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新・私の教材試論(22)

▼お盆で、気持ちにゆとりがあるときに、「仕事」の整理をしている。
例のあの方式でだ。「空間の整理」→「情報の整理」→「思考の整理」とやる方式である。ひとつの仕事が浮かび上がってきた。それは、この「新・教材試論」の中間報告である。
 誰に報告するのか。明日の自分にである。
 そう、「明日の自分」は他人だ。
「時間たてば他人とおなじ」「記憶せずに記録する」は、『知的生産の技術』のなかで梅棹忠夫さんが言った言葉だ。実にみごとな指摘である。
▼この試論を私は、ずいぶん長いあいだ書いてきたように思っていたが、最初試論(1)を書いたのは、昨年の10月18日である。だから一年も経過していないのである。やっぱり「記憶」なんていい加減なものだ(^^ゞポリポリ
 「整理」が必要なほど、たくさんの情報を発信しているわけではないはず。それも「記憶」から行くと。
▼私は、この展開をけっこう気に入っている。一時は「私の授業論」「私の教材論」を書きたいと思った時期もあった。しかし、なかなか書けなかった。なぜか、その時間が確保できなかったこともあるが、もっと肝心のことがある。それは、授業をやっていなかったからだ。
 ところが、昨年度から理科の授業を再開した。
 「教材論」が切実な問題となった。明日の授業をつくるための「教材論」、いやそんなたいそうなものでなくていい、「教材」を見る視点のようなもの、即使える「法則」のようなもの。
そんなところから、これをはじめた。
▼はじめてみると、これまでの「教材開発史」や、先達の「教材論」にも出会えたり、「発見」したりして、とても面白い。
これは、あくまで「試論」「覚え書き」である。
 これからも、「授業」やる限りは続けてみようと思っている。(それも期間限定になってきたが)それを今の時期に「中間報告」をするのは、これまでに自分が発信してきたことを元にして、これからの「教材」を考えてみる「きっかけ」にしてみようということである。
いつも、ゆっくりな私の反芻作業である。
今日は、試論(1)からこの試論(22)までをプリントアウトしてならべてみることにする。

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