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新・「自由研究」のすすめ試論(16)

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▼開花を目前にした大賀ハスと「消える」直前のコウガイビルを同時に観察するという日が何日がすぎている。「観察」に夢中になっていて、他のことが置き去りにしてしまってはとスケジュールを確認してみたりもするが、やっぱり気になるものは気になるのである。
やっぱり「ふしぎ?」である。
▼気になると言えば寺田寅彦の文章であった。「試論」を続ける。
 アトランダムになるが「気になる」文章群をあげてみる。
●「科学者とあたま」
●「ルクレチウスと科学」
●物理学の応用について
●物理学圏外の物理的現象
等々である。
 あげていけばきりがないぐらいに多種多様な「気になる」文章を書いておられる。
 一挙に理解してしまうことは、「頭の悪い」私には無理だ。
少しずつ、少しずつ読ませてもらおう。
▼どの文章にも、底流に流れるものがあるような気がする。
それが「等身大の科学」である。と手前勝手な、「我田引水」読みをやっている。
さらには、ここに「自由研究」の未来を読みたいのだ。

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コメント

おはようございます。

寺田寅彦の作品がネットで無料で読めるなんていいですね。
「科学者とあたま」はずいぶん昔に読みましたが、その時は『あたまの悪さ』が印象に残っていましたが、今度改めて読んでみて、科学者に要求される能力がきちんと書かれていることに気がつきました。

①『論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするために取るべき道を誤らないためには前途を見透す内察と直観の力を持たなければならない。』
②『正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。』
③『普通の意味でいわゆるあたまの悪い人にでも容易にわかったと思われるような尋常茶飯事(さはんじ)の中に、何かしら不可解な疑点を認めそうしてその闡明(せんめい)に苦吟するということが、』

①と②は「あたまの良さ」、③が「あたまの悪さ」ですね。学校秀才は往々にして③が良いので、それを戒めたかったのだと思います。最近、③の悪い人が少なくなってきているように思えます。

投稿: sakamoto | 2009/07/30 08:06

阪本さん
続けてのコメントありがとうございます。
おかげで、阪本さんと対話しているような気分になって、blogを続ける気になってきます。
それにしても、阪本さんはよく本を読んでいます。
私なんか、寺田に興味を持ちだしたのは、ごく最近です。
 これまでやってきたことと深い関係がありそうです。
そんな気がしています。池内先生の提言については、今日書きました。阪本さんの前の質問に対して少しだけ応えるつもりで…。実際に顔を会わしたときにつづきがやれますね。楽しみです。o(^o^)o ワクワク

投稿: 楠田純一 | 2009/07/31 06:25

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