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もう限界か?コウガイビルの生命

Dscf2830▼この頃、家での朝の散歩でも、学校での定例散策でも、共通して気になる植物がある。それが「白十字」こと「ドクダミの花」である。家の前の溝端で何十年と見続けている花だ。でもあきない。とても新鮮で美しく感じる。
これは、例の「ヤマボウシ」に共通する美しさがある。
なんだろう、白と緑(黄緑)の色の組み合わせだろうか、シンプルな幾何学的美しさだろうか。名前と反する美しさだろうか。それとも、「薬になるぞ」の刷り込み故だろうか。そんな、こちらの思い入れなど関係なく、今いたるところで旬だ。
▼気になると言えば、あいつのことが気になってしかたない。
『なんとかできぬか』
という思いはあるが、いつも無手勝流な私には、さして打つ手が思いつかない。
あいつとは、コウガイビルのことだ。昨年の11月14日に遭遇したのだから、実に7ヶ月の日が過ぎようとしている。もうそれから、地球は自ら200回も回転したことになる。Dscf2854
▼それまでの私の動物に関しての「常識」をくつがえした。ずっと授業【動物の世界】では、「食べる」こそ、動物に関する「ふしぎ!?」の謎解きのキーワード。
「食べる」こそが、第一方程式と強調してきていた。
ところが、どうだ。コウガイビルは、あの200日前以来、何も「食べていない」。
確かに牧野尚哉・白澤康子先生たちの研究で「飢餓状態」があることはあきらかになっているようである

 『また長期間の飢餓に耐え、もとの体重の1/100に減少しても生存し続けることができる。』
 『なお、飢餓個体の設定は、採集された個体のうち、何としても餌を食べないものがあり、かなりの期間絶食にも耐えられるが、やがて死に至る。体重減少と生存期間の長短は一定ではないが、採取後減少の一途をたどる体重は、ある時点で平衡状態となり、これ以降急激に減少して死ぬものが多い。』(P276より)
『プラナリアの形態分化~基礎から遺伝子まで~』(手代木渉、渡辺憲二著、共立出版 1998.3.25)

▼「死にざま」という言葉がある。それに対して「生きざま」という言葉があると思っていた。もう何十年も前にもなるが、どこかで【植物の世界】の実践を発表しているときであった。私は、「植物たちのドラスティクな生きざまを子どもたちに教えたい」と言った。そしたら、同席していた先輩教師が教えてくれた。
『「死にざま」ということばはあるが、「生きざま」なんていうことばはありませんよ。それは流行ですよ。』と。
私は、それ以来この言葉「生きざま」を意識して使うようになり、というよりあまり使わなくなってしまったような気がする。
ソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ
▼このコウガイビルの死にざまとはいかなるものなんだろう。まちがいなくコウガイビルに死は近づいている。
こんなに小さくなったのだから、第二号のクロイロコウガイビルがそうだったように、気づかぬあいだにこの袋のなかから姿・かたちを「消して」しまうのだろうか。それが「死にざま」なんだろうか。
▼なにか、今のうちにやっておくことはないのだろうか。
消えてしまったら、私の「ふしぎ!?」も一緒に消えてしまいそうな気がする。

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