「これから」の科学??『予定不調和』
▼「みどりの日」の昨日、私がもっとも注目した「みどり」は、大賀ハスの葉のみどりであった。それも、正規の「観察池」のものではなく、蓮根の植え替えを3月末にしたときに、第二候補以下のものの処理に困ってしまい、とりあえず近くの水瓶にほりこんでいたものの方である。何の処理をすることなく、雨水がたまったなかにほりこんである蓮根の方である。そこから、巻葉の芽はどんどん伸びてきていた。
初夏を通り越して、真夏を思わせる太陽の日射しをいっぱいにあびて、いくつもの「みどり」は全開であった。水面は完全にかくれてしまっていた。「もっと、我に光を!」と叫びながら、我も我もと競い合う「みどり」がそこにあった。「みどり」のシステムのたくましさである。ここに納得のいく科学!!がある。
▼一方で、どうも納得のいかない科学と昨日、出会った。
最近、本を読むのは自らのコンテキストに沿ったものだけを読むようにしようと決意している。遅読の私には、やるべきことが多すぎて、本など読んでいる時間がないというのが正直なところなんである。
ところが、どうしても気になる本がいくつかある。なにかのきっかけがあれば読みはじめたい本たちである。
そのなかにこの一冊があった。
◆『予定不調和』(長神 風二著 DIS+COVERサイエンス2010.4.15) http://bit.ly/bchLtZ
である。
同じシリーズの『科学の正しい付き合い方』には、感動すらしていた。
だから、同シリーズのこの本が気にかかっていた。
著者のことは、内田さんと同じくecochemさんところのサイエンスカフェからだ。
私の知らない科学の世界を見せつけられたように思った。
・科学はまちがいなく文化である。
とそのとき思った。だから、ずっと気にしていた。Twitterでもフォローしていた。
▼昨日の「すきま時間」を利用して読み始めた。
読み始めると同時に、私は私の文脈のなかで、この春に卒業した生徒たちに課した卒業論文のことを思い出していた。実はその卒業論文のテーマになやんでいたことがある。
『これからの科学技術と私』
『科学技術とこれからの私』
どちらするかである。結局は同じことなんではないかと思われるかも知れないが、それは違う。
「これから」の位置によって、「科学技術」に主体があるのか、「私」に主体があるかの大きな違いがあるのである。等身大の科学を標榜する私は、結局、後者を選んだ。
出てきた卒業論文を読みながらその選択は正しかったと思った。
▼本にもどる、私はこの本に期待したのは、卒業論文でいうと前者の方であった。そんなことが書いてあるものと想像していたのである。
『予定不調和』というタイトルだけから、そのようなものを期待していたのだ。タイトルは、反意を意味するのであり、実は
「予定調和」こそが科学なんだ!!
という主張なんだと勝手に思い込んでいた。
しかし、読み進めていくとどうもちがう主張があるようだ。
オムニバス風にどんどん展開される「これから」の科学のシナリオ!
次には、思っていたことが書かれているだろうと期待するが、いっこうにその気配はない。
私のなかでやがて、このシナリオ群に不協和音を奏で始める。
これは「私」には関係ない本なんだと思い始める。
そして、目次にもどった。
▼「目次」
予定不調和
サイエンスがひらく、もう一つの世界
序章 予定不調和?
第1部 競争の時代に
第2部 新しい環境と健康
第3部 意思のあるところ
第4部 問い直される【わたし】
終章 情報と技術の氾濫を泳ぎきるために
この目次をあらためて見て驚いた。私が求めているものがちゃんとあるではないか。
不協和音ばかりが響くのに飽きてきた私は、第3部まで読んで、そこで停まりこれを書いている。
そうすると、第4部にそれがあることになる。
それは、このあとに期待しよう。そして問い返そう。
・「これから」の科学とは
・私にとっての「科学」とは
・未来に生きる生徒たちにとっての「科学」とは
・「これから」の科学と理科の関係は
・科学がひらく、「もうひとつの世界」とは
…
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コメント
昨日、大賀ハスの芽が出ました。
感動しました。
とりあえず報告です。
投稿: 觜本 格 | 2010/05/05 22:19
觜本さん 報告ありがとうございます。
おめでとうございます。\(^o^)/
私もとてもうれしいです。ここにまた新たなる「大賀ハス物語」がはじまります。
ぜひ、ぜひ画像を送ってください。よろしくお願いします。
では、まもなく発芽処理にとりかかります。
継続した観察もよろしくお願いします。
投稿: 楠田 純一 | 2010/05/06 21:56