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「記録タイマー」はどこから(3)

▼やればやるほど見通しがついてくる。そのように「仕事」をやりたい、それが理想だが、哀しいかなそうはいかない。ならば、いっそのこと、その「混沌」を楽しみながらやってみるのも手かも知れない。
できない自分を嘆くより、偶然や「こだわり」を楽しみにして、前においてみて順番をつけてみて楽しめるものから、やっていこう。
Dscf1723▼あのこだわりの「生き物」コウガイビルは元気だった。リングをつくって眠っているときと、妙に活発なときとがはっきりしている。時間帯によるのだろうか、気温によるのだろうか。それすらもまだ知らない。
この営みにどんなリズムをもっているのだろう。「ふしぎ!?」はまだまだつづくのだ。
▼こちの「こだわり」ももう少しすすめてみよう。
「PSSC物理」からやってきた画期的な実験器具「記録タイマー」。では、それ以前はどうだっただろう。なかったわけではない。それまでにも画期的はあった。
前著によるとそれが「アトウッドの実験器」である。この実験器具の画期的なところは、「重りの組み合わせをいろいろ変えることによって、様々な運動をスローモーションで見ることができる」というところだろう。
 ものが「落ちる」。これほどありふれた運動はないだろう。どのように人々はこれを見てきたのだろう。どのよに認識し、日々の営みに利用してきたのだろう。その「歴史」を不可能に近い。
たった400年前、これを「科学」にまで高めた人物こそガリレオ。そこから実験「科学」がはじまった。
それを、人々に伝える「教材」「実験器具」があった。
その有名なものが、この「アトウッドの実験器」だったのだろう。
▼この明治時代に画期的ともてはやされたこの実験器もやがて理科室から姿を消すのである。
なぜ姿を消したのだろう。
ここで完全我田引水モードだ。
3K1A(感動・簡単・きれい・安全)の法則
3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則 
これに照らして考えてみるとわかるのである。
もう少し続けたいところもあるが、ひとまず落ちをつけたところで…。

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「記録タイマー」はどこから(2)

Dscf1686▼用があって神戸に行った。こんなときも、とりあえずは「雲見」スタイルだけは準備している。久しぶりに都会での「雲見」をやった。ビルの窓に映った「雲」を見ながら、これまた久しぶりの「雲家族10のうた」を思いだしていた。「この雲はなんだったかな…」と。
雲家族10のうた

ケンケン三兄弟に(巻雲 巻層雲 巻積雲)
コウコウ姉妹 (高層雲 高積雲)
ソウセキ(層積雲) はなれても りっぱに ソウ! セキ! (層雲 積雲)
雨 雨 ふれ ふれ ラン!ラン! (乱層雲 積乱雲) 
▼今や動力学教材の定番中の定番「記録タイマー」がどこからやってきたのか。それを追うことのつづきである。
『理科教育史資料<第5巻理科教材史Ⅱー物理・化学教材史>』(板倉聖宣他編著 昭和62年 東京法令)
「第5章アトウッドの落下実験器とその後の動力学実験教材」(P128)に、それが書かれていたことまで昨日のblogに書いた。
 少し長くなるが、興味深いので引用させてもらう。

 ところが、ちょうどそのころのアメリカの『PSSC物理』の教科書が日本に初めて紹介された。板倉聖宣が『科学朝日』に「物理教育を革命する教科書-アメリカのPSSC運動」を発表したのが1961(昭和36年)年12月のことである。その後間もなく『PSCC物理』の教科書も翻訳され、その中学校版ともいうべき『IPS物理』も翻訳されたが、このアメリカの教科書が日本の物理教育に最も大きな影響を及ぼしたのは、『PSSC物理』の開発した記録タイマーによる速度・加速度の測定実験法であろう。この実験法はアトウッドの実験器以来の画期的な動力学実験器として推奨されたのである(同書P133)

だから、私が理科教師になったときには、それはアタリマエの実験器として教科書にも出ていたのだ。それで、自分が中学生として、この実験をやった記憶がないのもわかるというものだ。どこからきたのかも少しわかりはじめた。
 では、「記録タイマー」以前はどのように教えられていたのだろう。アトウッドの実験器とは(・_・)......ン?
そして、「記録タイマー」の登場以後はどうなって行ったのだろう。「ビースピ」教材化の歴史ともからめてもう少しつづけよう。
<つづく>

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「記録タイマー」はどこから

Dscf1666▼久しぶりに、晴れている校庭の朝の散歩である。雨で洗われた里山のみどりは、益々新鮮さを増し続ける。ふもとのツツジ、サツキ、花水木等々も色鮮やかである。さわやかと言ってしまうには、ちょっとさむかったかな。
力強さを感じさせたアメリカフウの木の芽は、いつしかそれらしく若葉に変化していた。それだけ「時間」が過ぎたのだ。そうだ、まちがいなく時は確実に経過して言っている。
「きみも21世紀のガリレオに」の授業をすすめなければと思いつつも、断続的にしか授業ができない状態でいる。
 「ビースピ」教材化の歴史を概観しているあいだに、いろんなところに興味がでてきた。
ひとつは、『記録タイマー』だ。実際には、次の時間にこれを使って生徒実験に入っていくつもりなんだ。
これってあらためて考えてみるとすごい実験器具ですよね。私が理科教師になったときにはあったから、なんのためらいもなく、これ使ってきたけど。
 「ビースピ」の登場で、記録タイマーいってんばりの実験が変わった。と言われたりするけど、「記録タイマー」だ
って、どうしてどうして、はじめて出会う生徒にとっては、驚異の実験器具だ。
これまで授業で、けっこう楽しくやってくれたという記憶がある。
 これも、以前のカーボン紙でやっていたのに比べたらすごく進化してきている。「放電式」になってきている。
(゚o゚)ゲッ!! 浦島太郎だ。
▼そもそも、この「記録タイマー」は、どこからやってきたのだろう。それ以前はどうだったのだろう。ガリレオから400年、ガリレオの実験はどんな実験器具を使って再現されてきたのだろう。その実験器具を使って、どのように教えられてきたのだろう。そんな歴史が知りたくなってきた。
 それは、専門家にまかしておけばいいという考えもあるが、私は授業するのは私だから、やっぱり自分なりに「ふしぎ!?」を解決してみたいのだ。これが等身大の科学だ。
それこそが「21世紀のガリレオ」に通ずる道だと思うから…。
▼とは言っても、私は「無手勝流」。
大学の研究室にいるわけでもなければ、図書館に通う時間があるわけではない。
あるのは、これまでに手に入れた限られた資料とWebがあるだけだ。
まずは、手持ちの資料に、この興味に答えてくれるものはないか。すこし考えてみた。
思い当たる第一はこれだった。
■『理科教育史資料<第5巻理科教材史Ⅱー物理・化学教材史>』(板倉聖宣他編著 昭和62年 東京法令)
さっそくあった。私の疑問に応え、ふくらませてくれる文章が…。
「第5章アトウッドの落下実験器とその後の動力学実験教材」(P128)
いや実に面白い、興味深い切り口だ。

つづく。

 

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【Web更新4/26】09-17『「コウガイビル」を追う』新設

Dscf1552 里山や みどり満に 花水木
 09/04/22 (水)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ
 この週末に、Webページ立ち上げ11周年を記念して、新しいページ『「コウガイビル」を追う』を新設するために、コウガイビルに最初に出会った昨年の11/14以来のこのblogをザーッと読み返してみた。自分で書いたものでありながら、圧倒されるような思いになった。なにひとつすごい論説があるわけでもない、目を見張るような「実践記録」があるわけでもない、ただただ日々の「発見」や感動が脈絡もなく綴られているだけだ。
 「こんなこと書いたかな」と思うこともいっぱいだ。もう自分では忘れてしまっているのである。そう言えば、『知的生産の技術』の梅棹忠夫さんも言っていたな。
「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。と。
 もうひとつある。「そうんだ!」と思ったことがある。それはダーウィンの『ビーグル航海記』に「コウガイビル」を発見して感動している。
 待てよ「ログ」の本来の意味に、「航海日誌」というのがあったのでは…。
そうだ!!あのダーウインもブログを書いていたのだ!

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ ハナミズキ
 この花水木という樹が、私は大好きである。一年間を通して楽しめる。校庭には2本ある。
それぞれの季節によって、楽しむものがある。花、実、葉、…みんなすばらしい。今は花である。里山はあたらしいみどりでいっぱいだ。みどりに満ちている。そこに淡い色の花、青い空をバックにしたとき、それはまるで淡い「夢」が飛んでいるようである。

◆「コウガイビル」を追う 新設
 ~偶然の出会いから「生命科学」への道~と副タイトルをつけた新しいページをつくった。
久しぶりの「…を追う」シリーズのひとつとして
 どんな展開になるのか、私にもわからない。
副題のようなたいそうなことになるのか、いつもの「ばっかり病」のひとつか。
今の時点での願望としては、「Webで研究」の典型になればいいなと思っている。

◆【運動とエネルギー】更新 こちらも、ちびりちびりと更新を続けるのみである。
 「授業」を中心に据えながら…。

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「ビースピ」教材化の歴史に学ぶ

Dscf1625▼大賀ハスは、昨日で「植えかえ」から4週間であった。天気は、雨 嵐だった。雨がやんだときに顔を見に行くと水滴を葉の上にのせ、りっぱに「大賀ハス」をしていた。一週間でまた、またらしく成長しているのだ。葉の数も増えてきている。
▼授業の方は、おおかたの見当がつきだした。大きく脱線することがなければ、16~17時間であろうか。
いくつかの実験を頭に描きながらすごす時間が増えてきている。シミュレーションするだけなら、なんにもいらない頭ひとつでいい。
 そのなかで、ひとつの実験器具のことが思い浮かんだ。それは、今は教科書にも出ている「ビースピ」だ。
Dscf1639▼長いあいだ授業から遠ざかっていたから、教科書にこれをみたときは正直言って驚いた。もうずいぶん前からそのようだということを、後から知ってまたまた驚いた。
 今度の改訂では、どうなるんだろう。生き残るかな。
過去は、未来のためにだけにある。繰りかえしている言葉だ。

そう考えながら、この実験器具「ビースピ」の過去をふりかえってみたくなった。
▼【理科の部屋】の牽引車だった天神さんにこんな文章がある
「ネットの交流がもたらしたもの」
 さすがである。いつも熱く明晰な語りは、今 読んでもワクワクさせますね。
なかでも「インターサークル構想」なんて、十数年の時空を超えて、今も響いてきますね。「今こそ」かも知れない。
ソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ
▼話を「ビースビ」にもどす。先の文章で教材化への発端が述べられている。【理科の部屋】での交流が大きく作用したことは事実だろう。
 ネットに載ってからの展開は、加速化された。続々と実践が出てきた。安定供給の道も拓けていった。
そして「定番」とまでなっていった。
 如何に、それが有効な「教材」なのか。具体的な方法も含めて、これまた天神さんがまとめている。
「ビースピ」でググってみれば、トップに出てくる。
「ビースピによる速度・加速度測定のノウハウ」だ。
実にうまい!!。すべてが語られていると言っていい。
遅まきながら、私も真似ごとに「挑戦」してみようかな。

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【授業】「速さ」とは

98/04/25(土) OPEN楠田純一の【理科の部屋】の表紙に記録している。曜日も同じ土曜日だ。
あれから、ちょうど11年が過ぎたのだ。その当時のログを捜そうとしてやめた。今は、そのときではではないと思った。過去が意味をもつのは、未来のためだけだ。「思い出」に封じ込めるのはやめよう。
どんな思いで、ホームページをはじめたのか。何をやろうとしたのか。
それは、「理科教師のためHPづくり講座Ⅰ」で十分である。いつの日か「そのⅡ(blog編)」を書きたいと思う。
それにしても遠くへきたもんだ!行く道はもっと遠いのかもしれない。
Dscf1600▼授業の報告を続けよう。【運動とエネルギー】のなかみ一時間目である。
2メートルのカーテンレールを教室に持っていった。
ビー玉を転がしてみる、ゴロゴロ スットン
それだけだ。何度も何度も繰り返し…。
カーテンレールの片方の端の高さを変えてみる。三段階に分けてやってみる。
A(低)、B(中)、C(高)と。
「ゴロゴロ スットン ゴロゴロ スットン」
単純だけどけっこう面白い。高さを変えても同じことだけど、何かがちがう。
「何がちがうんだろう」
「…」
「はやさ(・_・)......ン?」しばらくしたら出てきた。それにのっかった。
「今日は、その「速さ」のことをやります。」と。
Dscf1604▼「ではその「速さ」がA,B,Cとどうちがうのだろう」と続ける。
「速い」「遅い」「中ぐらい」「…」
それをもっと人に伝えられるかたちにできないだろうか。
「かかった時間でくらべると…」
そこで、問題は「時間」となる。いきなりストップウオッチにいくのでなく。
ここでメトロロームを使った。これけっこう気に入っている。
「コチン コチン コチン…」
「コチーン コチーン コチーン…」
「コチ コチ コチ…」 これだけでものってくる。
「なんで、それ動いとるん?」「ゼンマイちがうん」と。
音だけでも、けっこういい。いかにも「時間」刻んでいるという感覚になる。
「これで、何回 コチン コチンというので比べてもいいんだけど、もうちょっと一般的なもので、ふだんみんなが使っているものでやってみよう」と首からぶら下げていたストップウオッチをみせる。
▼先に、ここで「速い」「遅い」を数値した「速さ」を定義づけておく。
速さ=移動した距離/かかった時間
板書する。よく使う単位も確認する。
そして、実験助手生徒に前にきてもらいはじめる。
「ハイ」のかけ声でスタート
それぞれで何回か試技をやる。これは、最初から意図していたわけではなかったが
ちょうどいい時間だった。
A… 4秒  B… 3秒  C…2.5秒
公式にのっとり「速さ」を数値化して求める。
▼あと、これが「平均の速さ」であること、速さには、この「平均の速さ」と「瞬間の速さ」があること。
スピード違反の話。
白バイ「おい、おいスピード違反だよ。30㎞もスピード違反だよ」
運転手「なにを言うのですか。私は出発してから10㎞も走っていませんよ」

・野球のピッチャーで今、世界最速は…。
・光の速さは と時間のある範囲で話題をふくらませた。
やっぱり授業するのは楽しいものだ。

 

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【授業】「速さ」の一時間を考える

▼いろいろなことを考えているあいだに「時間」がすぎてしまっている。それがいちばんに考えるべきことが、間近に迫ってきて慌てる。いつものパターンだ。
 「授業びらき」からずいぶんとあいだがあいてしまったが、「授業」を考える。
▼まずは、物体の「速さ」である。具体的になにを持ち出して、どんな<実験>をして、何を一時間のねらいとするか。頭のなかを少し整理してからやろうと思って、システム手帳にまとめはじめてみた。
一枚は一時間
これまでにやってきた方法だ。
「発問」「板書計画」「実験」「まとめ」等々を書き込もうとする。
ちょっと無理があるときがある。それは一時間の授業でやれないことを意味する。
一時間1リフィルは、1時間の授業の目安となるのである。
こうしておけば、軌道修正をかけて、途中でならべ換えもも可能である。
▼この「やりかた」の私にとっての起源は古い。『知的生産の技術』の「京大式カード」まで遡ることになる。 
 それ以来のノウハウを、このblogの「一時間1エントリー」にも生かしながら展開していけたらと思っている。
▼一リフィルにもどる。
もってくる実験は、「カーテンレールを転がるビー玉」としよう。
「平均の速さ」「瞬間の速さ」でまとめよう。
もっとやりたい、話したいことがありそうな気がする。だが、それは書き込めない。
ということは、一時間からあふれてしまうということだろう。だからあきらめよう。
 さあ、この時間感覚は正しいだろうか、ひとつのクラスで今日やってみる。

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「コウガイビル」文献を取り寄せた。

Dscf1568▼久しぶりに天気がいい。青空がもどってきた、青空の下のみどりは雨に洗われて新鮮さを増していた。そのなかを、朝の定例散歩にでかける。空気にも「新鮮さ」がまじっている。
 みどりのなかで、色づくものたちが、またあらたな季節を告げている。とりわけハナミヅキはみごとだ。ほんの数日前までは、色づきかけている。見逃さないようにしなければと思う程度だった。ところが意識してみようとした昨日は、もうその盛りであった。あわててデジカメとりだして、とりあえずは画像として残しておくことにした。
▼それにしても、まわりの変化というものは、どうしてこんなに「速い」だろう。「ついていくのでない。自分のスピードを創るんだ」と強がり言っても、やっぱり置いてきぼりをくいそうで不安になってくる。(^^ゞポリポリ
 この年になってくれば、どうしようもなく「自分流」というものが見えてくる。それは改めなければとおもいつつもそれしかできないのである。あきらめるしか方法はない。
 ならば、できること、小さなことを徹底して繰り返そう。それしか道はない。
▼私は思考も、行動も単線だ。一本しか道がない。複数のことを同時にというのができない。ならば、できることはこの単線の上に、優先順序をつけてならべていくだけ。
「コウガイビル」のことでもそうだ。つきつめて考えてみたいこともある。しかし、一挙には、私には無理だ。
できることだけは、この単線においてみる。
▼こんな不思議な生き物、この「ふしぎ!?」誰も研究してないなんていうことはないはずだ。
みつけた文献を取り寄せた。
■『プラナリアの形態分化~基礎から遺伝子まで~』(手代木渉、渡辺憲二著、共立出版 1998.3.25)
 コウガイビルの研究について書かれた数少ない本の一冊だ。
さっそく、「コウガイビル」について書かれた章をみてみた。
「ふしぎ!?」に関する答えのひとつが書かれていた。

いつかに、つづく。
 

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動的平衡とコウガイビル

Dscf1490▼昨日も雨だった。雨が上がりかけたころ、新緑の山から雲が発生していた。この風景に再び感動する自分がいた。ことさらにめずらしい「風景」ではない。ずっと、ずっと自然が繰り返してきた「風景」である。
 「ばっかり病」にすぐかかる私の意識から、雲が遠ざかりつつあるのか、数ヶ月前のこの風景に感動はうすれている。しかし、背景の変化で新鮮さがよみがえる瞬間がある。
 背景の「山のみどり」に原因があるのだろう。新鮮なみどりが、雲が発生するアタリマエの風景を、新鮮な風景にしてくれている。
▼「きみも21世紀のガリレオに」の具体案をねらねばと思う。ところが、あいかわらず、あいつのことが気になってしかたない。コウガイビルだ。
【運動とエネルギー】の後に、考えている【細胞と生殖】でやればいいではないかと、自分をなだめてみるが、やっぱり気になってしかたない。そのときまで、あいつは、生きているだろうか。
「エサを与えなくても死なない」と知ったばかりである。しかし、それはにわかに信じがたいのである。
▼ずっと、ずっと問い続けている問い「生命はなにか?」
無手勝流のシロウト生物学で答えが出るような問いではない。それは百も承知である。でもなかでなかで、ある程度の納得を引き出したいのだ。
 死んだかのふりをしていたコウガイビルが、再び活動しだして、頭の「コウガイ」部分の活発な動きをみていると
なにか。
 『おまえにわかるかな』と謎かけをやられているような気分になる。
▼福岡伸一さんは、『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』等の著書なかで、繰り返し紹介している。
二十世紀の生命科学が到達したひとつの答えを
 『生命とは何か?それは自己複製を行うシステムである。』
そして、動的平衡の概念が出てくる。
こうだ。

 ここで改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的平衡状態にあるシステムである」という回答である。(『動的平衡』p232)

Dscf1512▼では、この動的平衡は、私のコウガイビルの「ふしぎ!?」に答えを与えてくれるのだろうか。
帰ろうとしたら、コウガイビル第2号の方のナイロン袋がへんだった。破れたようだ、それもへんな破れ方だ。
いろんなことが予想される。またまたあらたな不思議がふくらむ。
 袋を変えて一号と同じ種類のナイロン袋にした。

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やっばり「ふしぎ!?」コウガイビル

▼あんまりきっちりと「勉強」してこなかった私は、どの方面についてもシロウトである。この年になると、この「シロウト」であることを最大限に利用しようと居直ってみたりする。これが我流の「科学の方法」とまで言ってみたくなるのだ。
 そうして「丹生」「磁石石」「紅花」「ヒガンバナ」「姶良火山灰」等々を追い続けてきた。どれひとつとしてまともに「ふしぎ!?」は解決していない。それらは「時間ができたら…」の宿題にしている。
Dscf1456▼そこにまた偶然に出会った「コウガイビル」である。昨日は、日曜日まる一日観察をしなかったので、月曜日の朝は、ちょっと不安だった。彼が「消えてなくなっている」なんてことは…と。
 その「不安」は、朝一番にひとまず解消された。確かに、ナイロン袋のなかにそれはいた。しかし、小さくかたまっている。突っついても動かない。ついにそのときが来たのだろうか。
慌てて、ナイロン袋の水をかえた。ついでに第2号の方も…。
 しばらく時間がたった。彼はまたしても、いつものように活動を開始した。スルスルと、いやヌルヌルと(どう表現したらいいのかこれが難しい。)
体をのばしていく、やっぱり最高にのびたときは、10㎝を越えているだろう。
どうなっているんだ。こいつの生命は…。
▼去年の【動物の世界】
では、動物の謎解きは「食べる」で解決するはずではなかったのか。
なのに彼は、5ヶ月以上食べていないのだ。エサはいっさい与えていない。水だけはときどき入れ替えているだけだ。なぜ生きているのだろう。彼は動物ではないのか。そんなバカなことがあるわけない。
やっぱり「ふしぎ!?」だ。
▼今の時代は、シロウトが不思議学をやるのには、とてもありがたい時代だ。
Webがあるのだ。私は、時間があるとき(時間がないときも、これが困りものなんだが(^^ゞポリポリ)に、Webでこの「コウガイビル」を追いかけている。
 少しずつ、少しずつわかってきたことがある。こいつは「陸棲プラナリア」つまり、高校生物定番「プラナリア」の仲間である。プラナリアの仲間であるから、どうやら「再生」するということ。
▼この「再生」することと、エサを与えなくても、つまり食べなくて生きるということと関係があるのだろうか。
興味は、プラナリアの「再生」のメカニズムへと移っていく。
名著『切っても切ってもプラナリア』(私は、まだこれを読んでいない)の著者の阿形清和先生の理研の講演会トピックに、非常に興味ある記述をみつけた。

 プラナリアの特徴は第1に切っても切ってもプラナリアになることである。2番目は切れて増える。3番目はエサをあげなくても死なない。4番目は有性化して卵で増えることも可能であるということだ。

 (゚o゚)ゲッ!!、それはどういうことだ。
 プラナリアは、エサがなくても、つまり食べなくても死なないということ。
 そんなことほんとうにあるのだろうか。「エサ」を与えないということと、「食べない」とはおなじことだろうか。
いや、ひょっと「自分を食べる」なんてことが…。
▼ともかく知れば知るほど不思議はふくらむ。
「コウガイビル」からはじめる細胞学、遺伝学、分子生物学
そんなのが成立するかもしれない。やっぱり、今日もコウガイビルの「ふしぎ!?」追い続けよう。

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【Web更新4/19】09-16【運動とエネルギー】更新

Dscf1297 さまざまに 萌えたる木の芽 美しや
 09/04/17 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 09-16 週末定例更新のお知らせ
 はやくも一週間である。「時間」がはやく過ぎたと感じる。授業単元が【運動とエネルギー】に入ったからという訳ではないと思うが、この「時間」のことをよく考えてしまう。
 整理のことを考えていても、最後は「時間」の整理学にいきつく、「生命とは何か」を考えていても、究極のところに「時間」の問題がある。なにも、哲学者をきどるつもりもないし、詩人でもない。
ただの「ふつうの生活者」になりたいだけだ。それでも、「時間」ってなんなのだろう。
 今年に入って、16回目の小さな更新である。

◆表紙画像集2009  校庭の樹木シリーズ アメリカフウ
 このアメリカフウというやつほど、校庭にあって四季折々に私たちを楽しませてくれる樹はないのでないか。最初は名前すら知らなかった樹だ。毎朝の散歩道にあって、昨年の夏ぐらいから気になりだし、紅葉の季節にはみごとな秋を演出してくれた。そして、冬の実は美的オブジェとして、職員室の机の上に飾った。また「鈴掛の道」もみせてくれた。今また、萌える芽は、さまざまの「みどり」色があることを教えてくれている。
 卒業記念樹だという。卒業生が、「誇りの庭」に残してくれたものは、豊かな自然の楽しみ方なのかも知れない。

◆【運動とエネルギー】更新
 更新といっても、まだ授業ははじまっていない。概観し、構想をねっただけである。「21世紀のガリレオに」は、「きみも21世紀のガリレオに」にかえて、サブタイトルのようにしてページにはりつけた。
 いつも、これを念頭においておこうと思う。

◆「大賀ハス観察日誌」
 「植えかえ」から3週間をたった大賀ハスのようすを、blogより引用している。
 「光合成」という営みのすごさに、今さらのごとく驚いている。そう思いながら、まわりの野山をみると、またちがってみえてきた。また、一週間でどこまで育つだろう。

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大賀ハスとヒガンバナ

Dscf1402▼昨日で、大賀ハスの「植えかえ」をしてからちょうど三週間が経った。ずいぶんとあたたかくなって、小さいながらもいくつかの葉が広がってきた。間違いなく「成長」している。一日観察してみると、朝と夕方では、少し成長して「大きくなった」と見えるのは贔屓目にみるからだろうか。
Dscf1400▼それにしても、つくづくとすごいものだと思う。植物というやつは…。自前で栄養をつくりだすなんて、今さらのごとくこんなアタリマエに感動してしまう。
 そう言えば、昨年の夏に訪れた「ハスのメッカ」府中のことを思いだした。確か、あそこにも実から育てた大賀ハスがあったはず、兄貴分になる大賀ハスを見に行こうと思った。「大賀ハス日誌」を久しぶりに見に行った。やっぱりこちらの方の方が本格的だ。
ずいぶん大きくなっているんだな。私の方が見劣りする。気合がちがうな。
大賀先生、大賀ハスを訪ねての府中の旅も、途中になっている。旅のつづきをやりたいな。
Dscf1414▼夕方に、我が大賀池の水面を見ていたら、ちいさな泡粒がいっぱい見えた。まさか、これって「酸素!」
そうだと確かめるすべをしらない。しかし、そうだとしたら、間違いなくこのなかに「偉大なる生命の営み」があることの証だ。大賀ハスは、やっぱりすごいやつだ。
例の非接触温度計で水温を測ってみた、21℃ちかくあった。
Dscf1348▼昨日は、気になったのは大賀ハスだけではなかった。
もうひとつある。植物のすごさを私に教え続けくれているヒガンバナだ。定点観測地のヒガンバナも完全に「枯れ」の季節に入っている。それは、逆に言えば「植えかえ」に適した季節の到来でもある。
周りの他の植物たちが萌えだしたこの季節、葉は枯れて、例の偉大なる営みを停止する。何度考えてもみごととしか言いようのない「戦略」だ。
 久しぶりに『日本ヒガンバナ学会』に書き込みをした。こちらは、年中無休である。(^^)V

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いつの日か【理科の部屋】年表を!

Dscf1280▼少しずつ、少しずつの授業の準備のため、一階から三階に向かう、三階にあがった途端、明るい「新鮮なみどりの世界」が拡がる。その新鮮な世界から、声が聞こえてくるような気がする。自然から元気づけられる声かけを受けているような気分になる。
 それを受けて、こちらも「さあ!」となる。
▼もっと他にするべきことがあるのに、どうしてもそうしてしまう。意志の弱い私は、こういう誘惑にすぐまけてしまう。私の場合、たいてい後からふりかえってみると、その「誘惑」の方が正しかったことが多い。
プライオリティに間違いがあるのだ。「どうしてもやってしまうこと」その方が、実はプライオリティが高いのである。
もっと自然体でいいんだ。
とまあ、ここまで言い訳をしておいて。
▼そして、今、「どうしてもやってしまうこと」とは何か。
それは、昨日の「増補 日本理科教育史」(板倉聖宣著 仮説社 2009.4.10)を読んでしまうのである。
 とりわけ増補部分である「その後の日本理科教育史の研究」(p455)が面白い、読み出したらとまらない。
41年ぶりの増補である。その41年は、すっぽりと私の理科教師三十数年は入ってしまう。
▼年表が、これまた面白いのである。とくに「現代」に到るまできっちりとあげているところなんか、板倉先生らしいところであり、さすがである。そこにも、この本の価値を高めている秘訣がある。
年表を眺めているあいだに、かつて試みたかった企画が、またしてもあたまをもたげる。
それは、「【理科の部屋】年表をつくりたい」という思いだ。
【理科の部屋】は、1993年11月23日にスタートした。今、16年目に入っている。
とくに、「年表づくり」を強く思ったのは、10年を経過したころだった。
 そして、もう一度はnifty【理科の部屋】が幕を閉じるときだった。
▼パソコン通信から出発した【理科の部屋】は、その後インターネット黎明期には、インターネット版【理科の部屋】として、多くの人が知るところとなり、Web2.0時代には、SNS(mixi版【理科の部屋】、【理科の部屋】4@folomy)としてつづいてきている。
 【理科の部屋】の進化はWebの進化と重なるのである。
 今また、「クラウド【理科の部屋】」という言葉もシーマさんから出てきている。
 この進化のさまを「年表」にしてみたら、なにかが見えてくるのでは…
▼「日本の理科教育史」という面から見たらどうだろう。私は、日本の理科教育史のなかで、【理科の部屋】の登場は、新しい時代を予告するものであった思っている。(ちょっと大袈裟(^^ゞポリポリ)
 残念なから、板倉先生の1993年の欄には登場しない。アタリマエと言えば当たり前である。
元々著名なる存在からはじまったわけではないし、今もそうだから…。
私は、この「無名性」にこそ、意味があると思っている。
ここで、これまでとはちがうコペルニクス的転回がおこったのだと思っている。
▼そして、その後は…。いつの日か、ぜひとも「【理科の部屋】年表」を書いてみたい。現在進行形のままを

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【授業】21世紀のガリレオに

▼昨夜、夜遅く待っていた本が届いていた。理科教育関係の雑誌などに広告が出ていたので手に入れようと決めていた。
板倉聖宣著『増補 日本理科教育史(付・年表)』(2009.4.10)だ。
やっぱりだ。!!
実に面白い。1968.3.1にだされた同名の原著があることは知っていた。いつかは手に入れたいと思っていたが、そのままになっていた。そこへ今回の「増補版」だ。ありがたい。
 ものすごくタイムリーな出版だ。
新しい理科教育がはじまろうとしている今日、これまでの「歴史」(過去)を知っておくことは大いに意味あることだ。
いい飽きたセリフ 「過去と他人は変えることできないが 未来と自分は変えることができる」が、頭に浮かぶ。
 未来の理科教育を変えていくためには、きわめて有効な本だ。
 この本の価値は、例のわかりやすい、等身大に語る板倉さんの文章にもあるが、付録の「年表」にあるような気がする。
 1853.2.8から2009.3までの「理科教育」関係の年表である。これが実に面白い。
くわしくは、またもう少し時間のあるときに書こう。
▼これも、偶然であろうか。【運動とエネルギー】のところの一時間一時間の授業を構想していく前に、ちょっと読んでみたくなった本があった。気になる人物がいた。それが、昨日のblogの最後にあげた「ガリレオ・ガリレイ」だ。
そして読み出した本は『ぼくらはガリレオ』(板倉聖宣著 岩波書店 1972.5.20) 。新任のころ夢中になって読んだおぼえがある。何十年ぶりかに読むこの本は、やっぱり面白い。
▼ガリレオがアルキメデスに夢中になった話からはじまる。「ああでもない、こうでもない」と思考をめぐらし、議論をし、対話し、そして「実験」をして確かめていく、こんな「科学」がここからはじまった。
 そして、400年が経った。人間の自然にはたらきかける営みの歴史からすると、400年前はごくごく最近だ。
 ここに近代「科学」のはじまりがある。
 「科学」の「原点」ではない。それまでにも「科学」はあった。そこで交叉したのである。熊楠流がいい、ここが「原点」でなく「萃点」だ。熊楠はいった「萃点からはじめよ」と。
▼ガリレオの時代に、まわりに「運動」するものは、現代と比べるとすごく限られていた。自動車、電車、飛行機も、もちろんロケットも…。
 でも彼は実験・観察によって、これまでとはまったくちがった「宇宙」像までつくりだした。それが、今日までつながる「科学」だ。
 私は、これまで授業の単元のところで、授業をする自分にも「ねらい」を意識するつもりで、単元のサブタイトル、いやスローガンという方がいいか。そのものをあげていた。
たとえば、化学変化では
Kagakumoku
という感じだ。
さらには、昨年度の実践では「21世紀の原子論者!」を意識した。
そこで、今回も同様に考えてみた。
こうだ。
『21世紀のガリレオに…』 
等身大の「ふしぎ!?」を大切にしながら、少しずつ少しずつ自分の「科学」を創り出していこう。
それが、未来を切り拓く「科学」になることを信じて。

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【授業】【運動とエネルギー】を俯瞰する。

Dscf1260▼雨があがった。青空がもどってきた。この青空の「青」
ケヤキの若い葉の「みどり」
それらが、あのどこか「華やかで むなしい」サクラの「ピンク」から脱出して、心を癒してくれる。
「色」と「心の動き」なんていう研究なんかあるのかな。あるな、きっと…。
▼「授業びらき」に引き続いて、一挙に授業に入っていきたいところだが、生徒たちは修学旅行にでかける。その後は、5月の連休である。だから、少しあいだは「執行猶予」がある。
 その間に、可能なかぎり、私自身が学習を進めておきたい。そうでなけば、「移行期の理科授業を構想する」で構想したことは、「構想」しただけに終わってしまう。
 今いちばん必要なのは、授業実践だ。限られた時間のなかでの実践、けっして机上の計画や議論ではない。
具体的な授業実践が、今こそ必要なのである。
 そのためには、ポンコツ頭の私自身が、大いに学ばなければ…。
▼まずは、「教科書」+「補助教材」をみながら、【運動とエネルギー】を俯瞰してみる。
そこからはじめた。
「10年、20年前にもどっただけ」とは見えないこともない。しかし、それでは通せないところがいっぱいある。
教材は豊かになっているように見えるが、ある面で、テンでバラバラになっている感もある。
形成されべき「基本的概念」とはなんなのだろう。
その「概念形成」ために「教材」「実験」は、なにを準備すればいいのだろう。
俯瞰をしながら、いろいろ考えてみた。
▼この段階で思ったことがひとつある。ひじょうにボンヤリしたものであるが
ここは、今一度 ガリレオにたちもどる
ことかな。
 400年前にたちもどって、近代科学の出発点に視座を移し、授業【運動とエネルギー】の展開を考えてみるのも面白いかもしれない。

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【授業】授業びらきで「コウガイビル」

▼「授業びらき」の昨日は雨だった。久しぶりの雨は、少しあたたかい雨だった。
やや緊張(かなりかな(^_^;))していた。と言うより興奮していたと言った方がいいかも知れない。「あれも言いたい」
「これも言わねば…」それらばかりが先行していた。
何が、どこまで伝わったかは疑問。少し時間がたてば明らかになるかも知れない。
▼最初に、「移行期の中3の理科」であることを構想にしたがって、教科書+補助教材を使いながら説明した。
この春卒業した先輩の「中3の理科」とはちがうことを話す。お父さんやお母さんの学習した「中3の理科」に近い内容だとも。
 「中3の理科」は、「受験の理科」をも含むとも。
義務教育、最終ラウンドの理科である。これまでの総仕上げ、これからの理科(サイエンス)とのつきあいも決定づけるところもあるとも。ちょっとオーバーかも知れないが。
▼「物理」「化学」「生物」「地学」の領域ごとに、コンテンツを紹介する。
「運動」「エネルギー」「酸化・還元」「イオン」「細胞」「生殖」「遺伝」「DNA」「宇宙」…。
生物の領域に話が及んだとき、いよいよ出番である。きゃつをふたつとも、ナイロン袋に入れたままもっていっていた。
 なんという偶然だろう。きゃつ「コウガイビル」をグランド捕獲してから、ちょうど5ヶ月目の日なのである。
『けったいな生き物が…』とソフト部の生徒が教えてくれたのは、昨年の11月14日の朝のこと
それから、5ヶ月。ずっと同じこのナイロン袋のなかにいる。
何もエサは与えていない。水をときどき換えただけだ。でも生き続けている
Dscf1231▼この5ヶ月のあいだに、コウガイビルのことについていろんなことを知った。
これがヤマビルの仲間でなく「コウガイビル」という生き物であること。口しかなく肛門はないこと。「ちくわ」ではないのだ。
そして、これがプラナリアの仲間で「陸生プラナリア」とよばれていること。そして、昔の文献にも登場していたこと。
あのダーウィンも『ビーグル号航海記』に観察記録を残していたこと。
どうやらプラナリアと同様に「再生」能力があるらしいこと。
「KGB」(コウガイビルの略らしい)興味をもっている人も多くいるらしいこと。
一挙にまくしたてた。この5ヶ月間のことを。
▼いろんなことを知った。でも「コウガイビル」の「ふしぎ!?」はつづく。
そうなんだ。この「コウガイビル」が教えてくれる。
この自然界で、知っていること・わかっていることなんてほんのわずかなこと。
知っているつもり、わかっているつもりになっているだけなんだ。
自然界には、まだまだわからないこと、不思議なこといっぱいなんだ。
この不思議の謎解きこそが「理科」、未来をも切り拓く「理科」なんだ。
さあ、一年間の「理科」の出発。
▼授業が終わったあと。しげしげと「コウガイビル」をながめに来る生徒。
「昔、プラナリア飼っていたことあるんや」と言ってきた生徒もいた。(どこかの「科学の祭典」で手に入れたらしい。)
 このナイロン袋から、彼が消えるのはいつか。できれば、その瞬間を観察したいものだ。
 

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【授業】「授業びらき」を構想する

Dscf1192▼ケヤキの若い葉がゆれている。ゆらせている風は、春風を通り越して、まるで初夏の風だ。「先生!滅茶苦茶熱いですね(^_^;)」と声をかけてくる。
 動き回る生徒たちには、自分たちの季節到来と思ったのだろうか。
▼いよいよ授業をはじめる。今日は「授業びらき」である。今回は、その直前の記録だ。
年間の授業の構想は、すでにここに書いた。構想はあくまで「構想」にすぎない。そういうことができる可能性もあるが、それが単なる「絵に描いた餅」ということもある。
構想が具現化するかは、「はじめの一歩」にかかっている。と思ってしまうと、すごく緊張する。何年やっていたってそれは変わらない。特にあがり症の私はそうだ。(^^ゞポリポリ
▼まずは、授業のスタイルについて話をしよう。
そして、コンテンツつまり中味だ。「移行期の理科授業を構想する(1)~(5)」をコンパクトにして話をしよう。
最終的に義務教育を終える時点で、どんな「私の科学」ができているかが課題だ。
自分の未来を切り拓く「科学」をもたせることができるだろうか。それは私の課題でもある。
▼今日の目玉のひとつは「コウガイビル」だ。
生徒たちが発見した生物だ。今なお、元気に生きている
不思議だ。
この「ふしぎ!?」を大切にしよう。この「ふしぎ!?」から出発して、不思議の謎解きに挑戦しよう。
それが「科学」だ。どんな単元やっていても同じこと。
わかったような顔をするのはやめよう。自然界は「わかっていない」こと方が圧倒的に多いのだから…。

さあ、もう時間だ。両クラスとも、今日が「授業びらき」!!

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【Web更新4/12】09-15【運動とエネルギー】新設

Dscf1066 木蓮の 白さまぶしく みつけたり
 09/04/07 (火)撮影@安富

■楠田純一の【理科の部屋】 の週末定例更新のお知らせ
 今しがた、シーマさんがトラックバックをかけてくださった。「チャート式の歴史、【理科の部屋】の歴史」の記事を読んできたところである。そのなかに登場する【理科の部屋】 - あのひと検索 SPYSEE [スパイシー] (これもシェーマさんが仕掛けてくださったものだが…<(_ _)>)を見せてもらった。【理科の部屋】をキーワードにどのようにヒューマンネットワークが構築されていっているかがわかって、実に面白い。時間が経つのを忘れてしまうぐらいだ。時空を超えて人と人がつながっていくさまは、いつの時代においても人の世の醍醐味である。  ましてそのつながりのなかに、自分の存在をみつけることができたら、これ以上の喜びはないのである。
 さあ、その「つながり」を求めて、今回も微更新をつづけよう。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ 白木蓮
 校舎から、北の山々をみていると、山肌を染める桜がとてもきれいだ。その山ぎわが、異様なほどに白く輝いている。「あじさい公園」の方だ。歩いて数分のこの公園は、私は勝手に「校庭」の一部と思っている。やがて、あじさいが咲き、モリアオガエルたちが登場するだろう。「観察池」まである。
 白い輝きの正体が白木蓮だと知ったのは、その地に数分の散策した先々週のこと。
入学式の放課後にもでかけていった。校庭の桜も満開、ケヤキの緑も気になる、アメリカフウの新芽もどんどんふくらんできている等々、いっぱい表紙の候補はある。でも、どうしても、入学式の日にみたこの「白い輝き」を一週間表紙にしたかった。

◆【運動とエネルギー】新設
 今年度も、うまくいったいかないは別のこととして、全授業をblogで報告するつもりだ。その第一弾【運動とエネルギー】の入れ物だけをつくってみた。

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移行期の理科授業を構想する(5)

Dscf1141▼昨日で、「大賀ハス植えかえ」からちょうど二週間が経った。薄氷が張ったりする花冷えの日があったりして心配したが、本格的な春の陽気になって大賀ハスも元気だ!
4ヶ所に蓮根を植えたが、どこからも葉芽が伸びてきている。これで、なんとか絶滅の危機はのがれたようだ。
あとは、どこまで成長するかだ。大賀先生のように、2年目であの花まで行けたらいいのにな。
▼今年の「理科授業の構想」をつづける。ふりかえってみると、この一週間ずっとこれを続けているな。
充分とは言えないが、とりあえずは今日までとしよう。
さて、一分野、二分野ともに最後の単元が残っている。
●一分野 『科学技術と人間』
●二分野 『自然と人間』
である。現行では、最後の最後は選択になっているが、今年は両方ともやりたいと思っている。
「選択」にしているからと言うわけではないが、なんかここのところを軽視している傾向があるのではと思ってしまったりする。
▼これは、まったく逆で義務教育最後の「理科」。ここに理科教育の究極の「ねらい」とするところが、すべて詰まっているのではないか。そんな気がするのである。
新学習指導要領をみてみよう。 両分野とも最後の最後は共通して、次のようにしている。

ウ 自然環境の保全と科学技術の利用
(ア) 自然環境の保全と科学技術の利用
 自然環境の保全と科学技術の利用の在り方について科学的に考察し,持続可能な社会をつくることが重要であることを認識すること。

 ここへ来て、一分野と二分野は融合し、総合化される。
キーコンセプトは「持続可能な社会」
▼義務教育の「理科」の究極のねらいがここにある。
サステナビリティこそがキーワードだ。
その基盤に「原子論的物質観」があり、「生命観」「宇宙観」がある。
それら「観」を育むためには、科学の基本的な概念形成が必要である。
けっして「等身大の科学」「常民の科学」から遊離してしまうことなく、さあ ゆっくりゆっくりとはじめてみよう。

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移行期の理科授業を構想する(4)

Dscf1126▼散りゆくサクラのそばのケヤキの緑が、青空に映えだした。なんと、いのちの営みは、豊かでうつくしいものなんだろう。昨夜出会ったひとが言った。
『散りゆくサクラにも感動するが、こんなにも散ったのに、見上げた桜にはなんの変化もない。それにいたく感動した。』と。半世紀以上見続けてきたはずの自然は、いまなお発見と感動をつれてくる。
やっぱりそうだ。何度でも繰り返そう。
最高の教科書は自然!
最高の指導書は子ども!

▼授業の構想をつづけよう。
第2分野のつづきだ。「生命の不思議」のつぎは、「宇宙」だ。この授業は、ほんと長くやっていない。中一にあった時代であるから、ずいぶんと昔の話だ。
もともとは得意な領域ではない。しかし、やりはじめてみるといちばん「ばっかり病」にかかってしまう単元である。
すべてのことがちっぽけなこと見えてしまって、急に「哲学者」気どりになってしまうから困ったものだ。(^^ゞポリポリ
▼この単元の醍醐味はなんだろう。
「宇宙」の広がりのスケールだろうか。時空の広がりが、等身大の「ふしぎ!?」から遊離していく、そしたら不可解なる宇宙像になってしまう。
 等身大にひきつけて、ひとつひとつ発見を楽しもう。なにしろ、ほんとうのところわからないこといっぱいなんだから…。謎解きのプロセスを楽しむのがいちばん。
▼人々の宇宙像が、今日のかたちをとりだしたのは、たった400年ほど前のことなんだから、今年はタイミング良く世界天文年だ。いろんメディアが話題にしてくれるだろうし、教材も提供してくれるだろう。それを利用しない手はない。
世界天文年のキャッチコピーは「宇宙 解き明かすのはあなた」。
いいですね。なかなかです。21世紀に生きる人間の宇宙像に挑戦です。
▼これまでの実践のかけらのようなものが残っている。【宇宙への旅】だ。これを足がかりにして、全面改訂に挑戦してみよう。
 それが、ポンコツの宇宙像をつくる営みと重なるだろう。

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移行期の理科授業を構想する(3)

Dscf1098▼サクラ舞う空。
その空の「雲見」を、いつか生活習慣になればうれしいな。そう思いながら、つづけている小さなことがある。
3Fの理科室前のドアに、例の「太陽・月・星のこよみ」をかけている。前月の裏の「今月のトピック」も、張り付けている。さらには、カレンダー表紙裏にあった「天気表・生物季節」をドアに張り付け、そこに、毎日の天気を天気記号で書き込むようにしている。学校に行かない日は、のちほど書き込むこともあるあるが、ともかくほぼ定刻に毎日それをつづけている。
そのとき、そこから空を見あげて、デジカメを向けるようにしている。
 いわば、そんなかたちで「雲見」の記録を残こそうとしているのである。
それも、今日でちょうど100日目になるのである。
▼「授業の構想」をつづける。今度は、第二分野を考えてみる。
「生命とはなにか」の謎解きは、まだまだ途中だった。ひょっとしたら謎は深まるばかりなのかも知れない。
【動物の世界】の2時間目が終わったあと、授業で私が言った「生命はつくれない」に対して、真顔で質問にきた生徒の「ふしぎ!」『お父さんとお母さんが僕をつくったんやろ』に、少しでも応える授業が展開できるか。そこが鍵だと思っている。
中学3年の頭と心のなかにある「生命」と、どう向き合えるのか。「生命」の謎解きをどこまで進めることができるのか。移行でついに、DNAまで登場させる。中学校卒業時の科学リテラシーを考えると、アタリマエのことだ。
授業びらき登板決定の「コウガイビルの生命」の不思議からはじめて、どこまで行けるだろう。
楽しみである。


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移行期の理科授業を構想する(2)

Dscf1091▼職員室から見えるサクラが、「盛り」がすぎつつあるのか、花びらが舞い始めた。これもいい、つぼみも、そのときのMAX、花びらが舞いはじめてもそのときの「最盛期」、葉桜になっても同じこと、こちらの視点がシフトさえすれば、いつも「盛り」なのかも知れない。
 どうも単純な私は、「ばっかり」主義から脱却できない。「花見」が先行して、いつしか「空見」から遠ざかってしまっている。その間もそんなこと関係なく、空は刻々とドラスティクな自然を展開している。
 武田さん南極の空をみていると、はっとさせられ、留まることなく自然は動いていることを教えられるのである。
それにしても、なんと自然は美しいものなんだろう。言葉の表現の限界を感じる。
▼「理科授業の構想」をつづける。
結論から行こう。現行指導要領よりも、移行期は「新しい学習指導要領」に基づいて授業を構想する方がよいようだ。完全実施を想定して、そして、現行で不足する部分について補っていくという戦略である。
 内容、時間等を概観していると、まるで10年前、20年前の「理科」にもどっていっているように見える。
しかし、それはちがう、まちがいなくスパイラルに進化していっているのである。
一見同じように見えて、それをとりまく状況は変化し、なによりも今を生きいる生徒の脳裏にある「科学」は変わってきているのだ。
▼少し順序を追っていこう。まず一分野である。
単元名も、「新しい学習指導要領」で考える。
【運動とエネルギー】
ここの部分では、運動力学事始めとエネルギー概念をつくりあげることを中心にやりたい。
ややもすると、「等身大の科学」から遊離してしまいやすいところでもある。アタリマエと思いこんでいるところを「ゆさぶり」ながら、ここ数百年間の人々の「科学」とリンクしながら、素朴な「ふしぎ!?」の謎解きを展開したい。
▼次に、物質の探検である。
「イオン」が帰ってきた。これこそアタリマエだ。!
義務教育から、「イオン」が消えていたなんて信じられない話だ。しかし、今はその話を繰り返すのはやめよう。
どんなに議論を尽くしても、変えれるのは未来だけ!
ここの部分についてはWebにいくばくかの蓄積がある。【物質とイオン】だ。この焼き直しというのではなくより豊かに、物質の世界の「ふしぎ!?」をより豊に展開してみたい。
▼化学変化のところでは、まだやり残しているものがある。
「熱の出入り」「酸化・還元」である。
以前の【化学変化】のところでは、昨年度に「定比例の法則」まできている。
『化学変化には熱の出入りがともなう』こんな肝心のことが抜けているのだ。
また、「還元」が抜けている。酸化・還元は表裏一体のものである。従って、ほんとうのところの「酸化」はできていないとみる方がいいのかも知れない。
また還元は、「人間と金属の歴史」を考えるうえで、欠かすことのできない「知」である。
いずれにしても
「21世紀の原子論者!」の旅は、はじまったばかりだ。
どこまでも、
等身大の「ふしぎ!?」こそが「科学」であり、未来を切り拓くホンモノの「科学」も、ここから生まれてくることを一時間一時間の授業を通して実証してみたい。

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移行期の理科授業を構想する(1)

Dscf1066▼昨日は入学式だった。初々しき生徒の姿をみることは、うれしいかぎりだ。その姿から、こちらは大いなる刺激をうけ、初心に帰る。
 「学び合い」という営みにとって、「純粋さ」や「謙虚さ」は、大いなる戦略であり、武器である。ややもすると惰性に流されようとするものにとっては、初発の志を思い出させてくれる。そうなってこそ、「学び合い」は成立すると言うものである。
▼入学式が終わっての放課後、あの「純白」の白木蓮の姿を求めて、あじさい公園に数分の散策にでかけた。
校舎から眺める「純白」さは、少しあせつつあった。林に近づいてみると、その圧巻さは増していた。「純白さ」は、少し茶色を含み、そして、赤紫の色違いの木蓮を含め、多様に豊かになっていた。
 サクラ満開の季節、またちがった風景あること自体に感動する数分の散策であった。
▼「授業びらき」までの時間が限られてきている。はじめるまでに、少しこの移行期の理科授業を構想しておきたい。と言っても、まだ全てが把握できているわけではないので、緻密なる年間計画というようなものではない。
単元をはじめると、「ばっかり」病にかかってしまう私が、その前に1~2年間の授業を俯瞰しておこうということである。
▼とりあえず、目の前に迫っている「中学3年理科」からみていく。
移行期(21年度・22年度)には、現行課程にプラス、4つ点が追加されている。
◆ イ 力学的エネルギー
  (ア) 仕事とエネルギー 【内取3(6) 仕事の原理】

◆ ア 水溶液とイオン
  (ア)水溶液の電気伝導性
  (イ)原子の成り立ちとイオン 【内取3(7) ア 電子と原子核、陽子、中性子、イオン式】
     「電池」 【内取3(7)イのうち「電極で起こる反応を中心に扱う」】            
               
◆ イ 遺伝の規則性と遺伝子
    【内取3(6)ウ 分離の法則、遺伝子の変化による形質の変化、遺伝子の本体はDNAであること】

◆ (イ)月の運動と見え方
    【内取 3(7)ウ 日食や月食】

▼これらを列記しながら、気づいた。これは、もう完全実施を射程にいれて授業を構想しなければならない。
移行する到着点がすでにわかっているのだから、アタリマエのことだ。
今一度、到着点の新教育課程の「新しい学習指導要領・理科」を熟読の必要がありそうだ。
これは、ちょっと道程があるぞ!

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さあ、「学び」はじめよう。

Dscf1042▼始業式だった。いよいよはじまりである。
はじまりは、いつも緊張するのである。それがどんなに繰り返していても同じである。
校庭の桜もみごとに咲いている。校庭だけでは、校区をまわったが、どこのサクラも素晴らしいタイミングで咲いている。通勤路までが、花見街道になっている。今日は、入学式だ。
▼今年も、昨年にひきつづき授業をさせてもらうことができそうだ。ありがたい。
なにも特別の授業ができるわけではないし、ポンコツ頭の考えることはたかが知れている。しかし、授業ができることはうれしい。
 授業こそ、教育実践の最前線である。
これだけは確信をもっていえる。
その授業を楽しめるのだから、これ以上うれしいことはない。
▼理科は、いろんな不思議の謎解きである。私にとっては、「ふしぎ!?」の謎解きの最高の方法は、授業そのものだ。授業をしようと思うと、自然と多くのことを学ぼうとする。
謎解きも、単に自分だけの楽しみというわけにはいかない。もっと切迫したものがある。緊張もする。
ポンコツ頭にはそれがいい。
▼移行期に入る。授業は、中学3年の理科である。
Webにもあまり蓄積ない学年だ。それだけある面では、これまでにこだわることなく、あらたに考えていける。
一分野、二分野とも面白い単元ならぶ。
義務教育最後の年の「理科」だ。その意味でも、重要な学年である。
さあ、思いっきり「学び」はじめよう。
「最もよく学ぶものは 最もよく教える」を心に刻みながら

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【Web更新4/15】09-14「新・私の教材試論」更新

Dscf0987 誇り咲き きみ待つ庭に サクラかな
 09/04/03 (金)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ
 2009年度になってはじめての更新である。年が変わってからは14回目である。
この微々たる更新であるが、年月が積み重ねると、その「時間」の長さが意味をもってくることもある。全てのことがスパンが短くなってきているだけに。
 このWebページ(いつかホームページという呼び方をやめてしまったな。?(゚_。)?(。_゚)?)は、開設してからこの4/10(金)で11年になる。そのデザインもほとんどと言っていいほど変えていない。11年前のままだ、これは歴史的なものとも言える。今は、軸足をblogに置いているかに見えるが、私にとってWebページはWebページなりに有効なのである。いわば私のポートフォリオであり、私の知の遍歴の公開貯蔵庫なのである。
 時間ができたら「100人リンク集」の「今」を訪ねる旅に出たいと思っている。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ サクラ
 サクラは、やっぱりサクラである。「花」はサクラであり、誇りの「我らが庭」でも同様だ。
こんなにもタイミングをあわせて、咲き誇るとはさすが「サクラ」だ。明日が入学式である。

◆「新・私の教材試論」
 教材化現在進行形の「コウガイビル」に関して試論をすすめている。
そのコウガイビル、気温があがってきたせいだろうか。昨日は、ますます元気だ!!
どうなっているんだ。キヤツはいったい何ものなんだ。今年度の授業びらきは登板決定だ!


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今、「検索フレーズランキング」が面白い。

Dscf1015▼昨日も「追いつく」のでは、新しい「自分のスピード」をつくるために、ゆっくりと仕事にでかけました。はじめたのは、「空間の整理」からです。
 「空間の整理」→「情報の整理」→「思考の整理」とのぼりおりを繰り返していくうちに、少しずつ状況は進化していく。それは、佐藤可士和が教えてくれた方法。
今では、私にいちばん有効な方法だと思っている。
 ちょっと疲れたら、散歩。あいにくの雨だ。窓の外に見える、ケヤキの枝の水滴、満開に向けての雨のサクラ、山を登りたつ雲。なんと、自然は豊かに美しいものなんだろう。
▼ここにも何度か書きとめているが、自分のblogを読むときに楽しみにしているものがある。自分では「更新」したつもりではないが、自然と毎日、更新されているのである。
それが、「検索フレーズランキング」いつから、こんなのつくようになったのだろう。
私は知らない。知らないあいだにサイドバーにつくようになっていた。
自分の意図とはまったく関係なく、自分が書き込んだエントリーを検索して、アクセス順にランキングされているのである。ちなみに、これを書いている段階ではこうだ。
検索フレーズランキング
1位:電流 磁界
2位:佐伯 胖
3位:スピーカー 電磁誘導
4位:食塩の結晶のかたち
5位:京大型カード
6位:着任式 いい言葉
7位:バナナを顕微鏡でみる
8位:コンヴィヴィアリティ
9位:発想法 KJ法
10位:盆栽 鈴掛の木
▼一日に一回朝方に更新されるから、きっと数時間後にはかわっているだろう。面白いのは、これを逆にたどっていくのである。そうすると、まったくちがった新しい世界と出会うということもあるのである。
自分が書いた記憶がなくなってしまっているフレーズがランキングされることもある。それも面白い。
▼Webの醍醐味のキーワードは、私にとっては最初は
「コンヴィヴィアリティ」だった。
そして、「リンク」「シェア」「フラット」になった。
さらに進化して、それは「ロングテール」となった。
この「検索フレーズランキング」は、「ロングテール」を具体的にみせてくれているものなのかも知れない。
次なる時代のキーワードはなになんだろう。(・_・)......ン?それを考えるのも面白い。

さあ、今日のランキングはどうなっているだろう。楽しみだ。o(^o^)o ワクワク

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パラダイムシフトが必要!

Dscf0998_2▼「大賀ハスの植えかえ」から、ちょうど一週間がたった。
その間は天気は、「植えかえ」にふさしいものものだったか疑わしい。
2~3日の朝は、大賀ハスの新天地に薄く氷がはりつめた。温度による制御がはたらいているのだろうか。水面から顔を出した2つの葉芽は、ほとんど成長をストップしてしまった。
さあ、はたしてこの後は、どのように展開していくのだろうか。不安と期待が入り交じっている。
▼私の生活や仕事も「植えかえ」だ。2008年度から、新環境の2009年度バージョンとなった。
いろいろなことが次々とおこる。そのスピードについていけていない状況にある。
いつも「ゆっくり」な私は、少しパニック状況にある。
 「追いつこう」と必死になりたいところだが、少し立ち止まって考えてしまう。
▼翻って考えてみる。
地球が一回転する時間が速くなったのだろうか。
そんなこと、あるわけない。それはいつも同じだ。
なにが変わったのだろう。
「速さ」=「距離」÷「時間」 なんと飛躍した発想だ!!
スピードはこうして決まる。分母の「時間」が同じだとするとなにがちがってきているのか。
人間ひとりひとりの「自分のスピード」がある。
それは、「距離」がちがうからだ。それは「思考の射程距離」とよんでもいいものかも知れない。
だから、誰もがひとりひとりがちがう「自分のスピード」を持っている。
▼大切なのは、それぞれが「自分のスピード」を保ちつつ、ひとのスピードも大切にすることだ。
いちばん大切なのは
けっして「自分のスピード」を壊してしまって、まわりの「スピード」に追いついていくことではない。
なんでも「ゆっくり」な私が言うと、言い訳に聞こえてしまうかな。
「追いつく」ことでなく
「自分のスピード」を保ちつつ、他人の「スピード」から学び
過去の「自分のスピード」に固執することなく、あらたな「自分のスピード」をつくること。
ここではパラダイムシフトが必要だ!
過去と他人を変えることはできないが
未来と自分なら変えることはできる可能性がある。


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私の「小さな決意」

▼年度のはじまりは忙しい。次から、次へと「こと」がやってくる。
心の中で
「忙しさで、心を亡ぼすなかれ」
と、唱えてはみるが、それは「祈り」に近くなる。
こんなときは、どうするか。いちばん楽しいことを自らに語りかけてみる。
論語にある。

「知之者不如好之者、好之者不如樂之者」

いい言葉だ。実にいまこその言葉だ。
方向が見えなくなったら、いちばん「楽しいこと」を語ろう。
▼いちばん楽しいこと、今の私には「授業」だ。さして、すばらしい授業を展開しているわけではない。
ポンコツ頭が思考するような授業はそんな確かなものがあるわけではない。
しかし、断言できることがある。
私にとって、今いちばん楽しいこと、それは授業だ。
これをいちばんに持ってきたら、忙しさを超えての「自分」をみつけることができるかも知れない。
▼昨年度、ほぼ全ての授業をここで書いた。
ほんの数行だけのこともあったし、授業から発展して、自分自身の「学び」「学び合い」のことに広がったこともある。
久しぶりの授業は、ほんと楽しいものだった。ここに書きとめることによって、「楽しさ」は何倍にもふくらみ、
次なる授業をつくることができた。
 今年度もこれをやろう。
これが、多忙さのなかでの小さな私の決意だ。

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新・私の教材試論(17)

Dscf0965▼雨がやんで広がる青空。そして、サクラはその青空に似合いのように、刻々とスペースを占めていく。
コマ落としの動画でも見ているように、風景がかわっていく。
そのなかで、新しい年度がスタートした。
▼「試論」つづける。ひとつのネタにこだわりはじめると、「ばっかり」になってしまうのが、私のやり方のようだ。
「ばっかり」に徹底すると、そこからいろんなものへの「つながり」も見えてくる。
あらたな「ふしぎ!?」も生まれてくる。
それは、まるで熊楠の「萃点」のようなものである。
そうして、教材化を志向しながら、まだできていないものが、たくさんある。「宿題」になったままのものである。
▼そのなかでも、やっぱりこの「コウガイビル」というやつは超一級だ。
「なぜ、食べないのに生命活動を停止しないのか」
「いや、実は食べているのではないか。自分自身を」
「どのようにして、最期をむかえるのであろうか」
「これは偶然に起こっていることなんだろうか、それともこの種類の生き物全てに起こっているのだろうか。」
「こいつの細胞レベルでの活動は…」
「さらには分子レベルでの活動は…」
そして、そしてついには、こいつに聞いてみたい「生命とは(・_・)......ン?」
▼前回の資料を公開してくださっている佐々木玄祐先生に突然で失礼とは思いながらもメールでお尋ねした。
やっぱり、さすがホンモノだ。うれしいことに応答メールをいただいた。
「低酸素で代謝が落ちていて、水があれば…」
「4ヶ月以上とはかなり長いですね。」
「今後とも観察を続けられたら、…」
の言葉をいただいた。やっぱりもう少しつづけよう。観察を。
▼「3K1Aの法則」「3Hの法則」との関係も、もうすこし明らかにしながら

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新・私の教材試論(16)

Dscf0947▼新しい年度のはじまりである。2009年度のスタートの季節(とき)だ。
ほんとうの時間は連続しているし、等速運動である。だから、昨日までともなにも変わらないのだ。
なんとなくこんなコトバを発してみたくなった。
「過去と他人は変えることできないが、未来と自分は変えることができる
昨日、仕事のあいまに「あじさい公園」に、山桜を見にでかけた。といっても、数分の散策である。
「観察池」の春も見に行ったのだ。「観察池」から、ちょっと空をみあげた。すばらしい風景にであった。
白木蓮だ。
こんな風景をはじめてみた。青い空、白木蓮の林。
サクラとは、またちがった絶景である。
連続する、変わらない時間のなかに、「発見」は、今年度もつづくだろう。
うれしいかぎりだ。
Dscf0923▼「コウガイビル」の不思議で、「試論」もつないでいこう。
ダーウィンの引用文の最後が、気になる

生活現象が終われば、一般に見る天然の変化の法則がここにも働いて、体は全体に柔らかくなり、液化する。そのはやさは、他に比べるものもないほどである。(「ピーグル号航海記 上」P54より)

これがわが「コウガイビル」くんの未来であろうか。
そうすると、やがて、このナイロン袋から消えるのだろうか。
それは、いつやってくるのだろうか。
このナイロン袋のなかの緑っぽい物質はなんなのだろう。
ウンチのようにみえる「破片」の物質はなんだろう。
なにもエサを与えられなかった彼は、「自分を食べて生きている」そんな仮説は成り立つのだろうか。まだまだ不思議はつづくのである。
Dscf0918▼こんな不思議を人々はほっておいただろうか。きっとこれまでにも気づいたはず。
やっぱりあった!!昔の人も、この奇妙な「生きもの」についての記録を残しているのだ。
ありがたい時代だ、それは大学の図書館にまで出かけて行かなくても閲覧させてもらえるのだ。
◆本草書の中のコウガイビル
 すばらしい、貴重な資料の公開である。公開しておられる佐々木先生に大いなる敬意を表すると同時に深く深く感謝したい。シロウト研究をして、「ふしぎ!?」探検をする人間にとってどれほどうれしいことか、このような取り組みが。これからの万人の「学び」が、このような方向をなることを切に願いたい。


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