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Twitterはじめて200日目に思うこと

▼昨年の9月23日にTwitterをはじめて、今日でちょうど、200日目になる。はじめてTwitterにふれたときと、100日を過ぎたころとは、Twitterの見方がずいぶんとちがっていた。それは、単なる私の情報スキルがちがっていっただけでない。Twitterに対する世間の認知度も大きくかわっていった。その100日目からこの200日目も、回りの状況も含めてこれまた激変しつつある。200日目に思うこと、軌跡として「記録」して置こう。
▼私は、最初にTwitterにふれたとき、これは「パソコン通信」にもどったと思った。あのチャットをはじめてやったときの感動がここにあると思った。ニフティのフォーラムに会議室【理科の部屋】がつくられて、どんどん人が、授業情報がつながっていくあの興奮、感動が蘇ると思った。
私の「パソ通回帰論」がそれである。
▼でも日が経つあいだに、どうもそれは単なる「回帰」だけではないと感じるようになってきた。
そのあたりの200日間の変遷を『新・クラウド「整理学」試論』に残している。自分のことながら今読み返してみると面白い。
「パソ通回帰論」から、次に思考が向かったのは「Twitter的」ということだった。
▼Twitter的とは、なにか。それはふたつある。
・リアルタイムであること。
・等身大であること
なんと、それはこのblogのサブタイトル「楠田 純一の【理科の部屋】と連動しながらよりリアルタイムな等身大情報を発信」そのものではないか。究極は同じところにいきついている。自分でも驚きである。
 Twitterの醍醐味は、自分で世界ただひとつの「タイムライン」をつくれるところである。私だけの情報レセプター(タイムライン)には、次々といろんな情報が流れていく、その流れをコントロールできるのは自分だけである。
▼現在、タイムラインには、フォローしている200人以上の人が発する情報が流れている。私が発する「つぶやき」は、これまた200人を越える人のタイムラインに流れている。
(この流れが交叉するところに熊楠の「萃点」もあるのかも知れない。これは、今は余談(^_^;))
Twitter的とは、この流れが交叉するところでいろなものが創造されていくところだ。
200日目の今、もっとも注目している交叉しているところは
・USTREAMの可能性
・電子本の可能性(#e_textbook、ダダ本などを含む)

 さあ、300日目には何を「記録」することになるだろう。今は、まだ見えてこないものがあるのかも知れない。

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