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【Web更新11/29】09-48【地球と宇宙】更新

Dscf3811
ナンテンの 小春日和に 映えたるや
 09/11/26 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】09-48
 週末定例更新のお知らせです。今年も残すところ一ヶ月となってきました。このblogを見ていると、この一年のあいだにもずいぶんといろんなことがあったのを思い出す。その都度いろんな「ばっかり病」にかかっている。
今は、今は「まるごとプラネタリウム」プロジェクト!!である。えたもので年内にどこまで頭のなかに「プラネタリウム」を構築できるだろう。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ ナンテン
 昨日の朝、定番視聴にしている「NHK俳句」の時間帯に、変更して正岡子規のことをやっていた。いたく共感しながら見ていたら番組最後の方になんと子規の業績と結びつけて「Twitter小説」のことが出てきた。
 Twitterと俳句もとっても相性がいいように思う。きっと、いろんな展開がおこってくるだろうな。それを利用して、私も少しは、ここの一句 上達したいものだと思う。
 校庭に話をもどす。実は、ナンテンの実は、お正月用にとっておきたいところなんだが、小春日和(こういうには時期が遅いのかな)の冬の足音が停まった日。あまりに美しく映えてみえたもので

◆【水溶液とイオン】更新
 授業としては、いったん終了した。感想を読んでいると、少しやってみたいことも出てきたので、卒業までに時間があれば「特番」授業を考えてみたいと思っている。

◆【地球と宇宙】更新
 先に書いたように、自分の頭のなかに「まるごとプラネタリウム」構築からはじめている。少しずつ、少しずつ時間をかけて行く必要があるようだ。まずは「観察」からだ。
そして空にむかって問いかけてみよう。
「私はどこにいるのか」
「私はどこからきたのか」
と。

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見えないものが見えてくるとき

Dscf3836▼今朝の我が「まるごとプラネタリウム」も美しい!!。稼働中だ!!゛流星のオマケまでついていた。
昨日は、大賀ハスの植え替えから35週目だった。この何週目の換算だって、元をたどれば、「まるごとプラネタリウム」の観察・観測から導かれたもの。そう考えると、「まるごとプラネタリウム」は、すべての科学の生みの親なのかもしれない。
▼単元【水溶液とイオン】の生徒の感想がでてきた。大いに教えられ学ぶところがあった。
「感動」すらしてしまった。
自然は最高の教科書!!
子どもは最高の指導書!!

私自身の学びと感想を記録しておこう。
▼まず最初に、率直に不思議に思うのは、どうしてこの「イオン」が中学校理科から消えていたのかという疑問である。けっして子どもたちは、これを理解困難なって思っていないし、寧ろ「知りたがっている」という事実だ。

●”イオン”という日ごろから聞いた事ががありましたが、実際にどんなものか知りませんでした。だから、理科の授業を通して”イオン”の事をくわしく知ることできたので、とても勉強になったし、知識が増えたとてもよかったです。
●部屋の消臭スプレーに「銀イオン」と表示されていて、イオンって何なのか?と思っていました。でも、学習して、銀イオンの正体がわかり、とってもうれしかったです。
●時々、スポーツドリンクのペットボトルに「陽イオン」「陰イオン」記されているのを見て「これって何やろ…」と思っていたけど、この分野を勉強して少しはっきりした。でも、そのイオンをどうやって単体でとりだしているのか、また、イオンが人にどのような影響を与えるのかが気になった。
●マイナスイオンとかTVで言っていたのが何か分かってよかった。

▼少し我田引水になるが、
「はじめにイオンありき」の展開を指示してくれるものもあった。
●いちばん印象に残っていることは、原子のなかに、原子核があり、さらにそのなかに陽子と中性子があるということです。原子の中がこんな構造になっているなんて正直信じられません。よくこんなことが発見できたなあと思いました。
●私たちの身近に電気を通すものがたくさんあってとても驚きました。目に見えないところで原子が電子を失ったり、受けとったり…。ぱっと水溶液の色が変化したり、気体が発生してことがわかるけど「原子が…」と言われても目に見えないとしっくりときません。私達は、そのことが今の時代、当たり前だから納得がいくけど、一番最初に発見した人(ガルバーニ?)はすごいなぁと思いました。
電気がもっと進化して便利でエコな社会になればいいなぁと思いました。
●僕は、イオンというのは名前は聞いたことがあったけど意味は全然知りませんでした。でも勉強するうちにイオンのことが分かるようになってきました。水溶液の中は目に見えないけど、その目に見えない世界で、物質どうしが、ひっついたり、離れたりしているということが分かって、イオンの勉強するのがとても楽しくなりました。
 このイオンの勉強をして、目に見えない物質の世界を少し知ったようなような感じがしました。この勉強を通して、僕たちが知らない世界がまだまだあるんだなぁと思います。そして、もっとイオンのことついて、知識を深めたいとなぁと思いました。
●この学習をするまではイオンって何?という疑問がありました。電子を失ったり、受け取ったりしてできた物と学習してから、「マイナスイオンでウイルス除去」どうやってするのかなぁと考えていました。ものすごく考えたけど。やっぱ無理ですよね…。
●イオンの働きで電気が発生している事を学んでおもしろかった。今まで電池は、電気がだんだんたくわえられていると思っていたのでびっくりした。イオンの移動を見つけた事が本当にすごいなと思った。また、実験がしたいです。

 まだ、まだある。
少し圧倒される思いで読ませてもらった。
▼「イオン」の面白さを、あらためて教えられたような思いだ。
◎「イオン」は面白い。難しくない。
◎やっぱり「はじめにイオンありき」だ。
◎みんなが「イオン」ついて「ふしぎ!?」を持っている。
◎身の回りにイオンいっぱいだ。
◎電子のやりとりで、ドラスティクな変化。そこにこの学習の醍醐味がある。
◎「イオンになりやすさ」は少しやった方がいい。

等々他にもいっぱい学んだことある。
そして、なによりも教えられるのは

◎見えないものが見えてくるとき、そこに「感動」が生まれる。

ということ。

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「プラネタリウム」に行ってみたくなった。

▼昨日は、ひさしぶりに夜が遅かった。眠る前にもオリオンを確認しておいた。今朝、早く起きてすぐ、また外に出てオリオンを確認した。「まちがいない!!」動いているように見える。こんな初歩の初歩の「観察」から「まるごとプラネタリウム」プロジェクトをすすめている。あきらかに、空を見上げる頻度がふえている。あの「雲見」の連帯のときのように、今度は昼夜問わずである。
▼そうこう考えるうちに
「プラネタリウム」ってなんだろう!
誰がこんなもの考え出したんだろう。
これって、「天動説」そのものではないか。少し、googleで調べてみた。
◆プラネタリウム
には、結構面白いことが出てきている。
「アンティキティラ島の機械」の話もおもしろい。その歴史をみていると、
これが「天界」「宇宙」学ぶときの人類が開発した「最高の教具」であることがわかる。
人間の叡智に万歳をしたくなる。
▼日本のプラネタリウムの歴史を見ていると、なんと日本で最初に設置されたのは、いつもお世話になっている渡部さんところであるという。
 もうひとつの奇遇がある。
それは、今日から、あの理科ハウスの「プラネタリウム」が完成し、稼働をはじるという。
【祝】おめでとうございます。( ^_^)/□☆□\(^_^ )カンパ-イ!
「人工プラネタリウム」
人類の発明した最高にして最強の「教具」ープラネタリウム
今、無性に「プラネタリウム」に行ってみたくなった。


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【授業】「まるごとプラネタリウム」プロジェクト!!

▼今朝も起きて、すぐに外に出てオリオンを見てきた。昨日の朝とほぼ同時刻だ。西に傾き具合は、少し変わっただろうか。そんなものわかるはずがない。でも、「そう、見たいのだ!!」と私のポンコツ頭が叫ぶ。
 一ヶ月たったらどうだろう。お正月が近づいてきて、大晦日だったらどうだろう。
 そう言えば、そういう「観察」をあまりやってこなかったな。ときどき、イベントごとがあったときに星空を見上げただけのような気がする。なんか損をしてきたような気がしてきた。
Dscf3772▼授業【地球と宇宙】は2時間目だ。
一時間目の残り、「太陽」とはどんな星か、をやって
いよいよ「運動」に入っていく。
自分自身のことを考えてみよう。「宇宙」のこと苦手としてきたのには、ふたつのことがあるように思う。
ひとつは、「スケール」のことであり、もうひとつはこの「運動」のことである。
 前時の1/15億のモデル宇宙をやることによって「スケール」のことは少し克服の糸口をみつけたようなきになっている。
 もうひとつの「運動」方は、なかなか手強い。まだ、まだほんとうのところは糸口を見つけていない。
▼でも、挑戦をしていってみよう。
授業をすすめる。今回は、この「運動」を先にもってきた。少しでも長い間「観察」を続けるためにも…。
まずは、「天球」をイメージするところからである。
考えてみると、この「天球」ってプラネタリウムなんだ。
観測者である我々は、この天然プラネタりウムのなかで、生活をしているんだ。
「まるごとプラネタリム」のなかで、生きてきたのだ。
こんなあたりまえのこと、わかっただけですごい「発見」のような気がしてきた。
この「まるごとプラネタリウム」は、年中無休の上映だ!!
もちろん入場無料!!
これほどリアリティに充ちたものはないはず。上映されのはすべて「事実」なんだから…。
名付けて
「まるごとプラネタリウム」プロジェクト!!
はじめてみよう。
<つづく>

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【授業】究極の「ふしぎ!?」からはじめた。

▼今、外に出た。西に傾いたオリオンがきれいだ。冬の大三角形もみごとだ。天然プラネタリムは、まるごとプラネタリウムだ。このなかに生活してきた、ずっとずっと昔から。
 そう考えると、これほどすぐれた教材はないのかもかも知れない。
●3K1Aの法則
●3Hの法則

完全にクリアしている。
そう思えてきたのは、次の単元【地球と宇宙】をはじめたからだろうか。
▼夏の西はりま天文台の黒田武彦先生の講演をくりかえし聴くうちに、黒田先生の真似をしてこの単元を、天文学、宇宙学習の究極の問い、「ふしぎ!?」二つからはじめたくなった。
●『どこにいるのか』
●『どこから来たのか』
これを単元名の後に、大きく板書した。そして、言った「なんの学習をしているのか、わからなくなったら、ここにもどろう。」と話す。
Dscf3786▼中身としては、まずスケールの話からである。
この学習をむずかしくしているのは、この「スケールの認識」がつまづきになっている。私自身もそうだ。
あの日食を前にした「特別授業」をくりかえしてみた。
縮尺は1/15億
ジャンボバルーンを膨らませる。
「あっ、また太陽や!!」の声が。
うれしい、おぼえてくれていたようだ。これを太陽とすると、「地球は…」「月は…」と小麦粉粘土でつくる。
あらためてやっぱり「驚く」のである。
実際の大きさ(直径)、地球からの距離は教科書に書いてある、板書もしている。
図も書いてある。でもちがうのである。
そこからは、「実感」はうまれていない。
こうして、ならべてみることで、実感しわかるのである。
今から、はじめる「宇宙」の広がりを認識できるのである。
気の遠くなるような大きな世界の「ふしぎ!?」を「等身大の科学」で謎解きができるようになるのである。
これからも、何度かジャンボバルーンをふくらませてみようと思う。

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【授業】「電池の歴史」は進行形だ!!

▼昨日は、寒かった。ほんとうに寒くなった、それだけではない。午後から、雨まで降り出した。今朝起きて見たいと思っていたオリオンも見えない。なぜなんだ、大気はどう動いているんだろう。大気の向こう側は「風景」はどうなっているんだろう。そう、その世界の学習が近づいている。
 その前に、「イオン」を終えておく必要があった。
▼「イオン」の最終幕は、予定どおり「電池」であった。
1791年 ガルバーニ電池の原理発見
1800年 ボルタ、電池を発明
1868年 現在の乾電池の原形を発明
1885年 屋井先蔵、乾電池を発明

もう一度、授業で「電池の歴史」を追いかけた。
たった200年ほどの歴史を…。
Dscf3747▼うすい塩酸に亜鉛板と銅板をつける。亜鉛板もよくみがき、準備していたつもりだが、やっぱりモーターが回り出す班とそうでない班がある。前と同じだ。
 マグネシウムならば確実だ!
 わかっているから、少し余裕だ。やっぱりこれは「回ってなんぼ」の実験だ。
金属が電子を放り出してイオンになる。電子がうごく、それが「電流」。
ここでは、「電子のやりとり」が見えたら、電池がわかりだす。
200年の歴史が見えてくる。
「回った!!」「回った!!」感動は、200年前のボルタの感動でもある。
Dscf3753▼「電池」の歴史も進化しつづける。
よりコンパクトで、より大きな電気エネルギーを引き出すことのできる「ペーパー電池」(ポラロイドカメラに使われていたもの、以前どこかの「お楽しみ広場」で手に入れていたものが、たまたまあったので使ってみた。)
ものすごい勢いで回る。
 (゚o゚)ゲッ!!出てくるのは、やっぱり「このなかどうなっとるん(・_・)......ン?」
 「ふしぎ!?」を追いかけだしたら、とまらない。まだまだつづく。
▼さらには、先日の新聞記事の「おしっこ電池」をプリントして配った。
2009年 「おしっこ電池」発明
話は、「燃料電池」へとすすめた。
ここでは簡単に原理のみとした。
強調したかったのは、この200年あまりの
「電池の歴史」は進行形だ!!
現在進行形!!未来進行形!!
ということ。

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【Web更新11/22】09-47【水溶液とイオン】更新

Dscf3643
 サザンカや サザンカ冬の 足音の
 09/11/20 (金)撮影@安富 

■楠田 純一の【理科の部屋】09-47
週末定例更新のお知らせ

 昨日が、【理科の部屋】の第16回目の誕生日だった関係で、一日遅れの週末定例更新のお知らせです。
定期的に同じことを繰り返すというのは、定着するまでには、けっこうエネルギーのいる作業である。
いったん定着してしまうと、そうでもないが…。どこか自然のからくりと似ているのは、人間の営みも自然の営みの一部だからだろうか。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ 山茶花
 紅葉から、枯葉へと向かうこの季節、「誇りの庭」にも冬の足音がちかづいてきている。そんななかで、サザンカや寒椿があざやかに咲いている。北風に花びらをヒラヒラと落としていくのは、冬の足音の振動のせいだろうか。

◆【水溶液とイオン】更新 「イオン」も最終ラウンドだ。「電子のやりとり」のクライマックスを「電池」設定した。それは、移行期だからであり、これ以降はこの後に、「酸・アルカリ」「中和」がくるのだろう。
 そうなってくると、益々生活のなかに「イオン」をみることになるのだろう。そして、「電子のやりとり」を…。
 もう「見えないから」と敬遠することはあってはならない。
見えないものを見ていくこそ科学なんだから…。
そこに「発見」があり、「感動」がある。

◆【地球と宇宙】更新
 いよいよこの単元をはじめる。
まずは、星空を見上げる。この天然プラネタリウムの活用を考えたい。
この学習は、きっと一生ものになるだろう。
 いつの時代も、そこで描いてきた「宇宙像」は、その時代の「すべて」含むものであった。
どんな「宇宙像」を描かせるかが、勝負だろう。
やっぱり400年前からはじめるべきなのかな。さあ、どうなるだろう。
 

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【祝】今日、【理科の部屋】は16歳に!!

▼今日は、本来ならばWebページの週末定例更新を書く日だ。だが、ちょっと特別の「記念日」なのでそのことを書く。
 
◆今日は、【理科の部屋】の16回目の誕生日である。\(^o^)/

【理科の部屋】は、今から16年前の1993年11月23日、パソコン通信Nifty-serve教育実践フォラームの一会議室としてスタートした。
 今朝は、いっぱいろんなこと書こうと以前から考えていた。そして、このblogで「昨年の15歳の誕生日」何を書いたのだろうと見てみた。書きたいと思ったことは、すべて書いてあった。
 「進歩がない!」と言えばそれまでだが、なにかうれしくもなってきた。
▼それでも蛇足を書いておこう。来年読むために…。
**********************************************
  日本の理科教育情報発信基地
             
     【理科の部屋】へようこそ        
                                
  (^o^)/ あなたもここで情報発信者に\(^o^)   

 情報は、発信されるところに集まる。

 あなたがノックされるところがドアです。

時空を超えて響きあい・学びあい・高めあう世界を

*********************************************
 これは、【理科の部屋】の歓迎メッセージである。ここに現れた思念は、それこそ16年の「時空を超えて」
まったく変わらない。
 変わったものがある。Webの世界である。
いや変わったのでなく、Webは進化していっているのである。
そのWeb進化の歴史は、【理科の部屋】の歴史そのものだ。
▼最近、私はTwitterに夢中になっている。
ecochemさん(シェーマさん)のお勧めがあって、ちょうど2ヶ月前の2009年9月23日にはじめた。例によって根本的なところで理解ができていないもので右往左往しているところだ。
●ecochemさんの「道具箱」(今から始められる人、絶対お奨め!!)
を道案内にしながら、Twitter本も三冊ばかり読んでみた。
そして私は、確信をもった。
■Twitterは、パソ通回帰である。
■Twitterは、私たちが夢見てきた「コンヴィヴィアリティのための道具」になる可能性を秘めている。
■Webも、【理科の部屋】も螺旋的に進化する。

▼小さな、小さな「つぶやき」からはじめよう。
授業の「一コマ」を
ひとつ実験の「ひらめき」を
子どもたちの「つぶやき」を
自然に感動したとき「ひとこと」を
研究会で気づいた「ひとつのこと」を
等身大の「ふしぎ!?」を
実践報告の「三行レポ」を…
 140文字は、工夫しだいではけっして小さすぎることはない。むしろ小さいからこそ可能なこといっぱいあるはず、自然のなりたちを知る私たちは、そのことをいちばんよく知っているはず。
 そんなこと考えていたら、
クラウド【理科の部屋】(これもecochemさんが名付けられた。)
のフレーズが思い浮かんだ。
 クラウド【理科の部屋】への歩みが、今、はじまっているのかも知れない。
いや、ひょっとしたらもう16年前からはじまっていたのかも知れない。

【理科の部屋】16歳の朝に

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【授業】【地球と宇宙】を概観する。

Dscf3670▼今日は「小雪」だ。確実に冬に向かっているのが実感できる、いやもうとっくにもう「冬」なんだろう。懲りもせずに私の「大賀ハス観察池」を観察してみる。植え替えから35週目である。一週間たったから、なにかが変化したわけではない。昨日の観察で気づいたことは、「池」全体に生命を感じなくなっているということである。水は澄み緑もなくしている。その下には蓮根が眠っていることは確かなんだが…。
Dscf3668 一方、門先に目をやればどうだろう。あの定点観測地のヒガンバナは、青々として生命にみなぎっている。生産活動真っ盛りである。なんど考えても見事な戦略である。それぞれの生命にもそれぞれの冬がはじまっている。
▼さて、授業である。「電池」をクライマックスとする、イオンの学習は、もうすぐ終わる。来週には、単元【地球と宇宙】に入る。ここで、少しこの授業を概観しておくことにする。
 実は、この単元の授業をするのは、ずいぶんと久しぶりである。以前の授業の大まかな流れは、「宇宙への旅」実践DBとして、ほんとうの目次だけだが残している。
 この単元については、なんど授業やってきたが、やるたびに勉強で面白すぎるので、「ばっかり病」の症状に襲われて難儀するのである。
▼では、具体的に授業をどう組み立てていくか。
以前は、三部構成にしていた。
【PartⅠ】地球ー月ー太陽、惑星、太陽系(太陽系のスケールを中心に)
【PartⅡ】地球の自転、公転(天体の日周運動、年周運動)
【PartⅢ】恒星の世界、我が銀河系
のように…。
 基本的な学習内容はかわらない。あたりまえである。
教科書を見ていて、考えた。今回は順番を入れ替えてみようと
【PartⅡ】を優先させてみよう。同時に【PartⅠ】をまじえていこうと決めた。
▼では、この単元を通して何をねらいとするのか。
私は、今年8月9日に聴いた
黒田武彦先生の講演『宇宙の中の人間~ガリレオから現代までの宇宙観~』
を思い出していた。そこにヒントがあったように思う。
この「学問」の究極のねらいを2つ言われた
●「我々はどこにいるのか。」(空間)
●「我々はどこから来たのか」(時間)

もう一度、聴いてみよう。
▼今年はガリレオから400年、世界天文年である。その2009年も残すところ40日となった。
 後40回「我が地球号」が自ら回転するあいだに、どこまで究極の「ふしぎ!?」がつまったこの単元をどこまですすめることができるだろう。
 今、外に出たら、西の空に傾いたオリオンがあった。

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【授業】「えっ、どうして回らないの!?」

▼「えっ、どうして回らないの!?」
と聞かれて私は、少し立往生していた。
極地方式研究会の「綱領」のなかに、
「教師が問いつめられ、立往生したら、それは授業が生きている証拠である。教師の予想を越える活動があったのだ。」
というのがある。
でも、今回は、そんなりっぱなのものではなかった。
 私は、私自身の思惑とはちがっていたことに立往生していたのである。
▼私のシナリオでは、「電子のやりとり」でイオンを追いかけて、そして最後のクライマックスに電池をもってこようとした。そして、そこでの電池はできるだけ「電池の歴史」を再現するようなものをもってこようとおもった。
 いちばん最初の「ふしぎ!?」を大切にしたかった。
 そして、200年の「電池の歴史」を語り、未来の「電池」を考えたかった。
 それなのに、
「えっ、どうして回らないの!?」からはじまってしまった。
▼実験は、教科書にのっている実験でいくことにした。
うすい塩酸に銅板と亜鉛板をつける。そこへ光電池用のモーターをつなぐというものである。
この実験でいくことは、ずっと前からきめていたので「予備実験」もやっていた。
銅板、亜鉛板の手入れもやっているつもりでいた。
だから、
「えっ、どうして回るの!?」
「ふしぎ!?」となるはずだったのに
▼やっかいなことに、回ったり回らなかったりするグループがある。
「お願い!!回って」の声が聞こえてきたりする。導線をチェックしたり、いろいろやってみる。
もう一度チェックして…。
 金属を亜鉛からマグネシウムリボンに変えてみた。
 今度は、どこの班からも
「回った、回った!!」「これが見たかった!!」と歓声がきこえはじめた。
これ、これこれでこそ…。

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【授業】イオンになりやすさ

▼今朝起きたらすごく冷え込んでいた。その冷え込み具合は、今季いちばんと感じた。きっと凍てつく星空がみられるものだろうと予想をしながら、例の非接触温度計を外にでてみた。予想ははずれていた。全天雲が覆っていた。その合間から、星がひとつふたつのぞく程度であった。
 部屋に帰って、今度は武田さんの南極の空をみることにした。「わわーなんと美しい!!」思わず声が出る。「グリーフラッシュ」こんなものが、十数分間に20回以上も見られるなんて…。「日没の空」もいい。日没の「青空」なんて…これを見せてもらっていると、私たちは「地球号」のなかに生きていることを実感する。そこには、空だけでなく、あたりまえだが、「イオン」もあった。海水からの食塩の結晶である。
Dscf3621さあ、私は日本の「イオン」を追う。「電子のやりとり」でイオンを追っていた。
電気分解の次は、「イオン化傾向」少しだけやった。
塩化銅の青い水溶液から「10円玉の銅」を取り出すという驚異の実験の後に、ぜひあれを見せたかったからだ。
塩化銅水溶液にスチールウール(Fe)を入れる。
それだけだ。!!
「十円玉の銅」を取り出すには、あんなにエネルギーがいったはずなのに、ここでいとも簡単に取り出すことができる。見る見るうちに液は、青色がうすくなっていく、赤褐色のモロモロの銅が付着していく。
これは「どういうことだ!?」
▼イオン化傾向に深入りするつもりはない。「このつづきは高校で…」と前置きをしながら、ここでも「電子のやりとり」で、説明をした。イオン化列も一応は書いてみた。(憶え方も、そんなこと家庭で話題なることを少し期待して…)
少し擬人化もしながら
「鉄は、自分よりもイオンになりにくい銅がイオンになっているのが許せなかった。」
「そこで、鉄は電子2個を銅イオンにおしつけて、自らがイオンになった」
「電子を押しつけられた銅イオンは、銅原子にならざるをえなかった」
等々
「電子のやりとり」それは次なる「電池」につながる。
いよいよ次は、「電池」である。

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【授業】「電子のやりとり」見えたら

Dscf3583▼昨日18日朝、しし座流星群を期待して、夜明け前の空をしばらく見ていた。すぐさま、一個の流星をみた。これは、これは…と思い、ながめ続けた。でも、それっきりだった。やがて、それよりもすごいものが見えてきた。東の空だ、「夜明けの前の東の空」、南極の武田康男さんが推奨する、最も「美しい空」である。それも、刻々と変化していく。さすが、「空見」のプロが言うだけはある。
▼授業の報告を続ける。塩酸の電気分解を「電子のやりとり」で見た後は、塩化銅水溶液の電気分解も、それで解説していた。銅イオンを最初に紹介したときも、そうだったが、こちらが異常に興奮してしまったのである。
「感動」の押し売り!!と受け取られかねない。
でも、やっぱり「ふしぎ!?」だ。
小さな小さな電子のやりとりで起こる劇的な変化
青い液のなかに、どんなに眼を凝らしてみても、あの「10円玉の銅」(いつのまにか「銅」を表現するときこう呼ぶようになっていた。)があるなんて信じられない。
でも、手回し発電機をグルグル回してみる。やがて炭素棒についてくるのは間違いなく「10円玉の銅」だ。
それが証拠に液だって、青色はうすくなっている。
そう説明をしながら、やっぱり興奮してしまうのだ。
カラーマグネットを多量に買い込んでいた。「電子」を表現するために…大いに黒板で活躍してもらった。
「電子のやりとり」が見えたら、きまりだ!!
「イオン」の学習すべてはここにある。

▼このとき、もう一度「電子の流れ」のことにふれていた。
「電気の正体」「電流とは」「金属の通電性」の学習にリンクしていった。
これまでに学習しているからわかっているのでない。
何度も、かたちを変えて登場させる。リンクさせる。それを重ねているあいだに
「熊楠」の萃点がみつかる!!
まちがいなく物質探検の学習において「電子」は「萃点」だ。

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イオン動かすにはうんとエネルギーが…

▼今朝起きて、外に出てみた。晴れている!!オリオンがきれいだ。月はない、そうだ今日の明け方は「しし座流星群」だ。これを早めに書いてしまっておいて、空をながめてみよう。
 次の単元を意識してか、空を見上げることが急にふえてきた。首がいたい、だけど冷たい空気いっぱいに吸い込んで、星空を眺めていると、宇宙旅行気分になる。想像は安上がりだ!!瞬時に時空を超えて新しい世界が見えてくるのだから。
▼授業の方は、約175年前の我らがファラデーを想像していた。
●1834年 電気分解の二つの法則 「anode」「anion」などを造語
と彼の年譜に書いてある。
 いったい彼にはなにが見えていたのだろう。
 授業の方では、前時の「塩酸の電気分解」を「電子のやりとり」で見ていくようにした。
この「電子」が見えたら、イオンが見えてくる。「電気分解」「電池」も見えてくる。
21世紀の授業では「電子」は実存である。想像ではない。
▼少しだけ、時間をかけてていねいに「電子のやりとり」で、やった実験を「マクロ」と「ミクロ」をつないで説明する。
ときどき我らがファラデー入れながら。
陽イオン(+)が陰極(-)に、陰イオン(-)が陽極(+)に…
簡単だ!!
この簡単が大切である。ほんとうに大切なことは簡単だ。
このロジックは普遍である。

Dscf3548▼次いで、塩化銅の電気分解をみていった。実験そのものは2年生のときにやっている。やっているからといって、「電気分解」が見えていたわけではない。ここでも「電子のやりとり」でみていった。
演示実験は再度やってみた。
 手回し発電機でやってみた。私は、これは手回し発電機でやるのがいちばん気に入っている。
イオンを動かすにはうんとエネルギーがいるぞ!!
を実感する。
我らがファラデーもこれを知っていたら賛成してくれるだろう。

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【授業】塩酸の電気分解

Dscf3524▼山々の紅葉・黄葉はどんどん進んでいく、毎年見てきた光景であるはずだが、生涯ではじめて見るように「美しい」。いったいどこまで進むのか、いうぐらい進んでいく。通れば勤途中の車を停めたくなってしまうぐらいである。その変化を連続して観察しておけるならば「何が起こっているのか」が見えてくるだろうか。それだけでは、本当のことはわからない。観察する眼を「マクロ」から「ミクロ」にシフトしたら、見えてくるものがあるだろうか。それでも「美しさ」のほんとうの原因はつきとめることができるか疑問である。
▼久しぶりに再開の授業を報告する。「塩酸の電気分解」である。
すでに「電離」をやっている。
まずは塩化水素の「電離式」を大きく板書する。このシナリオでは
「はじめにイオンありき」
だから、理屈は簡単である。「水素イオン」「塩化物イオン」が見えるようになっておれば、プラスのものが-極にひかれ、マイナスのもの+極にひかれる。あたり前と言えばあたりまえである。
▼「イオン」 という言葉は、元々ギリシア語の、「行く (あるところに動く)」 という言葉にちなんで名付けられた言う。それも名付け親は、我らがファラデーであると言う。
 こんな実験を何度も、何度もやりながら陽極へ、陰極へ「行くもの」の実存を見ていったのだろう。
だからと言って、21世紀の今、同じシナリオにする必要はない。
「イオン」の実存を先にやってから、「マクロ」に視点を切り替えてもいいのではないか。
そのようにする方が、今日の物質探検の学びのシナリオとしてふさわしいのではないだろうか。
Dscf3526▼そうすれば、陰極、陽極から発生する気体も予想してから実験できる。
もっと「ふしぎ!?」は、電極でおこる変化だ。
小さな小さな「電子」のやりとりで、劇的な変化おこる。
「マクロ」「ミクロ」自在に切り替えながら、物質を追いかけたい。
実際の実験では、結構時間がかかってしまう。
 その時間のなかで頭のなかでは、切り替えがおこっているのかも知れない。

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【Web更新11/15】09-46【水溶液とイオン】更新

Dscf3408
君まつや ドウダンの燃え 盛る庭
 09/11/12 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】09-46
週末定例更新のお知らせ
 更新ナンバーを見ると、今年の46回目の更新ということになる。今年の週末定例更新も数が限られてきた。うまくいけば後6回である。何でも同じである最後が見えてくると、そこから逆算して、今を決定したくなる。でも、それだけだと面白くない。自然界には、いくつかの法則(ルール)がある。法則どおりの面白さもあるが、まだ私たちの知らない法則(ルール)もある。それが、さらに自然を豊かに面白くする。
 後6回のうちになにが起こるだろう。楽しみである。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ ドウダンツツジ
 校庭のドウダンツツジ朱く燃えていた。昨年、この校庭の樹木シリーズをはじめたときから、これをいつ表紙画像にするか。ずっとねらっていた。それぐらい、この燃え立つドウダンツツジは印象的だ。たくさんはないのだが、存在感がある。少しオオバーかも知れないが、このドウダンツツジの樹にその美しさを教えられた。古代の丹生にも似た色合いである。

◆【水溶液とイオン】更新
 とは言っても、授業が進んだわけではない。今回、「イオン」のクライマックスに設定した「電池」にふれていろいろ書いた。まだ、まだ「電池月間」は続く、この間に電池のこともっともっと追いかけてみたい。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 Twitterのことにふれてが中心に「試論」をすすめた。
 Twitterについては、当面ふたつの課題をもっている。
○より使い勝手よくするためには、どんなクライアントソフトを導入すればよいか。
○「授業づくり」研究のためには、どのようにこれを使えばよいか。
いずれも、
「TwitterのことはTwitterに聞け!!」
で少しずついろいろ試みながらやってみたい。
 
 

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新・クラウド「整理学」試論(8)

Dscf3504▼昨日は、大賀ハスの植え替えから、33週目である。と、やっぱり書き始めてしまう。実は、自分のなかでは、「大賀ハス」のことを書くのは先週で終わりにしようと思っていた。しかし、やっぱり書いてしまうのである。もうそれは「習慣」化してしまっているのかも知れない。日曜日の切り出しは「大賀ハス」にふれなければ居心地が悪いのである。枯れた大賀ハスの葉は、どこかしなやかさとしたたかさを合わせ持つ、どこかでこれを保存してあるのを見たことがある。記念にと一枚は果托とともに保存している。こんなものを利用しない手はない、きっと知恵者は、きっとなにかに利用してきただろう。それは、また調べてみよう。
▼「習慣」化と言えば、昨日は来年のシステム手帳のリフィルを買い込んできた。システム手帳なんていうと、「まだそんなもの使っているの」と言われそうだが、私は今だにこれを使い続けてている。
リフィルはBindexの「月間ダイヤリー」「週間ダイヤリー」(バイブルサイズ)である。もう20年以上になるだろうか。
途中で、パソコンでリフィルを創作することや、著名な人の手帳にかえようかと考えたこともあったが、やっぱり使い慣れたものの方がいいだろうとここまできてしまった。
▼ずいぶん以前になるが、このシステム手帳も含めて、「パソコン」「システム手帳」「袋ファイル」を連動させての、私の「整理学」についてまとめたことがある。この三つを私の整理学の「三種の神器」としてしてきた。
新・クラウド「整理学」になっても、それにかわりそうにない。
私の「整理学」のねらいについても同様である。

●「整理」の究極のねらいは「生産」である。
●私にとっての「知的生産」とは「授業づくり」である。

従って、新たに始めたがような「新・クラウド「整理学」」であるがこの究極のねらいも「授業づくり」にある。
▼Twitterにもどろう。
これは、私にとっては、「整理のための道具」である。
「授業づくり」のための情報受発信のための道具のひとつ
筆箱のなかの小さな文具(筆記具)のひとつにすぎないのである。だが、このひとつは…。
Twitter本を三冊読んだ。(三冊目はまだ途中だ。)使い始めてまだ、二ヶ月がたたない。判断するには早すぎるかもしれない。
 しかし、これは大きく私の「整理学」を変えるだろう。その予感がする。

「140文字」と制限のある小さな筆記具
小さいが故に無限の可能性を有する情報受発信装置
ここへ来てパソコンは、また一歩「コンヴィヴィアリティのための道具」(イリイチ)に近づく

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新・クラウド「整理学」試論(7)

▼外は、雨だ。
ここのところ、またしても持病の「ばっかり病」が発症したのか、いろんなことの「整理」ができかねている。混沌とした頭を少し冷やしてみようと、続けている気まぐれ「試論」を書いてみよう。
 三つの試論のうち、やっぱりこんなときは「新・クラウド「整理学」試論」だ。
▼やっぱりここのところ一番気になっているのはTwitterのことだ。
スタートは、今年の9/23である。まだ、二ヶ月がたっていない。でも一応の結論は出していた。
●ecochemさんの「道具箱」
●Twitter本『ツイッター140文字が世界を変える』
できまりだと思っていた。
 あとは、使い慣れていくだけだと思っていた。そのなかで、自分なりの使い方を編み出していけばいいと思っていた。
▼自分なりの使い方のひとつに、これを「整理」のツールとして使いたいと思った。
それこそ、Twitterにこのプロセスを記録してみようと試みた。
その「つぶやいた」ステップならべてみよう。

【ステップ1】blogとつなごう。とりあえずblog更新の度に「つぶやこう」。
あらたな展開が…

【ステップ2】自分のTLをコントロールをしよう。
Twitterを自分の「生産」の道具とするためには、TLを流れるままにしてはならない。それは、単に「消費」しているにすぎない。「消費」を楽しみたいときには、フォローを調節すればよい。

【ステップ3】「情報は発信するところに集まる」ここでも有効である。
ともかく数多くつぶやいてみよう。いつか量は質に転化するだろう。臨界点というのが存在するはずだ。

【ステップ4】等身大の「つぶやき」をつづけよう。
等身大であることにこそ意味を見いだしたい。そこにこそ、Twitterの可能性がある。 未来の自分に向けて、今、つぶやいておこう。小さなこと。

【ステップ5】SNSとTwitter「つぶやき」でつなごう。
私の場合は【理科の部屋4】@folomyだ。ここは私は、フォローしたい人のblogの集合体だと思っている。

ここまで来ている。ここまでは、この5つのステップの「のぼりおり」を繰り返している。

▼次のステップを模索して、私にとってはTwitter本第三弾。
『Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流~』(津田大介著 洋泉社2009.11.21)
を読み始めてみた。
「tudaる」の語源にもなった、その本人の著書である。
さすがである。面白い。書いていることが「等身大」だ。やっぱりホンモノ!!はちがう。
第二章を「活用術」とせずに「筆者の活用術」としているところに、この人のポリシーを感じ共感する。単なる解説本、マニュアル本ではないことの主張がある。
「筆者の」とすることでTwitterの普遍性、可能性を語ろうとしているのだろう。それはみごとに成功している。
だからこそ、読者である私に「私の活用術」を書かせたくさせるのである。
まだ、途中だ。
読み終えたら、私の次の【ステップ】をTwitterしよう。

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これぞ「おしっこ電池」だ!!

Dscf3438▼周囲の里山がどんどん色が変化していく、どこを切り取っても一幅の絵画を見ているようである。この絵画は「完成品」ではないからなお面白い。刻々と筆を加えられている。背景の「空」も刻々と変わる。一日のあいだにも時間帯によってまったくちがった趣である。この「変化」こそが、この絵画の真骨頂なのかも知れない。
▼頭の片隅に「電池」があった。
昨日、帰宅後Twitterをみていた。面白そうな情報があった。次のようなニュースの紹介である。
◆「おしっこ発電、無線で信号 立命館大、おむつに応用」
 科学と技術
 電池とは
 電池の歴史
 電池でなにが起こっているのか
 電池で教えるのは
いろんなことが混沌と頭のなかにあった。
読んでみた。これだ!!と思った。面白い。
「おしっこ電池」だ!!
これぞ「ガルバ-ニ電池の原理」(1791)の発想そのものではないか。
電池の歴史はここからはじまったのだ。
▼やっぱりそうだ。理科教育でやることが少し見えてきたような気がした。
・科学・技術史の有効性
・原理・原則
・原理・原則を使っての謎解き
・等身大の「ふしぎ!?」を追いかける試み

教材「電池」にも応用してみよう。そんな勇気をもらったようなニュースだ。

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「電池」の科学・技術史に学ぶ

Dscf3355▼立冬から小雪に向かっているわりには比較的あたたかい雨がふっていた。そして、そのあと強い風が吹き出していた。そして、それは今も続いている。その雨の中の紅葉は、透明感をましているように感じた。本格的な紅葉はこれからなんだろうか。同じ紅葉でも、色具合がさらに変化してきたように見える。それは紅葉のなかの「化学変化」がさらに加速化しているということなんだろうか。
▼すこし、「電池」の歴史にこだわり続けてみよう。
電池工業会の「電池の年表」「電池の歴史」を見ていると、とても面白い。
1791年のあのガルバーニの電池の原理の発見(これ昔、カエルの解剖観察やっているときに必ずやっていた覚えがある。)から、約200年の科学・技術史はとっても興味深い、さらに面白いのは、これが現代進行形の物語であることだ。
▼たった200年あまりの歴史であるが、「科学」と「技術」の関係や、なんのための「科学」なのか。
なんのための「技術」なのか。はては「何を教えるべきか」のヒントまで出てきそうな気がした。
このとき、なぜか故高橋金三郎先生のことばを思いだした。

 科学者の方法は,前にも書いたように,多くの時間,労力,費用,技能を必要とするものだ。同時にそれは人間の歴史の長い積みかさねの産物だ。科学は技術から生まれた「なんとかしてもっとよく,もっとたくさん,もっとらくに」の願望の歴史の中から技術が生まれ,科学へ発展したのだ。科学者の直接の祖先は,農民であり職人なのだ。技術の方法と科学の方法に本質的な区別はない。農民や職人の生産の方法には,科学の方法が含まれている。そうでなかったら,一般市民のための理科教育に,科学の方法なんて無用になるだろう。子どもがすべて科学者になるわけではないのだ。
(『科学の方法』高橋金三郎編著新生出版p・14より)

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今日から「電池月間」がはじまる

Dscf3323▼今日、十一月十一日は、語呂合わせよろしく「+」プラス「-」マイナスで、「電池の日」だという。そして、野球のバッテリーか「1」「2」番にちなみ12月12日は「バッテリーの日」だという。さらにはこの11月11日~12月12日までを「電池月間」ときめている。(「電池工業会」1997)
 なかなか面白い偶然である。
「電池」が、「くらし」と「イオン」「化学」をむすびつけるすぐれた教材であると気づきはじめた、そのときに「電池月間」とは。1800年のボルタの電池から、200余年の「電池の科学技術史」は、今、「科学」とはなにかまで教えてくれそうな気がする。
▼この電池月間のあいだに、教材「電池」にこってみようと思う。こんな身の回りにあって、ありふれた存在である電池。こいつの世話になることなく、一日たりと過ごすことはできない。
それなのに、私は、あまりにもこいつのことを知らない。「あたりまえ」にしすぎてきた。
「電池」を使い捨てのブラックボックスにしてはならない。
「電池」は、200余年の科学技術史のつまった究極の教材だ!!
▼ここ何十年間のあいだにも、教材「電池」の試みをいくつもみてきた。
「バケツ電池」
「十一円電池」
「備長炭電池」
「くだもの電池」
「ペーパー電池」
「キッチン電池」
…。
 自分でも試みたものもあるが、本格的にはあまりやっていない。
子どもたちの「ふしぎ!?」をとらえる教材であることはまちがいない。その「ふしぎ!?」が、どこまで「科学
」「化学」につなげることができたかというと、いささか疑問である。
▼もっとありふれた「電池」にこそ、すごい「科学」があるのでは…
個人的には、小学校のころに「乾電池づくり」の記憶か鮮明にのこっている。それはなんだろう。
自分でもつくれたという「感動」だろうか。
「乾電池」に少しこだわって調べてみようとしたら、
「屋井先蔵」の名前が浮かび上がってきた。
世界ではじめて「乾電池」を発明した人。ボルタから、わずか85年後のである。ここから、今日の「携帯」の時代に入ったのである。
 この人のことが、もっともっとくわしく知りたくなってくる。世界に先駆けて「乾電池」をつくった人の「ふしぎ!?」はどこにあったのか。そこに、今日の理科教育が学ぶべきものがあるのかないのか。
▼では、実際の授業では、どの「電池」をとりあげるのか。
「イオン」の授業のクライマックスとして、どのように展開するのか。
私の「電池月間」は、つづく。

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【授業】「電池」の歴史から

Dscf3311▼深まりゆく秋、ケヤキの黄葉は、やがて落葉に変わってゆく。そして、確実に冬はやってくる。またしても、あの「ウィルス」が猛威をふるう季節の到来だ。いつもの冬とはちょっとちがうかたちになりそうだ。
今一度、一年前のSciencewindow
■特集 ウイルス それは何? どうつき合うか」 を読み返してみておこう。
▼いずれにしても目に見えないものを相手にするのが、科学の醍醐味でもあり、あらたな技術を生み、それを進化させてきた。ごくごくあたりまえに使っている「電池」。これまでの自然へのはたらきかけのなかでの「知恵」「科学」「技術」がコンパクトに結晶化したもの。
それが、「電池」である。
「電池」は、「くらし」と「イオン」を結びつけるすぐれた教材である。
その「電池」の歴史は、そんなに古くはない。
ボルタの電池は、ちょうど1800年
たった200年前のことだ。そして、
それがファラデー「電磁誘導の発見」(1831)につながり、現在の「電気」の時代とへつながっていくのである。
こうしてみると、「電池の歴史」は、「イオン」のすぐれた教材であると同時に
「くらし」と「科学・技術史」を語るのにすぐれた教材であると思えてきた。
もう少し追いかけてみよう。
 そうそう明日、11月11日から12月12日はまでは「電池月間」だそうだ。

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【Web更新11/8】09-45【水溶液とイオン】更新

Dscf3202
朝靄に 秋登りたり メタセコイヤ
09/11/06 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 09-45
週末定例更新のお知らせ
 少し本気なってblogを書き始めて2年近くなろうとしている。最初のころは毎日が、blogの取材をしているような感じだった。しかし、毎日書いている間に、なにかこれ自体が、自分の存在そのもののような気がしてきた。
 まさに『日記』になってきたのである。それは、時に授業の記録であり、旅行記であったり、発表原稿の下書きであったり、日常の小さな観察の記録であったりする。私にとっては、今は欠かすことのできない「記録」そのものなのである。
 比べて見ること自体がおくがましい話だが、ファラデーはこれを42年間も続けたという。各パラグラフには通し番号までつけたという。『ファラデーの日記』が教えてくれることは大きい。
 私たちは今、通し番号もうつ必要もなく「記録」したものを、すぐさま探し出すことができる。ひとつの実験を試みる。いつか、ガラス屋さんの吸盤を使った「究極のマグデブルク半球」のこと記録したはずと、検索してみる。
 0.13秒でみつかった。なんとありがたい時代だ。可能な限り「記録」つづけよう。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ メタセコイヤ
 校庭の樹木が次々と色づいていく。それは見事だ!美しい!
とりわけ、グランドの西に二本佇立するメタセコイヤは、空に向けて下から黄葉のグラディエーションはみごとだ!!秋が登っていくさまは、冬を予告する。

◆【水溶液とイオン】更新
 昨日も理科室でゴソゴソしていて思った。
「くらし」とイオンを結びつける。
「くらし」のなかにイオンを見る。それが、究極のねらいであっても手段はひとつではない。
「くらし」から迫る方法もあれば、「イオン」から迫る手もある。
一方通行にならないこと。それが肝要である。双方向で迫ることが究極のねらいを具現化することになる。
ここでのクライマックスは「電池」にもってこようと思う。
見えかけた「イオン」から迫っていこう。せっかく学校の授業でやるのである。実験室にあるものをフルに活用して授業を組み立ててみよう。もう、そんな機会は生徒にとっても最後になるかも知れないのだから…。
「電離」→「電気分解」→「イオン化傾向」→「電池」
見えかけた「イオン」「電子」をフルに使おう。

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【授業】「電池」で何をどのように教えるのか

Dscf3273▼比較的あたたかい立冬の昨日の朝は、大賀ハスの植え替えから、32週目の朝だった。この一週間で大きく変化したことがある。それは、あの2日の日の強い冷たい風で、ついにあの果托が吹き飛ばされてしまったのである。なにか、それは今年の「大賀ハスの季節の終焉」を象徴するような変化であった。
 思い出すな。あの3月28日(土)の植え替えを、蓮根を掘り出してみて、驚いたものだった。その長さと大きさに…。植え替えから、新しい葉の成長に感動しているまもなく、まだ、この「観察池」に氷が張るような朝もあったのがウソのようだ。葉が大きく成長したのに喜んでいると、あの「あこがれの4日間」が奇跡的にやってきたのだった。
Dscf3292果托は、その「あこがれの4日間」の化石のようなもの。それは木枯らし一号に吹くとばされ、今、部屋の机の上にある。やっぱり今年の大賀ハスは終焉したのだ。
▼「熊楠」の整理に夢中になっているあいだに、たいへんなことが後回しになってしまうところだった。帰ってきた「イオン」の授業である。その授業も、終幕を迎えている。
 許された時間はそんなにない。
「はじめにイオンありき」ではじめて、イオンの正体を明きからにしていった。「原子の構造」との関係、「電離」なども先行させた。そして、身の回りにイオンをさがした。
身の回りは「イオン」でいっぱい!!を実感した。
少し、「イオン」は見えて来たのだろうか。
▼この後は、「塩酸の電気分解」の実験、「塩化銅の電気分解」のイオン式を使っての説明と続ける予定である。
このプロセスのなかで、イオンはより具体的なイメージとなっていくだろうか。
そして、終幕のくらいマックスは「電池」だ。
何を、どこまでどのように教えればいいのだろうか。
もう少し具体的にあげよう。
・「塩化銅の電気分解」の実験の説明から、塩化銅水溶液にスチールウールをつけてみよう。
 そして、イオン化傾向にふれよう。
・「電池」の歴史にふれよう。「電気化学」のはじまりだ。
・それは「くらし」と科学を結びつけることになる。
・「くらし」のなかで「イオン」を見ていくという、理想に近づけるかも知れない。
▼では、より具体的には、どんな電池を扱うことにするか。
最近のものから参照してみることにした。
RikaTan2008年11月号『電池づくり』が手元にあったので目を通してみた。
さすがである。!!
「フルーツゼリー電池」
「備長炭電池」
「乾電池の分解」
「燃料電池」
「電池の歴史」
「用途にあった乾電池」(現代「乾電池」考と読める)
「乾電池の化学」(「電子のキャッチボール」「イオン化傾向」にふれているのは共感できる。)
「手づくり乾電池教室」(「ジャガイモ電池」も登場)
等々である。
さすがである。「これまで」が網羅されている感じである。
では、授業では実際に何を「教材」としてとりあげ、どう授業を展開するのか。
それが、私の当面の緊急課題である。
さっそく、ものの準備と授業の組み立てにかかろう!

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「熊楠」とこれからの理科教育(4)

Dscf3195▼今日は、立冬である。それにしては比較的あたたかい朝である。この二十四節季のたびに、みごとな「科学」を感じる。「くらし」と自然界をみごとにつないでみせている。自然界にはたらきかけて、そこから有益なもの取り出したり生産したりして生きている。このときに「暦」は、羅針盤である。
 「科学」なんていうものがない時代から、この「暦」はあった。伝承していくべき第一のことがらが、まるで「非科学的」なものとか、「古い」ものと受け取られて、切り捨てられいく今。
 「科学的」ってどんなことなのか。今一度、問い返してみたい、「くらし」のなかで…。
▼「熊楠」にもどろう。熊楠は「物、心、事、理」の不思議の謎解きを科学と定義した。
その科学の方法論のモデル図を提示した。
それが「南方マンダラ」である。

それが、私にはWebのモデル図にみえてしかたない。
だからこそ、「これから」を示唆するものであるということになる。
▼「これからの理科教育」との関連で、この南方マンダラを読み解きたいという野望(「無謀」とも思える)を抱きはじめたのいつの時点からだろう。
 浅学無知であるが故に生まれ来る「発想」
 無手勝流であるが故に見えてくるものがあるやも知れぬ。
熊楠に言わせると
 「あらかた片付け」たという「物不思議」にこだわってみよう。

等身大の「ふしぎ!?」の謎解きを繰り返しやってみよう。

なんか「整理」すると、見えてくるかと、ここ何日か、書いてみたが
「ふりだし」にもどってしまった。

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「熊楠」とこれからの理科教育(3)

Dscf3170▼校庭に植えた綿の実がはじけだした。白い綿はきれいだ、しかし、誰がこれを紡いで身につけるものを創り出したのだろう。考えてみればすごいことだ、ホモ・サピエンスと自らを名のるだけのことはある。
 21世紀の今、そのホモ・サピエンスたちは何をめざして、何を紡いでいっているのだろう。
▼「熊楠」をつづける。
「南方マンダラ」の「萃点」に科学の方法をみる
ところまでまで書いたように思う。
しかし、待てよ。この「萃点」とはいったいなんなのだろう。
私は、このようにとらえている。
・情報が交叉するところ。
・情報が発信されるところであり、情報が収集されるところ
・「知」の交差点
・原理・原則の住み処
・…
人はどう見ているのだろう。今、「熊楠」にもっとも近しい人たちはどう見ているのだろう。
それが、今年の「熊楠」再訪の目的であった。
▼時空超えて「熊楠」を訪ねての旅のひとつの結論は、
・誰もが、「南方マンダラ」を持っている。
・誰もが、自分の「○○マンダラ」をもっている。持とうとしている。
ということだった。
 そして、誰もが、自分の「○○マンダラ」をあつく語った。
「萃点」も、多様であった。
▼私には、もうひとつの仮説があった。
●【仮説 その4】
「南方マンダラ」は、Webそのものである。

なんとも、荒唐無稽なこじつけかも知れない。しかし、あの「南方マンダラ」絵図が、Webの図に見えてしかたないのである。
だとしたら、

「萃点」とは、ネットワークにおけるハブである。
話が、飛びすぎている。
本論の「これからの理科教育」との関連でまとめていかなければ…。
▼彼は、粘菌の研究にこだわった。
「粘菌」は「動物の世界」と「植物の世界」が交叉するところ。(「萃点」!?)
「粘菌」を地球規模でおいかけ、その新種を我が家の庭で発見する。熊野の森にみつける。
その事実は、何を意味するのだろう。
「ネーチャー」等に論文を発表しつつ、地球規模を志向しつつ
科学を「くらし」と結びつけ、等身大の科学を志向する。

100年の時空を超えて、理科教育の「これからの人」がここにいる。

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【授業】身の回りは「イオン」がいっぱい!

▼行事などで、授業がとぎれとぎれになる。そうすると、いちばん危惧するのは思考がとだえてしまうことである。それは、生徒のことだけでなく自分自身のことでもある。
「授業こそ、最大して最高の学校行事である。」と自分に言い聞かせてみたりする。
 そんないきがることでもない。ごくあたり前のことだ。面白いのだ、いろいろことがあっても授業をやっていると面白い。生徒がみえてくる、自分がみえてくる。
▼「イオン」の続きである。
3つの電離式
「塩化ナトリウム(食塩)」「塩化水素」「塩化銅」の電離式。
 ここで、補充テキストでは最初にもどった。
 家から、身の回りモノを持ってきて、「イオン」を見つけようというものだ。
決め手は、電流が流れるかどうかだ。「ピッカリテスター」を使った。
実験そのものはいたって簡単だ。
Dscf3160▼持ってきてくれたものは多種多様である。
各班で相談して準備してくれた。
「ジュース」
「醤油」
「マヨネーズ」
「ソース」
「七味唐辛子」
「シャンプー」
「洗剤」
…等々
 純物質でないから、混乱をまねくのではという考えもある。
授業の趣旨が少しちがっていた。ここでは、「イオン」がなにか特別のものであるのではない。
身の回りは、「イオン」でいっぱい!!
の認識だ。
「イオン」は理科室の薬品棚に眠っているのではない。
「イオン」が関係する化学変化は、理科室の「実験」だけでない。
くらしのなかのいたるところで起こっているのだ。モノに働きかける歴史のなかでやってきたこと、これからもやっていくことなのだ。
 そのちょっとした事始め。
Dscf3162▼実験に入る前に、電流が流れるかどうかの<予想><実験の結果>の欄と一緒に「含まれるイオン」を書く欄を表に設けておいた。  
 表示ラベルをみて、予想して書く生徒もいた。
 前にやっていたときもそうだったが、この実験の最後にかならずやるのが、これらをミックスすることである。
キッチン・アルケミストのはじまりかな。

最後に科学のことばとして、「電解質・非電解質」を板書した。

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「熊楠」とこれからの理科教育(2)

Dscf3116▼昨日の朝の散歩は、少しゆっくりと時間をとって、ヒガンバナの結実さがしをした。例年、たくさんみつけることができる場所にでかけたが、そこにはなかった。その場所に近づく前に一カ所、そこから離れた場所に一カ所、2個の実をみつけることができた。結実の条件とはなんだろう。個体変異なんだろうか。えば年によってちがうのなら、環境条件のちがいによるのだろうか。今年は、定点観測地Aでも見つけている。
 2カ所でみつけたうちのひとつを、今年も家に持ち帰り、ミニ花瓶にさしてみた。
 ヒガンバナと言えば、この散歩でとてもめずらしいものに出会った。ヒガンバナの「遅れん坊」である。今開花しているヒガンバナである。このシーズ初の冠雪のニュースが流れる11/3に開花しているヒガンバナであるなんておどろきである。
▼昨日は、「熊楠」デーときめて、少し頭の中を整理するつもりでいた。しかし、それは予定だけおわってしまった。畑仕事に思わぬ時間を使ってしまったのである。
 と言いながらも、少しは意識だけはしたので、その断片を記憶が消えないあいだに、記録しておこう。
・「熊楠」への興味を焦点化すれば、それは「南方マンダラ」である。
・さらに焦点化すれば、それは「萃点」とはなにかということである。

 ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。予は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけざっと立てならべ得たることと思う。(人は理由とか原理とかいう。しかし実際は原理にあらず。不思議を解剖して現象団とせしまでなり。このこと、前書にいえり。故に省く。)心不思議は、心理学というものあれど、これは脳とか感覚器官とかをはなれず。したがって、心ばかりの不思議の学というものは今はなし、またはいまだなし。
……
これらの諸不思議は、不思議と称するものの、大いに大日如来の大不思議と異にして、法則だに立たんには、必ず人智にて知りうるものと思考す。さて妙なことは、この世間宇宙は、天は理なりといえるごとく(理はすじみち)、図のごとく(図は平面にしか画きえず。実は長、幅の外に、厚さもある立体のものと見よ)、前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数無尽なり。故にどこ一つとりても、それを敷衍追求するときは、いかなることをもなしうるようになっておる。
 その捗りに難易あるは、図中の(イ)のごときは、諸事理の萃点ゆえ、それをとると、いろいろの理を見出だすに易くしてはやい。……
 すなわち図中の、あるいは遠く近き一切の理が、心、物、事、理の不思議のにして、その理を(動かすことはならぬが)道筋を追従しえたるたけが、理由(実は現像の総概括)となりおるなり。
 さて、すべて画にあらわし外に何があるか、それこそ、大日、本体の大不思議なり。
(『南方熊楠 土宜法竜 往復書簡』八坂書房、P307~309)

▼「ふしぎ!?」の謎解きこそ、理科だ。ならば、これは理科教育の羅針盤になるのではないかというのが、私の考えだ。ここに科学の方法、謎解きの方法の秘策がかいてある。
「萃点」から取り組めと言っているのである。
熊楠は多様な方面での活躍がある。それはあまりにも広い範囲に渡る。
「民俗学の生みの親」「日本のエコロジーの先駆者」「粘菌研究者」「知の巨人」…
だから、あまり巨大すぎて全貌がみえにくい。
私は私自身の文脈で読むしかできない。
私には、彼はファラデーと同じく「ナチュラル・フィロソファー」の名がいちばんふさわしく思える。

<つづく>

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「熊楠」とこれからの理科教育

▼今日は、「文化の日」だ。そして、晴れの特異日らしい。月が満つる日でもある。少しだけ、自由に時間がとれる日でもある。一度、頭のなかの「交通整理」をする日としたい。
 私の一日は、このblogを書き込むことからはじまる。ここで、今日一日こうすると宣言してしまってスタートとすると結構うまくいくかも知れない。自由な時間があるときしか、そうはいかないから…。
▼「整理」の第一が、「熊楠」である。しばらく書き込まなくなった「熊楠」であるが、けっしてこの人のことを忘れてしまっているわけではない。この人へのこだわりは深まるばかりである。
 なにがそうさせるのか。それすら明確ではない。
「熊楠」についての5つの仮説が、深く沈殿していく。
 とりわけ3つ目の仮説の「沈殿物」が一番気になるところだ。
●【仮説 その3】
 「南方マンダラ」は、これからの理科(科学)教育の羅針盤である。

▼私は、熊楠研究をやろうとは思っていない。そんな能力もないし、許された時間もない。
気になってしかたないので、「気になるもの」の正体をすこしでもわかって、自分の仕事に生かせていきたいのだ。
・「熊楠」にとっての科学とはなんなのだろう。
・標榜する「等身大の科学」との関係は
・南方マンダラにみる「科学の方法」とは
・ファラデーの「科学」と熊楠の「科学」の共通点は
・100年前の「熊楠」が、これからの理科教育とどう関係するのか。

次々と考えたいことがでてくる。
こんなことで、一日で「整理」なんてできるものやら…。
まあ、やれるところまでやってみよう。

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【Web更新11/1】09-44【水溶液とイオン】更新

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 紅葉や ぶらさがりたる 生命あり
 09/10/29 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】09-44
週末定例更新のお知らせ

 11月初の更新である。更新と言っても、恒例のパターンである。blogのエントリーをWebベージに貼り付けるだけである。それに表紙画像を変えて、今週の一句を添えるだけだ。
 いつの間にやら、それも今年になって44回目を数えるようになっていた。毎週同じことを繰り返すというのもけっこう面白い作業だ。いつのまにか、それが「くらし」のなかに入ってきている。Webページとblog、それに加えて最近はTwitterだ。このTwitterという「小道具」なんとも無限の可能性を秘めているように思えてならない。
 自分自身の内部のなかでも、Webとblog、blogとblogをつなぐためのツールになりつつある。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ アメリカフウ
 昨日の校区内の散策でも、たくさんの樹木についての知識を教えられた。木の面白さをあらためて感じ入った。まちがなく「くらし」のなかに樹木とのつきあいがあると思った。それは、自然とのつきあい方の典型であるとも思った。「遊び」「食」「農」「ゆたかなくらし」「美」「芸能」…そして「科学」
 色づく校庭の樹木たち、たしかに冬仕度に入っている。でも生命はどこまでもつながっている。

◆【水溶液とイオン】更新
 帰ってきた「イオン」の学習がすすんでいく。どう考えてもおかしい。こんな面白い、そして大切な「イオン」が中学校理科から消えていたなんて。
 「イオン」に触れない物質学習とはなんだったのだろう。
 せっかく帰ってきた「イオン」を、前にもどすだけでなく、新たな展開を考えてみたいが、全体の流れは、やっぱ以前の通りになってしまっている。
 それが「有効」ならそれもいいかも。しかし、軌道修正はフレキシブルにやっていきたいと思っている。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新
 「試論」そのもものではない、「ファラデー」にふれたエントリーをここに入れた。
42年間続けた「ファラデーの日記」、パラグラフをつけての検索術、ここには、まちがいなく21世紀の今、これからの「整理学」の原初なるものがある。
 

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「常民の科学」は、今

Dscf2837▼11月が始まった。11月は【理科の部屋】の誕生月だ。16年前の1993年11月23日に@nifty(当時のNifty-serve)教育実践フォーラムの一会議室としてスタートした。考えてみれば、もう一昔、ふた昔前の話だ。それから、16年、この11月になると、この【理科の部屋】のことを意志的に話題にしてきたように思う。しかし、今年の11月は、なにかちょっとこれまでとちがったものを感じている。昨日で大賀ハスの植え替えから31週目であった。
▼今日は、かねてより計画していた「地域」を歩くことにしている。天気が心配だがなんとか小雨程度なら決行を考えている。地域の自然から学ぶことはもちろんのこと、参加してくださる方から、あるいは講師をしてくださる先生からいっぱい「科学」を学びたいと思っている。「科学」を発見したいと思っている。地域の「昔ばなし」「伝承」を訪ねて歩くのであるが、必ずやそこにも聞いておきたい「科学」が存在すると思っている。
「常民の科学」これまたなつかしい響きすらある言葉だ。庄司和晃先生にも、ちょっとだけほめてもらった私の造語だ。最近は、自分でも使わなくなってしまった。
 この「常民の科学」を授業に取り入ることこそ、私のライフーワークにしたいと思ったこともあった。
「常民の科学」に何を学ぶのかについて、こんな文章を書いたこともあった。
 今読み返すと少し恥ずかしいところもあるが、今も本質的なところは考えがかわっていない。
 今、多用しているのは「等身大の科学」だ。
 「等身大の科学」と「常民の科学」との関係は
熊楠の科学、ファラデーの科学(もっと当時は科学者という言葉はなく、彼は「ナチュラル・フィロソファー」と考えていたようだが)とどうつながるのか。それはこれからの私のテーマでもある。
▼とりあえずは、今日は、現時点での私のセンサーをフル回転させて、一見、科学とは関係なしとみられそうなところに、「科学」を発見してきたい。
 さて、どんな「発見」があるやら、…o(^o^)o ワクワク
 

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