福岡伸一著『動的平衡』共感!
▼昨日、朝方には、雨はあがっていた。ここが少し迷いどころだった。昨日は、神戸へ出張だった、だから「傘をもっていくのか、持っていかないか」は大きな問題である。この初歩的応用問題をとけなくては、天気の変化を学習している意味はない。「雲見」をした、ただの「雲見」ではない、西の空である。「光(太陽)は東から、天気は西から」である。
ついさっきまで、雨がふっていたしかし、西の空には青空が見える。私は、傘を持っていくのをやめた。正解だった、しかし忘れていたことがある。いつも、車で移動しているために、すっかり忘れていた。それは、気温である、神戸について気がついた。冷たい風がビュウビュウと吹いていたのだった、コートを着ていくのを…。
総合問題に高得点を得るのはまだ先のことになりそうだ。
▼仕事を終えて、帰路につくまえに、私は久しぶりに本屋に寄った。
めったに行かなくなってしまった本屋である。もう本は居ながらにして本をイモヅル式に選んでamazonで読むのが常になってしまっている。本屋に立ち寄っての楽しみは、偶然の一冊との出会いである。
まず、文庫本・新書本のフロアである。いや驚いてしまった、その多種多様さとその量に。
本が読まれない時代になったなんてほんとうだろうか。こんなにもいっぱい出ているではないか。次々と目移りがする、読む時間なんて考えられないのに、これもあれも欲しくなってしまう。困ったもんだ。
そのフロアをひとしきりウロウロした後、別の階へ行った。そのフロアに入るなり、私はある一点に走っていった。
『動的平衡』の文字が見えたからである。えっ、福岡伸一の新刊!?聞いてないぞ、そんなのブログにもリンクしているはずなのに、見逃していたのかな。
帰ってみたら、ちゃんとこの初の単行本と出ていた。さらにはamazonからメールも来ていた。
▼もちろん、即手に入れた。そのとき、もっと驚いたことがある。書架に、まとなりにならべて大量に置いてあったのは、なんと武田康男著『すごい空の見つけかた』(草思社)だった。
武田さんの方は、最近いちばん注目して、読んだ・見たものである。この2冊が並べて置いてあるなんて、ひょっとして世間の注目も、私の注目も同じなのかな。と思って、なんかうれしくなってきた。
『動的平衡~生命はなぜそこに宿るのか~』(木楽舎2009.2.25)をカウンターに持っていくとすぐ本屋でた。一刻も早くこれを読みたかった。
電車のなかで夢中になって読んだ。予想通りだ。やっぱり面白い、ますますパワーアップしている。
一理科教師と今や超売れっ子サイエンス作家、同じレベルで話をするのが土台目茶なことだが、私は、今この人が発する言葉ひとつひとつに共感する。妙に同じ波長を感じるのである。読めば読むほど興奮してくるのである。
私は、前著『できそこないの男たち』からぱくって、授業で「人間は考えるちくわである」を考えだした。
今回の著でも、福岡さんは書いている「人間は考える管である」(P72)と。
ミミズを引き合いにだすところまで同じとは、もう驚き以外にない。
これは、ひとつの例に過ぎない。みごとに言葉が重なってくるのである。
畏れおおいことだが、みごとに共振するのである。
▼ 読み始めたら、もうとまらなくなってしまった。きっと今の「大気の科学」ともつながるはず。
今回の著のなかに「学ぶことの意義」にふれてくれていることは私にとってはありがたい。
鳥取の高校生を前に語っている。おみごと!!
「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ。」(p58)
なにも高校生だけでない。私も同じだ、さあ学び続けよう。
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