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新・クラウド「整理学」試論(3)

Dscf1211▼昨日も朝は、比較的ゆっくりと散歩の時間がとれた。天気がよくなって青空の下のヒガンバナは最高である。
定点観察地だけでなく、田んぼの畦も、川の土手も見渡す限り、燃え立つヒガンバナの赤い松明の行列である。これに注目しない植物学者がいたら、教材化を考えない理科教師がいたらお目にかかりたいものだ。とちょっと大げさのことを言ってみる。たしかに、多くの植物学者がこれに着目し、こんなすごい花を咲かせながら種子ができない不思議を最初に指摘したのはあの牧野富太郎のようである。納得がいく話だ。教材化の方はどうだろう。
私の知る範囲では、本格的に教材化した授業を聞いたことがない。
 大人も子ども楽しめるような授業テキスト「ヒガンバナ」は私の夢でもある。
▼「整理学」の方の話をすすめる。とは言っても、そんな筋道たててのことではない。日常と思いつきのスケッチ・覚え書きである。9月12日に、とんだ失敗で、前のノートパソコンが使えなくなった。そこから、はじまった話である。
昨日でなんとか、使い慣れてきたATOKを新パソコンで使えるようにした。これでほぼ「修復」「復元」の方はできたことなる。
 しかし、これで終わってもったいない。これを、261日のコウガイビルの「再生」(=作り直し)の教えにつなごうと決意したのだった。(いつもオオバーと笑われそう(^^;ゞポリポリ)
▼「整理」は何のためにするのか。
それは、「知的生産」のためである。私にとっての「知的生産」の究極は「授業」である。
だから、ここで言っている「整理学」とは、授業を創りだしていくためのものといえる。
ここで、またしても思い出すのが
森山和道さんの「ネットワークと教育」のなかの次の文章である

そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。

例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。

 なんと示唆的であることか。
なんと今日的であることか。この文章はなんと、今から14年前も前、日本のインターネット元年と言われる1995年に書かれたものなのだ。今も、というより「今こそ」というべき不朽の提言だ。
▼ここで言う「蓄積」、「データベース」づくりのための「整理」、それが私の「整理学」だ。
私自身のネットワーク歴をたどってみると
パソコン通信(フォーラム)→Webページ→SNS→blog
と慣れないパソコンをいじりながら続けてきた。それは、ある面では「整理」の方法を模索してきた途ともいえる。
ここへきて、新しいものが、でてきた。それが昨日、ここにも書いた。
Twitterである。
これは、このblogのサブタイトルにもあげている「リアルタイムな等身大情報発信」にきわめて有効な道具になる可能性がある。
 情報「整理」の新たな道具になるかも知れない。
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