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【授業】博物学から自然科学へ

Dscf1978▼朝の散歩で見るヒガンバナの花もすっかりと枯れてしまった。定点観察地のものもそうだ。今年の初見が9/6であったので、今日でちょうど一ヶ月になる。散歩の最終地点になる門先に、シロイロヒガンバナがある、少しおくれた開花であるが、みごとに開花した、それもすっかり枯れてしてしまった。その上に、角を出したカタツムリが鎮座していた。なぜかそこに生命の営みの多様さを感じて感動した。
▼授業の方だ。メンデルの「ふしぎ!?」をたぐり寄せる挑戦をした。一回目は教科書をなぞることしかできなかった。それも、けっして満足のいくものでなかった。「教えなければ…」ばかりが先行してしまって…。これは職業病のようなもの。
 週末にあらためてメンデルの『雑種植物の研究』を読んでみた。
教科書のルーツをたどったみたいなものだ。
▼この研究のどこが画期的なんだろう。この研究が発表されたのは1865年、それから35年間も置き去りにされた。再発見は1900年だ。時代が熟すのに時間が必要であった。あのダーウィンも目にしただろうに。
ここに生物学は「博物学」から「自然科学」の仲間入りをしたという。
 読み進めるうちに、正直言って「たいくつ」だ。私の思考回路にも35年間の放置と同じものがはたらいているのだろうか。数式、文字式の羅列に拒否反応がおこってくる。
 もちろん当時の生物学者と私の頭と同程度なんて不遜なことを言うつもりはない。しかし、感じ方はいくらかの共通するところがあるのかも知れない。
▼それにしてもメンデルをして、こんなことを思いつかせたのだろう。それは、彼が数学・物理学を深く勉強していたことと大いに関係するのであろう。
 私のなかにおこった「拒否反応」もそこに起因するんだろう。
ならば、それを利用して、あらたな挑戦を考えることができないだろうか。
池内了先生の言われた
「等身大の科学」
「新しい博物学」

というフレーズが浮かんできた。今日、再度挑戦してみよう。

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コメント

こんばんは。
メンデルの「雑種植物の研究」をお読みになられましたか。これは一種の科学論文ですから、読んで面白いというものではないと思います。でも統計的な方法を生物学に持ち込んだのは画期的なことだったと思います。地方のアマチュア科学者が当時としては革命的な方法で遺伝の法則を発見したのです。手法の画期的さと無名の科学者の発表でしたから、世に認められるには時間がかかったのだと思います。
メンデルの頭の中には熊楠のような複雑な曼荼羅はなかったと思います。非常に理路整然とした遺伝曼荼羅ができていたのではないかと思います。

投稿: sakamoto | 2009/10/06 20:17

阪本さん
おはようございます。コメントありがとうございます。
置き去りにされた35年間の意味は大きいと思います。
この後に一挙に「今にきっと私の時代が来る」となったわけですから…。
 熊楠と時代が重なるところもありますね。
メンデル流に言うなら
 「今にきっと熊楠の時代が来る」
これは、私の持論でもあります。
熊楠の場合は100年の置き去りがありました。

投稿: 楠田 純一 | 2009/10/07 05:45

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