新・私の教材試論(14)
▼あいかわらず続ける「雲見」の日々だ。思考とは、便利なものである。簡単に時空を超えることができるのだから。ポンコツの思考は跳んだ。
「雲見」から「クラウド・コンビューティング」へと。コトバの連想ゲームをやっているのではない。
なんのつながりがあるのか。それはわからない。でも自分の脳裏に描かれたイメージ、思考の回路に表出してきた。シェーマさんに教えてもらった『クラウド』。脆弱なる頭に歯が立つようなものではないようだ。しかし、なにか興味がわいてしかたない。挫折を承知でちょっと紹介本を開いてみようと思う。
▼「試論」方を続けよう。こちらの方は、もっともっと等身大でいこう。
ちょっとちがった角度から続けよう。今、いちばん興味があるものと聞かれれば、私は迷わずこいつをあげる。
『コウガイビル』
なんなんだ、こいつは、半年ほどのあいだに出会った2匹。
でも、それはおかしい。こんな短期間のあいだに2匹に遭遇するということは、きっとこれまでにも出会ってきたはず。でも、それは気にとまらなかったのだ。
▼そいつが、教材の話と関係するのか。私は、このblogのどこかに、
教材は、センス オブ ワンダーとセンス オブ エデュケーションの交叉するところに生まれる。
と書いた。それは、「自然を豊かにとらえる」と「教えたいこと」とが交わったところ、情報の「萃点」でできるとも言える。
▼私は、授業【動物の世界】の謎解きの第一方程式は「食べる」だと思った。
「食べる」を使ってみるとみごとなまでに、「動物の世界」が見えてきたかに思えた。動物の進化も、動物のからだのつくりも、最後には福岡伸一さんの「動的平衡」すら、私流ではあるがすこしは理解できたかに思えた。
ところが、こいつには通じない。わからない。(・_・)......ン?
こいつには昨年11月14日以来、水以外のエサを与えていない。つまり「食べる」ことをしていないのだ。
▼ここで、「動物は食べる」がゆらぐ。食べないで「生きる」なんていうことがあるだろうか。
ほんとうにそうなんだろうか。
私が、それを知らないだけではないんだろうか。コウガイビルの「ふしぎ!?」がふくらんでいく。
ここに、未知なる「教材」を発見した。
教材化までの道のりは遠いだろう。でも、大きな可能性を感じる。
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