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【授業】科学は「生活」のなかにあってこそ

▼今日は、二十四節季でいうところの「芒種」である。芒(のぎ)のあるものの種を蒔く頃という。太陽黄径75度のときという。この二十四節季をむかえるたびに驚いてしまう。そこにある「科学」に。みごとである、きっちり生活と結びついている。その根拠は、単なる「暦のうえ」ではない。自然にはたらきかける営み関係させている、そして蓄積してきた自然の観察力がかたちになっている。それは天文学的な根拠にうらうちされている。ここにこそ科学があるような気がしてならない。
▼授業の方も、「仕事」「仕事の原理」「仕事率」とすすめながら、少し「面白くないな」と思ってしまっている。結果的には、計算が中心になってしまっている。もちろん数値化すること意味を軽んじるわけではない。
しかし、なぜか「面白い」という感覚が少なくなってきている。
 いくつかの原因を考えてみた。
ひとつは、
 (1)物理実験はダイナミックに…
ができかねている。これは、いろんな単元で実感してきたところである。たとえば、光の単元であれば、同じピンホールカメラを教材にするのなら、「教室全体をピンホールカメラに」でやってきた。ああいうダイナミックさがほしい。
▼今ひとつは、
(2)日常「生活」のつながり
が見えていないというところだ。これは、見えるように設定できていないからだろう。
「道具を使っても、使わなくても仕事の量は変わらない。それが仕事の原理。」
というとき、その道具が見えなくなってしまっているのだ。昔の生活のなかでは、それらが「むき出し」のままであった。
Dscf2684▼と思っていた。そう思いこんでいた。ところが、少し意識的に周りをみていると、そうとばかり言えないと思えてきた。
「定滑車=力の方向を変えるのみ」「動滑車=力を1/2にする」
黒板実験では、具体的な滑車を使いながらも
「なかなか、生活のなかで見ることはすくなってしまって…」なんて言っていた。
それは、ちがっていた。そんなことない意識的にみればあった。
朝、校庭を散歩していたら、校門のところに防球ネットが張ってあった。そこにはきっちりと「滑車があった」。
校舎の北側は、急な「坂道」=「斜面」だ。
 見方を変えれば、いっぱいあるのだ。
問題は、「生活」と「科学」をつなぐかだ。そのつなぎ方如何によって「面白さ」も生まれくるのかもしれない。

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