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中学校「理科」を構想する(8)

Dscf6807▼昨夜のブルームーンは、ほんとうにきれいだった。ひさしぶりに双眼鏡をつかってじっくりと月をみた。一月につづいて #bluemoon の観察会だった。今朝起きてみると、同じ月なのに「朧月」にかわっていた。今日は、2009年度最後の日。「構想」の方も、少しピッチあげよう。新学期がはじまるまでには、なんとかして置かねば、校庭の桜が満開なるのと競争だ。どちらがはやいだろう。
▼「エネルギー概念形成」をつづける。
【3年生】
『運動の規則性』
・力のつり合い(力の合成・分解を含む)
・運動の速さと向き
・力と運動
『力学的エネルギー』
・仕事とエネルギー(衝突、仕事率を含む)
・力学的エネルギーの保存
『エネルギー』
・様々なエネルギーとその変換(熱の伝わり方、エネルギー変換の効率を含む)
・エネルギー資源(放射線を含む)
『科学技術の発展』
・科学技術の発展

 近代科学のはじまりから、今日のエネルギー問題までを扱う広い領域だ。
▼例によってささやかな「自分の歩み」を見ておく

【運動とエネルギー】

 理科教師として「かけだし」のころ、よく先達から教えられたことに
「物理はできるだけダイナミックに、化学はできるだけミクロに…」というのがある。
その教えは、今も頭にある。物理実験はできるだけダイナミックに、ドラスティクに展開することが魅力的にする秘訣だと思っている。
 これまた例によって私の構想のメモ書き、覚え書きの断片を列挙してみる。
・「おもちゃ」から「宇宙」まで貫いている法則の発見!!
・おもちゃ屋さんは、教材の宝庫
・すぐれた玩具はかならず、「ふしぎ!?」のはじまりを内包する。
・定番実験の開発史をたどれば、教えたいことの本質が見えてくる。
・力と運動の関係で、等身大の「ふしぎ!?」が置き去りにされている現実がある。
・科学リテラシーとして「エネルギー概念形成」は必須である。

もう少し、具体的な授業の組み立ては別の機会にゆずる。今日は、ここまでで時間切れ。 

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中学校「理科」を構想する(7)

Dscf6784▼昨日は、へんな天気だった。早朝は雨だった、やがてそれはあがりいい天気なってきた。肌寒さは感じるものの咲き始めた桜が入学式に準備にかかっていると思っていた。ところが、寒さがましてきてついには、雪がふってきた。それもけっこうな量である、これでは咲き始めた桜も驚愕していることだろう。
▼「構想」をつづける。
エネルギー概念の形成のところであった。
【2年生】
『電流』
・回路と電流・電圧
・電流・電圧との関係
・電気とそのエネルギー(電力量.熱量を含む)
・静電気と電流(電子を含む)
『電流と磁界』
・電流がつくる磁界
・磁界中の磁界が受ける力
・電磁誘導と発電(交流を含む)

 20世紀の主役「電気エネルギー」、そのエネルギー概念の形成である。くらしと科学・技術が直結するところである。これは中学校「理科」でも重要な意味をもつ部分である。
私自身の蓄積してきたものとしては
・【電気の学習】

・【電流と磁界】

がある。いずれも授業をやりながら、学んできたことの「あしあと」である。
「あしあと」をふりかえるだけでは、「これから」は見えてこない。俯瞰をしてみて、未来を展望してみる。
この構想で大事にしたいのは、等身大の「ふしぎ!?」を追いかける「等身大の科学」を「くらし」とつなげることだ。
それを具現化するには、うってつけの領域である。
思いつくこと、気づくことを列挙してみよう。
・ここでこそ、「ファラデーの科学」を
・電気の正体=「電子」をどこで出すのが有効か。もっともっと実践的検討が必要
・技術を軽んじてはならない。技術と結びついてこそ「くらし」に活きる理科がある。
・「計算」をテスト問題対応にとどめてはならない。きわめて有効な「科学の方法」であることを知らせる必要がある。
・電気の正体→電子→電子の流れ(電流)→電流をコントロールする(技術)→電気エネルギー の流れ。
・「電流」→「磁界」、「磁界」→「電流」 この「ふしぎ!?」を置き去りにしない。
・なにを定番実験とするか。実証的検討を
・面白実験をきっちりと概念形成に位置づける試みが必要。

あげ出すと、きりがなくなる。これまでに多くの理科教師による「蓄積」があるはずだ。
それらを「つなぎ」あわせること、これはこの領域にかぎらず急務である。
 とりわけここの部分では、多様なる実験、工夫があるはずだから…。

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【Web更新3/28】10-13「中学校「理科」を構想する」新設

Dscf6776
哀しみや シロく輝き モクレンの
 10/03/28 (日)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-13
週末定例更新のお知らせ
 本年度もあと3日で終わってしまう。時間制限つくと、なにか追い立てられている気分になる。自分なりの時間の流れのなかで生きていきたい。私のわがままだろうか。
 Twitterのタイムラインの流れも、加速してきている。そんなときこそ「等身大」を忘れたくない。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ シロモクレン
 「シロ」い色が、哀しみとつながるのはどうしてなんだろう。白い色でお気に入りの花、三つある。
「ドクダミの花」「ヤマボウシの花」そしてこの「シロモクレン」である。
 ここに有名なシロモクレンの林があるのを知ったのは、昨年のことだ。校庭の一部と勝手に思っている「あじさい公園」にある。それにしてもこれだけあると圧巻であり、みごとである。校舎から見ていると、この「白い輝き」は、なにか特別のメッセージを発しているように思えてしまう。

◆【大賀ハス観察日記】更新
 27日の植え替えで、三年目がスタートした。今年は、もうひとつ「大賀ハス物語」がある。それは、昨年収穫した5粒の種子、二つは手元にあるが、後の三つは秋田、京都、神戸に旅に出た。
 そちらの方も楽しみである。蓮根の方も、今なら植え替え可能なものがいくつかある。うまく育つかどうかわからないが、引き取り手があれば…。

◆『中学校「理科」を構想する』新設
 こんなページを新しく作ってみた。今続けていることをまとめておいて後で自分がみやすくするためにつくった。
まとめて「記録」しておくと、未来にとても役立つこともできてくるかも。
 それが私の体験的「整理学」だ。

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大賀ハスを植え替えた!!

Dscf6584▼ついにその日は来た。昨日、一年ぶりに大賀ハスを植え替えた。昨年の3月28日に植え替えてから一年がたった。植え替えて3年目をはじめる。まずは、2年目のの最後に、何枚か画像におさめた。水の中にはたくさんボウフラが発生しているようだ。朝方には、冷え込んで氷がはっていたが、他の生物の活動をみるかぎりやっぱり観察池にも春はやってきている。最後となるとなごり惜しいものである。
Dscf6598▼まず、観察池をそっくりとひっくりかえしてみた。
その様子に少し驚いた。イメージしていたものと少しちがっていた。私は、「大きな蓮根」がゴロリと眠っているものと思っていた。ひっくりかえして、底にあったのは「蓮根のネットワーク」だった。それは「蜘蛛の巣をはったように」(最初の印象、Webだ!!)なっていた。シャワーで土を流した。
これは、なかなかの作業だった。この原形をとどめたままと願うと、どうしても時間がかかってしまった。ある程度Dscf6638土を流し去ったところで、泥のかたまりと分離することにした。
このとき、いたるところで「ポキッ」と蓮根の折れる音がした。恐る恐るやるが、無理である。この段階で昨年のように、このネットワークを紐解いてのばしてみることは断念した。
▼大きな蓮根になっている部分を「3年目」に登用することにするが、その選択がけっこう難しい。同じ大きさのものが、5~7個ある。欲張りをして、すべてというわけにはいかない。
思い切って、2個にすることにした。他の物は、しばらく水につけて保存する。適当な場所が確保できれば、底に植えるが、今のところあてはない。これも種子のようにシェアしようかな。
Dscf6691▼次は、土だ。土ももういちど、すべて変えてしまうことにした。
植え替えの方法については、昨年と同じように本「蓮~ハスをたのしむ~」(ネット武蔵野 北村 文雄監修)の「大賀方式」を参考にした。元肥には、ニシンとダイズを使った、できるだけ本に従うことにした。ニシンにこだわってみたものの佃煮のようなものしか手に入れることができなかった。昨年もそうだったから、それで行くことにした。
▼家の畑から、一輪車で土を運び、水槽に土を入れる。次にニシンだ、そしてまた土、次に蒸したダイズ、また土、そして大賀ハスの蓮根だ。三節までのものを二つ、大きさよりも「元気さ」を重要視して選んだ。そして、また土だ。
Dscf6722水は、高さ10㎝程度はった。これで完成だ。
 私の「大賀ハス物語」3年目がスタートである。
 午前中にと思っていた作業は、午後3時になっていた。
さあ、どんな展開があるのだろう。あの「あこがれの4日間」は、今年も訪れるだろうか。

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中学校「理科」を構想する(6)

Dscf6537▼昨日の早朝は雨だった。しかし、だんだん晴れてきた。うれしかった。そしたら、あのシロモクレンの林にでかけよう。表紙画像を撮ろう。そう思っていた、しかしその機会がないままどんどん時間がすぎていった。内心少しあせっていた。やっと行けるようになったのは、夕方ちかくであった。里山の陽だまりに白い輝き、それが私が描いた「絵」であった。しかし、時間帯が遅かったのと、シロモクレンの開花スピードはスローになっていたのとで、「絵」とはちがう風景であった。
 頭で描く「絵」と、現実とちがう、アタリマエのことだ。そんなことは日常茶飯事だ!!
しかし、やっぱりヒトは「絵」を描く、まるで「絵」を描くことが、生きることそのもののように…
▼「構想」と言う「絵」を続ける。
次は、エネルギー概念の形成に関わる領域である。「物理」である。
【1学年】
『力と圧力』
・力の働き(力とばねの伸び、重さと質量の違いを含む)
・圧力(水圧を含む)
『光と音』
・光の反射・屈折
・凸レンズの働き
・音の性質

 力学の第一歩だ!このあたりの教材群をみていると、なんともなつかしい気分になる。
・見えない力を見る
これが第一に与えられた命題である。見えないはずの「力」が見えてきたとき感動がある。そして納得が生まれ、それらをつないでいけば法則ができる。
 それが、私の描く「絵」だ。
そのシナリオの骨子だけは残している。
◆【力学の第一歩】
▼『光と音』
ここも、思い出深い単元である。
私の理科教師としての目ざめもここにある。
理科が面白い!!と心底実感したのは「教室全体のピンホールカメラ」をやったときである。
幸いなことに、私はこのときの「記録」を残している。残してもらっていると言った方がいいかも知れない。
◆はじめての実践記録
◆中村敏弘先生の「光の直進」論文で紹介された私の実践記録(「わかる授業13号」より)

構想のたたき台にはなるかな。
▼「音」のところではあまり記録を残していない。結構楽しんだ「記憶」はあるのだが、最後の機会には「記録」を残したいと思っている。
 21世紀の10年代に入っている今、身の回りの教材でも、ずいぶん変わってきている。
あらためて、もっと有効な教材はなになんだろう。その検討をはじめる必要がある。
教材にも「不易と流行」がある。
不易な部分を求めるだけでは、生徒が見えてこない。
流行だけを追いかければ、「高いレベルの科学」が見えてこない。
教材の見直しをやっていきたい。 

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中学校「理科」を構想する(5)

▼今年度もあと一週間をきってしまった。なにかにあせりを感じる。
やれていないことばかりに意識がいってしまう。やめよう!!
できたことに目を向けよう。

 「…しかし、「完璧」にならない方がいいと僕は思っています。なぜなら「完璧」になんの意味もないからです。「完璧」になってしまえば、それ以上はない。つまりそこにはあらゆる努力も才能も立ち入るスキはない。だって「完璧」だから。だから僕は「完璧」というのが好きではありません。今までの何よりもすばらしいものであれ、しかし決して完璧にならないでほしい。僕は科学においてそう思っています。」

これは、ある生徒の卒業論文『科学技術とこれからの私』の一節です。
教えられることの多い一文である。
▼よりよいものを求めて、歩みをつづけよう!!
構想をつづける。

物質の学習【2年生】【3年生】とつづけてみよう
【2年生】
『物質の成り立ち』
・物質の分解
・原子・分子
『化学変化』
・化合
・酸化と還元
・化学変化と熱
『化学変化と物質の質量』
・化学変化と質量の保存
・質量変化の規則性
【3年生】
『水溶液とイオン』
・水溶液の電気伝導性
・原子の成り立ちとイオン
・化学変化と電池
『酸・アルカリとイオン』
・酸・アルカリ
・中和と塩

 これだけを追っていくと、ずいぶんと文脈のわかるシナリオになっている。もちろん「完璧」ではないが。
このあたりの一時間一時間の「記録」は、blogに残しておいた。通してみてみると未熟さばかりが目立つ記録であるが、その分「構想」には役立つ。
【化学変化】
【物質とイオン】改題【水溶液とイオン】
読み返しながら、少しずつ「構想」が見えてきた。
見えない「イオン」が見えてくるように…。

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中学校「理科」を構想する(4)

▼またしても寒くなってきた。ほんとうに、季節というのは螺旋的に変化していくものである。実感である。
実感することをつないで、等身大につないで、「科学」を構築するという試みつづけよう。
いつまでも概念的であってはいけない。それでは「授業」は見えてこない。
ここで、こんなこと書き記していっているのは、あくまで具体的な授業が見えてくるようにするためのものである。
▼具体的の最初は、私にとって語りやすいと思っている「物質の学習」からはじめる。
この学習においては、もっとも重要な基本的な科学概念は
「原子論的物質観」だと思っている。私は、前回の改訂のときにも、こんな文章を書いている。
◆今、なぜ「原子論的物質観」なのか(2001.7.28)
それから、9年近くたっている。はたして、どう変わったのだろう。何が変わらなかったのだろう。
「不易と流行」はなんなのだろう。
書いてみよう。ならべてみよう。
【1年生】
「物質のすがた」
・身の回りの物質とその性質
・気体の発生と性質
「水溶液」・物質の溶解
・溶解度と結晶
「状態変化」
・状態変化と熱
・物質の融点と沸点

 ここでは、原子論的物質観はどのように有効なのだろうか。
▼いくつもの課題がでてくる。
おもいつくままにあげてみる。
・「身の回り」とは…等身大の「ふしぎ!?」を追う宣言を
・「世界の三大物質」とりわけ「金属」をしっかり教える。
・火ぜめ・水ぜめ・電気ぜめ・磁石ぜめ…「科学の方法」訓練・習得
・見えない気体を物質として捉える。(「三態変化」とリンク)

・「溶解」を化学変化の第一歩に
すべての物質は状態変化(固体・液体・気体)する

・温度とは、熱とは
・粒子概念と原子論的物質観
・いつ「原子」をだすのか。周期表は…。

【1年生】のところだけでも、これだけある。先は遠い。

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中学校「理科」を構想する(3)

Dscf6510▼ここのところ、あまりもにいっぱい「こと」がありすぎて、なかなか処理しきれていない。力のない自分を感じてしまう。
 しかし、それをなげいても仕方ない。それよりも、いつも問われるのは「これから」と「私」である。
「未来と私は、変えることができる」のだから…
▼構想をつづけよう。
2つの準備物(これまでの私)を用意した。
もうひとつだけ用意しておいて、具体的構想に入っていく。
もうひとつの準備物とは、
(3) 新しい学習指導要領・理科編(平成20年9月)

である。これを視野にいれない構想はありえない。
これを常に意識しつつすすめていきたい。
さっそく、ここからはじめよう、新しい学習指導要領での中学校「理科」の「目標」を見てみる。

第1 目標  自然の事物・現象に進んでかかわり,目的意識をもって観察,実験などを行い,科学的に探究する能力の基礎と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深め,科学的な見方や考え方を養う。

Twitterでつぶやけるぐらいの文字数である。
どこが新しいのかと聞かれても、私にはわからない。この妥当性を云々したり、くわしく解釈していこうというのが今の私の課題ではない。私の文脈なかで、これを視野にいれつつ確認しておく。
● 自然は最高の「教科書」!
● 子どもは最高の「指導書」!

▼「理科は自然科学を教える教科である」ずっとずっと前から言われてきたこと。
その「自然科学」を4つの分野(領域)で考えてみる。
「物理」「化学」「生物」「地学」
これらは、固定的ではない流動的である。分野分けがねらいではない、自然とはそんな単純なものではない、脳内が、そんな仕分けがしてあるわけではない。
 とりあえずの便宜上、こうしておこう。
そのなかで、私が今考える中学3年間で、身につけて欲しいことあげてみよう。

(1) 原子論的物質観の形成
(2) 持続的社会実現に向けたエネルギー観の形成
(3) 「生命とはなにか?」に対する自分なりの答えをみつける。その試み。
(4) 「私はどこにいるか」「私はどこからきたのか」の謎解き
(5) 21世紀を生きるための科学リテラシーの形成

なんか、次元のちがうことを同時に語ろうとしている。
まあ、いいかこれはあくまで、覚え書き、メモ書きだ。


まだまだつづけよう。今日は、時間切れ…。

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中学校「理科」を構想する(2)

Dscf6495▼昨日、仕事のあいまにいつもの散策コースから、足をのばしてみた。校舎から北の風景を見ていると、あじさい公園の山裾あたりに「白い輝き」があったからだ。例のシロモクレンである。そこかしこの家の庭に植えられたシロモクレンが白い輝きを放っているのもみごとであるが、それらは比ではない。正確な本数はわからないが、シロモクレンの林である。近づいてみると、まだ満開というのではないようだ。それでも圧巻であることには違いがなかった。
▼どうしても時間をあけるととぎれとぎれになる。それは、しかたない、でも続けよう。
今こそやっておくことだと思うから…。

 中学校「理科」を構想する。構想のはじめに準備物を確認しよう。
(1) これまでに蓄積してきた実践【DB】 
ここにこれまでに取り組んできたすべてを置いてきたつもりである。もちろん完成されたものでもない、今も、これからも進行形のものばかりだ。失敗の「記録」もふくめて、ここにあるはずだ。

(2) 今も進行形の三つ「試論」
・新・私の教材試論
・新・「自由研究」のすすめ試論
・新・クラウド「整理学」試論
別個に歩んできた「試論」であるが、ここでは同時に考えてみよう。

この準備したふたつが、これまでのすべてである。
バラバラに考えてきたこと、それらをつなぎ合わせるそんな作業からはじめてみる。
 

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【Web更新3/21】10-12【大賀ハス観察日記】の一年、等

Dscf6447
 誇りの庭に 灯り点したり 椿かな
 10/03/19 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-12
 週末定例更新のお知らせ
 Twitterをはじめてちょうど半年になる。この新しいツールを私は、最初「パソ通回帰だ」と思った。半年経った今もその思いはある。しかし、それだけではない。もっとコミュニケーションの原初なるものを持っている。
もっともっと古いのである。「もっとも古いからもっとも新しい」というレトリックがここで成立する。
私にとってのTwitterは、第二ステージにはいっている。「#ハッシュタグ」「UST」がキーワードだ!!

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ ツバキ
 桜がほころびはじめた誇りの庭に、それに先だって灯りを点した花があった。色を失った冬の庭に、いちはやく赤い色を目立たせたのはツバキだ。そのダイナミックな花は、庭のスタンドライトのようでもあった。春へのシグナルを放っている。

◆【大賀ハス観察日記】一年間総集更新!!
 自分でも驚いてしまう。よくぞここまでこだわったものと!!。
なにも特別の技術を要することではない。ただただ毎週土曜日に『大賀ハス観察池』の画像を撮り、それを翌日のblogにあげるだけである。これを51週分をならべてみる。
実に面白い。蓮根を植え替えて、そこから葉が伸びてくる、まだ薄氷がはる日もあった。
やがて葉が大きく成長し、まさかの「あのあこがれの4日間」がやってくる。
その後の果托に残った5個の種子、今、手元には2個しか残っていない。3個は、神戸、京都、秋田に新たな「大賀ハス物語」をつくるべく旅に出た。
やがて葉は枯れていく。秋から冬へ、池のようすどんどん変化していく。
雪が降り積もった日もある。氷が張りつめた日もある。そして、やがて「生命の営み」の再開。
そのようすの変化も面白いが、blogはそのためにだけ書いていない。そのとき、自分がなにに夢中になっていたかもわかる。その変化も面白い。自分で言うのも変だが、世界でたったひとつの大賀ハスの「観察記録」である。
故大賀一郎先生にぜひ読んでもらいたいな。

◆【自然・人間・科学】更新
 「卒論」から「等身大の科学」にいたるまでのことを書いた。
 今はじめた「中学校「理科」を構想する」は、これをうけてのものであることは確かである。

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中学校「理科」を構想する(1)

Dscf6453▼昨日はほんとうにあたたかった。それは、ほんとうに初夏を思わせるものであった。例の「大賀ハス観察池」の水もあたたかそうだった。あいかわらず水中、水面での「生命の営み」も活発さを増しているようだった。植え替えから51週目であった。来週には、蓮根を掘り出して、今年度の植え替えの予定である。この一年間の「大賀ハス観察池」のようすは、「記録」してきた画像でまとめる。(一年間毎週土曜日ごとに画像を撮り続けてきたので)
Dscf6467▼年度末である。いろいろ「整理」しなければいけないことがある。しかし、いろんなところに興味が散っていく、まるで学生のころのテスト前夜に部屋のかたづけをやったように…。「取りかかりが遅い」病も、「ばっかり病」と同じく私の持病のようだ。そんななかで、卒業生たちが残してくれた卒論2題を繰り返し読んだ。そして、それらに教えながら、私にとっての「科学とはなにか」の自問自答がはじまった。
 絶対的な答えがみつかったわけではない。それでもこだわりを持ちづけているものが浮かび上がってきた。
・ファラデーの「科学」
・熊楠の「科学」
・「常民の科学」
そして
・「等身大の科学」
▼そんなこと考えているあいだに、今どうしてもやっておかねばならないことに気づいた。
それは、中学校「理科」の授業を構想することだ。
私の今やるべきこと、今しかやれないこと、それがこれだ。
単なるメモ書き、覚え書き程度のものとなるだろう。それでいいと思っている。修正・訂正すること、いっぱい出てくるだろう。それも、元があってのことだ。
2010年春、21世紀はじまって十年、「十年代」を語るときの源流を「かたち」にしておこう。
そう思い出したら、吉日、今日からはじめよう。
▼中学校「理科」に、私はこだわり持っている。小学校「理科」、高校「理科」も重要である。比較の必要もないのかも知れない。しかし、今、やっぱりいちばん重要なのは中学校「理科」である。
 中学校「理科」ばかりに携わってきたものの我田引水かも知れないが、ここですべてが決まってしまうのである。
と言えば極論だろうか。
・大人の「科学リテラシー」
のことが話題となることが多い昨今であるが、それは中学校「理科」と大いなる関係があると思っている。
大人になっての「科学観」も、実はこの時期につくられた「科学観」に左右されることが多いのではないだろう。
パブリックな視点で考えてもそうである。
義務教育仕上げの3年間で、科学的「知識」獲得は義務であり、権利であるはず。
等身大の「ふしぎ!?」を置き去りにしたり、捨てやるのか、それとも、それを「等身大の科学」にまで高めるのか。
分岐点は、ここにある。
細胞で言うなら、この時期は「幹細胞」期にある。

 さらに具体的なことは、後日つづける。

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「時空を超えて学びあう」ことの可能性

Dscf6425▼私は、今朝の4時をすぎたので、このblogを書き始めている。これが、どうやらやっと私の日常の「習慣」として定着してきたようである。ふつうの日の、「おつとめ」になってきているのである。
内容は、シリーズのこともあるが、基本は日替わりメニューである。定番、長期計画はあるが、書き始めて変更することもしょっちゅうである。
今日は、実は「等身大の科学」シリーズを続けようと思っていた。
▼これを書き始める前に、今週に中村敏弘先生から送っていただいていた『まんさくの花通信120号』を読み始めていた。故高橋金三郎先生の「理科教育入門」が記載されいる。
 金三郎先生の文章を読んだときの感想は、いつも同じだ。
「この文章はほんとうに46年も前に書かれたものなのか!?」
「今の今書かれたもの」と言われても、私はまったく疑わないだろう。それぐらいそこで語られる提言の数々は今日的であり、リアルなのである。
▼これまでにも、一時期、通信を発行していたころ、通信に対してハガキにて何回か貴重なコメントをいただいたことがある。何回かお会いして、お話を直接聞いたことがある。でも、やっぱり私にとっては「遠い人」なんである。
高橋金三郎先生は。
でも、幸いなことに、私たちは金三郎先生が書かれたものを通して今も先生から学び続けることができる。ありがたい限りだ。けっして「過去」の話としてでなく、まったくのリアルな話として…。そんな意味で「近い人」なんである。
▼次のコトバは、【理科の部屋】への呼びかけに長く使い続けたことばである。

 (^o^)/ あなたもここで情報発信者に\(^o^)   
 情報は、発信されるところに集まる。
 あなたがノックされるところがドアです。
 時空を超えて響きあい・学びあい・高めあう世界を

Webの世界もどんどん進化していっている。私たちは、そんな意味ではすばらしい時代に生きている。高橋金三郎先生のような「遠い人」からも、「近い人」にして時空を超えて学ぶことができる。
 それにとどまらない。
 さらにWebを駆使すれば「学びあい、高めあう」ことも可能になってきているのでは…

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「常民の科学」から「等身大の科学」へ

▼このごろの毎日には、なにか仕事にはりがない。仕事量が少し減っているわけでもない、いつもことであるが遅々たる歩みであるものの、やるべきことはやっているつもりでいる。
いろんな「整理」でそれなりに忙しく時間がすぎていく。でもなにかがたりない。
持病の「ばっかり病」が発症していない。
 それは、どうやら授業をやっていないことと関係をしているようだ。
授業がつまっている学期中は、時間がいくらでも欲しいと願うくせに…。
▼少し、この時期にしかできないことを考えておこう。
その中心的仕事=授業のことと関連させながら…。
「何を教えたいのだろう」
「何を学ばせたいのだろう」
その自問自答を繰り返してみる。
▼今、やっぱり浮かびあがってくるのは、
「等身大の科学」「熊楠の科学」「ファラデーの科学」…
そして「常民の科学」。私はかつて
この「常民の科学」を授業化することこそ、私のライフワークである
とオオボラをふいていた。では、「常民の科学」とは、いったいどんなものもイメージしていたのだろう。
すべてをのべているわけではないが、なんとなくそんなことかなと思い出すことできる拙文を残している。
■『常民の科学』を授業に!!
 もともとの文章は、今から20年以上前に書いたものだ。それにしても、Webの時代とはありがたいものだ、20年以上前に書いたものを瞬時にひっぱりだせるのだから。
そこでは、「常民の科学」を次のように説明している。

 それは,営々とした生活体験,生産労働のなかから生まれ,そして,常民の「知恵」として,あるいは「技術」として結晶化してきた 

ずいぶんと乱暴な言い切りである。すべてを語っているとはいいがたい。
その後、20数年で、ここで提言したことがどれだけ実践できたかというと、なんとも恥ずかしい限りである。
ただ、このときの思念が消えてしまったわけではない。頭のどこかには置いておいた。
その「常民の科学」と、今もっとも教えたい科学とする「等身大の科学」、それはどんな関係にあるのだろう。
もう少し考え続けてみたい。今だからこそ…。

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今、「等身大の科学」とは

▼ものごとを思考するということはきわめて楽しいことである。思考するの楽しみのなかでも、いちばん面白いのは「発見」することである。
 自分の頭のなかに、求めていたものを「発見」するとき、これが至高の時である。
▼「卒論」をくりかえし読んでいた。本も、何冊か平行して読んでいた。
年度末の「整理」もぼちぼちながら進めていた。
次年度のある程度の授業のビジョンも描いていた。
次元もまったく違うことがらをバラバラに思考していた。そしたら、いつもあるところに決まって行き着いた。
それが
「等身大の科学」
▼「等身大の科学」これってなんなのだろう。未来の自分のために少し整理をしておきたい。
「等身大の科学」とは
(1) 等身大の「ふしぎ!?」を置き去りにせずにつないだら行き着く科学
 例) コウガイビルの科学 ヒガンバナの科学 

(2) これからの理科の授業で、もっとも大切にされるべき科学
 ・極地方式研究会の「高いレベルの科学」との関係、これは当面の宿題

(3) 「等身大の科学」は、Webの時代の今日、まったく新たな可能性が生まれつつある。
 ・「等身大の科学」のルーツ(歴史)
 ・それは考え方として理想形であっても、「概念」に終わっていた、でも今はちがう。具現化の可能性が出てきた。
 ・等身大情報を時空を超えて「つなぐ」ことが可能になりつつある。

(4) 「等身大の科学」の有効性をかたちにする試みをはじめよう。 
 ・可能な小さなことからはじめる。
 ・#e_textbookの試み
 ・等身大の「ふしぎ!?」からはじまった教材の開発
  実は今の定番実験もそこからはじまったものが多い。そういう意味では「現代教材発展史」も必要。

(5) 「くらし」と「学び」をつなぐもの、それが「等身大の科学」
 ・私にとっては「常民の科学」が進化したもの
 ・21世紀型「学問のすすめ」の中心概念
 ・日々の「くらし」のなかにこそ、「発見」されるもの
 
今日も「くらし」のなかで思考をめぐらしてみよう。きっとなにか「発見」があるに違いない。きっと…

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(8)

Dscf6392▼昨日の朝、校庭散歩に出かけるころには、雨はあがっていた。桜のつぼみもみどりをましていた。おちつ水滴がきれいだ。坂道をあがって左へおれると、そこにはクヌギ林、そには例の「繭」がまだぶら下がっていた。変化はあるようで確かにはわからない。はっきりとした変化はいつなんだろう。そして、何がでてくるのだろう。いつも未来は期待と不安がまじっているもの。
Dscf6396▼卒業生たちの置き土産をつづける。
卒論にも未来が語られている。

・科学技術の発達により、私たちの生活はより豊かに、より便利になりました。身近なものでパソコンや携帯など人々の生活に欠かせない物です。これからももっと発達していくと思います。アニメで、車が空を飛んでいる世界を見たことがあります。その時はこんなのありえないだろうと思いました。でも、社会でならった縄文時代などから今の生活もありえない発達だと思います。だから、いつか夢みたいな生活をおくる日もくるんじゅないかと思います。
 しかし、人の生活がよくなるにつれて環境はどんどん悪くなっています。昔は自然との共存でしたが、今は人工のものとの共存という生活になってしまいました。…私にできる事さがして、小さな事でも実行し、自然を守り、環境にやさしい科学技術が、たくさん出来るといいなと思います。

未来に、どんな「科学技術」が…。

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(7)

▼またしても雨だ。昨日の夕方から続いている。少しあたたかな雨粒を、顔で受けつつ思った。「この雨粒の大きさは…?」「この雨は、どんなメカニズムでふってくるだっかな?」「どのぐらいのスピードで…」。あれ、どこかで書いたような気がする。Webで書いたものを調べてみた。
あった。科学読み物「雨粒の形と大きさ」
 でも、一度書いたからいつもそれがわかっているわけではない。アタリマエで通り過ぎてしまっていること、等身大の「ふしぎ!?」を置き去りしていること、そんなこといっぱいある。
ときには、それらを引っ張り出してきて、ならべてみてつないでみると面白い発見があるかも知れない。
▼卒業生たちが残してくれた「置き土産」の卒論『科学技術とこれからの私』から、気になるフレーズをひっぱりだしてならべてみよう。あたたかい雨粒を顔面で受けながら考えたこと。
順番はまったくのアトランダムである。
・自然環境を守る
・進歩
・家電製品
・ハイブリッドカー
・液晶テレビ
・LED
・ケータイ電話
・ナノメートル
・LSI
・ロボット
・ロボットアニメ
・機動戦士ガンダム
・3Dテレビ
・水素で走る自動車
・機械で動く義手
・低燃費の車
・パソコン
・地球温暖化
・エネルギー資源
・国際協力
・資源の有効利用
・空を飛ぶ車
・消化器
・アトム
・エコ
・CO2の削減
・太陽光発電
・自然と共存
・化石燃料
・大気汚染
・原子力発電
・風力発電
・燃料電池
・ダム建設
・人とのコミュニケーション
・ロボット産業
・ヒトゲノム
・情報網の発達
・携帯電話
・ミュージックプレーヤー
・福祉
・医療
・人工葉緑体
・CD
.SDカード
・絶滅危機品種
・ゴミ問題
・資源の無駄
・環境問題
・原子
・二酸化炭素
・無限エネルギー
・iPS細胞
・労働
・資源の枯渇
・電子教科書
・電気、電池、磁石
・ガリレオ
・ユニバーサルデザイン
・ダイオード
・金属
・光ファイバー
・形状記憶合金
・微生物の分解
・放射性物質
・天然ガス
・エジソンの「蓄音機」
・感動
・発見
・コージェネレーションシステム
・メタンハイドレード
・温室効果ガス
・希望
・エコバッグ
・バイオマス
・ファインセラミックス
・スーパーコンピュータ
・ガン
・原爆

以上である。ものもあるし、そうでない場合もある。ともかく現れた気になるフレーズをならべてみた。
混沌としている。卒業生たちは、それぞれの文脈でこれらをつないでみたのだ。


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【Web更新3/14】10-11【自然・人間・科学】更新

Dscf6357
 今年もまた きみたち送り サクラ待つ
  10/03/12 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-11
 週末定例更新のお知らせ
 今年に入って11回目の更新である。年度末である。いろいろな「整理」で忙しい、忙しさで「心を亡ぼすことなかれ」と自分に言い聞かせながらも、最近はほんとうに忙しいときにこそ、なんか「心(志)が見えてくる」などと思ったりもする。時間の枷をつくることでいろんなものが削り落とされるためだろうか。
 さて、この一週間で何が見えてくるだろう。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ サクラ
 サクラほど樹木のなかで、「校庭」に似合うものはないだろう。そのサクラの樹皮で、草木染めに挑戦したいと思ったのはいつの日だっただろうか。樹木というものは、ほんとうに面白い。
 季節それぞれに、自らの姿かたちを変えつつも、変わりゆく人間をながめ続けている。校庭の桜は、学校の歴史をながめ続けている。ちょっと桜と対話してみたくなった。

◆【自然・人間・科学】更新 卒業生が残してくれた卒論『科学技術とこれからの私』から学ぶことを続けている。そこには、科学教育のこれからに示唆を与えてくれるものもいっぱいつまっているように感じている。
もう少しつづけてみるつもりだ。

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(6)

Dscf6373▼春が一挙に近づいてきた気配がある。いや、きっともう春なんだろう。私の「大賀ハス観察池」にも春はきていた。それをいちばん感受しているのは、そこに生きる「いきものたち」だ。水面を元気よく上下運動をくりかえすボウフラたち、そして水面にはすでに飛翔し落下した死骸の群れ…。よりダイナミックな「生命の営み」がそこにははじまっていた。大賀ハス植え替えから50週目である。そして、今年の植え替え2週間前である。
▼「卒論」読みは、いつしかもっとも根源的な問いかけに向かっていた。
その問いかけとは
・「科学とは」
・「科学技術とは」
・これからの「科学教育(理科)とは」
いまのところ、この問いかけに応えるもっとも有効な手持ちの札は
「等身大の科学」である。
▼わずかに歴史をさかのぼろう。100年前にもどろう。
『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著)の第一章は「「二十世紀の豫言」と現代」である。
100年前の「科学」「科学技術」と現代のそれらを比較検証することにより、もっと根源的な問いに答えようというのである。なかなか説得力のある手法である。ちょっとなぞってみる。
「二十世紀の豫言」の特徴を三つあげておられる。

「二十世紀の豫言」の特徴の第一は、当時普及しつつあった電気に大いに期待をかけていたことである。電気は、夜を昼よりも明るく照らし出し、摩天楼に多くの人々を運び上げ、デパートや遊園地を娯楽のパラダイスとした。一九〇〇年のパリの万国博覧会での電気宮の出現は、まさに電気の時代が来たことを宣言することになったのだ。(同書P23より)

「豫言」の第二の特徴は、物理的な発想が中心で、生物学や化学についての言及が少ない(あるいは無理解である)ことだ。この時代は、ようやく化学の分野が開けはじめたばかりの頃で、まだ石炭や石油を原料とした化学工業が発達していなかったためであろう。また、生物学や医学も経験主義的な段階であり、普遍的な法則に則って未来予測をすることはまだできなかったのだ。(同書P23より)
特徴の第三点は、人類が自然を支配し尽くし、科学の発展によって明るい未来が来るという楽観主義である。文明開化を経、西洋列強に伍して海外進出を果たそうとする時代の雰囲気をよく反映している。それによって、「男女ともに大学を卒業するのが当たり前」というような健康な予測をするとともに、「空中軍艦・空中砲台」のような物騒なものも平気で空想することになる。西洋では、明るい未来とともに、ジュール・ヴェルヌの小説にあるように科学(者)がもたらす害悪についても警告が出されていて、科学の発展についてアンビバレンスであった。それに対して「豫言」は徹頭徹尾楽観的である。おそらく、科学の実相がまだよく知られておらず、科学の力をひたすら賞賛したためではないだろうか。(同書P24より)
 

非常にうまいまとめである。100年前の「科学」「科学技術」が見えてくる。
▼では、100年後の今、「二十一世紀の予言」は、15の春がとらえた「卒論」のなかにあるのではないか。
それが、私の文脈である。
 もう一度、その文脈のなかで「卒論」読み直してみようと思った。

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(5)

Dscf6361▼確実にいろんなところに春は顔を出している。それを感じているのはどこなんなんだろう。そう判断しているのはどこなんだろう。そんな「ふしぎ!?」の不思議を考えながら、まわりの野山、空をながめていた。
野にあればは、一挙に目立ちはじめたホシノヒトミがあった。
ホシノヒトミには、どんな風景が映っているのだろう。
▼まだ、まだ続けて「卒論」を読む。
「等身大の科学」を鍵に読もうとする。
しかし、それはあくまで私の文脈での読みでしかない。読みながら、分析したり、統合したりを繰り返してみても、見えてくるのは、架空の文脈でしかない。
ひとりひとりの「卒論」が、書いた人間のなかで完結している。
その様からも大いに学びたいものである。

・小学生の頃、僕には一つの夢がありました。それは人工葉緑体を作ることです。もし、こんな装置があいれば、地球温暖化はくい止めることはできる!!と考えたのです。中学生になり、ある科学の本を読むと、この装置のしくみについて書いてありました。正直、はじめはすごく驚きました。そんな簡単に作れる物だと思っていなかったからです。もっと生活に密着したものだと、CD,SDカードなどです。僕はいつも「なぜこんな物に情報が処理されるのだろう?」と疑問を抱きます。…

・私は、最初電流とか電圧の実験があまり好きではありませんでした。ややこしいし、計算もあるしめんどうでした。…私も今では作業は好きではないけれど電流とか電圧の勉強は好きです。今はめんどくさいとか思わなくてなんでこうなるんだろう?とか だからこうなるんやって電気系に興味を持つようになりました。

それぞれの文脈のなかにそれなりの「科学技術」「科学」がある。

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(4)

Dscf6308▼卒業式の翌日。つまり昨日は、おそろしく寒かった、雪が朝から舞っていた。それは、なんとも驚きであった、季節の変化はけっして直線的ではない。しかし、逆戻りしたりしたかのように見えるだけだ。位相が少しずれながらも進んでいるのである。それは、螺旋的である。
 自然界には螺旋形がもっとも似合うのである。
▼そして、今日は多くの卒業生が受験をした。
私は、淡々と卒業が残してくれた卒業論文を追う。授業の一コマ一コマを思い出しつつ。
卒論から読み取りたいのは「これからの科学技術」「これからの科学」だ。
読み取ろうとするとき、鍵としているものがある。
それが、「等身大の科学」だ、自分でもいつから使い出したのかは、はっきりとしない。
誰かの受け売りだろうか。きっとそうなんだろう。私に、そんな独創的なものがあるはずがない。
ただはっきりしているは、今、私が「科学とは」の問いに対して、いちばんピッタリとする言葉だ。
▼卒論を読みながら、同時にこの「等身大の科学」を追いたいと思っている。
Googleで「等身大の科学」に検索をかけてみる。
第一にあがってくるのはやっぱり次である。
■『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房 2005.1.21)
いま、卒論を読むのと平行して読み進めている。
第二にあがっているのはか福岡伸一氏が『ソトコト』に連載している『等身大の科学へ』である。
そのことは以前から少し気になっていた。いつかこの連載が、単行本されることを願っている。福岡伸一氏が「等身大の科学」をどのようにとらえているのか。これはとても気になるところである。
今回の「発見」は、次の論文だ。
■『等身大の科学とバイオメカニズム』横井 孝志著 産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門
バイオメカニズム学会誌 31(2) pp.69 20070501の巻頭言である。
みごとな提言である。

 このような制御不能の状態をどのように打破すればよいのでしょうか。そのひとつとして等身大の科学が提唱されています。すなわち科学技術を身の回りに起こる具体的現象と結びつけて正しく理解するとともに、身の回りや日々の生活で起こる現象を科学の俎上に乗せようという提案です。この中では、まず科学者が様々な科学技術の内容や発展の歴史を、その功罪や面白さを含めて専門家以外の一般の人々にも幅広く正しく伝えること、そして、身近な現象の中に様々な興味深い科学の種が数多くあることを具体的成果として示すことが重要だと述べられています。そう簡単なことではありませんが、こうすることによって科学が一般の人々にもリアリティーをもって受け入れられ、その適正な運用が可能になるかもしれません。
 

 私にはこの提言が生徒たちの「卒論」となんの違和感もなく同列の響きをもって聞こえてくるのである。
そして、これだ!!と私は膝をたたくのである。

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(3)

Dscf6301▼昨日は卒業式。ハレの日は、天気もうれしい晴れの日となった。
青空がこんなにも、うれしい!!ものとは
卒業式の答辞にあった。「阪神淡路大震災から15年…」
その15年間生きてきた卒業生たちの眼には「科学技術」「科学」はどのように映っているのだろう。
▼卒論をつづける。

・中学校に入ってからの理科は結構楽しくて特に、2分野が好きです。
最近は、色んな事が不思議に思えてしまいます。宇宙のことを学習してからは特にです。
それから、科学技術のことを学習してからも…。色々な科学技術者が、生活をより便利に、よりよくなるために開発してきた『もの』が私たち暮らしを支えています。私が生まれるずーっと前から研究、開発してきたものを私はあたり前のように使っています。…

・科学技術は、私たちがこれから住みやすい安全な暮らしが送れるためにこれからもっともっと進歩していくと思います。それに、もっともっと進歩してほしいと思います。でも、その科学技術は人間を傷つけるためでなく、救うために使って欲しいです。

・ぼくはこれらの学習をして地球温暖化に興味をもちました。今、地球では二酸化炭素を排出しつづけています。それは地球にはよくないです。

・これからの社会はコンピュータ化すると思います。たとえば、学校で使う教科書はすべてパソコンになることや、家に一台ロボットか置いてあったり…、いろいろあると思います。

・今まで私は「私が科学のことや技術について勉強したところで、何も関係ないだろう」と思っていたけど、今回このことついて勉強して、改めて考えてみると、思っていほど無関係というわけではないかと思いました。

まだ、まだ続く。

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(2)

Dscf6258▼卒業式の前日の昨日、空は泣いていた。それだけではなかった、より北の山の斜面は、いつもならそこに「雲の発生実験」がおこなわれている場所だ。そこが、なんと白いのである。雲の白ではない、それはうごかない、はりついた薄化粧である。
 「えっ?」「雪!?」確かに寒いしかし、この季節に…。目を疑った。
いや、天気予報でもそれは言われていたから、そんなにビックリすることではないはず。でも、やっぱりビックリはビックリである。昼間、雨だと思っていたみぞれまじりとなった。さて、今日はどうだろう。
 今日はハレの日、特別の日だ。天気の方も「晴れ」を願うばかりである。
▼卒業生が教えてくれたものを学び続けてみよう。卒論『科学技術とこれからの私』である。
実は、このテーマを考えるときにずいぶんと迷った。
それは、「これから」の位置である。とても些細なこと、国語の文章の問題のように思える。しかし、それは私には大きな問題に思えた。
『これからの科学技術と私』と
『科学技術とこれからの私』
とではずいぶん意味がちがってくるように思えた。主体がどちらにあるのか問題だ。
前者では、科学技術礼賛、享受する「私」のシナリオに傾くような気がした。
後者なら、より科学技術を、これからの「私」に引きつけて考えられるように思った。少しオオバーに言えば、自らの生き方、くらし方にひきつけて「科学技術」をとらえられる。そう思ったのである。
だから、迷った末に後者を選んだ。
こちらの方が「等身大の科学」に近いという判断である。
▼ここで、今度はある小さな試みを自分に課した。それは、生徒たちの卒業論文を読みながら、平行して
■『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房 2005.1.21)
を再読することである。
 昨年出会った本のダントツ ベストワンにあげた本だ。まだ、自分の文脈では読み切っていない。
生徒の卒論ととも、「これから」を教えてくれている。
これらを平行し読み続けると、きっと交叉するところがあるのではないか。
そこに、熊楠の言う「萃点」があるかも知れない。

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【卒論】『科学技術とこれからの私』より(1)

▼今朝起きて、外にでたらまたしても雨だ。なんということだ、卒業式も近いというのに…。
例によって、今日の天気のツボと天気図をみて、今日から明日にかけての天気の変化を予想してみる。21世紀の科学技術を駆使しても、予想ができることがせいぜいである。嘆いてみてもしかたない。予想できることに対応していこう。「つきあっていこう」それしかない。
それを教えてくれたは、またしても生徒だった。
▼明日、卒業式をむかえる生徒に、中学校理科をふりかえりつつ未来に向けて、二つの卒業論文を書いてもらった。
『○○の自然と私』
『科学技術とこれからの私』
の2題である。卒業式の準備などでバタバタとしていて、この貴重なものを後回しにするところであった。
少し整理をすすめながら、この論文から学んでいきたい。
「最もよく学ぶものこそ最もよく教える」の鉄則に従って
▼では何を学びとるのか。
15の春がとらえた「科学」とは
15の春がとらえた「科学・技術」とは
15の春が描く「未来の科学技術」とは
そこに、きっとそこに、これからの科学教育(理科)を考えるヒントもあるはず。
書かれた論文を読んでいると、第一論文のときと、同じ少し恥ずかしい気分になる。
自分の思考回路が硬直していることに、読む前に、教科書的シナリオを描いてしまっているのである。
15の春の思考は、もっともっと柔軟である。

・科学技術の発展は人間の発展と言い換えることができると思います。しかし、私たちにとって良いことばかりではありません。と言っても今から原始時代へもどるすべもありません。(もちろん戻りたくもありません)今ある科学を発展させることばかり考えるのでなく、どう付きあっていくかということを考えるべきだと思います。

思わず、うなずいてしまう。

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【Web更新3/7】10-10『新・私の教材試論』等

Dscf6236
 啓蟄や 伸びて拡げん 明日のきみ
  10/03/05 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-10
 週末定例更新のお知らせである。この更新も2010年になって、はやくも10回目となった。究極の整理は時間軸を導入にある。整理というのは、カオスから創造に向かうプロセスである。そう考えるとき、絶対軸が必要となってくる。そこに「時間」がある。この世のすべての「ふしぎ!?」を解く鍵「時間」 それを意識する一週間にしよう。

◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ アジサイ
 一雨ごとに、春にむかっていく。そんなとき、校庭のアジサイの新芽をみつけた。新芽は無限の可能性に満ちていた。まるで幹細胞を可視化したかがごとく、そこからすべてがはじまる。新緑も、あのみごとな色の花も…。それはまるで「進化」のプロセスを濃縮したがごとく。小さきもの、新しきものにすべてがある。

◆『新・私の教材試論』更新
 とぎれとぎれに書いてきた教材も、かなり長く続けることになった。予定では、このあと一年間は続けるつもりである。今、ふたつばかりの結論めいた仮想目標をもっている。
・定番実験の教材開発史を書こう。
 これからの教材開発のために…
・新しいテキストづくりに収斂させよう。
 #e_textbook
である。ゆっくりとゆっくりと歩をすすめていこう。

◆【新・クラウド「整理学」試論】更新
 この試論も、どうやら他の試論とともに同じところに収斂していくような予感がする。
それが、 #e_textbook なのかも知れない。
 そこまでの「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」も、着実にすすめていきたい。
一週間でどこまですすめることができるだろう。

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新・クラウド「整理学」試論(16)

Dscf6244▼「大賀ハス観察池」に雨が降っていた。49週目である。植え替えからもうすぐ地球は、太陽のまわりを一周してくる。と言うことはアタリマエだが、この大賀ハスも太陽のまわりを一周してくるということである。その間に、この「生命体」にどんな変化が起こったのだろう。そんなことぼんやりと考えながら、観察池の水面に落ちる雨粒をながめていた。
▼一方、「地球の鼓動」たるTwitterの方は、はじめてから地球は太陽のまわりを半周もしていない。今日で166日目である。しかし、大賀ハスの変化にまけないぐらいどんどん変化している。
 昨夜、その私のTwitterにちょっとしたイベントごとがあった。
●「Twitterは何を反映し、何を生み出すのか?」というディスカッションのUSTを使っての実況
である。
 けっこう面白かった。自分の文脈で追いながら、ちょこっとだけリアルタイムにも参加してみた。
 あの「tsudaる」の津田大介さんたちによるものだった。
さすがだと思った。Twitterの今とこれからが語られていた。
大いに同感するところも多かった。
▼それを受けて、もういちど「私のTwitterの今」をまとめておきたくなった。
100日過ぎたあたりで書いていたことをもう一度並べてみる。

【ステップ1】blogとつなごう。とりあえずblog更新の度に「つぶやこう」。
【ステップ2】自分のTLをコントロールをしよう。
【ステップ3】「情報は発信するところに集まる」ここでも有効である。
【ステップ4】等身大の「つぶやき」をつづけよう。
【ステップ5】SNSとTwitter「つぶやき」でつなごう。
【ステップ6】三行レポをTwitterしよう。三行レポの内容は授業報告、実験・観察報告等々である。
【ステップ7】研究会・イベントを「tsudaる」って、「おすそ分け」をしよう。
【ステップ8】Twitterでリアルタイム「自然の観察」やろう。
【ステップ9】Twitterでリアルタイム教材情報を入手しよう。新鮮!!「今」を教材化しよう!!
【ステップ10】Twitterで「授業研究」をやろう。

・これは単なるツールではない、メディアであり、メッソッドあり、コンテンツそのものである。
・ネットの最も原始形それがTwitterである。
・原始形だからこそ、如何様にも進化する可能性を持っている。
・Twitterは「カオス」であり、その分だけ「クリエイティブ」である。
・Twitterは幹細胞のようなもの、いかなる器官にもなりうる。全能性をもつ。
・Twitterは、今、もっともTwitter的である。

基本的には、このときからあまり変化していない。
▼ここのところのタイムラインに現れている変化は、これまでに確認してきたことの実感!!である。
「ほんとうにそうなんだ!!」と再認識の連続だ。
ややホンモノに近づいてきたのかも知れない。
今やりたいこと。それは「ハッシュタグ」と「RT」をうまく活用しての
●「Twitter授業研究会」 #twjugyou
●「電子教科書」具現化への歩み #e_textbook

の展開である。
まだまだ、刻々と「地球の鼓動」は変化していくだろう。

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新・私の教材試論(27)

▼行事ごとがあるときには、天気の変化が気になるものである。来週には「卒業式」がひかえている、だからこの後大気はどのように動いていくのか気になるところである。「にわかお天気予報官」になって、空と天気図ながめながら考えてみたりする。それも、また楽し!!
▼授業は終わってしまった。いろいろ「整理」していこうと思う。最後の授業の実験を思い出していた。もう少しこだわってみよう。これまでにも、けっこうこだわってきた。この実験に関して、実践報告を書いたこともある。
※「水からほんとうに水素が出てくるか?」楠田 純一『ストップモーション方式による授業1時間の授業技術 中学理科2年』(学事出版 1990)
 それは、もう20年も前のことになる。その後も、何度か実験書に紹介したこともある。
ともかく、ながいあいだの私の「お気に入り実験」である。
▼どこが気に入っているのか。それは、この実験の開発者である故古川千代男先生と共通するところがある。
今回のランキングでも、けっこう上位に入ってきた「水の電気分解」であるが、ここにはちょっとダイレクトさを欠く点がある。水の電気分解をするのに、うすい水酸化ナトリウムを加える。もちろんこれは実験の操作上のことと、簡単ながしてしまってもいいのかも知れない。
 「あの水から水素と酸素を取り出せる」そこに焦点化していけばいいだけである。
 でも、どこかにすっきりしないものがある。
もっと、ストレートに行かないものか。
「化学反応式で考えていいんだ!!」
「原子が見えたら、物質の世界は簡単!!」
それにダイレクトに応える実験が、これだと思っている。
▼昨日書いた「水の成分をマグネシウムで調べる」古川 千代男『やさしく本質的な理科実験3』(評論社)
によれば、この実験のルーツをヴェルホフスキーの『化学実験教授法』でみつけている。
マグネシウム点火を「ニクロム線にリモコン点火」装置にしたのが、古川氏の開発したところであるという。
これはすごい開発である。
「3K(感動・簡単・きれい)」に「1A(安全)」をプラスしたのである。
これで、安全に確実に成功するようにしたのである。
▼こんな、すばらしい実験なのに、まだまだ定番化していない。それはすごく残念である。
そこで、この実験の普及に挑戦してみたいな。と思ったりする。
点火装置自体は、ステンレスの焼串を利用したりして、比較的簡単につくれそうである。と言いながら、私自身は、古川先生から分けていただいものをずっと使っているのだが…。(^^;ゞポリポリ
どこかで、共同でこれを「作る会」をしたいな。
次に、点火のために、ニクロム線に電流を流すのに、今回もスライダックスを使用したのだが、持ち運びに大変である。だいたい10V~20V電圧があれば、十分なのである。今のことだから、なにか別の方法は考えられないだろうか。そして、加熱であるが、今回はあえて普通教室でやった。
トーチランプで十分だった。
 よりこの実験を進化させていけば、いつでもどこでも体験することができるようになる。
そしたら、この水の「ふしぎ!?」を、簡単に見せることができるようになる。
春の陽気とともに、またひとつ「夢」がふくらみだした。

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【授業】最後の授業で「水から水素をとりだす。」

▼最後の授業だった。何をもってくるか、いろいろ悩んだ。印象の残る【実験・観察】ランキングから、人気の高いものの再度も考えた。しかし、あまり時間もとることもできない。
短時間で、なおかつ感動できるもの、「3K1Aの法則」「3Hの法則」の適合するもの。
ひとつあった。と言うよりやり残していた。
還元のところでやろうと準備しながら、一度は予備実験に成功しながらも、久しぶりなので、なかなか確実にということはなかったので後回しにしたままであったのだ。
その実験とは「水から水素をとりだす」というものだった。
▼この実験とのつきあいも古い。
開発者は、故古川千代男先生だ。実験装置は、古川千代男先生から直接わけていただいた。
古川先生は、実に多くのすぐれた実験を開発しておられる。実験名人中の名人だ。
その古川先生自らが『やさしく本質的な実験3』(高橋金三郎・鈴木清龍・若生克雄共編 評論社1985.4.10)に書いておられる。

 原子記号を教えるとき、原子表をわたしてやると「水」が原子にないことは知っていることがあったとしても、「水」が「酸化水素」と呼ぶ化合物だというのは不思議なことのようです。水の性質とその成分であるH2やO2の性質が似ても似つかぬものであるという事実は、やっぱり大変不思議なことです。それまで扱ってきた「化学薬品」と違って、水は身近な、ありふれた物質であるだけ、その思いは強いようです。(上記書 P149より)

そうだ!同感である。
この「ふしぎ!?」を中学校理科の最後の授業でやりかったのである。
実験は2クラスともみごとに成功した。

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新・私の教材試論(26)

▼久しぶりに、佐藤可士和の「整理のプロセス」に目をやった。「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」とならべてみる。とっかりはいつも「空間の整理」からはじめっていたはず、でもそれが最近いいかげんになってきている。あるレベルに達すれば、どこからはじめてもいいのだろうが、いつまでも「初心者」の私には、どうやら順番がありそうである。そして、この3つの「整理」にプラスして「時間の整理」が必要なようだ。
▼中学校理科【実験・観察】ランキングにふれながら、続けている教材のこと考えてみる。新・私の教材試論をつづけてみる。
 このランキング、テストに付け足しのようにして聞いたものだ。だから、時間をかけて考えたものでもない、またこちらが実施したものを一覧にして並べておいてえらびだしたものではない。
 記憶だけをたより、そのとき思い出したものを、生徒自身が書き上げたものである。それを加味してもういちどランキングをみてみる。そうすると「これからの教材」に大いなるヒントをくれているように思う。
▼これからの教材に関する私の仮説の法則を思い出してみる。

○3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則
○3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則

まんざらでない。この2つの法則にあてはまるものが多いように思う。
ダントツトップの「土壌動物の観察」には、たしかに「感動!」があった。こんなにたくさんの多様なる生きものが土のなかに生きている。自然界にあって、それなり役割を果たしながら…。けっして単なる「虫けら」ではないのだ。
それは、ホンモノでもあった。
▼カルメラ焼きの人気は、やっぱり不滅だ。この魅力は、法則すべてを内包している。そしてなによりも、自分の手を使ってというところがいちばん受けるのだろう。「失敗」したって、これはまったく「失敗」でない。化学を等身大にひきつけたということでは「大成功」なんである。
鉄と硫黄の化合のインパクトは、教材史が教えてくれるところである。
電気分解関係が多くあがっているのは、示唆してくれているところが大きい。
▼水を電気分解すると水素と酸素が発生する。このときの化学反応式を中学校で最高に重要だと教える。
「原子がみえる」ようにするためのプロセスと考えている。
それは、きっと正しいだろう。
でも、それアタリマエにしていいのだろうか。
考えてみると、滅茶苦茶「ふしぎ!?」なことではないだろうか。
水から「水素」「酸素」が出てくるなんて…
原初なる「ふしぎ!?」を置き去りにしては、すぐれた教材はない。それを教えてくれているように思った。
▼そこから発展して、私は、とってもだいじなやり残している実験を思い出した。
そして、それを「さよなら授業」でやってみることにした。
もうひとつある。教えられることが…。
人気教材には必ず、それなりわけがある。
そして、そのような教材には「教材史」がある。
その「教材史」をたどってみることは、これからの教材開発には必須である。
それは、とても楽しい作業だろう。できるとこからはじめてみようと思う。

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中学理科【実験・観察】ランキング!

▼3月もはやくも3日目である。桃の節句である、里山にも桃の花の色のやさしさが目をひく。昔は、このあたりでも桃を出荷していた。その名残だろうか。ところどころに…。やっぱり確実に春到来である。
それは、一年の「整理」の季節の到来でもある。
▼先日の期末テストのときに、こちらは一年間ではなく「中学三年間の理科をふりかえり、【実験・観察】で印象に残っているものは?」と問いそのベスト3をあげてもらった。その理由も聞いてみた。
選んだベスト3を集約しランキングしてみた。
【第1位】土壌動物の観察
【第2位】カルメ焼き
【第3位】鉄と硫黄の化合
【第4位】水の電気分解
【第5位】ボルタ電池
・イオンをさがそう(「電解質」の実験)
・星空の観察(オリオン座・冬の大三角形)
・塩化銅の電気分解
・酸化銅の実験
・アンモニアの噴水実験
・ブタの心臓の観察
・細胞の観察
・力学台車斜面の実験
・塩酸の電気分解
・還元実験
・生命誕生(ビデオ)
・ワインの蒸留
・環境問題
・太陽系モデル(1/15億)
・植物顕微鏡観察(気孔)
・電流回路組み立て
・だ液のはたらき

とつづく、最近やったものかどうか、テスト問題と一緒だったからその影響もあるかも知れない。
他にいろんな要因があるかも知れない。

 しかし、ここになにか生徒たちが教えてくれているものがある、それも確かである。

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新・クラウド「整理学」試論(15)

▼今朝、起きて外にでたら、西の空に月がぽっかりと浮かんでいた。いや、妙な表現だ、でもそんな感じなんだ。「津波」が、大事にいたらなかって、ほっとした。「津波」で押し寄せてきたのは、海の波だけでなく、なにかTwitter波まで押し寄せてきたようである。もう世界では、ほんとう「地球の鼓動」となりつつある。
・リアルタイムに
・等身大に
我田引水!!これは、私のblogのサブタイトルそのものである。
▼世界を自らの文脈で読む。そんなのつづけてみよう。新・クラウド「整理学」試論をつづける。この「試論」のいきつく方向が少し見えてきたように感じていた。
 #e_textbook 『電子教科書』である。すべてをここに集約する、整理をすること。
それは、当面の目標である。しかし、私のポンコツ頭は、そう簡単に直線的でない。
螺旋的である。
▼「テキスト」づくりと聞けば、やっぱり極地方式研究会にこだわってしまう。
『極地方式入門』(高橋金三郎・細谷純編、国土社1974.3.20))
何十年も何度も繰り返し読んできた。線をひいたり、蛍光ペンでマーキングしたり…、もうボロボロになりかけている。しかし、読むたびに「新発見」がある。
 そういうことだったのかと今さら納得することがある。私にとってバイブルのようなもの。
▼今回の「テキストづくり」にからんでの新発見は、この著の後ろ方にあった。

 ”テキスタイル”ということばは、いつとはなしに造り出され、使用されるようになった。”わたしたち”の造語である(textile=織物ではなくて、text+style=textyleである。)”わたしたち”が教えたい、わかってほしいと願う事柄がきまったからといって、それはまだテキストではない。テキストは、発問と、資料と、実験と、読み物などで構成されるが、とりわけ、どんな発問を、どんな順序で用意するかが重要である。いや、内容がきまってから「さて発問は?」というのでなくて、事例に関する発問、事例を法則の支配下に位置づけさせる発問、等を考える過程の中で、”わたしたち”の中に次なる内容が求められ、獲得されていくのである。(上記書p174より)

いや、実にいい!!みごとな造語である。言葉は、こうして造られるという典型のようなもの。
それにしても、私は、ほんとうに何度もこの本を読んだのだろうか。自分をうたがってしまう。
この短い文章のなかで、”わたしたち”は何度登場するだろう。ここに、「こころざし」が読み取れるというものである。ここに学びたい!! それにしても
”テキスタイル”化
すばらしい言葉だ。
気に入ってしまう。これから、大いに使わせてもらおう。

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【Web更新2/28】10-09新・クラウド「整理学」試論など

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春あらし 最後のプロペラ 飛ばしけり
 10/02/26 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】10-09
週末定例更新のお知らせ

 なんと早いものである。今日から三月なんだから…、地球は太陽の回りを、はやくも1/6周をしたことになる。
月も、またして大きくなっていた。Twitterは「地球の鼓動」をめざすと言っていた。なんともすごい「表現」だと思っていた。しかし、この週末のタイムラインを見ていると、あながちそれは「表現」ではなく、「事実」になってきているのではと思ってしまう。「津波」「#e_textbook」「ジャーナリズムのこれからをめぐってダダ漏れ#adada」等々…。
 「事実」がつながれば、それは「歴史」になる。
 
◆表紙画像集2010 校庭の樹木シリーズ カエデの実
 あいかわらず、校庭の樹木シリーズをつづける。それぞれの季節を象徴するような樹木の姿。それは「季語」となって、自然のインデックスとなっている。(寺田)しかし、それだけだろうか。継続して観察をつづけていると「それだけではないのでは…」という思いが生まれる。ここでも「概念くずし」が必要なのでは…。
 あのカエデは、紅葉の季節だけのものではない。あのプロペラは、生命の営みのドラマをフルシーズンに演じている。春の嵐が、最後まで残っていたプロペラをどこかに飛ばしてしまった。どこに着陸したのだろう。新しいドラマがはじまるのだろうか。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 少し、この「試論」に、具体的な目標ができた。
#e_textbook の取り組みである。これが「試論」のすべてではないが、一部であることは間違いない。
どんな展開になっていくのか。自分でもわかっていない。だが、続けるだけは続けていきたい。

◆【自然・人間・科学】更新
 いろなところに派生してしまっている。それは、もっともなところである。
すべてを含んだ包括的単元であるのだから…。

私としては、200年前のファラデーを、100年前の熊楠を追い続けたい。
そこから見えてくるものがあるはず…。

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