新・「自由研究」のすすめ試論(21)
▼昨日の朝の散歩でも、定点観測地のヒガンバナの観察をした。
「観察」とは言っても、ただデジカメを向けただけの話だ。定点観測地を設けて何年になるんだろう。散歩道にこれまで二箇所設けていた。ひとつは、門先のA地点。もうひとつは、散歩道でいちばん「群生」がめだつB地点だ。
今年は、これに加えて、「初見」の場所、C地点を加えることにした。このC地点は、水が十分に供給される場所である。B.C地点ではすでに、開花しかけたものも現れた。A地点は気配すらない。かなりの浮き株になっているし、今年は、お彼岸の中日には間に合わないのかな。今年のヒガンバナでは、「染色体」のことも少し追いかけてみようかな。と思ったりしている。
▼長年の私の「ふしぎ!?」のヒガンバナのこと考えはじめだした。
それ「ばっかり」病にならないうちに、15の夏の「ふしぎ!?」の話、つまり「自由研究」のことについて、一応のくぎりをつけておきたい。
全員が、その作品を出してくれた。それを見せてもらいながら、あるいは一口プレゼンをつけて発表をしてもらった。それを聞きながら、思ったことをまとめておく。
▼まず、全体的な印象として、これまでに私が聞いてきたものよりはずいぶんと
「自由研究」らしく!!なってきた。と感じる。
それは、どこからきているのだろう。これまた、いくつかの「仮説」をたててみる。
(1) 「等身大の科学」の意識が少しずつ芽生えてきている
少しずつ、自分の「ふしぎ!?」をだいじに考えるようになっている。
テーマ選びも、借り物の部分が少なくなってきている。だから、発表を聞くときも、「なるほど!!」という感じ持って聞いている。身近なものをあつかったものに対する「共感」の評価が高い。
同じテーマであったものでも、「等身大の科学」では動機が明確である。
このことが、ずっと「ふしぎ!?」だったんだと語れる。それがいい。
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