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新・私の教材試論(11)

Dscf0529▼昨日は、修了式だった。年度終わりの式である。桜もほころびはじめた。
【天気の変化】の「感想」を提出してくれていた。読み進めるうちにすごくうれしくなってしまった。
「テレビの天気予報、今までだったらすぐチャンネル変えていたけど、天気の勉強してから、面白いと思うようになって注意してみている」
「いつか、気がついたら空を見ていることがおおくなった」
「雲をみていたら、あの雲のうたを思いだした」
「雲が天気を教えてくれていると思った」
「学校へ来るときも帰るときも空をみるようになった」
「青空のむこうを知りたくなってきた」
「もっともっと天気勉強つづけようと思う」
「インターネットで雲を見て、雲がきれいだ思えるようになった」
「天気図書いてみて、難しかったけど、とっても面白かった
等々
ほんとうれしくなってくる。最後だから気をつかってくれているのかな。お世辞半分かな。
単純な私は、とってもうれしくなり勇気・元気が湧いてくるのだ。
「さあ、もっといい授業をしなければ」と。
▼次の授業を考えるまで、すこし余裕がある。こんなときこそ、いつも中途半端の細切れにしている「新・私の教材試論」をすすめておこう。
 あくまで、「試論」だから、そんな体系だてものではないが、それでも書く旬というものがある。そのときに「これは、これはぜひ書きとめて置きたい」と思ったことでも、時間の経過ととも色褪せてしまう。
何を書きたかったのすら忘れてしまう。
 今の「思いつき」の覚え書きをすすめておこう。
▼一年間の授業を終えた今、教材について思うことは
○教材は授業のなかでうまれ、授業によって進化する。
最近やった授業から具体例をあげておこう。熱がさめてしまわないあいだに。

<具体例>その1 新・新マグデブルク半球 あらため「究極のマグデブルク半球」
教えたいことはなんだ。!
それは、大気の海の底で我々は暮らしている。大気の物理学、それが「天気の変化」。
大気は、目には見えないけれど、間違いなくそこにある。重さをもってある。
大気の海の底では、大気の重みから「大気圧」が生じる。深海で水圧がかかっているように。
それを実感させたい。
これまでにも、いろんな実験をやってきている。
 なかでも、私のいちばんのお気に入りは、マグデブルク半球の実験だ。1657年、今から350年ほど前にマグデブルク市の市長だったゲーリケの公開実験だ。これで「真空」と「大気圧」を示したかった。科学史上も意味ある実験だ。
 もし経済的なことも含めて、あらゆる条件がゆるされるなかで、「生徒に見せたい実験は」と問われるなら、いの一番に、この実験の復元実験を言うだろう。その当時と同じ半球、馬を16頭用意して…。
 もし、可能な環境にあるところがあるなら、ぜひやってみてほしい。
以前にテレビ番組で「人間の綱引き」でやっていた記憶があるが、定かではない。
私が望むのは、完全復元だ。!
▼新任のころは、真空ポンプの修理からはじめて、この実験だけで、1時間を使ってしまうというようなこともある。
アンコールがかかれば、何度でも調子にのってやっていたから…。
ドラム缶つぶしが、「科学の祭典」等でちょっとしたブームになったこともある。迫力という点では確かに面白い。
アルミ缶つぶしも、いろいろ工夫が出てきた。
それは、それで進化していくさまは面白い。
しかし、授業のなかであつかう「教材」としては、やっぱり「マグデブルク半球」が最高だろう。
▼一方、簡単にできるものとして、私は故曽我部教子さんから譲り受けた「吸盤」がお気に入りだった。
簡単にできて、その威力に生徒たちはまちがいなく唖然とした。
それも長年使っているあいだに取っ手が壊れてしまっていた。
新しいものが欲しかった、ガラス屋さんに聞いたり、教材屋さんに聞いたりしていた。ネットにも「教えて!」をあげていた。そしたら、なんとメールで教えてくれる人がいた。それが、これだ。
さっそく手に入れた、それもセットで2個。
▼やっと入手したが、そのときは授業をしていなかった。授業の機会をまった、そして、そのときがやってきた。
それが、
【授業】これぞ「新・新マグデブルク半球」だ!
である。
 30数年に理科教師をつづけてきて、たどりついた。授業なかで生まれ、授業で進化して教材のひとつ。
「新・新マグデブルク半球」あらため、「究極のクリップモーター」にならって「究極のマグデブルク半球」とよぼう。
 これが、私自身の教材史のなかで、最終形、究極のかたちだ。
繰り返しあげている「3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則」「3H(ホット、本質的、ホンモノ)の法則」すべてを満足している。
 とりわけ、最後のH(ホンモノ)が気に入っている。この吸盤は、最初から教材としてあるものではない。
業務用である。だから、みせかけでなくホンモノだ。
ホンモノだからこそ、その威力は抜群である。でなければ、業務には使えないのだ。

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コメント

なんと、こういう吸盤をそんなに探されていたとは! 博物館で展示ケースをあけたりするのに、よく使うものです。タコとかぼくらは呼んでいます。
二つならんだ「メガネ」もあります。

もう解決されたようでよかったですが、だったら知っていたのに。と思った次第です。

ところでゲーリケの半球ですが、本当にあの時代はおもしろいですよね。ゲーリケは1600年代中頃だけれども、ということはニュートンと同時代人です。ガリレオの後。発明品の真空ポンプは、ポンプ座という星座になっていますね。

その1世紀後だと、ファラデーということになるわけですが、ぼくはこのニュートン以降、ファラデー以前が科学が市民とともに成長した黄金期だなあといつも思っていて、そのころの実験が一番おもしろいと思っています。フーコー振り子もそうですし、圧力釜や顕微鏡もそうです。

投稿: 渡部義弥 | 2009/03/25 13:45

渡部さん
おはようございます。

>博物館で展示ケースをあけたりするのに、よく使うものです。タコとかぼくらは呼んでいます。
二つならんだ「メガネ」もあります。

(゚o゚)ゲッ!!なんという。でもいいんです。
もし、今度これをやるときあったら、エピソードとして入れることできますから。今度、うかがったとき写真をとらせてください。お願いします。<(_ _)>

>の後。発明品の真空ポンプは、ポンプ座という星座になっていますね。

ウンチク広がりますね、ありがたい。

>すが、ぼくはこのニュートン以降、ファラデー以前が科学が市民とともに成長した黄金期だなあといつも思っていて、そのころの実験が一番おもしろいと思っています。フーコー振り子もそうですし、圧力釜や顕微鏡もそうです。

同感です。
来年度授業では、ぜひ、このあたりに挑戦してみたいと思います。いろいろ知恵を借りますが、よろしくお願いします。


投稿: 楠田純一 | 2009/03/26 05:28

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