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福岡伸一著『世界は分けてもわからない』に共振!

Dscf4680▼大賀ハスの蕾を見ることは、朝夕の日課となった。朝夕だけの観察で間に合わないぐらいのスピードで成長していっているように感じる。「記録」を残しておかねばと、デジカメを向ける。
 もう、見逃すことなどないくらい大きく目立つようになってきている。
▼この大賀ハスの種子を分けてくださった本家本元の阪本さんが、私のblogでの拙い「記録」を、「大賀池日記」で紹介してくださっている。完全に自画自賛であるが、こうして並べてみると実に面白い。阪本さんに深謝。<(_ _)>
 あらためて思った、「記録」だけは残しておこう。いつ有効になるかわからない、いつ「花開く」ことがあるかわからないのだから…。
▼昨日の朝から、ちょっとはまってしまったことがある。
それは、あの福岡ハカセの新刊だ。
■福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書2000 2009.7.20)
私は、なんでもゆっくりだ。
本を読むのもきわめて遅い。それにあまりたくさん読んでいない。
居直ってしまって「私の文脈で本を読む」ことをモットーとしている。
だから、私の文脈にそうものだけを「拾い読み」をしたり、「つまみ読み」をする。
 ところが、我流に変調をきたすことがある。
▼ここのところ、福岡伸一さんの新刊は、でるたびにできだけ早く読んでいる。読んでしまっている。
この本も、ネットで情報が入るや発注はして届いていたが、「日食」もあるし、これ読み始めるとヤバイと思いちょっと離しておいていたのだ。
 それを、つい手にしてしまったのだ。
 読み始めると、妙な現象がおこる。
「私の文脈で読む」が通用しなくなってしまうのだ。もう著者の文脈で読まされてしまうのである。
▼彼の文脈には、いつもなにかのトリックがある。落ちがある。
わかっているが、それにいつの間にかはまってしまうのだ。
そして、いつしか彼の文脈に共揺れ、共振をはじめるのだ。
「ふしぎ!?」を追いかける人の輝きだろうか、それへの憧れだろうか。
福岡ハカセと私では、蓄積してきた「知」や体験してきた「科学」に雲泥の差がある。
同じレベルで語ること自体が畏れ多きことだ。
でも、なぜか思考に共振がおこってしまう。これはどうしようもない
▼読みすすめるなかで「マップラバーーとマップへイター」(p88)の話が出てくる。
私は、どうしようもなく「マップヘイター」派である。「マップラバー」派をめざすが、そうはなかなかなれないのだ。
「等身大の科学」とは、「マップヘイター」派の科学なんだろうかな。
などと、少しだけ自分の文脈に引きつける無駄な努力も試みながらも
やっぱり 思考が共振をしはじめている

ゆっくりな私は、まだ最後まで読んでいない。
夏休みだ、いま少しだけ この「共振」を楽しませてもらおう。

 

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コメント

おはようございます。
楠田さんのブログを貼らせていただいて、改めて記録の大切さを実感しました。2006年に放送されたNHKの「歴史が動いた」の“それでも地球は動いた ガリレオ・ガリレイの栄光と挫折”の最後はガリレオの『書きとどめよ 議論したことは風の中に吹き飛ばしてはいけない』で終わってますが、至言です。
福岡先生も本は読んでみたいのですが、行きつけの書店においていませんでした。タイトルを読んで、熊楠の曼荼羅を思い出しました。自然や世界は機械論や因果律では完全に理解できないということではないでしょうか。

投稿: sakamoto | 2009/07/25 07:54

阪本さんの「記録」についての話に触発されて、
今日の、私の「大賀ハス物語」を書きました。
3/28以来のblogのエントリーをざあっと目を通しました。結果的に一学期をふりかえることになりました。
とても私にとって、有意義な作業になりました。
ありがとうございました。

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』読んでしまいました。いつもながら、福岡先生の本は面白いです。
うまいですね。あんな文章書けたらいいのにと思います。
タイトルだけ見て、推察するなんてすごいですね。
的を射ていますよ。熊楠の南方マンダラにむすびつけるところなんかさすがですね。
 私も、似たようなこと考えていました。
 熊楠を訪ねるまでに少し頭を整理していきたいと思います。もう、そろそろその作業にかからなければと思っています。

投稿: 楠田純一 | 2009/07/26 10:00

こんにちは。毎日蒸し暑いですね。
福岡ハカセの本は昨日ゲットしました。以前TVのインタビューで話しておられましたが、ハカセは文理両道の方のようです。どちらかというと文かな?昆虫が好きで京大農学部に進んだそうですから、ナチュラリストの系譜ですね。理学系のバリバリの還元主義とは馴染まない思想、感性の持ち主のように思います。
ハカセの本を探しているときに、同じ講談社新書に「マンダラの謎を解く」という本があって中を覗いてみましたが、熊楠の曼荼羅に触れていました。中国の石窟に書かれた曼荼羅とそっくりのようでその共通性に注目していました。http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2879948

投稿: Hsakamoto | 2009/07/26 13:46

阪本さん
おはようございます。本 手に入れられたんですね。よかった。あいかわらず、福岡先生の文体はすごいですよね。みごとなレトリックを駆使して、ある一点に収斂していく。
 その一点と、熊楠の「萃点」とはなにか共通するものがあるのでは…。ものを知らないものの、無謀な「仮説」です。
 いつも一緒に本が読めるのがうれしいです。

投稿: 楠田純一 | 2009/07/27 05:46

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