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すべての理科教師必読!!『科学との正しい付き合い方』

Dscf7195▼今朝起きて、南の空をみたそこには「サソリ」がはっていた。まちがいなく季節は移り変わっている、久しぶりに星空から季節を知らされた。宇宙「ばっかり病」から少し遠ざかっている自分に気づいた、コンスタントに発症の自覚がある方がいいのに…。昨日は大賀ハス観察池、植え替えから4週目である。正規の池の方には巻葉が二本、少し離れて一本が佇立している。巻き葉をひらくようすはない。
Dscf7198 それより注目してしまうのは、水瓶にほりこんだ「あだ」の方だ、一斉に巻き葉が開きはじめたなんとも異様な光景に見える。そこに感じるのは「生命の営み」のダイナミックさ!!その「ふしぎ!?」
▼新学期のバタバタがまだ続く日々で、ここしばらく本をゆっくり読む時間から遠ざかっていた。そのなかで出会ったのがこの本だ。
『科学との正しい付き合い方』(内田 麻理香著 DIS+COVERサイエンス 2010.4.15)
著者の内田さんのことは、ecochemさんところのサイエンスカフェ「にいがた」のころからネットを通して知っていた、「カソウケン」という取り組みにも共感するところがあった。ひときわ気になるようになったのは、あの事業仕分け「スーパーコンピュータ」の件のときの発言を聞いたころからだった。
▼連休は忙しそうだから夏休みにでもゆっくりととAmazonに「積ん読」しているつもりでいたが、ちょっと気まぐれに発注してしまった。手元にきたかぎりはちょっとみてしまった、「はじめに」を。
「科学の物語性」という耳慣れぬ言葉が気になった、面白そうだと思った。その予感は正しかった。
ちょっとだけゆっくりした昨日、一挙に読んでしまった。読み止まることができなくなってしまったのだ。
▼遅読で限られた本しか読まない私には、本を自分の文脈のなかでしか読むことしかしない。自分の文脈のなかで都合のいいところを「つまみ読み」をするのである。
「はじめに」を読んで、私は最初に「自分にとって科学とは…」の自問自答を繰り返し始めていた。
私がこれまで使ってきた「科学」をならべてみよう。
・「常民の科学」
・「熊楠の科学」
・「ファラデーの科学」
そして、「等身大の科学」、これが今、私にピッタリときている。
その視点をもちながら「我田引水読み」をすすめた。「初級編」からいきなり気に入ってしまった。語彙力や表現力のない私などは、自分の「言いたいこと」「考えてきたこと」を、文章にしてもらうととてもうれしくなってしまう。
「よくぞ言ってくれた!」
「よくぞ書いてくれた!」と。
▼初級編では「科学によくある3つの「誤解」」として次のことをあげている。みごとな指摘である。
誤解1「『科学離れ』が進んでいる」ってホント?
誤解2「もともと『科学アレルギー』の人は多い」ってホント?
誤解3「科学は、身近でない」ってホント?
おみごと!!としか言いようない指摘である。「カソウケン」「サイエンスコミュニケーター」の仕事を通して実感されたことを書いておられる。この世界での「常識」に異議申し立てをされているのである。
共感するところ大である。
「科学離れ」「理科離れ」、まるでこの種の文献には枕詞のようにして使われるこのコトバ、ほんとうにそうなのか。数値データも使って疑っている。自分も使っていたりするので大きなことは言えないが、今、ちょうど中学一年生の等身大の「ふしぎ!?」を追いかけているところなのでなおさらである。
「理科離れ」なんて新しいコトバと思われるかも知れないが、それはちがうこれが言われ出してかなり久しくなる。
ほんとうにそうなんだろうか。疑ってみることこそ「科学」的なのだろうと思う。
 枕詞のように使って、わかったつもりになることこそ「非科学」的な姿勢と言えるのではないだろうか。
▼いくつも膝をたたき「そのとおり!!」を繰り返しながら読む。
みごとな言い切りも続々出てくる。
 

ヒトのデフォルト(基本設定)は「科学好き」(p46)

科学技術はマニアのものではない(P49)

等々
では、基本設定から外れて、カスタマイズされてしまったのはなぜか。そこをこそ問うべきなのではないだろうか。
「ブレーキペダル」はなぜ踏まれたのか。踏んだのは誰だ。
「アクセルペダル」を踏むにはどうすればよいのか。それをサポートするのは誰か。
▼共感するところが多い本だ。いちばん感動したのは次の文章に出会ったときだ。
「なるほど」と「なぜ」のあいだにー「?」の前には「!」が必須(P103)

そのとおり!!
だから私は、等身大の「ふしぎ!?」としている。
ここには、授業論も教材論も含まれているいると思った。
そして、私たちが理科授業の究極のねらいとする「科学リテラシー」について、わかりやすく説得力のあるかたちで
中級編「科学リテラシーは「疑う心」から」に語られている。
ここまで読んで私は確信した。
この本は、すべての理科教師の必読書である!!
善意からであろうと「ブレーキペダル」踏むことなく、「アクセルペダル」を推奨するために。
▼私は、この本を読みながら、Twitterでこの本への共感のほどをリアルタイムにつぶやいてみた。そしたら、
なんと著者自らがリツィートしてくださった。そしてうれしいこと言ってくださった。
私は理科の先生こそが「最前線のコミュニケーター」という認識です!

それだけでなく、blogにまで引用してくださった。
やっぱりヒューマンネットワークは面白いものだ。
▼上級編「科学と付き合うための3つの視点」もいい。
視点1 社会の中に科学技術を見る
視点2 見えない科学技術に目を向ける
視点3 理系だけにまかせない
 ぶれることのないみごとな「視点」だ。著者がいちばん言いたかったことが上級編に語られているのだろう。
そして、最後には著書が、この本に託した願いを語られている。さすがである。サイエンスコミュニケーターの本領発揮だ。耳を傾けてみよう。
1つめは、これまでに何度も繰り返して言ってきましたが、「科学技術を疑いつつも、あたたかい目で見守る監視団」になっていただきたいということ。
「科学技術バンザイ」と盲従するのでもなく、科学技術にアレルギーをもって忌避するのでなもなく、ほどよい距離感で。
 そして、科学技術のマニア、ファンの一人の私からのお願いとして、科学技術の「これから」を助けてほしいということ。

2つめとして、何より大事なのは、科学技術に対してのアレルギーを払拭し、「DIS+COVER」、つまり覆いを取り外して、新しいモノサシを手に入れてほしいということ。そのモノサシは、即効性はないけれども、あなたの幸せにつながるツールです。そのモノサシを見つけて救われた私は、そう信じています。(P275より)

 

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コメント

「知識がないと騙される」というのを仕事柄当たり前にみている私としては、
自分の身を守るためにも、自然科学的な物の見方を持つ必要性を、痛切に感じています。

普段考えていることを言葉にしてみようと思うものの、
パシッとまとまらないですね(汗)
科学への一母親のアプローチ論、うまくかけたらいいのですが。

投稿: いっちゃん | 2010/04/25 10:33

いっちゃんこんにちは
コメントありがとうございます。
この本、理科の教師にと書いたけど、いっちゃんのような人にもぜひ、ぜひ読んで欲しいな。お薦めです。
絶対に気に入ると思うな。

>科学への一母親のアプローチ論、うまくかけたらいいのですが。

これに、絶対にヒントになると思いますよ。

投稿: 楠田 純一 | 2010/04/25 11:52

内田麻理香さんって、
「すイエんサー」で「絶対に失敗する料理」の先生だったような…
「とろみつけようとして小麦粉使っちゃった」
「ゼリーに生のキウィ入れちゃった」…などなど。
それなりに科学が好きな娘は、正解が紹介される前になんとか答えを導いてます。

夏休みにじっくり読んでみますね。
今は自分の勉強でバタバタです…

投稿: いっちゃん | 2010/04/26 07:50

いっちゃん
おはようございます。
ひょっとしたら、著者については、いっちゃんの方がよく知っているのかも知れないですね。
子どもさんも、科学しているんですね。そのうち「大発見」するかも知れないですね。

ところで、いい情報があります。
内田さんがほんの一部を「カソウケン」のブログに掲載されています。それなら、ちょっとしたすきま時間にものぞけますね。一度のぞいてみられたら…。

※尚、この私のブログのサイドにリンクをはっておきました。

投稿: 楠田 純一 | 2010/04/28 05:41

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