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新・私の教材試論(20)

Dscf2802▼昨日は、雨が恨めしい日だった。一年生が校外学習に校区を歩く日だったのである。また二年生はトライやる・ウィークの最終日でもあった。だから「雨」が恨めしい。できれば晴れて欲しかった。
 空を見あげたら、どんどん雲が発生していた。しかし、考え方によってはこれも含めての「自然」なんである。こちらの都合だけでつき合っていくことはできない。自然を豊かにとらえるとか、自然に学ぶというのは、こんなのすべてをひっくるめてのことなんだろう。雨の季節がやってくる。雨がどんなはたらきをしているのか。雨とどうつきあうのか。雨を科学するチャンス到来でもある。
「雲家族10のうた」を思いだした。
ケンケン三兄弟に(巻雲 巻層雲 巻積雲)
コウコウ姉妹 (高層雲 高積雲)
ソウセキ(層積雲) はなれても りっぱに ソウ! セキ! (層雲 積雲)
雨 雨 ふれ ふれ ラン!ラン! (乱層雲 積乱雲) 

▼授業【運動とエネルギー】も、ちょっと一息である。
次なる実験を考えながら、ここまでで、ちょっととぎれている『新・私の教材試論』を書きたくなってきた。
最近、「理科教育史が面白い!!」と思うようになった。以前から興味はあったが、特に新しい授業づくりを意識してやるようになってなおさらである。
▼「理科」の面白いところは、モノのがあるということである。モノとはなにか。
それは、教材・教具である。それが、かたちあるモノとして残っているのである。それがまた面白い。
他の教科にもそれはあるかも知れないが、とりわけ「理科」ではそれが顕著であるのだ。
Dscf2718▼古めかしい「記録タイマー」を準備室の棚にみつけた。さらには「斜面」の実験器具をみつけた。
班の数はもう残っていない。どんな実験をしたんだろう。学習指導要領の何度かの改訂でもう用なしになってしまったのだろう。その「斜面」を見ていると、そのころの授業が想像できる。
理科教育の変遷がたどれる。この器具で、どんな「なるほど」という納得が引き出せたのだろう。
「ふしぎ!?」は豊かにふくらんだだろうか。
▼実験器具だけではない。教科書に「定番」として生き残る実験・観察ひとつひとつがそうである。そこには、「日本の理科教育史」を色濃く反映して、そこにあるのである。
 教材ひとつひとつに歴史がある。それは理科教師の思い入れの歴史でもある。
 悪戦苦闘の授業をつづけながら並行して、このひとつひとつの実験・観察、教具、実験器具・道具のルーツを訪ねる旅に出たいと思う。果てしない旅になるだろう。でもそれは、理科教師にとってこれ以上のない面白い旅だろうと予感できる。

 

 アメバ、アメナテ
 カゼバ、カゼナテ
 ダレ、ツケタンダベナ
 イチバンハヤク、ダレツケタンダベナ。
 (「新しい綴り方教室」国分一太郎・新評論)
 

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