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「雲見」のすすめ

▼私には、なおそうと思ってもなおらない病がある。それは「ばっかり病」というやつだ。
そのことに凝りはじめると、そのこと「ばっかり」になってしまうのである。自覚症状があるだけ、まだましなったかと自分をなぐさめてみたり、癒してみたりするが、症状はかわらない。
 今は【天気の変化】学習をはじめた。だからだろうか、かかりつつあるのは「空ばっかり病」だ。
Dscf8995▼いや、今にはじまったことではでは、「空」の不思議さ、美しさ、すばらしさについては何度もふれてきたはず。
気づきもしてきたはず。自分の住む世界の180°を占める世界。昼夜問わず、そこで展開されるドラマの数々、
こんなの見逃していたら、人生の半分は損をしてしまう。
そう思ったこともある。
だから、見ていたはず、でもやっぱり意識的みるとやっぱりちがって見えてきたりするものだ。
▼ちょっと面白い言葉をみつけた。
この空の魅力を語った名著『空と色と光の図鑑』(斎藤文一、武田康男著 草思社 1995.10.11)を読み返しているときだった。
 そこに、宮澤賢治の童話のなかの「雲見」が紹介されていた。(P28)
我々の「花見」「月見」と同じように、蛙くんたちの「雲見」があるという話だ。
面白い!!原文を読んでみたいと思った。
さっそくググってみた。
▼あった!!それも、なにかの縁だろうか。例の青空文庫にあった。
宮澤賢治『蛙のゴム靴』のなかに出てくる。こうだ!

 三疋(びき)は年も同じなら大きさも大てい同じ、どれも負けず劣(おと)らず生意気で、いたずらものでした。
 ある夏の暮(く)れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座(すわ)って、雲見ということをやって居りました。一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峯(みね)を見ることが大すきです。じっさいあのまっしろなプクプクした、玉髄(ぎょくずい)のような、玉あられのような、又(また)蛋白石(たんぱくせき)を刻んでこさえた葡萄(ぶどう)の置物のような雲の峯は、誰(たれ)の目にも立派に見えますが、蛙どもには殊(こと)にそれが見事なのです。眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
 雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。ペネタ形というのは、蛙どもでは大へん高尚(こうしょう)なものになっています。平たいことなのです。雲の峰(みね)はだんだん崩(くず)れてあたりはよほどうすくらくなりました。

 蛙くんたちは、どうやら夏の積乱雲を見ていたようだ。宮澤賢治ならではの一節だ。
▼これは面白い。
私も蛙くんを見習って、天気の学習の事始めに、この「雲見」をやってみようと思った。
なんの道具も準備もいらない。
時間も決めない、気ままにだ。
一日に5分、いや長ければ3分、それでも長ければ1分…
ともかく一日一回 
この「雲見」を楽しんでみようと思った。
ひょっとしたら、私設「気象台」への一歩になるかも知れない
なんて夢見ながら

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