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新・「自由研究」のすすめ試論(17)

▼2009年の折り返し地点をすぎてからも、またして地球は30回転をし、太陽の周囲を30度回転した。その間には、「日食」というドラスティクな日もあった。そんな7月が今日で終わる。
 このスピードを体感するなんていうことは、ほんとうのところなかなか難しい作業なんだろうと思う。
Dscf5051▼昨日の朝から、出勤前の慌ただしい時間であったが、阪本さんのアドバイスに従って、黒をバックにして大賀ハスを撮った。黒い画用紙が家では見あたらない。間に合わせものの部屋にあった黒い紙袋で代用である。
久しぶりの青空だ。朝日に照らされた大賀ハスの蕾が、刻々と近づく「あこがれの4日間」を予告しているようである。その準備にかからなければならない。こちらのスケジュールに合わせてくれと願うのは、少し我が儘な言い分だろうか。
Dscf5115▼久しぶりの青空は、『雲見』へ強く誘ってくれる。
やっぱり空は青空がいいな。
賢治の「雲見」もこの季節のものなんだろうな。一日に何度か、すき間時間をみつけて「雲見」をやった。
極め付きが、夕方に訪れた。西日をあびて帰宅する東の空に、横に長い長い積雲が横たわっていた。
どこかで車を停めて、カメラを向けたいが、その場所がみつからない。
山崎断層の上空に横たわる長い長い積雲なんて、すごい絵になるんだったんだけどな。
ついには、家に着いてしまってからシャッターをきった。のがした魚は大きい。(^^ゞポリポリ
▼「試論」をすすめる。圧倒されるような思いや、ワクワク気分で寺田寅彦の文章群とつきあっていると、ほんとうにこんなこと一世紀近く前に書いていたのかと驚いてしまう。これは、少し時間をかけて楽しませてもらうこととする。私の文脈に少し強引だが引きつけてくる。
 「自由研究」である。
 池内了先生の提言に耳を傾けてみる。

 ここに、科学の有りようについてのヒントが隠れているような気がする。日常身辺の現象を新しい眼で捉え直すことである。私はそれを「等身大の科学」と呼んでいる。サイズが等身大で、研究費も等身大で、誰でもが参加できるという意味でも等身大である科学として、気象や気候、生態系、地球環境問題などを対象とするのである。これらはすべて「複雑系」であり、多数のデータを何年にも渡って集積する必要がある。また、これらに共通するのは「循環するシステム」という点であり、循環の意味をじかに経験するには好適である。(『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(池内了著 みすず書房)p110より)

なんと納得のいく提言だろう。
これだ!!と思わずにおれない。思わず膝をたたくことしきりである。
▼まだ、ある。これで終わらないのだ。
こうだ。
 もう一つは、「新しい博物学」である。モノを収集して共通性と異質性によって分類するという博物学は、十八、十九世紀に盛んとなり、そこから物理学・化学・生物学・地質学などの専門分野が分化してきた。それによって科学は進歩したのだが、一方では科学はますます専門分化が進み、「極」とか「超」が接頭詞として付く状態になってしまった。(極低温、極微物質、超高温、超高エネルギーなど)。科学が細分化され縁遠くなってしまったのだ。そこで再度学問を総合化して身近に引き寄せることを考え、科学だけでなく、歴史や文学や民族学や神話など広く文化全体の眼でモノを見直すことを構想するのが「新しい博物学」である。(同書 p111より)

これまた納得のいく、みごとな提言だ!!。
私は、これを読んで、すぐさまひとつの具体的、典型例を思い出した。
それについては、別の機会にする。
いずれにしても、すごい提言だ!!
これらを
私の言う、「等身大の科学」や「新しい博物学」が生活の場から実践されることを願っている。(同書 p133より)

としめくくっている。
▼私は、これまでこんなすごい「これからの『自由研究』」に向けての提言にであったことがない。
この提言にどう応えるか。
それが、これからの「試論」の課題となった。

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新・「自由研究」のすすめ試論(16)

Dscf4946
▼開花を目前にした大賀ハスと「消える」直前のコウガイビルを同時に観察するという日が何日がすぎている。「観察」に夢中になっていて、他のことが置き去りにしてしまってはとスケジュールを確認してみたりもするが、やっぱり気になるものは気になるのである。
やっぱり「ふしぎ?」である。
▼気になると言えば寺田寅彦の文章であった。「試論」を続ける。
 アトランダムになるが「気になる」文章群をあげてみる。
●「科学者とあたま」
●「ルクレチウスと科学」
●物理学の応用について
●物理学圏外の物理的現象
等々である。
 あげていけばきりがないぐらいに多種多様な「気になる」文章を書いておられる。
 一挙に理解してしまうことは、「頭の悪い」私には無理だ。
少しずつ、少しずつ読ませてもらおう。
▼どの文章にも、底流に流れるものがあるような気がする。
それが「等身大の科学」である。と手前勝手な、「我田引水」読みをやっている。
さらには、ここに「自由研究」の未来を読みたいのだ。

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新・「自由研究」のすすめ試論(15)

Dscf4926▼梅雨明け宣言が待たれる今日このごろ、日本上空の大気は、きわめて不安定になっているようだ。
局地的に、急激な大気の上下運動が起こっているようだ。その予測は難しい、日食を秒刻みで予測したり、宇宙空間に人を送り、無事帰還するだけの科学をもってしても、大気の局所的な動きは読みにくい。
それが、私たちの手持ちの最大限の「科学」なんだ。
▼大賀ハスのつぼみも花茎も、刻々と「成長」していく。一方で、コウガイビルは、生と死の臨界面にどんどん近づいていく。共通する「科学」はなにか。
 共通する「ふしぎ!?」を解く鍵を、私はまだ手に入れていない。
▼少しだけゆっくりと思考することを許された今だから、
「自由研究」のすすめ試論を続ける。
現在地を確認する。こうだ。
●自由研究のテーマは、「等身大の科学」で
●「等身大の科学」をキーワードに思考していたら、寺田寅彦に行き着いた。
●池内了先生を案内してもらって寺田寅彦を読んでみる。
  ■『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(みすず書房)
   『第四章 科学・科学者・科学教育』
▼この作業をやっているうちに、たくさんの「発見」をしてきているように思う。
そして、あらためて、たくさんの疑問が出てきた。
(1) 科学教育(理科)における『自由研究』の位置は?
(2) これからの理科教育の方向は?
(3) そもそも「等身大の科学」とは?「現代科学」との関係は
(4) 仮説『「自由研究」のすすめの究極は21世紀の『学問のすすめ』である。』は正しいか。
(5) Webの時代の今日、80年前の寺田寅彦が提起したことの何が可能か。
等々である。
次は、寺田寅彦の文章を資料としてあげてみたい。
今、ふっと気づいた 私は、彼が生きた年を越えてしまっていることに。(^_^;)

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新・「自由研究」のすすめ試論(14)

▼夏休み入ってはやくも、地球は10回転もしてしまった。一日一日は、それなり詰まっている感じがしているが、1/4は終わってしまった。と思うと、「あせる」気持ちにもなったりする。やっぱり「今」しかできないことをしっかりやっておこうと気持ちを引き締める。
 私自身の「自由研究」の現在進行形を語り「記録」に残しておこう。
Dscf4843▼ひとつ目は、やっぱり大賀ハスだ。
なんなのだ、この「成長」ぶりは!!
グングン花茎はのびていき、葉の丈を越えようとしている。阪本さんのアドバイスの測り方では50㎝を越えようとしている。それに合わせるように、蕾もどんどん膨らむ。
 ほんとうに「開花」すると言っても疑わないぐらいの勢いだ。
 私の持ち合わせの「科学」を駆使して説明しようと
やっぱり「ふしぎ!?」だ。
Dscf4783▼「ふしぎ!?」と言えば、これにも増して不思議なものを私は観察し続けている。
飢餓状況にあるはずの「コウガイビル」だ。
ここのところ毎回「これが、最後か。」と思いデジカメを向ける。でも、こいつは生き続ける。
昨日(写真は一昨日)こいつに少し異変があった。私が、どこにいるのか捜しているときに、見失ってしまって水に浸かってしまったのである。
 一瞬、ついに消えてしまったかとあせった。なにしろ水に浸かってしまうと小さな「ゴミ」としか認識できないぐらなのだから…。
 少しゆっくり時間をかけて、そいつを水から引き上げた。
少し動いていた。体がやや透明感を増している。動き自体は大きかったときと同じである。
間違いなく「生きている」。
やっぱり「ふしぎ!?」だ。
▼とりあえず、今はふたつの「ふしぎ!?」を同時並行しながら追いかけている。
これが、今年の私の「自由研究」のテーマでもあった。
 それは、同時に私のやるべき大切な「仕事」だと思っている。
 それを、寺田寅彦も応援してくれている。そんな文章にであった。
80年前の古い文章だ。しかし、なんと新鮮で、今、これからを語っていることだろう。
ホンモノに「新しい」「古い」なんてないのかも知れない。
■寺田寅彦 雑感

青空文庫で寺田寅彦の文章は、ほとんど読めるという。
なんとありがたい時代だ。深謝。<(_ _)>

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【Web更新7/26】09-30『「自由研究」の研究』等

Dscf4639

校舎に ケヤキのみどり 蝉の声
 09/07/23(木)撮影@安富

■楠田純一の【理科の部屋】 09-30 週末定例更新のお知らせ
 夏休みはじめの一週間の更新である。そこには、「日食」と「大賀ハス」の感動があった。
梅雨はまだあけないようだ。次なる一週間をも展望しながら、これを書く。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ ケヤキ
 大暑の日、梅雨はあけぬとは言え、暑さだけは確実にやってきていた。いつも見慣れたケヤキのみどりが校舎にシャワーリングする。蝉の声とともに…。前日は「日食」だった太陽が、それは幻だったかのように、いつもの「夏の太陽」にもどっていた。

◆【地球と宇宙】更新
 不十分とは言え、なんとか多くの人とともに「日食」を見ることができた。
宇宙のなかにある「地球」を、「地球」に生きる人間を実感することができた。
ここから実は、宇宙の「ふしぎ!?」ははじまったのかも知れない。これから授業【地球と宇宙】のことも含めて、少しずつ更新していきたい。

◆『「理科の自由研究」の研究』更新 
 等身大の「ふしぎ!?」の科学こそ、自由研究のテーマになる。
「自由研究」のすすめ 究極は 21世紀の「学問のすすめ」だ。
「アカソナキ」5段階方式の提案 そんなあたりまで来ているのではないかと思う。
また、今週も「試論」すすめてみたいと思う。
自分自身の「自由研究」を楽しみながら…

◆【大賀ハス観察日記】更新
 私の「大賀ハス物語」をまとめながら、このblogで日々を「記録」することの有効性を実感した。
そのとき何気ないこと、それも「記録」しておけば、後ほどつなぎ合わすこともできる。
点をプロットしておけば、それら線でつなぎあわせれば、「物語」になっていく。
点を打つことなら、私にもできる。できることを繰り返しやることに努力してみようと思う。

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私の『大賀ハス物語』

Dscf4686▼大賀ハスは「植え替え」から17週を経過していた。梅雨はまだ明けぬのだろうのか。今にもまた降りだしそうな空の下、「日食」の前日に気づいた蕾の花茎の長さを測ってみた。というのは、気づいたときから比べても、ものすごいスピードで伸びていると思ったからである。これも、少し「記録」しておこうと思ったからである。
水面から「40㎝」である。夕方にも同じことやってみたが、アバウトにみても1㎝以上は伸びているとみた。(雨が降ったので、水面変動の誤差があるかも知れないので)
Dscf4749▼なんなのだ、このエネルギーはどこからやってきているのだ。ここまで成長を加速するだけのエネルギーはよほどの蓄えが保障されているからだろうか。隣の葉の長径も34㎝で安定したようである。それとも、種族維持にかける生命の営みのエネルギーのすごさであろうか。この後の花茎、蕾の展開が楽しみである。
▼この観察をしながら、私はちょうど一年前に、「府中はハスのメッカなり」の府中を訪ねたときのことを思い出していた。(「ハス博士 大賀一郎と府中」展に行った。 時空を超えて「大賀ハス」
なにか、因縁のようなものを感じてしまっていた。見えないもの信ずるなどいうことでなく、事実をならべるだけで見えてくる「つながり」のようなものを。
人との「つながり」。人とモノの「つながり」。
私は、ここでちょっと私の『大賀ハス物語』を書いてみたくなった。
私は、もちろん大賀ハス研究家になろうというのでない。そんな能力もないしつもりもない。
私と大賀ハスの「つながり」を追ってみたいのだ。
▼そう思いだしたら、ちょっとまず「事実」をつないでみようという気になってきた。
蕾をつけた大賀ハスの「植え替え」からの「事実」をこのblogから拾い出してならべてみた。
具体的には、今年の3月28日の蓮根の植えかえから、このblogのエントリ-で、画像や文章で「大賀ハス」について語っているものを選びだし、【大賀ハス観察日記】にプロットしてみるのである。
 この作業自体もなかなか面白いものになった。
 他のことがらと「つながり」のなかで、大賀ハスの観察をしているのが面白い。
観察の事実の「記録」としても、なかなか面白い。
 これぞ、私の『大賀ハス物語』になりそうだ。
物語はまだまだつづく。

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福岡伸一著『世界は分けてもわからない』に共振!

Dscf4680▼大賀ハスの蕾を見ることは、朝夕の日課となった。朝夕だけの観察で間に合わないぐらいのスピードで成長していっているように感じる。「記録」を残しておかねばと、デジカメを向ける。
 もう、見逃すことなどないくらい大きく目立つようになってきている。
▼この大賀ハスの種子を分けてくださった本家本元の阪本さんが、私のblogでの拙い「記録」を、「大賀池日記」で紹介してくださっている。完全に自画自賛であるが、こうして並べてみると実に面白い。阪本さんに深謝。<(_ _)>
 あらためて思った、「記録」だけは残しておこう。いつ有効になるかわからない、いつ「花開く」ことがあるかわからないのだから…。
▼昨日の朝から、ちょっとはまってしまったことがある。
それは、あの福岡ハカセの新刊だ。
■福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書2000 2009.7.20)
私は、なんでもゆっくりだ。
本を読むのもきわめて遅い。それにあまりたくさん読んでいない。
居直ってしまって「私の文脈で本を読む」ことをモットーとしている。
だから、私の文脈にそうものだけを「拾い読み」をしたり、「つまみ読み」をする。
 ところが、我流に変調をきたすことがある。
▼ここのところ、福岡伸一さんの新刊は、でるたびにできだけ早く読んでいる。読んでしまっている。
この本も、ネットで情報が入るや発注はして届いていたが、「日食」もあるし、これ読み始めるとヤバイと思いちょっと離しておいていたのだ。
 それを、つい手にしてしまったのだ。
 読み始めると、妙な現象がおこる。
「私の文脈で読む」が通用しなくなってしまうのだ。もう著者の文脈で読まされてしまうのである。
▼彼の文脈には、いつもなにかのトリックがある。落ちがある。
わかっているが、それにいつの間にかはまってしまうのだ。
そして、いつしか彼の文脈に共揺れ、共振をはじめるのだ。
「ふしぎ!?」を追いかける人の輝きだろうか、それへの憧れだろうか。
福岡ハカセと私では、蓄積してきた「知」や体験してきた「科学」に雲泥の差がある。
同じレベルで語ること自体が畏れ多きことだ。
でも、なぜか思考に共振がおこってしまう。これはどうしようもない
▼読みすすめるなかで「マップラバーーとマップへイター」(p88)の話が出てくる。
私は、どうしようもなく「マップヘイター」派である。「マップラバー」派をめざすが、そうはなかなかなれないのだ。
「等身大の科学」とは、「マップヘイター」派の科学なんだろうかな。
などと、少しだけ自分の文脈に引きつける無駄な努力も試みながらも
やっぱり 思考が共振をしはじめている

ゆっくりな私は、まだ最後まで読んでいない。
夏休みだ、いま少しだけ この「共振」を楽しませてもらおう。

 

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新・「自由研究」のすすめ試論(13)

Dscf4622▼「日食」の感動と「大賀ハスの蕾」の感動の余韻が入り交じる昨日。それでも地球は回っていた。
大賀ハスの蕾をつけた花茎はグングン伸び、日食の余韻残す空は、積乱雲が見られる夏空に向かっていた。阪本さんによれば、この蕾が少し時間をかけて、あこがれの「ハスの華」になるという。
 それは、8月の初旬だろうか。ゆっくりゆっくりと観察を続けよう。そのスピード感覚を読みながら。
▼こちらの方も、ゆっくりとだ。変に加速することはやめよう。
新・「自由研究」のすすめ試論 だ。
「アカソナキ」5段階方式
まで、書いていた。
等身大の「ふしぎ!?」をこの方式で「研究」をすするわけだ。
 次は、これをどう「つなぐ」かだ。
▼「日食」の観察で考えてみよう。
「ふしぎ!?」はひとつではない。この世の中には多様な「ふしぎ!?」がある。
その多様な「ふしぎ!?」がつながりあってある。
つながりが見えてきたとき、あらたにゆたかな「ふしぎ!?」が見えてくる。
・月、地球、太陽のスケールの違いのリアルな認識から、宇宙スケールの「ふしぎ!?」がはじまる
・ピンホールの「太陽の像」を見ることにより、光の「ふしぎ!?」がはじまる
 なんで穴を通だけで像ができるの
 レンズは何をする道具なの
 「ふしぎ!?」を科学するところから 技術が生まれた。 カメラの歴史
 光は直進するから像が見えるのでは 
 アインシュタインが、日食で見たものは
・雲がかかって見えなかったても、もっと「ふしぎ!?」な雲は見た。雨がふったかも知れない。
 そこにも宇宙スケールの「ふしぎ!?」はある。
あげていけばきりがないほどだ。
▼つながりで観ていけば、小さな私の「ふしぎ!?」はどんどん豊かにふくらむ「ふしぎ!?」になる。
さらに、自分の「ふしぎ!?」をつなぐだけでなく
他の人の「ふしぎ!?」につなぐと、もっともっと面白くなっていく。
それが、人から「学ぶ」ということ。
これからの「学び」は「学び合い」としてしか成立しない。これは何度も何度も確認してきたこと。
これらの営み総体をさして、「学問」というのかも知れない。


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「日食」に何を見たのか!

Dscf4558▼2009年7月22日。ついに「その日」はやってきた。
私は、少し興奮していたが、冷静に振る舞おうとしていた。空は、雲がおおっていた。
「雲家族のうた」を思い出したりしながら、もうひとつの「ふしぎ!?」に賭けてみるかという気持ちにもなっていた。
▼ところが、登校するなりやったことは、【星空の連帯】提案の紙に直径10㎝ばかりの円を描いて、それを何枚もコピーして「記録用紙」を準備していた。あきらめてはいなかった。
木漏れ日観察の場所も決めていた。
ピンホール観察も、【星連】をヒントに、塩ビのパイプ1m内径10㎝ばかりのジャンボタイプのものを準備していた。
鏡利用観察も、それ専用の鏡を買い込み、ちょっとした予行も済ませていた。
▼10時過ぎまでは、どうしてはずせない用件があったので観察にはかかれなかった。
10時過ぎに中庭(駐車場)に出てみると、すでに「ちょっと欠けているのが見える」と何人かの先生、例の「日食観察グラス」で観察をはじめておられた。
 しかし、雲が全天を覆っていた、そのすき間をぬっての観察はきびしいものがあった。
車にのせていた「ジャンボピンホール観察器」を撮りだした。
車を、この観察器の台がわりに自分の車を利用して見てみた。
たしかに、ときたまぼんやりと「欠けていく太陽」が見えた。
▼私は、この観察器を利用しての観察に徹することに決めた。せっかく用意した「記録用紙」も、鏡利用観察もあきらめた。観察窓にデジカメをあてて、2時間近くシャッターおし続けた。
 曇った時間がほとんどだが、ときどき食進行中の太陽が顔だした。
 そのチャンスをとらえたいと、シヤッターを切り続けた。
Dscf4235▼かすかな望みをつなぐ観察続けるなか、部活動中の生徒や先生が申し合わせたがごとく観察に集ってきた。
ジャンボ観察器をのぞいた先生が言った「やっ、反対や!」と。
そうだ、間違いなくこれは「太陽の像」を見ているのだった。間違いなく「見えているのだ!!」
変なもので、変な姿勢で観察をしているので、日食グラスで観察した後で、何人かの生徒寄ってきて、
「こんなんで、見えるン?」
「これお母さん、ポテトチップのやつでやっとたわ」
「…」
半信半疑でのぞいた生徒が「見える!!」「大きく見える!!」と言ってくれたときはうれしかった。
Dscf4387▼ずっと観察器を覗き込んでいたので、どれだけの人が、いつ集まったのかよくわからない。
途中で誰かが言いだした。
「こちらの方が、よう見えるで!!」
駐車場であったので車が何台か停めてあった。そのなかに窓にスモークのかかっている車があった。
そこに、みごとな「太陽の像」があった。
これぞ、昔からの「たらいに墨汁をたらして」の方法だ。発見だ!!面白い。
▼食が最大のころ、少し長いあいだ太陽が見えているときがあった。
ジャンボピンホール観察器オンリーでいくと決めてはいたが、「木漏れ日」観察には未練を残していた。
予定していた運動場南のアメリカフウの木陰に足を運んだ。
光が弱いせいだろうか。予想したようには見えない。とりあえずシャッターは切った。
あとからゆっくり見れば、そう見えるかもと…。
▼夕方、家に帰ってからは、NHKの特番を見た。ネットでもいくつかの画像を見た。
「皆既日食」すばらしい画像を見ていると、「私も…」と思ってくる。
ここで、再度思い出した1/15億の「太陽」「月」「地球」を。
やっぱり起こったのだ。「科学」の予測した通りに。
 充分とは言えない観察だったが、「宇宙」の「ふしぎ!?」へ誘われる機会にはなった。
 少し、この余韻の日々かな。
 

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大賀ハスの蕾を見た!?

Dscf4156▼「日食」観察の前日の昨日。つまり2009年7月21日の夕方。私は、いささかあわて興奮していた。
たいへんなものを見てしまったのだ。それは例の大賀ハスの蕾である。どう見ても私には、これが華の蕾に見えるのである。実(種子)を発芽させて2年目である。それは、発芽3年目からが一般的と聞いていたし、事実その気配は見られなかった。
 ところが、ここへ来て、葉が立つのが続々であった。「ひょっとしたら…」と夢を描かないわけではなかった。
▼大賀一郎先生が、この大賀ハスの実を、検見川の沼地からみつけられたのは1951年の3月末、発芽処理をされたのは、同年の5月。そして、翌年(1952年)の7月18日には開花させておられる。二年目だ!!
 もし、これが開花までいくなら、大賀先生と同じことになる。\(^O^)/
▼それにしても、どうしてだ。いつも観察をつづけているつもり、朝も見たはずだけど、この存在に気づかなかった。
2年目の今年はあきらめていたからだろうか。
 何故、蕾をつけることになったんだろう。なにがちがうのだろう葉の芽と花の芽では…
蕾をつけた柄はたしかに、これまでにないいちばん太い葉の柄に寄り添うように伸びてきている。どこかがちがう。
Dscf4182▼なにかが臨界点に達したのだろうか。それは温度だろうか。
私はあわてて、例の「非接触温度計」を取りだしてみた。葉の表面に向けても、蕾の根元にあててもだいたい同じ温度を示す。「24.6℃」だ。
 地下の栄養タンク(蓮根)に、充分に栄養が貯まって臨界点に達したのだろうか。
「今度は、花を咲かせよ!!」という命がくだって、伸びてきたのだろうか。
となりの葉は、これまで最大の長径34㎝にまで成長している。栄養生産工場の拡充が、次なる世代を生み出す準備OK!のサインを出したのだろうか。
 私の大賀ハスの「ふしぎ!?」はまだまだ続く。はたして、ほんとうに花開くのだろうか。
▼大賀ハスの「ふしぎ!?」ばかりを言っておれない。
今日は、いよいよ「その日」だ。
はたして、「日食」を観察することはできるのだろうか。
木漏れ日観察
ピンホールカメラでの観察
鏡を使っての観察は…
この後の「天気の変化」が心配だ。
もし悪天候であってもなげくことなど必要ない。ひとつの「ふしぎ!?」体験がなくても、
ちがった「ふしぎ!?」体験ができる。
「雲見」をやればいい。そして、見えない「宇宙」スケールをイメージすればいい。
我々は、「宇宙」のなかの「地球」に生きていることを実感すればいい。
さあ…

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新・「自由研究」のすすめ試論(12)

▼はやくも、夏休みが3日が過ぎ、4日目である。地球の回転にブレーキをかけたいが、それはできない相談だ。しかたない。自分をそのスピードに近づけていくしかないのだ。
「日食」のときもせまってきた。いよいよ明日だ。
TVもどんどん関連ニュース・情報が流れるようになっている。
「日食」に何を見るか。で提案したこと、自分でも準備を加速化しているが、それまたスローな私は(^^ゞポリポリ
▼ちらっと見たTVで、悪石島で「皆既日食」を待つ少年が映し出されていた。
彼は、日食がおこたとき、虫眼鏡で黒く塗った紙を焦がそうと思っているらしい。いつものなら、丸くこげるところ
が、部分食のときは、三日月形にこげるのではないか予想しているのである。
( ゚o゚)ハッ これだと思った。いつも映っているのは「太陽の像」なんである。
いいな。木漏れ日観察も、ピンホール観察もみんなこれなんだよな。ここに「等身大の科学」がある。
▼新・「自由研究」のすすめ試論を続ける。それこそ等身大に…。
試論(11)では
(4) 小さな「私」の「ふしぎ!?」つなげば必ず世界大・宇宙大の「ふしぎ!?」になる。
   それを科学史が教えてくれている。

で終わっていた。そこから続けよう。
Dscf4095▼ 最初に、私自身の「私」の「ふしぎ!?」進行形のひとつ、コウガイビルの今をあげておく。
一昨日のコウガイビルである。あいつは、ほんとうに小さくなった。動きを停止してはいるが、まちがいなく「生きている」。それは、前に観察した位置から移動しているのだから、「の」字形はすこしとかれているような気もする。
プロに見ていただくまで、ひょっとしたら生きているかも知れない。「ふしぎ!?」をつなぐことができるかも知れない。
▼小さな「私」の「ふしぎ!?」がどうつないだら、世界大・宇宙大の「ふしぎ!?」につながるのか。
考えてみた。結論からいく。
遊びの思いつきだがこれを「アカソナキ」方式と呼ぶ。
●アタリマエ
●カンガエテミルト
●ソウイエバ
●ナントナク
●キット

▼ひとつずついこう。
●アタリマエ(当たり前)
これほど、「科学」を遠ざけているものはない。
そんなことアタリマエ! で片付けていることが多い。
せっかくの「ふしぎ!?」のたまごが生まれても、このアタリマエの言葉で置き去りされ、忘れ去られ、消え去るのである。なんともったいない話だ。
「アタリマエ」を疑おう。「アタリマエ」の壁をうち破ろう。

●「カンガエテミルト」
次が、「カンガエテミルト」(考えて見ると)だ。身の回りには考えて見ると「ふしぎ!?」なこといっぱいっぱいだ。
「日食」観察で考えてみよう。
ピンホール観察でなんで、ピンホール(穴)を通すだけで「太陽の像」を見ることができるんだ。
「カンガエテミルト」不思議なことではないか。
でもその「ふしぎ!?」からはじまって今日のカメラがあるんだ。
やっぱり「カンガエテミルト」は、きわめて有効な方法だ。

●ソウイエバ
「ソウイエバ」(そう言えば)は、「ふしぎ!?」をつなぐとても大切なステップである。
そう言えば、理科の授業で○○のこと勉強したな。
そう言えば、お父さん前にこんなこと言っていたな。
そう言えば、前に買い物にいったとき、魚屋さんそんなこと言っていたな。
そう言えば、教科書にそんなこと書いてあったような。
そう言えば、前にインターネットで調べものしていたとき、そんなページがあったような…。
…。
 これまでバラバラだったこと、頭の隅に残っていた情報・知識をつないでいくのである。
そうすると、「私」の小さな「ふしぎ!?」がふくらんでくるのである。

●「ナントナク」
次に大事なステップは「なんとなく」だ。
「私」の「ふしぎ!?」に、現時点での「私」の謎解きをやってみる。
自分なりの答えをみつけようとする。なんとなくそんな感じがする。
それでいい。大切なのは、「私」の「ナントナク」というところだ。

●「キット」
これが、「アカソナキ」方式の最終段階だ。
私の「ナントナク」が、頭のなかでもやもやとしてきたら、次は「きっと」こうなるはずだという自分の考えを
まとめてみよう。「仮説」をたてるわけだ。
実は、プロの「研究者」「科学者」たちも、これをやっていっているんではないか。
▼戯れのような思いつきを書いてしまった。
書いてしまうと、それこそ不思議なもので、思い入れができてしまったりするものである。
 「アカソナキ」5段階方式で自由研究を
にはまってしまう夏休みになるかも…。

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【Web更新7/19】09-29「「自由研究」の研究」更新

Dscf3976
いつのまに つい声かけん イガグリや
 09/07/16 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ
 夏休みに入って、最初の更新である。夏休みに入っても特段大きくなにかが変化するわけではない。
ただ、ものごとの優先順序が少しかわる可能性がある。それも可能性だけだ。
 やっぱり同じスピードで地球は回転していくのだろう。
 「アタリマエ」のことを、「カンガエテミルト」とする機会がふえるかな。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ 栗
 『歳時記は日本人の感覚のインデックスである』と言ったのは、最近とくに興味を持ちだした寺田寅彦の言葉だ。誰もが、自分の感覚のインデックスを持っている。私のインデックスのなかでは、栗は「秋」だった。
でも、だんだんと自然を観察していると変わってきた。インデックスの「概念くずし」がおきてきた。
 あの梅雨が近づいてきたときの、長い長いやわらかな尾のような雄花、これまたその季節をよく象徴していた。
好きな栗の姿だ。あれが、どうしてイガグリに成長し、実りの秋を象徴するようになるのだろう。面白い。
と思っているといると「いつのまに」やら、イガグリは大きく育ちはじめていた。梅雨も明けぬというのに…。

◆【地球と宇宙】更新
 「私」が「宇宙」に住まいしていることを実感する瞬間が近づいている。
どうも天気があやしい。でも「ふしぎ!?」だ。
あんなに正確に食の状況を計算し、予測できるのに。そんな「物理学」を手に入れているのに
わずか10㎞に満たない「大気の物理学」が、正確に予測できないなんて。
私にとっては、どちらも「科学」だ。どちらかだけに軍配をあげるわけにはいかない。だから面白い。
わかっていないこといっぱいなんだ。なおさら面白くなっていくのだ。

◆「理科の自由研究」の研究 更新
 カンガエテミルト それこそ変なページをつくったものだ。
「自由研究」の意味など、あんまりこれまで考えてこなかった。考えはじめると、実に奥深く、これこそが、これからの理科教育の方向を示唆するものになるんではないかという気になってきた。
 さらには、21世紀の「学問」「研究」のあり方、すすめ方とも関係してくるのではないかと思いだしたのである。
 新・「自由研究」すすめ試論 を中心としながら、私論を「試論」していく。

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新・「自由研究」のすすめ試論(11)

Dscf4012▼夏休みの初日。異様なまで立ち上がってきた16週を経過した大賀ハスを見た。あれから16週も過ぎたので、小さな蓮根から、この大きな葉をつけて立ち上がってきても、さして不思議でないのかも知れない。
でも私には、やっぱり「ふしぎ!?」だ。元をたどれば、昨年の5月17日には、たったひとつの小さな種子ではなかったか。もっと、もっと元をたどっていけば、58年前の3月末までは、あの検見川の泥のなかに眠っていたのでないか。葉は、パラボラアンテナのように凹面をつくっている、受けるのは太陽から恵を逃さ受け取る最高の形なんだろうか。葉の中央の白い部分はなんだろう。空気孔のフタは、マンホールのフタのようなものなんだろうか。
 地下の蓮根とどうつながっているんだろう。アタリマエにしてしまわなければいくらでも「ふしぎ!?」が立ち上がってくる。
Dscf4071▼ 夕方からは、昨年から見に行かせてもらっている「関の火祭り」に行った。火の安全、五穀豊穣、無病息災を祈る伝統的だ。松明の火を見ていると、時代がタイムスリップしそうだ。
 元々は「虫送りの火」だったのだろうか。「火」「水」「農耕」…、人々の営々とつづく営みのなかにも不思議はいっぱいあっただろう。アタリマエで片付けなければ、ここにもやはり、いっぱいの「ふしぎ!?」は眠っているだろう。
どこにもあってこそ、「等身大の科学」なんだ。
▼「自由研究」のすすめ試論を続ける。
繰り返しになるが、少し頭のなかにあること並べてみよう。

(1) これからの「自由研究」のテーマ選びは等身大で。
 「等身大の科学」にこそ、研究に値するものがある。きっとある。

(2) アタリマエが、ほんとうの「ふしぎ!?」を置き去りにする。
 カンガエテミルトで等身大の「ふしぎ!?」を「科学」として復権させよう。

(3) 21世紀の「自由研究」とは、21世紀の「学び」そのものを予見するものである。

(4) 小さな「私」の「ふしぎ!?」つなげば必ず世界大・宇宙大の「ふしぎ!?」になる。
   それを科学史が教えてくれている。

時間が来た。また続けよう。

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今年の私の「自由研究」のテーマは(2009)

▼2009年7月18日。今朝、起きて外に出てみた、雲の合間から見える月は、ずいぶんと「うすく」なっている。足元の大賀ハスは、異様なまでにたくさんが佇立している。さあ、夏休みだ!!
  ここから、我らが地球が45回転するあいだ、これが「夏休み」である。仕事は続くが、少しだけ物事の優先順序が変わるのかも知れない。「夏の創造」にあげたこととも重なるが、今年の私の「自由研究」のテーマを、ある程度スケジュールとあわせながら列挙してみよう。
(1) 「日食」観測から「宇宙」論へ 
 7/22の日食観察・観測をきっかけに、私の「宇宙」論の今 を追求してみよう。
 8/9(日)に黒田武彦さんの講演『宇宙の中の人間~ガリレオから現代までの宇宙論~』を聞かせてもらう機 会ができそうだ。楽しみである。これを2学期以降の授業【地球と宇宙】につないでいこう。 

(2) 大賀ハスの観察
 2年目の大賀ハス。華の気配はないが、すごい勢いで成長している。大賀ハスの観察を続けながら、今一度問おう「植物とは」。

(3) コウガイビルを追う
 「飢餓状態」にあるはずのコウガイビルは8ヶ月をすぐてもなお生きている。なんなんだ!?
「生命とは」の問いに答えるなにかが、かならずここにある。
8/20(木)渡辺憲二先生の『幹細胞の生物学』の講義を聴かせてもらう予約をした。なんらかの関連情報を聴くことができるのではと楽しみである。「幹細胞」「iPS細胞」「発生」「再生」…、生命科学最先端にコウガイビルが連れて行ってくれるかも知れない。【細胞と生殖】の授業にさっそくつなごう。

(4) 熊楠の「萃点」とは
 「知」の巨人、南方熊楠。その南方曼陀羅の究極、「萃点」とはなんなのだろう。これは昨年の夏休みのひとつのテーマでもあった。昨年に引き続き、もう一度「熊楠」を訪ねる。和歌山の阪本さんのお世話になって再訪が実現しそうだ。8/6(木)・7(金)と、田辺、那智に出かける。はたして「熊楠」は姿を見せてくれるだろうか。

(5) 「鉄のミニ博物館」に学ぶ
 「むらの鍛冶屋」さんのところに出かけていくのも、昨年からの念願であった。この夏休みはぜひ実現したいと思っている。「金属と人間の歴史」これは、ながいあいだ追いかけているテーマでもある。
「常民の科学」と「等身大の科学」。どこかに共通するものがあるのでは…。

(6) 新・「自由研究」のすすめ試論 をすすめる。

(7) 新・私の教材試論 をすすめる。

とりあえずは、以上である。
キーコンセプト、スタンスは
●「等身大の科学」
●科学最前線と授業をつなぐ
である。
 大いに人とモノの出会いを楽しみたいものだと思っている。
さあ…。

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【星空の連帯】緊急復活!!

Dscf3982
▼今週のWeb表紙にあげている「アオギリの花」を毎朝見ていると、どんどん変化(へんげ)を繰り返しているように見える。秋には、あの不思議ないかだにつつまれたような種子になる。そして、木枯らしで地上に舞い降りてくる。
だから、日々刻々と変化しているのである。あるときは加速し、あるときはゆっくりと、その変化こそ「生命の営み」の所以かもしれない。
 バックの青空にしても同様だ。浮かぶ雲は、刻々と姿かたちを変える。その未来の姿を正確に予告する科学を今なお持ち合わせない。それなのに、それなのにである。
あんな遠くにある太陽!あんな小さな月その重なりが予告できるという。7/22になんとも正確に、どのような姿かたちを見られる予告できるという。私には、そのこと自体が「ふしぎ!?」だ。
▼【星空の連帯】と言う言葉を聞いて、「あれか!」とピッーンと来る人は、今、この地球上に何人ぐらいいるだろう。かつて【理科の部屋】にあって、もっともその取り組みを象徴するようなプロジェクトであった。
あれからもずいぶんと年月が流れた。小学生で参加した子どもも、もう大学生になっているかも知れない。
高校生で参加した生徒は親になっているかも知れない。
 その【星連】が、この7/22を前に、緊急復活!!である。案内役は、もちろん当時とかわらない大阪市科学館の渡部義弥さんだ。例によってガイドを書いてくださっている。
テキストは、ここにあります。
http://homepage3.nifty.com/fun/hosiren/index.html

▼いあ、みごとです。さすがプロです。
私のようなシロウトが参加するのにピッタリです。一流の「知」を含みながら「等身大」です。
誰もが参加しやすいように具体的で、いろんな配慮がしてあります。
私には、今回の「日食」もさることながら、この緊急復活の【星空の連帯】がどんな展開を見せるか。
そのことに大いなる興味をもつ。o(^o^)o ワクワク

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【授業】「日食」に何を見るのか(3)

▼今朝、起きて外に出てみた。昼間はとても暑かっただけに、その涼しさがほんとうにうれしい。そして、空をみた、「下弦」を一日過ぎた月れた。この月が完全にかける「新月」に、その日はやってくる。ずいぶんと近づいてきたことがわかる。月・太陽・地球が気になる日々だ。
Dscf3950▼昨日の朝、定例の校庭散歩しながらも、捜していた。その日の「木漏れ日」観察の適当な場所を。
出発点のケヤキの坂道の壁も簡単でいいが、やっぱり張りついた苔が気になる。もっとなめらかな方が、観察にふさわしいポイントになるかな。校庭の南端のアメリカフウの木陰は、その点、条件がいいようだ。でも、これは朝方の話だ、その時間にふさわしい場所というのも確認が必要だ。
▼1時間の授業の報告がまだだ。つづける。
太陽・地球・月のスケール(大きさ・距離)の話が一段落したところで、いよいよ「日食」である。
教科書で取り上げている「日食」のコラムを読む。移行措置テキストにも「日食」はある。アタリマエだがこのスケールの図ではない。もちろん説明のためのものでいたしかたのないこと。
でも、ここで大いなる「ふしぎ!?」を置き去りにしてしまうことになる。それが「等身大の科学」学派の主張。
Dscf3916三球儀を出してくる。見せる前から、すごい装置があると生徒たちも感心していた。
「こんなに早く、一日が過ぎたら…」とそのしかけにも気づいていたようだ。
これを使って「日食」を説明した。そこまでにスケールがともなってイメージできつつあるのか。
すっと入っていたようだ。そして、7/22に起こることが、とても特異なことであることも。
 スケールの話をしたときに、その周りの「空間」のことも強調した。それぞまさに「宇宙」。
真っ暗闇、何もない「空間」。
「日食」以上の「ふしぎ!?」が生まれてしまったようだ。
▼時間がなかった、スピードアップをして、観察・観測方法の紹介にうつった。
最初に注意して置いた。「原則・直接太陽を見ること禁止」を。
これまでに学習してきた「科学」つなぎ合わせれば納得だ!そして巨大なる太陽を目の前にしたら…。
【観察その1】木漏れ日観察
 もっとも歴史をもつ観察方法、そして、「ふしぎ!?」いっぱい。大切にした「科学」いっぱい含んでいる。
 前もっての、自分の観察スポットをみつけておくように話す。
 なんにもいらない。その様子をもしデジカメにでも撮れば最高だ。
【観察その2】ピンホールカメラ観察
 原理は、「木漏れ日観察」と同じ。ここには、ちょっとした思い入れがあるだけに「ピンホールカメラ」を話をしたかったが時間がなかった。手で穴を作って机の上(スクリーン)に蛍光灯の像を映すだけでもやりたかったな。
 段ボール箱をつかっての簡単なピンホールカメラをつくってみる方法を紹介した。
Dscf3922【観察その3】「鏡」を使う観察。
 これも簡単にふれるのみにした。予備実験が必要なことも、原理は同じ。
 くっきりとした「太陽の像」が見られることを強調した。
【観察その4】その他の方法
 Web、TVの視聴も含めた。もちろん手に入れば「日食グラス」の使用も。共同観察の場所へ出かけていくことも。
 最後まで繰り返し、直接観察の「危険性」を強調しておいた。
▼残念だ、時間がもう少しほしかったが、あとは生徒たちにまかそう。期待しよう。
「アインシュタインと日食」ちょっとだけでも触れたかったな。
この授業のあと、面白い現象がおこった。自由研究のテーマの変更があいついだのだ。
「日食」「宇宙」に関するのが急激に増えてしまった。喜んでいいのか、悲しんだらいいのか。(^^ゞポリポリ
 

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【授業】「日食」に何を見るのか(2)

▼梅雨は明けたのだろうか。そう思わせるように灼熱の太陽がグランドを照らしていた。そんな昨日だった。
その日も、こうなっているだろうか。
一時間の授業のつづきを報告しておく。大きさ(直径)の違いを、1/15億モデルで実感していた。
何度も何度も「地球」「月」を「太陽」に近づけてみて、このちがいを強調する。
▼次の「ふしぎ!?」にうつる。こんな大きな「太陽」とこんな小さな「月」が、「地球」から見ていたら同じぐらいの大きさに見える。これはどうしてだろう。
「…」
「遠い」 ゆっくりと考えている時間がない。
そうである。遠くにあるのである。遠くにあるものは大きくても小さく見えるのだ。
次はどのぐらい離れているのか、その「距離」を問題とする。
Dscf3896▼今度は、黒板で「不正確な」大きさのモデル図を書きながら、「距離」を確認する。
・地球と月 38万㎞
・地球と太陽 1億5000万㎞(1天文単位)
再び月と太陽の大きさを比較する。大ざっぱに見ていく、約「400倍」だ。
400倍の大きさのものが、同じぐらいに見えるということは、400倍遠くにあるのだ。
1/15億モデルで考えてみる。
「地球」と「月」は24㎝
「地球」と「太陽」は100m 
「地球」と「月」は30㎝定規の上に、粘土でならべてみる。
さあ、これで「太陽」はどこに、あらかじめ日曜に測っておいた。窓から見えるグランドのピッチャーマウンドのあたりになる。(゚o゚)ゲッ!!である。
でも、そうなんである。それでこそ同じぐらいの大きさに見えるのである。
「皆既日食」もおこるのである。少しは、ホンモノの「宇宙」に近づいてきた。   <つづく>

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【授業】「日食」に何を見るのか(1)

▼今日で、あの「コウガイビル」発見から、8ヶ月になる。地球が太陽の周りを2/3周した時間だ。その間、「飢餓状態」が続いていることになるのだろうか。それとも、予想外の「食」をしているのだろうか。はっきりしているのは袋のなかにいるは、「物体」ではなく「生命体」である。
▼今学期最後の授業となってしまった。その授業は、『「日食」に何を見るのか』の特番である。考えてみると、やりたいことはいっぱい出てくる。「日食」にふれるまでにも、いくつかの予備知識的な授業も考えられる。しかし、一時間に限定である。
 最初にどうしても、これだけはやって置きたいことがあった。
それは、「スケール」の問題である。いきなり説明バージョンでは、ほんとうの「ふしぎ!?」が置き去りにされてしまう。「わかる・わからない」の問題になってしまう。
▼スケールのはじめは大きさ(直径)である。教科書等の説明図、あるいは三球儀の世界だけでは、宇宙のスケールのほんとうのところは、イメージできない。だから、ほんとうの「ふしぎ!?」が生まれてこない。
そんな思いが、最初にあった。以前に仮説実験授業の授業書『宇宙への道』に学び、1/30億のモデルで考えたこともある。今回はそれをも参考に、その倍(1/15億)で考えることにした。
▼まず大きさを問題にしようと、
太陽・地球・月 三つの天体の直径をあげた。
・太陽 140万㎞
・地球 1万3000㎞
・月   3200㎞
予想立てたりして、このスケール認識していくのがいいかも知れないが、今回はそうはしなかった。
大きさの比較をしてみる。
地球を「1」とすると、太陽はその「109」倍、月は地球の「1/4」
大きな違いである。でも、それだけでは大きさの違いを実感できない。
そこで、例のジャンボバルーンの登場である。
Dscf3878_2▼今回は太陽を赤のバルーンでやってみる。【天気の変化】のところで、何回かみせている(「大気の層ー青空どこまで」「雲粒100万個で雨粒に」等)。
膨らましはじめると、
「先生!またそれけ…」
「今度は赤!」「…」 ちょっとワクワク雰囲気になる。
直径約1メートルに膨らませる。
「1/15億でだいたいこれぐらいになる…」
では、
Dscf3884「地球は(・_・)......ン?」
「月は(・_・)......ン?」
予想をたてている時間はない。あらかじめ「ねんど」で作っておいたものを見せる。
青いねんどで作った「地球」をつまようじの先にさして 見せる。
「(゚o゚)ゲッ!!そんな…」
「だって、直径がだいたい百分の一言うたら こんなものや」
Dscf3906「では、月はこの1/4で…」
これには、やっぱり驚きである。
実感と感動!! そこから さらなる「ふしぎ!?」が生まれる。          <つづく>

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【Web更新7/12】09-28【地球と宇宙】改題

Dscf3818

花の変化 見とどけたきや アオギリの
 09/07/9 (木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ
 学期末の慌ただしい一週間が過ぎた。一週間には、実に多くの「セレンディピティー」があるものと自分でも感心してしまう。blogの方は「自由研究」と「日食」の方に集中した一週間であった。これは今週もつづくであろう。なにか、この拙いblogの方ものぞいてくださる方が、急増しているような気がする。
 ありがたいことである。それだけセレンディピティーの可能性が高まるということでもあるのだから。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ アオギリ
 校庭の樹木シリーズでも、よくとりあげてきたアオギリ。校門の東に一本佇立するアオギリ。
気になる存在である。花の変化(へんげ)もとっても面白い。花は各部位がどのような役割をするものかを教えてくれてもいるようだ。今年は、そのあたりをくわしく、進行形で見とどけたいものだと思う。

◆【地球と宇宙】改題更新
 ずいぶん以前からの【宇宙への旅】を改題して更新していくことにした。
「日食」をきっかけに、天文、「宇宙」の学習に近づいていく。私として、中学三年生に、この単元を教えるのははじめてである。一緒に学んでいけば、いっぱい新しいことが知ることができるかも知れないと、今から楽しみである。
「地球」もまた、中学校理科のキーコンセプトである。私のなかで、宇宙のなかの「地球」像がどのように変わっていくだろう。

◆理科の「自由研究」の研究 更新
 「新・「自由研究」のすすめ試論」をこれからも続けていきた。
「等身大の科学」がテーマ選びのキーであること。
「等身大の科学」を科学する絶好の機会が、「自由研究」である。そのあたりまでが「試論」なかであきらかになってきたこと。

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「日食」に何を見るのか(3)

Dscf3858▼我が「大賀ハス池」が、植え替えから15週がすぎた。ついに水面から、ハスの葉が1.2.3・・・5、6本は立ち上がってきた。池の水面での「光とり競争」の展開から、3Dの展開となる。次元が変わってきたのだ、これはすごいことだ。それにしてもこの「成長」はなんなのだ。朝見た姿と夕方に見る姿では、ずいぶん違うように見える。そのぐらい「成長」しているのである。この大賀ハスたちに、今何がおこっているのだろう。
偉大なる「光合成」だけで説明できるものなんだろうか。思わず、私は「ファン・ヘルモントの柳の木の実験」を思い出していた。
▼夕方には、畑の畦の草刈りを久しぶりにやった。それにしてよく伸びたものだ。雑草たちの「成長」も大賀ハスの「成長」に負けず劣らずである。
アタリマエである。夏だから…
でも考えてみると「ふしぎ!?」である。こんなスピードで栄養を生産するなんて、どんな「からくり」になっているだろう。
 アタリマエが、ずいぶんと、たくさんの「ふしぎ!?」を置き去りにし、見逃す結果になっているのでは、それではもったいないな。自然から「感動」を享受できる機会を逃してしまう。
▼「日食」に何を見るのかを続ける。「理科ハウス」のモリさんからコメントをもらって気づいた。
これまた、もったいないことをするところだった。
「日食」と「アインシュタイン」。そんなことを話題とする絶好の機会なのだ。
「20世紀の科学史」に触れることに、私たちは(「私は」とすべきかな)少し畏れを持ちすぎているのかも知れない。
確かに、私自身の勉強不足もあるが、そこのところに触れなければ、本当の「21世紀の学び」は引き出せないのかも知れない。
▼21世紀の日食観測は、他にもいろんなところで、これまでできなかったことが可能である。
Webの活用である。
 自分自身の「等身大」の観測を、つなぐことができるのである。
過去の観測結果もWebで見ることもできる。よりリアルタイムに他の「等身大」の観測とつなぐこともできる。
ライブも計画されているようだ。
◆AstroArts: 【特集】2009年7月22日 皆既日食
◆2009年7月22日皆既日食の情報:国立天文台

◆世界天文年2009 日食観察ガイド

 

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「日食」に何を見るのか(2)

Dscf3833▼どうもblogが不調のようだ。私の操作上のことだろうか。いずれにしても、これで3度目。同じような文章を書いている。なんとも、少しずつ内容までかわってしまっている。(^^ゞポリポリ
 そう、コウガイビルからはじめよう。「あいつ」はもうすぐ8ヶ月である。なんで生きているだろう。何かを食べているのだろうか。ダーウインの言った「瞬く間に消えてしまう」のはいつなんだろう。
この夏に、コウガイビルにちゃんふれた私が手に入れた唯一の本『プラナリアの形態分化』(共立出版)の編著者である渡辺憲二先生が、近くで講演されるという情報が入ってきた。この機会にこのコウガイビルを連れて行って、私のコウガイビルの「ふしぎ!?」について教えてもらいたいなと思うが、そのためにはもう一ヶ月以上生きていてもらわねばならない。それは、ちょっと無理かな。なにしろ小さく小さくなってしまっているのだから…
▼「日食」に何をみるのかをつづける。
その日はどんどん近づいている。はたしてその日は晴れるのだろうか。
でも考えてみると不思議な話である。「どこそこでは何時何分何秒から欠けはじめる」そんなことまでわかるんだ。
科学の力というものだろうか。そんなことまで予測できるなんて
でも一方では、その日の天気はわからないのである。
「梅雨明け10日は晴れ」という天気コトワザがある。経験則からできたコトワザだ。
「等身大の科学」学派の私としては、ここにも「科学」はあると主張したいのだ。
▼観察・観測をよびかける授業では、できるだけ「等身大の科学」で考えてみよう。
まずは、太陽・月・地球の大きさ・距離のスケールだ。理屈ではなく具体的なイメージがふくらむように工夫してみよう。そうしてこそ、日常の延長としての奇跡的な出来事がより豊かにとらえられるのだから。
▼観察・観測の方法にしてもそうだ。
まずは、我らが宿敵アリストテレスもその観察記録があるという「木漏れ日」の「太陽の像」の観測だ。
場所はどこがいいだろう。前々から校庭のケヤキの木漏れ日がいいかなと思っている。しかし、スクリーンになる土手のコンクリートは苔でたいへんだ。もっといい場所はどこかにないだろうか。
前もってさがしておこう。
▼次は同じ原理だが、「ピンホールカメラ」である。ピンホールカメラと言えば思い出すが「教室全体をピンホールカメラに」の実験である。理科教師をはじめたころ、もっとも夢中になり、感動した実験である。
 これのさらなるダイナミック版である。どんなピンホールカメラをつくればいいだろう。それとも、なにかあるものを使えばいいだろうか。それまでに考えてみよう。
▼さらには「手鏡」使った観測もいいかも知れない。予備実験で最適のスクリーンを考えておきたいものだ。
なんだか、こう考えているとまるで、これは「光」の授業のダイナミック版のようなものだ。
でも、そうなんだ。
自然界は、これは「光」、これは「天気」、それは「宇宙」等々と領域に分かれてあるわけではない。
もっと、もっとドラスティクで、ダイナミックに展開されている。そして、混沌としている。
さあ、さらに可能なことを「等身大」で考えてみよう。

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「日食」に何を見るのか

▼一日、一日と夏休みが近づいてくる。それまでにやっておかなければいけないことも、いっぱいだ。例によって並べてみて、プライオリティをつけて行く作業が必要だ。
そのなかに、「日食」があった。
理科の教師としては、これははずすことができない。ずいぶん前から、この日のことは意識だけはしていた。ただそれだけだ。何をどうしようとは、今なお考えてはいない。やっぱり、ゆっくりな私である。(^^ゞポリポリ
▼「等身大の科学」を標榜する私として、「何を」「どのように」観ることを呼びかければいいのだろう。少し、具体的に考えるときがきている。
 授業としては、中学3年に一時間だけ、特設時間をとれるようにお願いした。
では、そこで何をやればいいのか。ゆっくりと考えはじめた。
▼教科書もこの日を意識して特設のコラムをつくっている。私の、基本的なスタンスを確認しておく。
○単なる、「お祭りごと」に終わらせない。これを、【地球と宇宙】の学習への足がかりとする。
○何が起こるのか。予想をしてから「観察」する。
○あえて特異な「観察」は必要ない。無手勝流でそれを「観察」するに徹する。
○日常の「生活空間」のなかで、これを体験しておく。
○この「ふしぎ!?」体験を、記録しておく。後日、人の体験記録にも眼をやる。 等

▼今すぐに手に入る「情報」を、いくつか見ておく。
○私の過去にやってきた授業【宇宙への旅】のアウトライン
 もう少し、残しておくんだったな。(^^ゞポリポリ 今回は少しでも残そう。
Logoa_port_list○今年は、世界天文年だ。そこにある「世界天文年2009 日食観察ガイド」
 ここでは、かなり詳しく「日食」の楽しみ方が紹介されている。
○理科関係雑誌
 多くの雑誌が特集を組んでいる。ざっと目を通してみようと思う。

それから「一時間の授業」を構想してみようと思う。

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新・「自由研究」のすすめ試論(10)

Dscf3799▼忘れてしまっているわけではない。しかし、いつもプライオリティをつけるとちょっと後回しになってしまっていることがいくつかある。ところが、突発的にプライオリティを無視して行動することによって発見することがある。あたかも意識のないところで何かが働いているように…。一昨日、突然「あじさい公園」のモリアオガエルが気になりだした。あいつらはどうしているだろう。泡から落下して池に落ちる瞬間をみたいと思っていた。卵塊によって少しのちがいはあるが、ほとんどは「その瞬間」はすぎてしまったようだ。池のなかで、イモリくんたちに追いかけられるオタマたち、クロモにつかまり、ちょっとのんびりする大きくなったオタマ。そうだ、卵塊を今年の夏、はじめてみてからも時間がけっこうたっているのだ。
「等身大の科学」のことを続ける。
■『寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて 』 (池内 了 著 みすず書房 2005.1.21)「第4章 科学・科学者・科学教育」に「等身大の科学」の文言をみつけて感動したところまで書いた。
 もちろん著名なる宇宙物理学者の言う「等身大」と一介の中学校理科教師の私の言う「等身大」と同じものあると、そんな不遜なことを言うつもりはない。
 ただただ納得し、共感を覚えるのである。
 池内先生は、寺田のいくつかの「研究」テーマあげたのちに次のように書いた。

 ここに、科学の有りようについてヒントが隠れているような気がする。日常身辺の現象を新しい眼で捉え直すことである。私はそれを「等身大の科学」と呼んでいる。サイズが等身大で、研究費も等身大で、誰でも参加できるという意味でも等身大である科学として、気象や気候、生態系、地球環境問題などを対象にするのである。これらはすべて「複雑系」であり、多数のデータを何年にも渡って集積する必要がある。(同書p110)

▼池内先生には「等身大の科学」に加えて、「新しい博物学」の提案がある。これらに子どもたちも参加させようと言うのである。それには、「自由研究」の機会はチャンスだと言われている。
賛成である。
 私は、もっと言えば、「等身大の科学」こそが、「二十一世紀の科学」これからの「科学」であると思っている。
 だからこそ、自らの「ふしぎ!?」にこだわり、その謎解きに挑戦してほしいと願うのだ。
▼寺田の時代と大きくちがうところがある。
それは、現代はWebの時代であるということだ。Webがうまく活用されれば、この「等身大の科学」がつながり、世界大の科学になる可能性も含んでいる。
 それにしても、ここでの池内先生の「科学教育」に関する提言の数々とても納得いくものばかりである。
 「理科教師」として何をすべきなのか明確に語られている。何度か繰り返して読み返すことになるだろう。
いつの日か、直接お話を聞く機会があるかも知れない。楽しみにしておこう。

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新・「自由研究」のすすめ試論(9)

Dscf3758▼小暑であり、七夕の昨日は朝から蒸し暑かった。月も今年最小の「満月」であるという日だった。
朝、いつものように例のコウガイビルのナイロン袋に目をやった。ちょっとあせった。
(゚o゚)ゲッ!!あの「の」の字の姿が見あたらない。ついに「そのとき」をむかえたのだろうか、と。
ナイロン袋のなかを端から端までよく確かめるが、姿がない。クロイロコウガイビルのときのように、液のなかであろうか。たまっている水の中を見た。
居た!!そこに「あった」!! 半透明の小さな「物体」が。
あっやっぱりついにと思ったが、しばらくすると伸びてきたように見えた。どんどん伸びる、動いている。
まだ「生きている」のだ!!よくぞ生きていてくれた。これが最期の姿かとデジカメを向けた。
夕方にみるとまた「の」の字の姿がみられた。
▼授業では、緊急に「義務教育最後の自由研究」を呼びかけた。毎年配っているプリントにプラスして、今回新たに作った「テーマ選び」のためのプリントを配って説明をした。
 一方的な説明というか、呼びかけだった。
 ともかく強調したのは、等身大の「ふしぎ!?」の謎解きに挑戦である。
それを「等身大の科学」と呼ぼう。
 それこそが、理科の醍醐味である。学ぶことの面白さ・楽しさの「発見」はそこにある。
「完全」である必要はまったくないことも強調した。
さて、どんなテーマ候補があがってくるだろうか楽しみである。
▼ここでキーワードとしている言葉。
「等身大の科学」 この言葉は自分はいつのころからつかっているのだろうか。昨年度のこの「試論」の結論としても使っている。とても気に入っているフレーズである。
このフレーズで検索をかけてみた。あれ、私のblogもひっかかる。
一冊の本の存在を知った。
■『寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて 』 (池内 了 著 みすず書房 2005.1.21)
である。寺田寅彦については以前から興味もあったし、「等身大の科学」の言葉も気になってさっそく手に入れた。
▼自分で思っていること、ずっと考えてきたこと。しかし、自分では力量不足でなかなか言葉にならない、文章にならない。そんなことをきっちりと書いてくれている文章に出会うと膝を叩きうなずき、バンザイをしたくなる。\(^O^)/
 とてもうれしく、幸せな気分になる。やっぱり同じように考えてきた人がいるんだ。
その文章は同書「第4章 科学・科学者・科学教育」にあった。
 これが私には、今いちばんの「自由研究のすすめ」に読める。                      <つづく>

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新・「自由研究」のすすめ試論(8)

▼学期末である。学期末というものは、どこか慌ただしくて自分を失ってしまいそうになる。
そんな気持ちがあるから、そうならないようにと、自分の「生活のリズム」を確認してみたりする。
そして、「整理」を考える。そう言えば、ここのところ私にとっての究極「整理のプロセス」に目を通すことが少なくなっている。佐藤可士和の教えてくれた。
「空間」の整理→「情報」の整理→「思考」の整理
一日一回は目を通す生活をしよう。
▼夏休みの理科の自由研究を提案する時期である。
今教えている中学三年生にとっては、義務教育最後の自由研究である。
「等身大の科学」のすすめを呼びかけたい。それは、どうすればうまく伝わるだろう。
いろいろと考えてみるなかで「プリント」をつくってみることにした。
▼「最後の「理科の『自由研究』」に向けて」と題したプリントに、今の思いを書いてみた。
(1) 今回が、義務教育最後の「自由研究」。これまでの総集編に!
(2) テーマ選びは、自分の「ふしぎ!?」から
(3) 15の夏 自分の「ふしぎ!?」 謎解きに挑戦!
(4) 謎解きは、今回で終わらなくてよい いや終わらない!
(5) 挑戦してみようと思う 自分の「ふしぎ!?」の候補をあげてみよう。

等だ。少し時間を置いてみようと思う。どんな候補が出てくるのだろう。
出てきたら少しだけ可能なコメントをつけてみよう。
これは、私にとっても、ささやかなる「挑戦」である。
▼「15の夏」に願いがある。
「自由研究」のすすめの究極は「学問」のすすめである。
受験期を向かえる中学三年生に伝えたいメッセージでもある。
「学ぶこと」の面白さ、楽しさを「自由研究」で発見してほしい。
そこには、失敗も成功もない。あるのは未来に向けての自分の「学び」!!
▼力量のないものが、思いだけが先行すると、うまく伝わらない。これは何度も実感してきたこと。
わかっているが、やめられない。
今日、ささやかな「挑戦」をはじめてみる。

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【Web更新7/5】09-27【「自由研究」の研究】等

Dscf3633
 空梅雨に 色定めたり アジサイの
 09/07/02 撮影(木)@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 09-27週末定例更新のお知らせ
 一週間をデザインする時間がきた。月曜日にデザインしたこと通り、一週間がすぎることなんかありえない。意志とはまったく反対方向に時間が流れていくことなんかいつものことである。
 でもあくことなくデザインする。一週間はいちばん最後に決定した「時間」だそうな。これは、間違いなく人間の意図的な生活のリズムづくりの遺産である。これをありがたく享受しよう。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ アジサイ
 ついにアジサイの登場である。「我らが庭に誇りあり」の校庭にあって、最も誇りの樹木それがアジサイである。あじさい公園のあじさいも含めて、今盛りがつづいている。「あじさい祭り」は、先月末に終わってしまったが、それでほんとうの「盛り」がすぎたわけではない。藍の集まりが「アジサイ」であるとは、あじさい公園の看板が教えてくれた。多様な彩りこそがあじさいの真骨頂である。土壌をも含めた環境の多様さを多様な色で表現してくれたあじさいは今日も咲く。

◆「理科の自由研究」の研究 更新
 新・「自由研究」のすすめ試論(7) を付け加えた。
今年の夏には、いっぱいこの「試論」を展開したいものだと思っている。キーワードは「等身大の科学」だ!
 
◆【細胞と生殖】更新 授業の方は、細胞分裂あたりで、一旦「お休み」モードに入るが、授業周辺のことも含めて更新を続けていくつもりである。

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生命の「ふしぎ!?」をつなぐ

Dscf3678▼私の「大賀ハス池」は、14週目をむかえた。水面は一面が大小のハスの葉で覆われた。いたるところで重なりが生じている。なかなか直立するものが出てこない葉の茎は、風をうまく利用して居場所を変えているようにも見える。
 熾烈なる光とり合戦の「戦場」と化した水面では、まるで葉は動物のようにドラスティクに動いている。なかには、少しの虫穴を突き刺し貫通して、「もっと光を」と絶叫しそうなやつもいる。
 「ふしぎ!?」だ。こいつらに意思はあるのだろうか。
▼昼前から、予約しておいた病院にいった。ポンコツの定期検査だ。
生活がやや不規則になっているようだ。それが検査結果に出ていた。これは気をつけなければ…(^^ゞポリポリ
待っている時間が長かった。
 待っている時間に例の『iPS細胞』(八代喜美著 平凡社新書)のつづきを読み進めた。実にみごとだ、最先端「生命科学」の現場と、日常の生命の「ふしぎ!?」をつないでいる。それをまるで人類の「生命」ドラマを進行形で語っているかのごとくだ。
 やっと「iP細胞」の章まできた。しかし、それはドラマの終章ではなかった。それははじまりであった。
21世紀「生命」ドラマの序章を意味するもののようだ。まだ、すべてを読んでしまっていない。
▼著者は永遠の生命の「ふしぎ!?」を「生命科学」最前線の現場とみごとにつないでみせてくれている。
私の仕事は、これを【授業】とつないでみること。
 それをやるには、私はあまりにも無知でありすぎる。もっともっと勉強しなければ…。
そんなことを自覚する時間だった。これが病院で読んだということもあるのだろうか、きわめてリアリティがともなっていた。これも偶然かな。
▼病院から帰って今度は、「ホタルウォーク」である。
昼間は、暑いぐらいで晴れていたので安心していたが、夕方から少し様子が変わっていた。
17時半ぐらいになって雷が鳴り出してきた。(^_^;)
現場に行ったときにはあいにく夕立となった。ここにも「ふしぎ!?」があるがちょっと置いておこう。
講師の先生が言った「だいじょうぶ、20℃を越えていたらホタルは見ることができるから…」
「今現在は19℃だから…」
それは正しかった。観察にでかけたときは雨はやんでいた。
ヒメボタルとゲンジボタルのコラボを見ることができた。やっぱり「感動!!」だ。
最後には月がとってもきれいに見えた。
▼昨年はじめてみたときとくらべると少しだけ私の見方も進化していた。
昨年はともかくこの光のコラボに感動!が先行していた。
今年は、少しは、生命の「ふしぎ!?」とつなげてみるようになっている。
「なぜ光るか?」
「ヒメボタル一匹が成長するのに約50個ものマイマイなどを食べる」
そんなところに感動の源が移行していっている。

 生命の「ふしぎ!?」は一日のうちにもいっぱいだ。
それらをどうつなぐか。それが私の「仕事」だ。
来年の「ホタルウォーク」までに、もっともっと進化しておこう。
妙に加速することなく ゆっくりと ゆっくりと


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【授業】バナナの細胞を見る

▼早くもあれから一年である。ヒメボタルとゲンジホタルのコラボがみられる「ホタルウォーク」から。
あれは、ほんとすごかった。筆舌しがたい感動であった。
あんなすばらしい光景をあまりみたことない。それが今夜ふたたびである。
天気はどうだろう。あの「感動」は再び!!となるのか。
▼授業の三行レポも続けておこう。連続しての顕微鏡観察をつづけている。
「定番」ものの観察を続けている。
「定番」はいかにして、いつから「定番」になったのか。
この疑問は、残したままにしておこう。いつかは明らかにしたいものだ。
・タマネギ表皮細胞
・ほおの粘膜細胞
・オオカナダモの葉(今回はクロモ使用)
・ムラサキツユクサ  …
と続く教科書の「定番」。
Dscf3656▼私は、いつのころからかオオカナダモ(クロモ)とセットで「バナナの細胞」観察を定番としている。
クロモの葉で葉緑体をみる。そこが「緑の工場」だ。
偉大なる生産の現場である。細胞のなかで起こっていることだ。
生産されたものも、細胞になかに残っているはず、細胞中にその生産品(デンプン)をみてみよう。というのがバナナの細胞観察である。
▼3K(感動・簡単・きれい)の法則を充分に満たした、すぐれた教材である。
酢酸オルセイン(酢酸カーミン)いっぺんとうの染色にも、ゆたかさができてくる。
バナナの身のところをほんのわずかにスライドガラスにこすりつける。ヨウ素液で染色する。
ちょっと青いぐらいのバナナの方が、デンプンはたくさんみられるようだ。
まだ「甘く」はなっていない。デンプンが糖にかわっていないのである。
なんか納得である。(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
細胞こそが「生きている」のだを印象づける。「定番」である。

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新・「自由研究」のすすめ試論(7)

Dscf3639▼青空がとっても新鮮で美しく見えるのは、「空梅雨」とは言っても、やっぱりそうでないときが多いからだろうか。
それにしても、雲の動きを見ていると飽きることはない。山際にそって発生する雲のかたちを見ていてもそうである。似たような場所から、似たような雲がつぎつぎと、そこには「ルール」がありそうだが、きっちりと予測不可能である。雲の発生自体は、「大気の物理学」の範疇であろう。しかし、雲のかたちの未来予測とまでとなると一筋縄ではいかない。これは、きっと複雑系科学の範疇なんであろう。
▼夏休みの理科の自由研究をそろそろ提案する時期が来ている。
実際に現場でもやりながら、この「試論」をすすめる。
「自由研究」でいちばんのポイントは「テーマ選び」にあるという。納得できる話だ。
この時期、本屋をのぞくと「テーマ選び」に関する本が、所狭しとならべられている。「定番」から「新ネタ」までいろんな本が紹介している。それは、食傷気味になるほどである。
▼でも、ほんとうのおもしろネタは、自分のなかにある。
ずっとずっと、自分で「ふしぎ!?」と思っていることが、ひとつやふたつはあるはずだ。
それだ!!
等身大の「ふしぎ!?」というやつだ。それこそ最高のおもしろネタである。
おもしろネタ紹介本やネット情報は、それを誘い出すためにある。
等身大の「ふしぎ!?」はどこかで置き去りにされてきた。
「それがわかるためには、もっと勉強が必要」
「それは、その道の科学者にまかしておけば…」
「…」
なんとでも言い訳しながら
▼等身大の「ふしぎ!?」の謎解きをする。それこそ、「等身大の科学」。
21世紀の今、「等身大の科学」といちばん近い位置にある科学は、雲の未来予測の科学、「複雑系の科学」だ。
それが、今、いちばん面白い。
「ふしぎ!?」はいっぺんに解決してしまう必要はない。
わからないことはわからないこととして、ずっとずっと追い続ければいい。
面白いのは、このプロセスを楽しむことだ。
それが、21世紀型「自由研究」!!
▼この夏の間に、もう少し具体化しよう。それが、私の「自由研究」!!

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2009年私の『夏の創造』は

▼7月に入って、周りのことが慌ただしく展開していく。まるで空の雲のようだ。
いつの間にか、「自分」がどこかにいってしまいそうだ。
そんなときに、ちょっとだけ「自分」にもどっていくためにメモ書き、覚え書きをしておこう。
 毎年やってきたやり方だ。
▼「夏の創造」なんて、どことなく手垢のついた古めかしい表現だ。でも私には、これがすごくピッタリと来るのである。ここ30年ほどをざっとふりかえってみても、この夏休みに状況は大きく動いている。
この時期のヒト・モノからの学びが、それ以降の生活をも変えてしまっているということがある。
 だからやってやっておこう「夏の創造」プロジェクト!!
順番は思いつくことから。
■2009年 私の『夏の創造』!
(1) 「熊楠」に会いに行く。
  昨年の紀の国オフのつづき。「萃点」を求めての旅
  「これから」は熊楠が教えてくれる

(2) 「新・私の教材試論」を進める。これまでをまとめる。

(3) 「新・自由研究のすすめ試論」
  この夏休みのあいだに大いにすすめたい。

(4) (2)と関連して、「戦後の教材史」について、私なりの研究をすすめたい。

(5) 2学期以降の授業設計
   一時間ごとの計画 これがいちばん優先かも
   【細胞と生殖】 【地球と宇宙】【化学変化(酸化・還元)】【物質とイオン】 

(6) 「大賀ハス」「コウガイビル」「スペースワープ」「パスカル電線」等々

(7) 読みかけの本、読みかえしたい本の整理


▼ああ、やっぱりいくら時間があっても足りなそうだ。(^^ゞポリポリ
ならべてみよう。優先順位をつけて
そして、ゆっくり ゆっくりと…。

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【授業】顕微鏡で観る

▼7月だ!!2009年の後半のスタートである。「7月」と聞くと、なぜかワクワク気分になるのはどうしてだろう。
それは、きっと「夏休み」があるからだろう。実際には、夏休みの方が忙しいということもいっぱいあるのだが、なんとなく気分がちがう。
 毎年7月になると、「夏の創造」と勝手に題して、いろんな計画・企画をたててきた。そこで「挑戦したこと」、出会ったヒト、モノは大きな収穫であり、エネルギー源となってきた。
 さて、今年の「夏の創造」は(・_・)......ン?
▼【授業】を語ろう。まずは【細胞と生物】で、「コウガイビルの「仮説」」を披露した。
授業に入る前から、テレビのモニターには、コウガイビルを映しだしていた。
「(゚o゚)ゲッ!!これまだおったん」
「生きとるん?」
「…」
と聞いてくる。でも、コウガイビルは「の」の字になったまま動こうとはしない。
例のコウガイビルの「仮説」を一方的にまくし立てた。
そして聞いた
『この3つの「仮説」でなるほどと思うものは…?』
なんか、唖然としている。「そんなこと言われても…」という表情だ。
挙手してもらうことにした。少し強引に聞いて、
【仮説 その三】 ちぎれた自らの体を再び食べている。 に手があがっている。
Dscf3590あまり興味はないのかと思っていると授業が終わってから、しげしげと観察に来るものもいた。
やっぱり「ふしぎ!?」なんだ。
 それから、授業の最後にはコウガイビルも期待に応えてか、あの姿をして、動き出したのだ。
やっぱり動くものには興味が行くのである。
▼コウガイビルから入って、この単元の目標をはなす。
「生命ってなんだろう」
「生きているってどういうこと」それに自分なりの答えをみつけていこうと。
自分の「ふしぎ!?」はいっぺんに解決しなくていない。いつもいっぺんに答えがみつかるとは限らない。
自分の「ふしぎ!?」大切にしながら、少しずつ少しずつ解決していこう。それが面白い。
ちょっと喋りすぎ。(^^ゞポリポリ
▼時間が少なくなってしまった。顕微鏡観察をはじめることにした。
そのなかでの、私の思いつきメモ。
○ ロバート・フックはたいした道具をつくったものだ。手製顕微鏡でフックがcellを観たのが1655年。
 そんな古い話ではない。
○ ここでの定番はタマネギの表皮細胞!!よく見える。
 誰が、いつはじめて定番になったんだ、ルーツが知りたい。それが新教材「発見」につながるはず。
○ 生徒たちは顕微鏡で何を見たがっているのだろう。
等々

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