« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

【授業】動物の有性生殖

Dscf1669▼今日、9月30日で今年度前半が終わる。今年度こそは、「こんなことを…」と思いながらも、折り返し地点であるである。我が地球は、太陽のまわりを半周したということだ。ほんとうに「等速度」で運動しているんだろか。と、なんとも馬鹿げたような疑問とも感動ともまじたような「ふしぎ!?」を抱く。
 またしても雨、雨のヒガンバナは なんとも哀しい。
▼さあ、授業だ。ピッチをあげるとは言いながらも、とぎれとぎれになったものを「つなぎ合わせる」作業をやった。
まず、教科書、ノートを使いながらである。「多様なる細胞の観察」「植物細胞と動物細胞」「成長と細胞分裂」等々…。そして「卵からヒトへ」のシナリオ。
 つなぎ合わせると、「ふしぎ!?」が少しずつ少しずつ蘇ってきた。それは、語る自分自身にもそうであった。
 たったひとつの受精卵から60兆個の細胞へ、このシナリオをもう少していねいに追うことにした。
Dscf1376▼ここでは、教科書に準じて「カエル」で話をすすめる。
でも、でもビデオで見た「ヒト」の場合がバックにあってのことである。
「受精」から「発生」へ。「発生」のプロセスを追っているとき、あの夏に聴講した渡辺憲二先生の講義『幹細胞の生物学』のことが思い出されてならなかった。
 定番のカエルの発生過程の模型と、もうひとつずっとこのときに使おうと大切においておいた模型をもっていった。この模型は、【理科の部屋】の伊笠先生に「おみやげ」にといただいものだ。
ずいぶんとリアルにできている。子どもの「おもちゃ」用のようであるが、十分に教材になるできだ。
こんなものが、ごく普通に手に入るようになるといいなと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【授業】遺伝で何をおしえるのか

Dscf1627▼昨日は、朝から雨だった。枯れかけたヒガンバナに雨は哀れである。その盛りの燃え立つ姿を重ねてみるからなおさらであろう。
▼ながく遠ざかっていた授業の再開である。【細胞と生殖】のもっともねらいとする「生命とは!?」に向けて急ピッチで思考していく。中学校に帰ってきた「遺伝」。
そこで何をどのように教えればよいのか。自らの頭の整理をつづける。
▼ビデオ『生命誕生』を見たひとりの生徒が書いた。

生命が生まれたとき、どこに「子孫を残そう」という知恵があったのでしょう。
私はそんなことが疑問に残りました。

 この「ふしぎ!?」にどう答えるのか。これも、また私のひとつの課題となった。
▼最近、読みかけにしている『オンリーワン・ゲノム』(鎌谷直之著 星の環会)に「遺伝学の三大革命」のことが書いてあった。
○1900年 メンデルの法則の再発見(形の時代)
○1953年 ワトソン、クリックによるDNAモデル(分子の時代)
○2003年 ヒトゲノムの全配列解明(情報の時代)
この三つの革命がほぼ、50年ごとに起こっているという。
 なるほど、説得力をもつ、「今」の時代をとらえ方だ。
「遺伝」で何を教えるのかについても示唆的である。
「遺伝」の「ふしぎ!?」を教える道筋を私なりに、もうすこし模索してみよう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

【Web更新9/27】09-39「新・クラウド「整理学」試論など

Dscf1407
キンギンの におい何言う 里の庭
 09/09/25 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 09-39
週末定例更新のお知らせ

 なんだろう。少しだけこの一週間でかわったことがあったような気がする。通常ではない一週間であった。
たくさんのことを学んだような気がする。「学ぶこと」は「変わること」だとしたら、また次の一週間、この一週間でほんとうに学んだのか。見えてくるだろう。「クラウド」「Twitter」…。新たな出会いになるだろうか。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ
 週のはじめから、金木犀・銀木犀のにおいが感じられた。(・_・)......ン?
金木犀ってヒガンバナと重なっていたっけ。記憶がいいかげんだから。少しいろんな人に聞いてみた。どうもちがうようだ。今年は異様に早いようだ。何が金木犀・銀木犀に起こっているのだろう。季節を読み取るレセプターが狂ったのだろうか。異変は環境の方にあるのだろうか。
 いずれにしても、金・銀の木犀を取りそろえた庭に、どんな思いが込められているのだろうか。

◆『クラウド「整理学」試論』始める
 よくわかっていないながら、等身大に語りながら、自分の「整理学」についての思考をまとめてみようと思う。
このblogで3つ目の試論である。試論であるから、どこへ行き着くかわからない。
単なる思いつきの覚え書き、メモ。少し未来に向けてを意識して「クラウド」をつけた。

◆ヒガンバナ情報2009 「日本ヒガンバナ学会」が3年目に入っている。
盛りはすぎたといえども、まだまだ人里にヒガンバナはいっぱいだ。今年は、少しちがった切り口でヒガンバナを追いかけていきたいと思っている。まだ、まだ観察をつづけてみようと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今、Twitterが面白い!!

Dscf1532▼昨日は、大賀ハス植え替え26週目だった。果托は完全におじぎをしてしまった。それは象徴的であった。大賀ハスのシーズンがすぎさりつつあることを教えてくれていた。しかし、それは私が感じるだけであって、当の大賀ハスは「生産」はやめない。まだまだ葉をひろげ栄養を生産し、地下の蓮根に蓄積をつづけている。みごとである。生きている営みにムダなどあるはずがない。
Dscf1549▼ヒガンバナもそうだ。定点観測地Aのヒガンバナもピークはすぎて白みはじめているが、花茎によっては今からというのもある。この花の営みに意味をなくしてしまった今も、ずっとずっとつづけてきたこの「システム」に急激な変化は不可能なのかも知れない。枯れ始めた花が「あわれさ」を誘うのは、そのためだろうか。でも、ヒガンバナのしたたかさは、そんなものではない。この後にこそ、この花の「戦略」のみごとさみせつけられるのだ。観察をつづけよう。
▼「整理学」試論をちょっとおいておこう。
今、どうしても書いておきたいことがある。それは、ここのところ毎日ふれている。
Twitterのことである。私がはじめたのは、この23日のことである。これまでいつもお世話になってきたecochemさんのすすめがあったからだ。それと、パソコンを新しくしたタイミングとが一致したのである。
 最初は、これはなんだろうという興味本位だった。ecochemさんがおっしゃる限りは、きっと面白いものであるにちがいない。しかし、今は「修復」と「整理」でそれどころではない、と正直思っていた。
また、同時に単なる「修復」に終わらせたくないとも思っていた。
▼自分で体験してみてわかった。面白い!!
まさにリアルタイムに、人とつながっていくのが面白い。あの「パソコン通信」(今や完全に死語(^_^;))がはじめてつながったときのあの感覚だ。
 私は、ほんとつくづくとラッキーな人間だと思う。いつもタイミングよく「新しい世界」に連れて行ってくれる人が現れる。「パソコン通信」時代もそうだった。
 インターネット時代に入ってもそうだった。インターネット版【理科の部屋】ができたときもそうだったし、自分で初めてホームページ(Webページ)をつくったときもそうだった。
 また、blogを強くすすめてくれたのも、これまでにお世話になってきた人だった。ありがたい限りだ。深謝。
▼今回もそうだった。ecochemさん(シェーマさん)のお誘いで入っていくと、さっそく『これからホームページをつくる研究者のために』の著者である岡本さんがフォローしてくださった。
次には、インターネットなるものを私にはじめて体験させてくださった渡部さんがフォローしてくださった。
ecochemさんが、私にもわかるようにカスタマイズ情報を発信してくださる。
 なにか「新しい世界」がどんどん見えてくるようだ。それも刻々とリアルタイムに…。
どこまでもいちばん面白いのは、ヒューマンネットワーク!!
▼「おーい どうしている」と思ったら ここをクリックしてみてください。https://twitter.com/junkusuda

| | コメント (2) | トラックバック (0)

新・クラウド「整理学」試論(4)

Dscf1298_2▼昨日の朝も、ヒガンバナの観察からはじまった。盛りをすぎたものも目立ちはじめた。イルカさんからいただいたシロバナヒガンバナも盛りをむかえたようだ。シロバナヒガンバナの系譜についても、例の『ヒガンバナの博物誌』をみているといろいろおもしろいことがありそうだ。
Dscf1349▼久しぶり、あのコウガイビルのいたナイロン袋をみた。もうあの「緑の水」はなくなる寸前であった。
「あいつ」(=私が、コウガイビルが分裂して増えたものと勘違いした生物)はまだいるのだろうかと顕微鏡でのぞいみた。やっぱりいた。残り少なくなった液の中に密集しているのだろう。何匹もが動き回っている。
では、乾ききったところでは、「あいつら」はミイラとなって死んでしまったのだろうか。
観察の後、水を足してやった。また一ヶ月ほどしたら、観察してみよう。生き残った「あいつら」は、分裂して増えているかも知れない。
ことば▼夕方には、DNA抽出実験のためのバナナとブロッコリーを買いにスーパーに行った。スーパーのいろんなものを「教材」という視点で見ていると、けっこう楽しいものだ。最近の楽しみのひとつである。
▼「整理学」試論をつづける。
要は、「データの保持と管理」をどのように進めるかである。
ここでの「データ」とは記録である。
それをどこに保持しておくのか。
ここは、我田引水で、ひとつの具体例をあげる。
◆「究極のクリップモーター」で考えてみる。
 もう20年以上前に、授業から生まれた「世界一シンプル」なモーター。
「究極のクリップモーター」と名付けた。それをペーパーでは報告していたがそのままにしていた。
Webページをつくるようになってからは、
おすすめ実験のひとつとしてアップして「あちら」で保持するようにした。
今、試しにきGoogleで「究極のクリップモーター」を検索してみる。それがトップにあがってくるはずだ。
それだけではない、他の方がそれをみて、さらに工夫されたバージョンも開発されているのがわかる。
また、いろんな実験教室でそれに取り組まれている様子がわかる。
今や教科書もとりあげている実験になっている。さらに「これぞ!究極!」というものも出てくるかも知れない。
「あちら」に保存する。ということはこんなことを言うのだろう。
 これを射程に入れた「整理学」を試行してみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・クラウド「整理学」試論(3)

Dscf1211▼昨日も朝は、比較的ゆっくりと散歩の時間がとれた。天気がよくなって青空の下のヒガンバナは最高である。
定点観察地だけでなく、田んぼの畦も、川の土手も見渡す限り、燃え立つヒガンバナの赤い松明の行列である。これに注目しない植物学者がいたら、教材化を考えない理科教師がいたらお目にかかりたいものだ。とちょっと大げさのことを言ってみる。たしかに、多くの植物学者がこれに着目し、こんなすごい花を咲かせながら種子ができない不思議を最初に指摘したのはあの牧野富太郎のようである。納得がいく話だ。教材化の方はどうだろう。
私の知る範囲では、本格的に教材化した授業を聞いたことがない。
 大人も子ども楽しめるような授業テキスト「ヒガンバナ」は私の夢でもある。
▼「整理学」の方の話をすすめる。とは言っても、そんな筋道たててのことではない。日常と思いつきのスケッチ・覚え書きである。9月12日に、とんだ失敗で、前のノートパソコンが使えなくなった。そこから、はじまった話である。
昨日でなんとか、使い慣れてきたATOKを新パソコンで使えるようにした。これでほぼ「修復」「復元」の方はできたことなる。
 しかし、これで終わってもったいない。これを、261日のコウガイビルの「再生」(=作り直し)の教えにつなごうと決意したのだった。(いつもオオバーと笑われそう(^^;ゞポリポリ)
▼「整理」は何のためにするのか。
それは、「知的生産」のためである。私にとっての「知的生産」の究極は「授業」である。
だから、ここで言っている「整理学」とは、授業を創りだしていくためのものといえる。
ここで、またしても思い出すのが
森山和道さんの「ネットワークと教育」のなかの次の文章である

そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。

例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。

 なんと示唆的であることか。
なんと今日的であることか。この文章はなんと、今から14年前も前、日本のインターネット元年と言われる1995年に書かれたものなのだ。今も、というより「今こそ」というべき不朽の提言だ。
▼ここで言う「蓄積」、「データベース」づくりのための「整理」、それが私の「整理学」だ。
私自身のネットワーク歴をたどってみると
パソコン通信(フォーラム)→Webページ→SNS→blog
と慣れないパソコンをいじりながら続けてきた。それは、ある面では「整理」の方法を模索してきた途ともいえる。
ここへきて、新しいものが、でてきた。それが昨日、ここにも書いた。
Twitterである。
これは、このblogのサブタイトルにもあげている「リアルタイムな等身大情報発信」にきわめて有効な道具になる可能性がある。
 情報「整理」の新たな道具になるかも知れない。
フォロー(登録)をよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・クラウド「整理学」試論(2)

Dscf1197s▼「日本ヒガンバナ学会」の満2歳の誕生日の昨日は、家の周辺のヒガンバナを満喫した。「おみごと!!」を連発をしながら。墓参りにも行った。
墓参りに行きながら、妻と話した。
「キンモクセイの香りがすごいね」
「そうなんだよな、学校のキンモクセイ・ギンモクセイに昨日気がついたんや」
「えっ、だいぶん前からやらで」
「そうやったかな、ヒガンバナとキンモクセイはいっしょやったかな」
毎年めぐり来る「季節のたより」をわかっているつもりで、あやふやなものだと思っていたら、ネットでクラリスさんがそのことを書いおられた。ひょっとしたらキンモクセイになにか異変がおこっているのかな。
▼めったとない機会と「整理」をすすめた。今やらなければ、いつまでもやることはないだろうと。
まずは、画像の整理だ。デジカメを使うようになってからも、ずいぶんとたまってしまっている。それまでも「写真」の整理が苦手で、ネガのままほかしてしまっているものもいっぱいある。
ところが「整理」の全体構想だけところで飽きてしまった。
こまったものだ。
「整理」のための「整理」なんて意味がない。
なにかにつなぐ「整理」でなければ…。整理ができない人間の常套の言い訳。
▼それにしても、このコンピュータとは便利なものだと思う。瞬時に「整理」をやり遂げてしまうのだから、コンピュータを触りだしてから、かれこれ20年になる。今も、初心者の域を脱出することはできない、コンピューティングである。
 今は、Web2.0時代から、「クラウド・コンピューティング」の時代であるという。
「クラウド」ってなんだ。いくつかの関連しそうなことをググってみる。
シロウトの大胆さで、仮説をいくつか
・「クラウド・コンピューティング」は、まったく新しい概念、モデルではない。
・クライアントにとってはそこから始まったのだ。
・ビジネスライクには「斬新」であっても、ふつうの生活者にとっては当たり前のこと。
・やっとコンピュータが「コンヴィヴィアリティのための道具」として再認識されはじめたのにすぎない。
▼「コンヴィヴィアリティのための道具」に関連して、昨日はじめてtwitterなるものを体験してみた。けっこう面白い世界だ。あらたなコンヴィヴィアルな世界が拡がっていくかも知れない、楽しみである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『日本ヒガンバナ学会』は2才に!

Dscf1063▼昨日は、世間ではシルバーウィークの後半、私にはその中日である。定点Aのヒガンバナも、一挙に花茎をのばし、今日の「彼岸の中日」に間に合わせた。定点Bでは、盛りをすぎりぐらいの勢いだ。散歩コースだけではなかった。通勤路・校庭もそうだった。用件があったもので、学校で仕事をした。
 通勤路では、定点Bに勝るとも劣らぬ場所が何箇所もある。思わず車のスピードを落とす。その「名所」をつないでみると、ある共通点が見えてくる。そこには、川があるのである。
川が氾濫するたびに、その球根がながれついたのだろうか。田の畔に集中しているのは人為的なことも加わっているのだろうか。
▼それにしても、こうもうまく「お彼岸」に開花の照準をあわせてくるとは、何度考えても「ふしぎ!?」だ。今年の「初見」は、9月6日であった、それから2週間あまりで、きっちり満開である。私のまわりは、今、ヒガンバナだらけだ。
そして、今日23日は『日本ヒガンバナ学会』の誕生日。満2才を迎えた。
2007.9.23この未来派学会はスタートした。
▼日浦勇さんは、『自然観察入門』(日浦勇著 中公新書 1975.3.25)の「墓参りの生態学」(P139)のなかで「ヒガンバナをめぐって」(P153)を書き、ヒガンバナ研究について興味深い提案をしている。
 ヒガンバナ研究の面白さを語り、最後に自分の故郷(徳島)の「ツブロ団子」に触れ、こう提案する。

私が言いたいのは、ヒガンバナだけでなく、ダンゴムシやイヌガラシだけでなく、あらゆる自然物にたいして幅広い大衆の個人的体験が掘りおこされ、集積され、日本人の出目や生活の知恵が問い直されるべきだということ、そのためにいろんな職業や地方の人からアマチュア学者が輩出することが望まれるということである。(『自然観察入門』P156より)

 なんというすごい提言だ。それも、34年も前の…。
私たちは、今、この提言に少しは応えることができるネット環境にある。
そのひとつが、『日本ヒガンバナ学会』であるとおもっている。
▼この小さな試みは、ひょっとしたら未来の『学会』を予見するものになるかも知れない。と少しは大風呂敷をひろげてみておく。
 mixiに参加されていない人も、ぜひ一度のぞいみてください。
面白そうだったら、ぜひ私の小さな「ヒガンバナ」物語書き込んでみてください。
面白い展開がまっているかもしれないですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・クラウド整理学試論(1)

Dscf1029▼昨日やっと、私の方も「シルバーウィーク」なるものに突入した。少しゆっくりと家の周辺の朝の散歩した。定点観測地は、もちろんのこと、それ以外の田の畔。川の土手はヒガンバナでいっぱいである。みごとである。
これぞ人里の秋の風物詩である。定点観測地Bは、毎年のように燃え立つような赤い松明の行列である。時代はめぐっても、ヒガンバナは季節を忘れてはいなかった。
▼朝から、パソコンの「修復」作業にかかった。新しいパソコンでWeb更新に挑戦してみようと思った。そのためには、ホームページビルダーを新しいパソコンで使えるようにしなければいけない。
わかっている人間にとってはなんのことない作業だ。でもいつまでも「初心者」の私には、けっこう試行錯誤の作業なのである。なんとか、これができた。この際、10年間の整理もやっていきたいが、まずは「引っ越し」だけにとどめた。
▼次が「メール」である。メーラーは、Thunderbird を使っている。この「引っ越し」が結構やっかいである。
メールだけは、なかなか一度うしなってしまうと「復元」が効かないデータだけに慎重になる。
メールをはじめたのは、もう20年近く前だ。それらの整理だっていつかは、いつかは思いながらも、今日まできてしまっている。夕方近くになって、なんとかThunderbird が動かせるようになった。
 修復の方は、あとはATOKの問題だけとなった。これとて、私にとっては難題であることは確かだ。
▼こんな作業をつづけながら、この作業を「修復」に終わらせるのはもったいないという気がしてきた。これをコウガイビルに学んだ「再生」(=新しく作り直すこと)に近づけたいと思うようになった。
 それには、絶好のチャンスかも知れないと。
この際、これまでを「整理」してみようと思う。それを推し進めようと思う。
▼「整理」ということについては、大の苦手という意識がある。だからこそ『知的生産の技術』に何度も何度も学ぼうとしてきた。そして、究極は『佐藤可士和の整理術』だと思ってきた。
 しかし、それはあくまで他人の「整理学」である。
 どんなに素晴らしくても、どんなに有効な技術であっても、あくまでサンプルにすぎない。
自分の「整理学」でなければならない。
▼自分の「整理」にパソコンを使う。これは私自身がパソコンを使いはじめた動機でもある。もともと、こういう機械ものが大の苦手な私には、ハードルが高かったが、ネットワーク作成マシン、通信のための道具とわかってからは、これを使いたおそうと思いだした。
時代は、Web2.0からさらに先の「クラウド」の時代に入っていこうとしているらしい。
「クラウドコンピューティング」ってなんだろう。それこそ私には雲をつかむような話。
 しかし、私にはどうもパソコンを使う原初なる目的にあったシステムのように見える。
▼そこで、突飛なことを思い立った。
このブログをつかって、「新・クラウド整理学試論」を書いてみよう。
それは、私のこれまでの「整理学」の整理であり、これからの整理の模索である。
できるだけ等身大に、具体的に、ここに記録することにより、私自身の「整理」が推進されることを願いつつ。
すでに、このブログでは二つの「試論」をすすめている。
「新・私の教材試論」
「新・「自由研究」のすすめ試論」
である。
これで三つの「試論」を同時展開することになる。
共通キーワードは等身大であること。
「新・」をつけることで未来形で語ること。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新9/21】「ヒガンバナ情報2009」更新

Dscf0844

秋風や こころコロコロ アラカシの
 09/09/17 (木) 撮影@安富

■楠田純一の【理科の部屋】09-38
週末定例更新のお知らせ
 今回の更新は、新しいシステムのなかで試みた。アクシデント以来、あたらにシステムの「つくり直し」をやっている。例によって私のことだから、一挙にすっきりとというわけにはいかない。
アクシデントで「蓄積」してきたものを喪失したかと思ったとき、痛切に思ったのは、「あちら側」に「蓄積」することの有効性である。この更新の意味もより重要になってくる。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ アラカシ
 少しずつ、ドングリくらべをしている。幾種類ものドングリの樹がある。それは、校庭の歴史を静かに語りかけてくれている。誇りの庭の歴史を少しずつ学んでみよう。

◆「ヒガンバナ情報2009」 更新
 ヒガンバナ情報こそ、私の情報発信の「原点」であり、そこにすべてのビジョンがあった。
情報発信の方法は変遷していくが、不易なものがある。それこそ、未来の「情報」「知」の在り方を教えてくれるもののはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヒガンバナの染色体が見たい。

Dscf0930▼今日は、お彼岸の入りである。今朝も昨日からの強い風が吹いている。昨日で大賀ハスは植え替えから25週がすぎた。「大賀ハス観察池」には薄氷も張るような日もあったのだから、それから考えると、季節がどんどんめぐっていたことを今更のごとく実感するのである。あの「あこがれの4日間」の残骸である果托は秋風にも耐えて凛と貯立する。それにしてもめぐる季節を植物たちは、どんなレセプターを使って感受しているのだろう。そんな不思議が頭をもたげてくる。
Dscf0935▼ヒガンバナだって、そうだ。今日から彼岸だということをどのようにして知ったのだろう。この情報をどのようにして読みとったのだろう。これまで、まったく気配すら感じなかったか場所にも、花茎が伸びてきている。
まるで、カレンダーをきっちり持っていて、スケジュールをたてていたように。これはみごととしかいいのない。
毎年毎年、気候は変わっているだろうに、それをも読みとって対応しながら微調整をしていく。こんなプログラムはどこに持っているのだろう。
 そのプログラムをしまいこんでいるのが染色体らしい。
そして、そのヒガンバナの染色体はとても大きいらしい。(『ヒガンバナの博物誌』による)
栗田子郎先生もこのヒガンバナの染色体との出会いが、感動的なものであったと語られている。
ならば、ぜひとも私も、この目でヒガンバナの染色体をみてみたい。
そんな願いが、生まれてきた。いつの日かぜひぜひ……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本のヒガンバナはすべてクローン!?

Dscf0873▼定点観測地のヒガンバナをはじめとして、彼岸の入りを前にして、一斉に花茎をのばしてきた。ものすごいエネルギーである。「あれよ、あれよ!!」という間のできごとである。
 もともとの私のヒガンバナの「ふしぎ!?」はここにあった。
このエネルギーはどこからやってくるのか。それは、一年をかけたヒガンバナのみごとな「戦略」にあった。そのみごとさは、「植物の生活」の有力な教材化への可能性をもっている。
それは、繰り返し語ってきたところである。
Dscf0882▼ヒガンバナには、さらに興味ぶかい「ふしぎ!?」がある。それは、どのようにして増えるのか。ということについてである。みごとな燃え立つような花、日本の人里を一斉に飾る花。
ところが、この花が不稔性であるというのだ。つまり種子をつくらないというのだ。
日本のヒガンバナは3倍体だという。ということは、減数分裂をしての有性生殖が不可能ということを意味する。
つまり、
日本のヒガンバナは、すべてクローン
ということだ。
定点観測地のヒガンバナも、校庭のヒガンバナも、ネットを介してみせてもらっている全国各地のヒガンバナも元をたどっていけば、同じところにたどりつくはず。
 なんという不思議だ。この「ふしぎ!?」を置き去りにすることなんてできない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ヒガンバナの博物誌』の再生読み

Dscf0849▼事は9月12日の朝に起こったのだった。とんだアクシデント、大失敗であった。
まだ一週間と経過していない。そのときに思ったこと。
◎「データのバックアップの重要性」
◎「こちらでなく(自分のパソコン)、あちらに(サーバー)に蓄積することの有効性」
◎「修復」でなく「再生」(作り直し)を

今考えてみると、最大のピンチは、最高のチャンスとなったようだ。
私の言う「再生」作業をすすめている。壊れてしまったシステムのなかから、有用なものだけを拾い上げて、また新しいシステムをつくるのだ。それは、まるで何も食べない環境のなかで「作り直し」を261日間も繰り返してみせてくれたコウガイビルのように…
▼ひょっとしたら、脳内の細胞のシステムもこのようなことを繰り返しているのではと思いだした。
いちど壊してしまって、有用な「情報」をつなぎ合わせる。そして、それはまったく「新しいもの」のような姿を整えながら…。本を読むという作業もそんなところがあるのかも知れない。
名著『ヒガンバナの博物誌』をはじめて読んだのは、この本が発刊されてすぐだっただろう。
その年のヒガンバナオフ(巾着田オフ)には、もって来ていた人がいたと記憶するから…。
もうそれから、11年が経過している。なんと今では著者自身とネットを介して話ができるまでになった。
ありがたいかぎりだ。
▼何度か読んだつもりになっているこの著を、いま読み返している。
部分的にいったら、毎年繰り返し読んできた。そのつもりであった。
「これまで」を壊して「再生」読みをしてみると、ずいぶんと、「発見」あるもんだ。
「あれ?ほんとにこんなこと書いてあったかな」と思ってしまうのだ。今は、「染色体」「遺伝」などに注目して読んでいる。このあとの授業に関連して…。
やっぱり面白い。さすが名著だ!
▼誰も抱く「ふしぎ!?」に応えながら、いつのまにかヒガンバナの魅力をぞんぶんに語っている。
まさに「新しい博物学」とは、こんなものを言うのだろうという世界を展開してくれている。
もっと、ありがたいことがある。それは、ほぼ完全なかたちで「あちら」にも蓄積されていて、いつでもWebでみることができるということだ。
◆『ヒガンバナの民俗・文化誌』
◆『ヒガンバナ属と呼ばれる植物』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

定点観測地のヒガンバナも

Dscf0794▼昨日16日の朝、ついに例年の定点観測地Aにもヒガンバナの花茎の芽が確認できた。この地はずいぶんと古くから観察をつづけている。家を出るとすぐの門先にある。外に出ればいつでも見れる位置にある。
いったいどうやっていつここへやってきたかは、不明である。
 「観察」、「観測」といっても、なにか特別のことをやるわけではない。一日一度だけデジカメを向けるというだけである。
▼連続して、毎日観測した記録で古いのは、10年前の1999年の「50日間連続した画像記録」がある。この時で、9月11日にスタートしているので、そのときより5日遅いことになる。
このときも、きっちりとお彼岸の中日には開花させている。
あれから、10年経った今年はどうなるだろう。どう展開してくれるか楽しみである。
かなり「浮き株」も出てきて老齢化していることは確かだ。環境的にもずいぶん変化してきている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

校庭のヒガンバナは

Dscf0755▼昨日は、朝から雨だった。その雨とヒガンバナには、深い関係がありそうだ。しかし、それを詳しくは知らない。
定例の朝の散歩は、いつもと同じコースだ。その散歩の終わり近くになって私は、それをみつけた。
校庭のヒガンバナだ!
 昨年から、少なくとも三か所でみつけている。
 そのひとつは、校門近くだ、門柱のすぐそばだ。おそらく一株だけだろう。
まだ、花茎は芽をだしたばかりである。一昨日は気付かなかったのに・・・。
どうして、ここへやってきたのだろう。グランドの土と一緒にここへやってきたかのだろうか。
松江先生の「32年間で1球が926球に分球する」という研究からすると、そんな年月は経ていないような気もする。
意図して、誰かが校庭に持ち込んだのか。
自然の作用によるものなのか。それを推理だけでもけっこうおもしろい。
▼散歩の後、職員室の自席にすわって、窓の外をみた。そこからも、見える位置二か所、北側と南側にヒガンバナの株があるのだ。いずれも土手である。なんと、贅沢な場所だ。
Dscf0769昨日みつけたのは、北側の土手、桜の木の下である。そこに、数株ある。
坂道の土手だけに、そこへは流れてきた可能性が高い。
道路工事と関係あるかもしれない。ここも、同程度に花茎を伸ばしていた。
 けっこう注意深くみていたつもりだが、ひとつを発見してみる観察とはちょっとちがうようだ。
いまのところ、この二か所だ。さあ、今年は何箇所まで校庭でみつけることができるだろう。
▼「校庭のヒガンバナ」に注目するのはいくつかの興味ぶかいところがあるからだ。
・校庭というところで、すぐさま「教材」になりやすい。すぐに一緒に観察ができる。
・葉の季節になっても、「この通り」とすぐ観察できる。年間を通しての観察ができる。
・フィールドを限定することで、そのヒガンバナのルーツをさぐることができる。
・その「ヒガンバナ物語」がつくれる可能性がある。
まだ、まだありそうだ。
学校でも「定点観測地」をつくって、観察をつづけていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今年もヒガンバナを追う

Dscf0717▼気が付いたら、やっぱり今年も「ヒガンバナ」を追っていた。散歩でも、車にのっていても、どこにあっても目がヒガンバナを追っている。
・いつ開花するだろう
・この球根はどこからやってきたのだろう
・誰が、いやなにがそこへ運んだのだろう
それを考えながら、ヒガンバナを見ていると、そのヒガンバナの「歴史」を追いたくなる。
それができるのも、日本のヒガンバナが「種子」をつくらないからだ。
Dscf0734▼ヒガンバナを追っていると、いろんなことが付随して見えてきたりする。
それもまたおもしろいのである。
仕事で、南北に長い校区を車で往復する機会が昨日あった。
北の端にいったとき、ずっと気になっていた「あれ」を見た。すごかった。
「あれ」とは、「表紙画像集2009」にも、校庭の樹木シリーズの番外編としてあげた。
ヤマボウシである。
たくさんの花をつけている姿もすばらしかった。樹木の花で、この花が文句なしにいちばん好きだ。
やさしいクリーミィな白、そして中央に緑。なんとも表現しがたいような自然そのものの美しさをもつ花だ。
その花の「その後」がずっと気になっていた。
今度行ったときは見よう見ようと思いながら、昨日になってしまった。
見事だった!
花もすばらしかったが、この鈴なりの実もすばらしい。
花ができて実がなる。当たり前のことだが、これにもまた感動してしまう。
花と実もセットにして、やっぱりいちばんの「お気に入り」にしておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新9/13】09-37「ヒガバナ情報2009」更新

Dscf0622
こころざし 高き空にぞ ふくらまん
 09/09/10 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】09-37
週末定例更新

 この週ほど、生活周辺にいろんなことが起こった週もめずらしい。このWeb更新も難しいかもしれないと思っていたが、なんとかこれだけはできるようにした。なぜ、これにここまでこだわるのか私にも不思議だ。
 今回のアクシデントでよくわかった。

「蓄積」に意味があるのでない、今、何を「創造」できるかに意味があるのである。
生産的な営みにつながらないものをいくら「蓄積」したところで、それ自体には何の意味もない。だからと言って、「蓄積」に意味がないのではない。「蓄積」しようとするときに必ずしも価値が判断されるとは限らないのた゜から。
まだ、まだ完全修復はほど遠い。しかし、単なる「修復」でなく、コウガイビルの「再生」をめざそう。
 ぼんやりと、クラウド【理科の部屋】のフレーズが浮かんだりする。

◆表紙画像集2009 更新 校庭の樹木シリーズ ドングリ
 校庭にも、そして周辺にも、「ドングリ」と呼んでいる実をつける木が何種類かある。私は、恥ずかしながらこの木の識別がよくできない。今年は、何回かに分けて、デジカメ向け、へたな句を詠みながら、少しだけ見分けられることをめざそうと思う。いっぱい栄養をもらったであろう「ドングリ」が、高くなる空に、その志をふくらませているように見えた。

◆「ヒガンバナ情報2009」 更新
 いよいよ今年も、この季節がめぐってきた。今年は、「繁殖」ということに注目しながら、観察をつづけたいと思う。それにしても、定点観測地Aではまったく気配がない。こんなことでお彼岸の中日に間に合うのだろうか。こちらがあせってくる。

◆【細胞と生殖】更新 授業が、行事等でとぎれている。今のうちに、このあとの準備を具体的にすすめておきたい。
情報の収集も。

◆新・「自由研究」のすすめ試論 更新
 究極の「自由研究」のすすめは、「新・学問のすすめ」である。というところまできた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

奇跡的「復活」から

Dscf0659▼地球が等速度運動をするかぎり、時間は確実にすぎていく。大賀ハスも植え替えから24週が過ぎている。
大賀ハスは葉のほうは枯れる体勢に入っている。どこまで、地下に栄養をためこんでいくかが最大の課題なんだろう。それでもいいんだ!蓮根で殖えていく手だってあるんだから、次世代にちゃんとバトンタッチはできるのだ。
久しぶりの本格的な雨だ。果托の実が入っていたところには、雨水がたまっていっている。
 この雨は、ヒガンバナにどのように作用するのだろう。今の雨は影響ないのかな。
▼昨日の朝、恥ずかしいような初歩的な大失敗をして(コーヒーをこぼしてしまったのだ)、ノートパソコンがうごかなくなったのだ。私は、あせった。
とうぜん、それに接続している外付けHDDもである。一瞬パニックになりそうであった。これまでに蓄積してきたものがなくなるのかと思うと。しかし、冷静に考えると、外付けであるから関係はなかった。
 しかし、ノートの方はまったく動かなかった。つれあいのノートを借りてブログだけは、書いたが、そのあとのことで途方にくれてしまった。
▼システムも含めて、バックアップをとっておけばよかったのにとさんざん悔やんでみた。
悔やんでも、過去へはもどれない。
新機購入を考えていた。ところが昼ごろになると「奇跡的」に復活したのである。電源を入れてみると、元通りつかえる。しかし、キーボードのいくつかの文字は反応がない。
しかし、使えることは、なによりシステムを含めて、デ-タが残っているのがうれしい。
▼このアクシデントは、私にたくさんのことを教えてくれているようだ。
バックアップの大切さはもちろんのこと、
「蓄積」に頼るのでなく常に「つくり直す」(コウガイビルの教え)ことにこそ意義があることを。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【授業】【細胞と生殖】のこれから

▼困ったことができてしまった。何度も経験してきたことだ。なんとかなるだろう楽観視することにした。
261日のコウガイビルが教えてくれた。「再生」とはなにか。
修復や追加ではない。「再生」とはつくり直すこと と
▼気持ちを取り直して、残っていることで、やれることを順番をつけてならべてみよう。
やっぱり、いちばんに来るのは、【授業】だ!!
授業は、「卵からヒトへ」そして「動物の生殖」「発生」「胚」のまとめあたりにある。
続いて、「植物の生殖」「無性生殖」とやり、いよいよ「遺伝」である。
 いつの間にやら、高校の生物に移ってしまっていた。
そして、この度の移行措置でもどってきた部分だ。
DNAを含めて、バージョンアップしてもどってきた。これは、当然といえば当然である。
今を生きる中学生に「DNA」を教えないなんて、ありえないことだ。
では、それをどんな教材を使って、どんなすじみちで教えていくのか。
私には、未知なる体験である。授業づくりの原点にもどって考えていきたい。

 こんなときに・・・(^_^;)
なげいてもはじまらない。前にしか道はない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論(22)

Dscf0597▼朝の散歩で見るヒガンバナは、赤く燃え立つ松明の行列に向けて、着々とあちらこちらに火がつけられたようだ。稲穂の実りにあわせるようにしながら。
 ふっと思う「ふしぎ!?」。これらは、三倍体の遺伝子をもつ、ならば種子をつくらない。ではこれらはみんな、分球によって増え、水ないし動物(人為的)が運んで勢力範囲を拡げていった。では、こいつはどこから来たんだろう追いかけることができるのではないか。これまでの研究家たちがやったきた試みだ。
追試はどこまで可能か。「ルーツを辿る旅」を夢想してみたりする。
▼新・「自由研究」のすすめ試論をつづける。
「仮説」とも現段階での「検証結果」とも言えるものかも知れない。
(2) 「ふしぎ!?」はつなぐことによって豊かになる。
  等身大の「ふしぎ!?」、それ単独では一歩もすすまないし、それだけでは単なる「なぞ、なぞ」にすぎない。
いろんなところにリンクしていく。いろんな「ふしぎ!?」につないで行っている。それが面白い。
 どこに、どのようにつなぐか。そこが「自由」なんだ!!
だから、「自由研究」というんだ。決められたコースではない。
 これまでの授業のなかでの「ふしぎ!?」とつないでくれたケースも結構あるのがうれしい。
▼また、これを続けることがあるかも知れないが、それがいつともわからないので、とりあえずもう少し結論めいたこともメモしておく。

(3) 「アカソナキ」方式は有効である。大なり小なりこれを繰り返す。
 自分もこの夏「日食」「大賀ハス」「熊楠」「コウガイビル」等を追いかけた。そのなかでの思いつき、遊び心も手伝っての、自由研究の方法論の表明。
 生徒たちの研究発表を聞いていて、少しずつ確信するようになった。面白いと思える「自由研究」は、これをやっている。意識するしないは別にして、これを繰り返してやっている。
 そして、それが「面白かった」と言っている。

(4) 「自由研究」のすすめの究極は「学問」のすすめである。
 これは、昨年度からの繰り返しである。
 今こそ、21世紀向け、Webの時代向けの「新・学問のすすめ」が必要だ。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新・「自由研究」のすすめ試論(21)

Dscf0582▼昨日の朝の散歩でも、定点観測地のヒガンバナの観察をした。
「観察」とは言っても、ただデジカメを向けただけの話だ。定点観測地を設けて何年になるんだろう。散歩道にこれまで二箇所設けていた。ひとつは、門先のA地点。もうひとつは、散歩道でいちばん「群生」がめだつB地点だ。
今年は、これに加えて、「初見」の場所、C地点を加えることにした。このC地点は、水が十分に供給される場所である。B.C地点ではすでに、開花しかけたものも現れた。A地点は気配すらない。かなりの浮き株になっているし、今年は、お彼岸の中日には間に合わないのかな。今年のヒガンバナでは、「染色体」のことも少し追いかけてみようかな。と思ったりしている。
▼長年の私の「ふしぎ!?」のヒガンバナのこと考えはじめだした。
それ「ばっかり」病にならないうちに、15の夏の「ふしぎ!?」の話、つまり「自由研究」のことについて、一応のくぎりをつけておきたい。
 全員が、その作品を出してくれた。それを見せてもらいながら、あるいは一口プレゼンをつけて発表をしてもらった。それを聞きながら、思ったことをまとめておく。
▼まず、全体的な印象として、これまでに私が聞いてきたものよりはずいぶんと
「自由研究」らしく!!なってきた。と感じる。
それは、どこからきているのだろう。これまた、いくつかの「仮説」をたててみる。
(1) 「等身大の科学」の意識が少しずつ芽生えてきている
 少しずつ、自分の「ふしぎ!?」をだいじに考えるようになっている。
テーマ選びも、借り物の部分が少なくなってきている。だから、発表を聞くときも、「なるほど!!」という感じ持って聞いている。身近なものをあつかったものに対する「共感」の評価が高い。
 同じテーマであったものでも、「等身大の科学」では動機が明確である。
 このことが、ずっと「ふしぎ!?」だったんだと語れる。それがいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【授業】科学読み物「彼岸花の一生」

Dscf0548▼どうしてなんだろう。「自然」というやつが、こうも律儀なのは。
今年の開花は、遅れるのではないかと思っていたヒガンバナであるが、確実に例年どうりにお彼岸の中日あたりにターゲットをしぼって展開してきている。
 こちらはというと、ちょっとしたことがあって、生活のリズムがくずれ、バダバタしているというのに…。ヒガンバナの律儀さに感服してしまう。
▼みつけていたものは花茎はスルスルとのばし、日ごとに姿を変えていく。気づかなかったところにも、どんどん花茎が顔をだしてくる。
 このエネルギーはどこにあるのだ。?(゚_。)?(。_゚)?
 これがヒガンバナの「ふしぎ!?」のはじまりだった。
その「ふしぎ!?」を自分に生徒に問いかけるつものりで、
科学読み物「彼岸花の一生」を書いた。
ずいぶん古いことだ。今から10数年も前のこと。
▼授業で自分で書いたものを、使いたいと思いながら、その機会はあまりなかった。
きっと、これが最後のチャンスかなと思いながら、プリントアウトして教室に持ち込んでみた。
ひとつのクラスでは、「自由研究」の発表のあとに、私の「自由研究」のひとつとして
もうひとつのクラスでは、「植物の生殖」の授業の延長線上に…。
両方とも十分な時間がとれなかった。
 最後は、ぜひ読んで置いてくれ そして 「このヒガンバナを観察しよう」と呼びかける終わった。
私自身は、
・校地内のヒガンバナの観察
・校区内の群生地の発見
からはじめるつもりだ。
 さあ、今年のヒガンバナの「ふしぎ!?」を追う旅はどのように展開していくだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヒガンバナの季節に!

Dscf0525▼今年もこの季節がめぐってきた。ヒガンバナだ、草むらからスルスルと花茎をのばし、気が付けばみごとな赤く燃え立つ松明の行列。そんな季節がやってきた。
 例年、この時期には注意深く、花茎の芽が出てくる、その時を見逃さないようにチェックしているつもりだが、ついつい見逃してしまう。それぐらい、またたく間のできごとなんだ。
▼今年の初見は、9月6日(日)の朝の散歩だった。いつもの初見の場所ではなく、今年の夏の豪雨のときに、水に浸かっていた畦だった。そして、7日の朝には定点観測地Bの地点でみつけた。
 もうすでに、花茎はのびて、その先にトンボが休んでいた。この畦が真っ赤にそまるのは、もうすぐだろう。
 もう意識的にこの観察をはじめて、どのぐらいになるのだろう。
▼「ヒガンバナ情報」として、Web発信をし始めてからでもだいぶん年月が経つ。1998年の春が最初だったろうか。そうすると、今年で11年目ということになる。今年も「ヒガンバナ情報2009」はすでにたちあげている。
その方の準備はOKだ!!
 ヒガンバナに関して特化したコミュニティ「日本ヒガンバナ学会」も、3年目の展開になる。今年はどんな展開があるのだろうと楽しみである。
▼たかがヒガンバナ、されどヒガンバナ。
こうしてみると、私にとってはヒガンバナは特別の意味をもった植物である。
「熊楠」流に言うなら、ここに私の「萃点」があると言える。

『諸事理の萃点ゆえ、それをとると、いろいろの理を見だすに易くしてはやい。』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【Web更新9/6】09-36【細胞と生殖】更新

Dscf0440
串団子 笑顔ニンマリ イヌマキの
 09/09/03 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】09-36
週末定例更新のお知らせ
 どうやら、このblog自体の累計アクセス数が、10万を突破したようだ。\(^O^)/
アクセスカウターを二つつけている。上の方につけているのは、同じ方が一日に何度アクセスしても変わらないようになっているようだ。下の方はそうではない、ほんとうの延べ人数である。上の方は、ちょっとうまく働かなかった時期もあるので、下の方が信憑性もあるかなと思っている。また、一日のうちに何度も読んでくださることを考えると意味ある数かな。とこのごろは都合よく考えることにしている。
 10万という数が、どんな数なのか。具体的に私にはイメージできない。
 もともと「明日の自分への発信」と思いつつも、やっぱり多くの方が読んでくださるというのはうれしい限りだ。
そこから、明日の自分が学べる機会が多くなるということでもあるから。
 Webページの方も、22万を越えている。こちらの方は、blogの上のカウンターと同じ仕組みだ。
これらのアクセスに応えて、Webページ・blog・SNSこれらを連動させなが、拙い小さな歩みではあるが続けていこうと決意する。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ イヌマキ
 先週のはじめに、校庭を散歩していたら、2学期がはじまって登校するある小学生に出会った。夏休みのあいだ顔見なかったので、久しぶり出会った。彼が校庭で笑顔でいたので、近づいてみた。彼が教えてくれたこの校庭のイヌマキの串団子を…。「こうしたら汁がでてくるやで…」と。実演つきで…。以後、それに目が行くと、こちらもニンマリしてしまうのである。

◆【細胞と生殖】更新 とぎれとぎれの授業になっているが、ある程度自分のなかで、この単元のシナリオが見えてきた。
発生、遺伝、DNAへと「ふしぎ!?」をうまくつないでいきたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「熊楠」再訪から一ヶ月

Dscf0471▼昨日で、大賀ハスの植え替えから23週がすぎた。大賀ハスの実は、8月31日に5個とも一挙に落ちてしまった。果托は、まだ上を向いたまま佇立している。少し木質化したようにかたくなっている。
「あこがれの4日間」からも、一ヶ月はすぎた。あの4日の「ふしぎ!?」も、「仮説」も置き去りにしたままだ。きっとどこかにつながるはずとは思っているが。
Dscf0476 葉は、枯れるものも現れてはきているものの、まだまだ偉大なる営みを繰り返し、栄養を蓄え続けている。はたして、どんな蓮根が地下から見えてくるのだろう。来年の春の楽しみである。
▼「ふしぎ!?」「仮説」の置き去りと言えば、あの「熊楠」再訪からも、今日でちょうど一ヶ月だ。
あの「熊楠」再訪は、私にとってなんだったのだろう。少し時間的距離をおいて見えてきたものがある。
そもそも、なぜ「再訪」だったのか。
「熊楠」についての5つの仮説
 この「仮説」の吟味・検証こそが私の再訪のねらいであった。
そのねらいはどこまで達成できたのか。少しずつ見えてきたものがある。
▼【仮説 その2】に「熊楠」はこれからの人である。
と書いた。間違いなくそのようである。100年前の過去の「知の巨人」ではない。これからの人である。
私は、南方熊楠の研究者になろうとは思わない。
あの守備範囲の広さにはかなわない。蓄積された「知」の絶対量にしても、比較できるようなものではない。
最初は、柳田國男への興味から派生したものとして、南方熊楠への興味が出てきた。
また、ヒガンバナの味方についた人物として興味があった。
今はちがう。
Dscf0483▼どうちがうのか。「熊楠」についての興味というより
「南方マンダラ」への興味と言った方が正しい。「萃点」とは何なんだ。
ここに間違いなくホンモノがある。
これからの「学問」「科学」が示唆されている。
再訪から一ヶ月がたち、それは「仮説」から「確信」にかわりつつある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【授業】卵からヒトへ(2)

▼授業はとぎれ、とぎれになるが、それでも授業をやっているときが、いちばん楽しい。
授業があるから学校なんだと思う。
学んでいるのは生徒だけではでは、私自身にも学びの喜びや楽しさをあたえてくれる。
ありがたい限りだ。
■NHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体」〜生命誕生〜 
1989(平成元年)6月10日放送:49分
 ほんとうは両クラス一日で見せてしまうところであったが、時間割の関係で2日にわたっていうことになった。
あまり長時間、番組をそのまま見せるということはやってこなかった。
見どころの映像を編集して見せることを考えないわけではなかったが、今回はそのまま見せた。
▼時間いっぱい見たので、『「生命誕生」を観て』と題しての感想は、宿題にするつもりだった。
ところが、即刻、感想を書いてくれた生徒も多くいた。
読んでいると、こちらの意図を越えて、よくぞそこまで!!というのも多い。
・「生命誕生」を見て、ぼくたちが知らないところで、すごいことがおこっているんだなぁと思いました。
・生命の誕生の流れを見て、ぼくたちはあたりまえにここにいるんじゃないということが分かってよかったです。
・はじめはめちゃめちゃ精子の数が多いけど、最後には、とても少なくなるので今、僕たちがここにいることは、とてもすごいなぁと思いました。あの一つの精子(卵)が、目や耳や鼻や口やいろんなものができているなんてなんかすごいと思った。
・生命の誕生する瞬間がみれてよかった。地球だからできるということは知らなかった。
・むずかしいことばかり言っていたけど、DNAがどのようにして子どもをつくるのにはたらくのがすごくわかってよかった。
・生命誕生、小さな細胞達が互いに生き残るための知識を混ぜ合い起きた”奇跡の瞬間”だと僕は思います。
・私が、子どもを生むときたら、少し意識できたらいいなと思います。
・最初の大きさ1ミリで手足もない形からどんどん大きくなって小さな心臓ができて手や足やできてきて人間のかたになっていくところが、とても感動しました。
・あの映像に映っていたように、私達はひとつの細胞で、今は15才になり大きくなっているので、すごいなーって感じます。そう考えるとお父さんもお母さんも、おばあちゃんも何十年か前に一つの細胞…。なんかおもしろいです。これからの授業にちょっとだけ興味が出てきました。

Cell▼そう見えるのか。とても教えられるところも多い。
この【細胞と生殖】の授業の最大のテーマ
もっとも問いかけたい「ふしぎ!?」に少しずつ近づいてきているのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【授業】卵からヒトへ

▼今もときどき、私のblogの検索フレーズランキングに「京大型カード」というのが、ランキングされることがある。
自分でも驚いてしまう。たしかに、このblogを毎日続けようと思いだしたころに、あの名著『知的生産の技術』をここで読んだ。
 そのときのエントリーが検索にかかるんだろう。
 それを見たとき、なんとなくうれしくなってくるんだ。ひょっとしたら意図したことが、少しずつ実現しているのかも知れないと思えるからである。
▼意図したこととは、このblogのエントリー記事を、一枚のカードに見立てて、「一項目一枚」の原則に従い「一日一枚」の記事を書いておく、いつの日か、その蓄積されたものをキーワードで検索してみてつなげてみる。
 そして、それをこれからの「知的生産」に生かす。
 私の場合、そのひとつが【授業】である。全授業を一枚の「カード」(エントリー)にしておく、いつかそれをつないで、次なる授業にする。その試みも、量がふえてくるに従い、少し有効性がみえてきたようだ。
だから、こそ続けよう。些細なことも書き込むことを。
▼とぎれとぎれになるが、【細胞と生殖】の授業をつづける。
細胞分裂の授業の次は、生殖である。
もう、ずいぶん前から構想だけは練っていた。
ここでいちばんやりたいのは
・たったひとつの細胞(受精卵)が60兆個の細胞になるプロセス
この「ふしぎ!?」こそが、この単元のメインのひとつである。
他の動物・植物も、もちろん意義あるが、やっぱりいちばん身近であり、いちばんの「ふしぎ!?」の集中するところは、自分自身だ。
▼DVDを見せた。こんなときは、言葉よりも映像が説得力をもつ。
■NHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体」〜生命誕生〜
 1989(平成元年)6月10日放送:49分

 なんと、はじめて放映されたのが20年前とは…。
内容にまったく「古さ」はない。すごい説得力をもつ、「細胞の対話」「DNA」に触れているのも、この後の学習につながる。
 私は、みながら夏休みの渡辺憲二先生の『幹細胞の生物学』の講義を思い出していた。

<つづく>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Web版「はしりもの・かわりだね」の可能性

▼いろんなことが一緒にどっとやってきたら、その情報をいちどならべてみて順番をきめてやっていく。
「空間の整理」→「情報の整理」→「思考の整理」といく。
これは佐藤可士和に教えてもらったこと。「整理」のプロセスだ。
久しぶりに思い出していた。そんなところに今、自分がいるということだろう。( ゚o゚)ハッ
▼熊沢文男著『自然の観察』(新生出版)を読み進めていたら、「かわりだね・はしりもの」というのが出てきた。
なにか、なつかしい響きだ。
自然観察の本質をつく、すぐれた取り組みだ。
理科教育史上でも特筆されるべき実践である。ある時期、日本の理科教師たちは、これに夢中になった時期がある。小学校から高校生まで、いろんな報告を聞いたことがある。
 いつのころからかあまり聞かなくなった。
▼もう、今の時代に流行らない実践なんであろうか。教材や教育実践にも、不易と流行がある。それはそうだろうと思う。時代のなかでの理科教育であり当然とも思える。
問題は、なにをもってして「不易」とするかである。
実験にも、「定番」実験があるように、
自然の観察にも、「定番」の観察の手法があってもいいのでは、
それにこの「はしりもの・かわりだね」は相当するのではないかな。
▼私は、Webに少し、なれてきたとき、これをWebでできないだろうかとこれに挑戦したことがある。
◆Web版『はしりもの・かわりだね』
がそれである。
面白かった。それは、全国をフィールドする。「はしりもの・かわりだね」だから、はじめて知ることも多くて感動もし楽しかった。画像をともなってであるので、よくわかった。
 大人がやって面白かったのだから、これは子どもたちがやったらもっともっと面白い展開になるだろう。
 今すぐ無理であっても、いずれは、もっともっと進化したかたちでの取り組みがはじまるかも知れない。
そんなこと思いながら、熊沢文男先生の文章を読んでいた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二つの『自然の観察』

Dscf0406▼2学期の始まりの昨日も、まずは「一日いちばんの空」の観察からはじまった。ほんと、きれいだ。
次には、散歩である。学期がじまったので、朝は定例の散歩も2回とする。
ひとつは、家の周辺での散歩。ヒガンバナはまだかと定点観測地、群生観測地を気にかけながら…
もうひとつは、校庭の散歩である。登校してくる生徒、部活動をする生徒とあいさつをかわしながらの散歩である。
それは、ともに私自身の「自然の観察」という目的も兼ねている。
▼私の今手元に、この『自然の観察』というタイトルの本がふたつある。

●『自然の観察』(熊沢文男著 「理科をどう教える2」新生出版 1982.4.10)

●『自然の観察』(復刻・昭和16年文部省著作・発行 編集・解説 日置光久他 農文協2009.3.15 )

である。
 ともに、私の「自然の観察」にとっては、示唆的であり面白い。
 まだ、両方ともに拾い読みである。
しかし、共通する思考・主張があると感じている。それは、
●最高の教科書は、自然!!
●最高の指導書は、子ども!!

である。
 2冊を読み進めながら、秋の「自然の観察」を楽しみたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大賀ハスの実が落ちた!!

▼今朝起きて、すぐ外に出た。東の空にみごとなオリオンがゆっくりと登りはじめていた。そして、ひんやりとした風が肌寒さすら感じさせる。ああ、そうなんだ季節が確実に移ろいでいるんだ。「自然」とは、そんなものである。
 昨日、つまり8月31日。この私の今年の夏を象徴するようなことが起きた。
Dscf0332▼例の大賀ハスの実が落ちたのである。なんという偶然であろう。夏休みの最終日にである。それ以外の日であればそれを見逃してしまっていたかも知れない。朝、出かける前に、その様子を見に行った。果托が異様に黒ずんできているのが気になった。そこで、いつもそうするわけではないが、これは「記録」しておこうと、デジカメを向けた。そのときは、間違いなく果托の子房のなかに、実はあった。5粒そろってあった。どんなかたちでこの実は、落下するのだろう。少しは、阪本祐二先生の文を思いだし、イメージはしていた。しかし、それが「今日」であるとは、まったく思っていなかった。
Dscf0353▼2学期の準備して、夕方、帰宅した。いつものように、大賀ハスの場所に行ってみた。近づくに従って果托が、朝より、より黒ずんでいるように思った。一日でこんなに変わるものなのかと、少し驚いていた。
 しかし、驚くべきことは、それだけでなかった。もっとすごいことが起きていた。
 朝、確かに果托にあった5個の実がないのである。あった場所が空っぽなんである。5つともないのである。
あれ、これはイメージしていたこととちがう。果托が下向くのではなかったのか…。
 確かに、一日、秋めいた北からの風が強かった。しかし、…
Dscf0383▼私は、あせった。では、あの実はどこへ行ったのだ。真下の水面にひとつは浮かんでいた。落ちている!!
捜した。池のなかはもちろんその外も、なんと池から1m以上離れたところにも一個みつけた。果托の下にひろがるハスの葉をおしのけての探索はなかなかむつかしい。だんだん暗くなってくるし、焦りはましてきた。
4個までは、なんとかみつけたがあと一個がみつからない。実になりそこねた、一個も落ちていた。シワシワだ。
 かなりの時間を費やして、最後の1個をみつけた。それは、池の外であった。池の外の苔のなかに落ちていた。
 なんとか5個すべてがそろった。コンクリートの地面にならべてみて、写真を撮った。
そして、思い出していた。昨年の5月17日の発芽処理したあの3個の実のことを。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »