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時空を超えて「熊楠」(2)

▼昨日は、目覚めても、あの「南方熊楠邸」で吸い込んだ空気の余韻が、体内に残っていた。
「あの空気」はなんだろう。どうも、表現しがたいものがある。
顕彰館の方から、あちらの庭に向かう。もう、それだけで時空を超えて、流れてくるものがある。
一年前にこの庭先で同行の先生たちと写真を撮ったシーンがよみがえってくる。
まずは、庭に回ったところに展示してある「新聞の切り抜き」から見せてもらうことにした。
 昨年度、もう少しみたかったものだ。ここに熊楠の情報処理技術を見る。
ひとつの仮説「熊楠は、これからの人である」は、すでに立証されている。
▼ちょうどテレビ局が取材をしているところだったので、「新聞切り抜き」を見ながら、時空を超える準備運動をやっていた。そしたら、やがてこの邸を守っておられる橋本邦子さんが話しかけてくださった。
この人の話は、すごい。それは、昨年聞かせていただいたときに感動した。
どんな小さな拙い問いかけに対しても絶対に「それは(・_・)......ン?」とおっしゃらないのだ。
こちらが質問したことに対して、それを膨らませ、質問者を時空を超えて「熊楠」の世界につれていってくださる。
さっそく、私は、拙い「仮説」の一部をこの名案内人にぶつけてみることにした。
やっぱり、そうだった。質問以上のことを応答してくださった。私は、唸った「すごい!!」
同時に少し聴いている自分が「まだまだ…」と思えて、少し恥ずかしかった。
まだまだ、これからもいっぱい学ばせていただこう。
▼二日目も、やっぱり「熊楠」だった。特に「南方マンダラ」これに焦点をあてたかった。
私は、熊楠の研究をしようというのではない。
自分のとっての「南方マンダラ」とは…
「萃点」とはなになのか。それを知りたいだけだ。道楽と言ってしまうのには、もう少し切実なものがあった。
Dscf9177▼紀伊田辺から、すさみ、串本を経由して、那智に向かった。
風景もけっこう気になった。
海、空、雲
それらが毎日見ているものとちょっとちがっていた。
とりわけ、空と雲が新鮮であった。
 こんな風景を「日常」とする人間と頭の上にある「空」と「雲」しか見たことない人間と、同じ「自然」を語ったとしても違いがあって当然ではないか。妙なことに納得していた。
車中での阪本さんとの話も面白かった。
なんとぜいたくな旅だ。深謝。<(_ _)>
Dscf9292▼那智についた、滝を見た後は、いよいよ本論だ。
那智につくまでの距離、これはひとつの追体験だった。
紀伊田辺と那智では、これだけ離れているのである、時間がかかるのである。
これをアタリマエとしないで、この「距離」を頭に入れておこう。
いよいよ、「大阪屋跡」に立っていた。「大阪屋」の子孫にあたられるという久原脩司先生にお会いした。
ここにもすごい、「熊楠の世界」の語り部がおられた。
▼簡単にまとめたりする能力は、私にはない。
教えられ、示唆されることばかりだった。
次々と語られることに、「なるほど」と納得することばかりだ。
十分に、「熊楠」再訪の目的は達成できた。
ひょっとしたら、ちょっとだけ「熊楠」の姿を見たのかも知れない。
久原先生から出た「縁」ということばに、深い意味を味わっていた。
そして 私は、「電縁」へと勝手にイメージをつないでいっていた。
この度の時空を超えての「熊楠」再訪に<縁>あった人々に深く深く感謝する。

 

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