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消えた!?コウガイビル

Dscf5520_2▼これまでは、忙しくなってくると、自分で
「忙しさで心を亡ぼすことなかれ!!」と呪文のように唱えていた。そして、自己調整を図ってきた。
熊楠は言う、独立した「心」なんてあり得ない。あるのは「物」と交じり合ったところにある「事」だけ。
そうだ。「事」を思考しよう。そして「事」を記録しておかねば…。
▼ずっと、ずっと追いかけてきたコウガイビル。
「事」はこの8月2日(日)に起こった。そうだ、あの大賀ハスの開花一日目の日だ。
コウガイビルが、私の視界から消えたのだ。
そう言うことは、何回かあった。しかし、よくよく見ているとやっぱりそこに「生きていた」ということがあった。
また、そうだろうか思っていた。
 でも、どうも違うようだった。
Dscf5731▼8月2日の朝には、這った跡形のある先に、確かに数㎜の「生命」体がいた。これが最期の最後だろうと何度もデジカメを向けた。
 そして、その最期は、ダーウインも書き残しいるように「瞬く間」であった。
 その「瞬間」を私は、この眼で確かめたかった。
そのため、発見以来ずっといた場所から、ナイロン袋ごと家に持ち帰ったのだ。
 そしたら、そいつはナイロン袋から消えていた。水に溶けてしまったのだろうかと必死でさがしたが見あたらない。液のなかもふくめて、ナイロン袋のなかを虱潰しに捜したが見あたらない。
やっとのこと「遺骸」らしきものを発見した。
それは、数㎜の物だ。「生命」体を感じない。しかし、これまで「ふしぎ!?」のかたまりであったコウガイビルだ。
そいつが再生するなんていうことがあるかも知れない。仮眠をしているなんていうことも…。
▼それから10日が過ぎたが、「変化」はない。
数㎜の物体が動き出す気配もない。
では、「コウガイビルを追う」はやめてしまうのか。
そうは行かない。だってコウガイビルの「ふしぎ!?」は残ったままだから…。
 

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