「熊楠」とこれからの理科教育(4)
▼今日は、立冬である。それにしては比較的あたたかい朝である。この二十四節季のたびに、みごとな「科学」を感じる。「くらし」と自然界をみごとにつないでみせている。自然界にはたらきかけて、そこから有益なもの取り出したり生産したりして生きている。このときに「暦」は、羅針盤である。
「科学」なんていうものがない時代から、この「暦」はあった。伝承していくべき第一のことがらが、まるで「非科学的」なものとか、「古い」ものと受け取られて、切り捨てられいく今。
「科学的」ってどんなことなのか。今一度、問い返してみたい、「くらし」のなかで…。
▼「熊楠」にもどろう。熊楠は「物、心、事、理」の不思議の謎解きを科学と定義した。
その科学の方法論のモデル図を提示した。
それが「南方マンダラ」である。
それが、私にはWebのモデル図にみえてしかたない。
だからこそ、「これから」を示唆するものであるということになる。
▼「これからの理科教育」との関連で、この南方マンダラを読み解きたいという野望(「無謀」とも思える)を抱きはじめたのいつの時点からだろう。
浅学無知であるが故に生まれ来る「発想」
無手勝流であるが故に見えてくるものがあるやも知れぬ。
熊楠に言わせると
「あらかた片付け」たという「物不思議」にこだわってみよう。
等身大の「ふしぎ!?」の謎解きを繰り返しやってみよう。
なんか「整理」すると、見えてくるかと、ここ何日か、書いてみたが
「ふりだし」にもどってしまった。
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