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新・「自由研究」のすすめ試論(15)

Dscf4926▼梅雨明け宣言が待たれる今日このごろ、日本上空の大気は、きわめて不安定になっているようだ。
局地的に、急激な大気の上下運動が起こっているようだ。その予測は難しい、日食を秒刻みで予測したり、宇宙空間に人を送り、無事帰還するだけの科学をもってしても、大気の局所的な動きは読みにくい。
それが、私たちの手持ちの最大限の「科学」なんだ。
▼大賀ハスのつぼみも花茎も、刻々と「成長」していく。一方で、コウガイビルは、生と死の臨界面にどんどん近づいていく。共通する「科学」はなにか。
 共通する「ふしぎ!?」を解く鍵を、私はまだ手に入れていない。
▼少しだけゆっくりと思考することを許された今だから、
「自由研究」のすすめ試論を続ける。
現在地を確認する。こうだ。
●自由研究のテーマは、「等身大の科学」で
●「等身大の科学」をキーワードに思考していたら、寺田寅彦に行き着いた。
●池内了先生を案内してもらって寺田寅彦を読んでみる。
  ■『寺田寅彦と現代~等身大の科学をもとめて~』(みすず書房)
   『第四章 科学・科学者・科学教育』
▼この作業をやっているうちに、たくさんの「発見」をしてきているように思う。
そして、あらためて、たくさんの疑問が出てきた。
(1) 科学教育(理科)における『自由研究』の位置は?
(2) これからの理科教育の方向は?
(3) そもそも「等身大の科学」とは?「現代科学」との関係は
(4) 仮説『「自由研究」のすすめの究極は21世紀の『学問のすすめ』である。』は正しいか。
(5) Webの時代の今日、80年前の寺田寅彦が提起したことの何が可能か。
等々である。
次は、寺田寅彦の文章を資料としてあげてみたい。
今、ふっと気づいた 私は、彼が生きた年を越えてしまっていることに。(^_^;)

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コメント

こんにちは。
> そもそも「等身大の科学」とは?「現代科学」との関係は
現代科学が超巨大化するなかで「等身大の科学」なんて存在意義があるのでしょうか?その点、池上先生はどう書かれてます?
中学生、高校生の自由研究は習作的な意義はあるでしょうが、大人の自由研究の存在意義は?趣味的な範囲で自己満足の世界にとどまるのか、それを超えて社会的に意義あるものにするのか。楠田さんはどうお考えですか?

投稿: sakamoto | 2009/07/29 10:38

やっぱり、的を射てこられますね。(^^)V
少し時間をくださいね。私のことですから、ゆっくりゆっくりです。
 いちばん意図したものに近づきつつあるという感じはしています。

投稿: 楠田純一 | 2009/07/30 07:06

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