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新・私の教材試論(9)

Dscf9131▼昨日、節分の朝。空は、今にも泣き出しそうだ。でも、定例散歩にでかける。
ケヤキの坂を出て、西に坂道だ。やっぱり「空」に目がいっている。「雲見」だ!!
なにも特別の風景があるわけではない。これまでに、生まれてこのかた、回数などを問う次元ではなく「ありふれて」「あたりまえ」に見てきた風景、曇り空である。
 非接触温度計を向けてみる。一昨日、青空に向けたときは「-17℃」。そのときとは対照的だ、-にはならない「プラス」を示すのだ。つまり温かい。あたりまえの事実に感動する。
 「地球温暖化」を語りはじめるとき、人々は、この「あたりまえ」に気づいているんだろうか。と思ってしまったりするのである。
 もっとあたりまえがある。この雲から雨はふってくるのである。あの巨大なゴム風船で考えても、たった1㎜の高度から、雨はふってくるのである。この不思議を当分は徹底して科学してみたい。
そして、この「あたりまえ」を伝えたい。
『雨はどうしてふるのか』に答えたい。
▼今朝も許された時間は、そう長くない。でも書きとめておかなければ、消えてしまいそうなので、「覚え書き」だけでも、書いておこうと思う。
新・私の教材試論をつづける。
とりあえずは、2つのことを書きたくて、断続的な「思いつき」をつないでいる。
繰り返す
●教材入手情報をWebで…
●教材は、ホームセンターにある。

▼Web2.0時代の教材の素材入手、教材情報をどのようにあつるめるか。
【入手DB】をよびかけたときからも、大きくWeb環境は進化した。人々が普通のモノを手に入れる、買い物をする、本を買う、そのスタイルも変わってしまいつつあるんだ。
 むしろ教材の入手のスタイル、方法が変わっていかないわけがない。
私は、この変化に関してうれしく思っている。
教材情報の流れ方についても、とっても「理想」に近づいてきているように思う。
●イメージしていることを、短い言葉にするのは、私のような人間にはなかなか苦労するところであるが、ともかく書いてみておこう。
「教材は横に流れるもの」
明日の自分が読めば、これだけではなんことかわからない。
教材は、「たて」にどこからか降りてくるものではない。「たて」から降りてくるモノを無視しようということではない。
それがガラクタばかりと言っているのではない。
「たて」から降りてくるもののなかにも、スグレモノはいっぱいある。すばらしいものがあるからこそ「定番」になり、
「教科書」にのり、著名な実践者が「実験書」にとりあげている。十分に吟味にあたいするものばかりだ。
▼私が、ここで語ろうとしている「教材」とは、自分が授業するときに、ぜひとも必要とする「教材」「教材素材」。
ようするに「わがまま」なんだ。
 昔なら、この「わがまま」は許されなかったし、「わがまま」を通すことはなかなか困難だった。
 ところが、今はちがう。
「ロングテール」の時代だ。小さな「わがまま」がつながる可能性がある時代なんだ。

またまた中途半端だが、今日もここまで  <つづく>

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