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あれから14年、そして

▼私は、今このblogの「あの朝から13年が。そして…」を読み返していた。
そうだ、それからは一年の時間経ったのだ。
あれからだと14年だ。今も14年前と同じようにコンピュータの前にいる。
14年の年月を何で計ればいいのだろう。
自分の人生の「時間」だろうか。
まわりの人間の「時間」だろうか
地球が何回太陽の周りを回ったか、
地球が何回自ら回転したかの「回数」だけで計れるのだろうか。
「いのちの時間」は、ほんとうにそれだけで計れるのだろうか。
いや、そうなんだ!!、それが厳然たる「事実」。
▼一年前、地球が一回太陽のまわりを回ってくる「元の位置」だ。
そのとき私は最後にこう書いた。
『あれから、13年が過ぎた。私たちは、どこまできたのだろう。私は、なにをしてきたのだろう。多くの犠牲者たちの「いのち」の発信に応答してきただろうか。改めて「いのち」の応答の継続を決意する13年目の朝だった。』
そして、コメントに応答してこう書いている。
『でも、これは「思い出」として風化させてしまうことできないですよね。今も発信されつづけている犠牲者たちからの「いのち」のメッセージを受けとめ、応答メッセージを返していかねばならない。山崎断層の上に生きる私たちはなおさらである。』と。
 なんという偶然であろうか。
私は、一年経った今、この山崎断層そのものうえを、毎日勤務でピストン運動をしているのである。
▼昨日、防災訓練をやった。ひとつだけどうしても伝えたかった。
『山崎地震は必ず起こる』ことを
これは、防ぎようのないこと。だって、大地はそのように動いているんだから…
山も 川も 海も そうしてできたんだから
真横を通る「中国縦貫道」だって、それを利用してつくられているんだから…。
そして、動きは現在進行形なんだ。
そのことを理解するために【大地の動きをさぐる】の学習があるのだ。
▼「わたしたちには地震を防ぐことはできないが、できることがある それは防災・減災だ」
生徒たちに告げながら、実は自分に言い聞かせていた。
できることをやる。そのために学習もある。
そう考えると、自分のすべきことがほんの少しだけ見えてきたように思う。
私は、ゆっくりだ。
少しずつ、少しずつ…。
▼1984年5月30日午前9時39分「山崎断層地震」があった。校舎がまるで怪獣映画のセットのように揺れるのをこの眼でみた。あの光景は忘れることができない。
そうだ そのときから、もう私の「宿題」は出ていたのだ。
もうすぐ、14年前の「あの時」になる。
合掌をしよう。
そして…

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コメント

プレートの境界に住んでいる以上、地震とはつきあわなきゃしょうがないのが日本です。

ただ、発生頻度が激しいのは、境界に近い東日本なものだから、日常的時間だと、天災が忘れられてしまうのが西日本。

人間は、家をつくり台風の雨風を防ぎます。なくすことはできなくとも耐えることは可能。これがモンゴルのゲルだとふっとんじゃいますよ。地震も同じこと、そういう現象があるということを日常的にとらえらればなんということはない。

地震を文化の一部としてとりこめば、怖くない。防災教育は怖がらせるのでなく、なじませるのが大切なのかなと思います。

投稿: 渡部義弥 | 2009/01/17 19:06

おはようございます。
「宇宙を観る」プロフェッショナルの言葉、さすがですね。説得力あり示唆的でもあります。

「日常的にとらえらればなんということはない。」

「地震を文化の一部としてとりこめば、怖くない。防災教育は怖がらせるのでなく、なじませるのが大切なのかなと思います。」

じっくりと受けとめさせてもらいます。
ありがとうございます。

投稿: 楠田純一 | 2009/01/18 03:32

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