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新・私の教材試論(23)

Dscf9503▼青空と白い雲、なんと美しいものだ!!昨日、つくづくそう思った。これが、空なんだと思った。そしたら、もう校庭をトンボがとびはじめていた。トンボたちと一緒にしばし、「雲見」を楽しんだ。
季節は間違いなく移ろいゆく。空もまちがいなく移ろいゆく。この世に移ろいゆかないものなどないのかも知れない。
▼試論(1)~試論(22)をプリントアウトしてみた。まず、量に圧倒された、えっこんなにたくさん書いたのか!!
なかみも読み始めた。さらに驚いた。「こんなこと書いたかな?(゚_。)?(。_゚)?」
やっぱりそうだ。もう「他人」になっている!!
 同じようなことを繰り返し、繰り返し書いている部分もある。単なるおもいつきのメモもある。
書いたときにやっていた【授業】も、どんどん変わっている。でも同じことに「こだわり」も示している。
 黄色のマーカーで、チェックしてみた。チェックしたものをプロットしてみる。

◆新・私の教材試論(1)~(22)より
(1) 授業づくりの中心になる「教材」。授業そのものの成否を決定づける「教材」。
(2) 教師の世界観・自然観の現れでもある「教材」
(3) Webが教えてくれた。<小さな試み>も つなげば世界大になると。   
(4) 3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則
(5) 3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則
(6) 「センス・オブ・ワンダー」と「センス・オブ・エデュケーション」が交叉するところに「教材」がある。
(7) 大いなるヒントが古今東西の科学史・技術史のなかに埋もれているのではないか。
(8) そも、そもどんなプロセスを経て、科学的な認識が形成されていくのだろう。
(9) この教材史。教材開発史に、大いに学ぶべきものがあるのではないか。
(10) 「教材」あるのではない。「仕上げるんだ」とは すごい!!
(11) 教材入手情報をWebで…
(12) 教材はホームセンターにある。
(13) 教材は「横」=「水平方向」に流れるもの
(14) 私が、ここで語ろうとしている「教材」とは、自分が授業するときにぜひとも必要とする「教材」「教材素材」。
    ようするに「わがまま」なんだ。
(15) 「ロングテール」の時代だ。小さな「わがまま」がつながる可能性がある時代なんだ。
(16) 教材は授業のなかで生まれ、授業によって進化する。例「究極のマグデブルク半球」「簡単熱気球」
(17) すぐれた教材は、生産と労働の現場にある。
(18) 生産と労働の現場の「窓口」が、ホームセンターなのである。ホームセンターは、教材の宝庫だ。
(19) ホンモノ教材は、突然、偶然!!現れる。 「コウガイビル」
(20) 「ばっかり」徹底すると、そこからいろなものへの「つながり」も見えてくる。
(21) 理科教育史は「教材」の歴史そのものである。
(22) 「教材」の起源を今一度ふりかえる「作業」は重要な意味をもつのである。
(23) 教材にも不易と流行がある。
(24) 「ガラクタ」であるかどうかは誰が決めるのか。それは現場である。
(25) 『情報は発信するところに集まる』は、今なお生きている鉄則!!
(26) 「日本の理科教育史」が面白い!!
(27) 「理科」の面白いところは、モノがあるということである。かたちあるモノとして残っているのである。
(28) 教材ひとつひとつに歴史がある。それは理科教師の思い入れの歴史でもある。
(29) すぐれた「おもちゃ」は、すぐれた「教材」への可能性を孕んでいる。
(30) すぐれた「教材」の開発のためには、おもちゃの世界に学ぶべきだ。

▼以上30をピックアップしてみた。「思いつき」「気づき」「誤った思い込み」等々のオンパレードである。
これは、現在進行形の「試論」であるから、それでいい。
いや、「それでいい」ではなくて、「それでしかない!!」のだ。それ以上でも、それ以下でもない。
この後、どう続けるのか。続くのか。私にも見えていない。
とりあえず、もうしばらく反芻作業を繰り返してみよう。

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