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新・私の教材試論(18)

▼ほんと久しぶりに「ゆとり」の時間できた。そうすると少しふりかえってみる余裕がでてきた。
ここ数年、こんなときには必ずと言っていいほど思考が向かうところがある。
それは「整理」ということについてだ。私は、これまでの繰り返しの「失敗」と「挫折」から、ひとつの結論に達していたはず。
▼その結論を教えてくれたのは『佐藤可士和の超整理術』だった。ここに究極があると思った。
「整理のプロセス」をコピーして、それを眺めることから「仕事」をはじめるようにしたのは、ごく最近のような気がするが、それから一年が経過したようだ。
その一年前をふりかえるに、このblogで「2008年5月」を見てみた。
やっぱり便利だ。ここまで書き綴ってくると、こんな便利なものはない。いつでもどこでも綴られた「過去」にもどることができる。思考まで…。
去年の連休にもやっぱり同じようなこと考えていたんだ。
▼やっぱり続けておこう。私は、今二つの「試論」を続けている。「新・私の教材試論」「新・「自由研究」のすすめ試論」である。
いずれも、気ままに思いついたときに、書き続けていこうと思っているものだ。
「新・私の教材試論」の方は、期間限定で書きつづれるところまで綴るつもりだ。
▼「ピースピ」や「記録タイマー」の歴史をふりかえっているあいだに、教材について思うこと・気づくことがあった。目新しいことではないが、書き記しておく。
◆理科教育史は「教材」の歴史そのものである。
そんなことアタリマエのことで、多くの人が語ってきたことだ。
科学史と科学教育史が分かちがたく関連していることは、多くの人が認めるところでもある。「科学教育」つまり「理科教育」(ここの読み替えもこう単純でいいのかは疑問だが ソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ)にとって「科学史」に学ぶことの大切さは、多くの先達が強調してきた通りだ。
今なお、共感もできる、これからもそうだと思う。
▼移行期だ!!何十年ぶりかに、「理科」が「教室」にもどって来ようとする時代だ。
そんな時だからこそ、このアタリマエを今一度確認しておこう。
現行の教科書に記載されている「教材」ひとつひとつにも「歴史」があるのである。その「歴史」こそが、日本の理科教育史なんである。
 これからの教材開発のためにも、さらには未来の理科教育のためにも、
「教材」の起源を今一度をふりかえる「作業」は重要な意味をもつのである。
できれば、これを多くの人との「共同作業」としてやりたい。と強く思うのである。

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