」のすすめである。
 

今、自分の書き込んだことだけに納得もするし、自画自賛である。とりわけ、4番目にあげていることについては、より強くそう思うようになっている。
今こそ、21世紀向け、Webの時代向けの「新・学問のすすめ」が必要だと。
▼この試論を書くのは、なんと10ヶ月ぶりである。試論(22)を書いたのが、昨年の9/11、そしてあのパソコンにアクシデントがあったのが9/12だ。そして、新ノートパソコンを購入して9/23にTwitterをはじめた。
それ以来、試論を書いていなかったことになる。
 これは単なる偶然であろうか。私にはなんらかの関連があるような気がしてならない。
 今一番、気に入っている言葉は「Twitter的」である。
Twitter的-「リンク」「シェア」「フラット」「等身大」「リアルタイム」
と自由研究、私の中で今、交叉する。

Twitter的「自由研究のすすめ」とは…。
Twitter的「学問のすすめ」とは…。
試論を続けてみたくなってきた。


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【授業】教室全体をピンホールカメラに!!(2)

▼7/3(土)朝。起きてみると空気は湿気ている外は雨だ!!今日は一年中でも、特別に「晴れ」を期待する日である。しかし、自然はこちらの期待したとおりにはなってくれない。部活動の総決算の大会がはじまる日であり、夕方からは、ホタルウォークである。あのヒメボタルの点滅する光の「ふしぎ!?」に出会えるかどうかという日でもある。どこまでも期待をもって…。
Dscf9366▼授業の光の「ふしぎ!?」報告を続ける。
「光が目に入るから見えるのだ!!」に続いてのアタリマエの科学は、「穴を通過した光はスクリーンに像をつくる。」驚異の事実だった。蛍光灯で確認したことは、次は「教室全体をピンホールカメラに!!」だった。
ずいぶん以前から、具体的にどうやるか、構想は練っていた。
30年以上前に、これをやったとき理科室は一階にあった。映る風景に「出演」も可能だった。
今回は、3階である。外の風景は坂道とガードレールと電柱と山、そして空。天気の不安も…。
同じように感動してくれるだろうか。不安と期待が入り交じっていた。
▼準備したのは一枚15円の硫酸紙、感動の大きさにくらべればなんと安価な教材だ。今回の新しい試みとして、各班ごとに硫酸紙をもち実験することを考えたが、それは途中でやめた。
 集中してひとつでやる方が、感動を共有できると考えたからである。
硫酸紙を、廃棄するべく置いてあった窓枠にピンで留めた。それをスクリーンとした。
Dscf9363▼暗幕にガムテープで、穴をつくりながら聞いた。
「こうしたら、外からまっすぐに光が入ってきて、このスクリーンに…」
「エッ?(?_?)エッ?」
場所も移動し、集中して聞いてくれているが、蛍光灯で体験ずみなので、「そうなるかも」程度の期待はしてくれている。やってみる。
うっすらと見える、坂道のガードレール、電柱、山…。
「えっ、ほんまに見えるンや」
程度である。
ここで秘密道具を取り出した。少ない光を集める道具「レンズ」である。秘密道具を穴にあててみる。一挙に画像はクリアーになる。
「えっ…!!」
「いや、ほんま!!」「あれ、電柱や」
「逆さまや!!」歓声がつづく。そして、出た感動するところは同じだ。
「カラーや!!」
▼まくしたてるように「カメラ」=「カメラオブスキュラ」(暗室)のはじまりの話をした。カメラ、写真の歴史、デジカメまでを一挙に話すのは無謀である。それはわかっているが、話さずにはおれなかった。
この感動!!がさめないあいだにと思ったら…。


 

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【授業】教室全体をピンホールカメラに!!(1)

▼「理科」が面白い!!と思いはじめたのは、この実験からだ。そして、今、理科でいちばん感動する実験はと問われれば、迷わずこの実験をあげるだろう。
「教室全体をピンホールカメラにする」実験だ。
何度、繰り返してやっても「ふしぎ!?」なものは「ふしぎ!?」なのである。自分で説明していても、やっぱり不思議なのである。
Dscf9359▼この実験には前段があった。実は、この前段こそが、感動なのかも知れない。
机の上を、すべて片付ける。
B4の紙をひとり一枚くばる。暗室にする、光いっぱいでは「光」の学習はむつかしい。
天井の蛍光灯だけをつける。
配られた紙の真ん中に穴をあける、かたちは自由である。大きさも適当だ。
そして、実験机の上をスクリーンとして、ピンホールの実験である。
穴があいているだけで、スクリーンには天井の蛍光灯が映るのだ。
なんという事実、感動の事実!!
穴の影がうつると思っていた生徒が、「えっ、これ蛍光灯!?」とひとりが気づけばあとははやい。
それは、すぐさま伝染する。
穴の大きさによって、焦点が違ってくるのだろうか。
あらかじめ天井の蛍光灯ひとつに細工をしておいた。赤と青の色セロハンをまいておいたのだ。
それに集中して、同じことをやってみる。なんと赤と青の方向は逆転している。
図に書いて考えてみると簡単なことである。
紙なんかなくてもいい。手のひらで穴(すき間)をつくってやってみればいい。それも授業していて生徒に教えてもらったこと。
Dscf9386▼このアタリマエ!!のこと。しかし、感動的な事実。これに感動しない「理科」を私は認めたくない。
「光は直進する。」それだけで済ませることはできない。
では、次に天井の蛍光灯でなく、この教室を真っ暗にして、暗幕に穴をあければどうなるだろう。
それが、次の実験だ!!

<つづく>

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【授業】「リンゴ」が見えるのは!?

Dscf9362▼「光」の授業に本格的に入った。ひとつのクラスは先週からだったが、両方のクラスが入ったのは昨日からである。限られた時間内での授業のシナリオいくつか考えてみた。
結論としては、大まか流れとしては、従来通りとした。まず持ち込んだのは「赤いリンゴ」ひとつである。
十数年前も同じである。今、考えてみると最後に予定している「光と色」の伏線になる。
▼最初に問うてみた。
「ここに、赤いリンゴがある。見えますか。
 ではどのようにしてこのリンゴは見えるのでしょう?」

                               A予想    B予想

ア  <   ---------→ リンゴ    12人     25人  
   目        光     物体


                   ↓光
イ  <   ←--------- リンゴ←   6人      4人  
   目        光      物体 光

ウ  <   ---→★←---- リンゴ   12人      1人  
   目    光     光   物体
  

エ  その他                       2人       0人


                  
先にやったのはB組だった。発問の仕方というのは、なかなか難しいものである。
でも、どんな訊き方をしても、アの考えた方を指示する生徒はいる。これは十年前も、今も同じである。
「ふしぎ!?」である。
▼「光の授業は、光のない暗室ではじめる」その鉄則に従い、理科室に暗幕を引いて、光のない状態にするが、なかなか完全にはいかない。
 光のない状態にすると「リンゴは消えた!!」
 今ひとつ、なっとくした様子はない。
 教科書の文章にすると、1~2行である。

「ものが見えるのは、光源から出た光やものからはね返ってきた光が目に入るからである。

これは、ほんとうに生徒たちの認識のなかで、それほどアタリマエのことなんだろうか。
どこか、ここに理科が等身大の「ふしぎ!?」から遊離していく起因があるような気がしてならない。

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