« 新・私の教材試論(28) | トップページ | 【Web更新7/11】10-28『新・私の教材試論』等 »

新・私の教材試論(29)

Dscf9638▼昨日7/10(土)。大賀ハス観察池の大賀ハスは植え替えから15週目をむかえていた。立ち葉も数も増えてきて立体的な世界になっていた。三次元的世界は、拡がりを見せていた。各地の大賀ハスのみごとな姿がニュースになっている。開花真っ盛りというところが多いようだ。私の観察池の大賀ハスはゆっくりのようだ。葉には虫がつき必死に、広い葉をたべている。そばに「ふん」のかたまりがいっぱい落ちている。わずかに見える水面には、ボウフラたちの動きも活発だ。観察池だけで小宇宙ができあがっているかのようだ。
Dscf9614 となりの「あまりもの」は完全に枯れてしまったようだ。第二世代の小プールにも変化はない、プールの底には、たくさんの小動物たちの巣のようなものがあるのみである。いくら目を凝らして見ても、起死回生の気配はない。
 私の「大賀ハス物語」は、THE ENDとなってしまったのだろうか。
▼「物語」を描きながらが有効なのは観察だけではない。
「教材」においても同じではないだろうか。

 この場合のコンテクストやストーリーとは、いわゆる物語というよりは、ブランドのバックグラウンドやコンセプトなどの大きな軸に沿って、一つひとつの要素がつながり文脈を成している状態を指しています。新たなコンテンツを加える際にも、ブランドの根幹や他のコンテンツとどう関わってくるかを常に吟味する必要があります。 バラバラだったものがひと続きになると、各々の前後関係も見えてくるので、ストリーを描くことができればブランド全体の輪郭が鮮明に浮かび上がり、消費者にとても分かりやすく伝わって行くのです。(『佐藤可士和のクリエイティブシンキング』(佐藤可士和著 日本経済新聞出版社 2010.6.25)P1169より 強調は私)

 これは、佐藤可士和氏が、近著のなかで「コンテンツからコンテクストを作る」こと唱えるなかの一節である。
私には、ここでのコンテンツが「教材」と読めてしまうのである。
▼では、ここで各種のコンテンツを「教材」と読み替えたら、コンテクストとはなんでしょう。
「コンテンツからコンテクストを作る」とは何と読めるのでしょう。
私は、いくつかの読み替えをやってみる。コンテクストのいちばんの気に入りの訳は「文脈」である。
それを使うとこうである。
「教材から文脈をつくる」
文脈、物語、ストリーを具現化したものが授業である。
ならば、さらにこう読める。
「教材から授業をつくる」
なんというアタリマエ!!にいきつく。そうだ、このアタリマエこそ、今問い返すときだ。
授業から、教材だけをひっぱりだして考えることなんてできないんだ。
そんなことしても何も伝わらないのだ。
すぐれた教材は、すぐれた文脈(授業)なかから生まれ、あらたな文脈(授業)を創り出すのである。

|

« 新・私の教材試論(28) | トップページ | 【Web更新7/11】10-28『新・私の教材試論』等 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新・私の教材試論(29):

« 新・私の教材試論(28) | トップページ | 【Web更新7/11】10-28『新・私の教材試論』等 »