新・「自由研究」のすすめ試論(18)
▼夏休みも後半に入って、加速度的に日々が過ぎている。なんでだろう。地球の回転が加速するわけがないのに、そう感じてしまう。一日、一日は、とてもいろんなことがあって、「記憶」に値する日々なんだが、やっぱりこの感覚は消えない。こんなときは、「記憶」よりも「記録」だ。
「記録」を残しておいて、日々をつなぎたい。その営みのひとつが私にとってはこのblogだ。
▼昨日の朝、例の大賀ハスの観察地に行ってびっくりした。わずか10日前は、開花に夢中だった花は、あの「あこがれの4日」をすぎて、主役も花托に入れかわり、どんどん成長している。すごい存在感だ。8個の実はどのように成長するのだろう。花托は、自らの重みに耐えきれずに、首を傾けているのだろうか。
観察はつづく。
▼大賀ハスにあわせて、ここのところの、私の「自由研究」の進捗状況をふりかえって見ると、けっこう計画どおり
に行っているといいだろう。夏休みのはじめの計画を越える成果もあった。
ここまでをふりかえりながら、新・「自由研究」のすすめ試論の方もすすめる。
▼試論では、池内了先生の提案する「等身大の科学」「新しい博物学」のところまで来ていた。
ここ10日ほどのあいだに、大賀ハスの開花、「熊楠」再訪があった。
「熊楠」に少しはまっている。
「熊楠」と「研究」について、なかなか面白い文章をみつけた。
それは、鶴見和子著『南方熊楠~地球志向の比較学~』(講談社学術文庫)にあった。
わたしは、南方の粘菌研究の特徴として、第一にそれがおもしろくてたまらないからやる、という遊びの精神から発したことを述べた。第二に、粘菌が植物と動物との境界領域であることに注目したことを論じた。第三に、粘菌は生命の原初形態であることに着目したと記した。そして第四に、粘菌はそれが発生し生活しつつある環境(コンテクスト)の中でなければなないという南方の原則をのべた。(鶴見和子著『南方熊楠』P79)
いや、みごとである。これを読んだだけでも科学者「南方熊楠」を鶴見和子が深く、的確に読み解いたかがわかるというものだ。
「自由研究」との関連で言うなら、この特に第一、第四の特徴に注目したい。
▼熊楠は、粘菌「研究」にアイデンティティを見出していたのである。記念館で、彼の愛用の顕微鏡のひとつを見た。使い込まれた様子がそこから読みとれた。顕微鏡を覗いているとき、粘菌と会話しているとき、それが最高に
楽しいときであったのだろう。それは、柳田國男宛書簡のなかにもある。
そうだ!!
「研究」は面白くなくてはいけない。楽しいことなんだ!!
▼蛇足的、我田引水流にいうなら、熊楠にとっては、粘菌は、等身大の「ふしぎ!?」であり、そこに「科学」をみつけていたのだ。100年も前に。
夏休みが半分以上過ぎた。
生徒たちの「自由研究」はどこまですすんだだろう。
15の夏の「ふしぎ!?」はどうなっているだろう。そろそろそれが気になりだした。
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コメント
15の夏はもう少し先の子供たちですが、
9歳あるいは7歳の夏はそれぞれに刺激的なようです。
7歳は…今夏のひとつの目標を達成しました。
「せみ100匹を捕まえること」ほとんど手づかみです。
そのためか、せみを見つけるセンサーはすさまじく発達したようで、
「あそこにせみがおる!」とすばやく見つけてます。
あとは定番の朝顔の観察ですね。
9歳は…もともと虫めでる姫君なんで、「ツクツクホウシが鳴き出した」というセンサーはすばやいものです。
先日空を見てたとき、「空の季節が進んだ」と娘に話したら、
私が何を感じているか、的確に話してくれました。
「もこもこした雲じゃなくて、すうっとした雲だね」
この2人を連れて科学の祭典に行くのが楽しみです。
投稿: いっちゃん | 2009/08/14 17:51
おはようございます。
いや、いいですね。(^^)V
7歳の夏も
9歳の夏も
センス・オブ・ワンダー全開ですね。
やっぱりすごいものなんですよね。大人もおおいに刺激を受けますよね。
このレセプターを「科学の祭典」にもっていけば、なにを感受するんでしょうね。楽しみですね。
また、それも教えてください。
投稿: 楠田純一 | 2009/08/15 08:38