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【授業】大気中の水蒸気

▼今日は、はやくも「みそか正月」だ。2009年も1/12は終わりである。なんというスピードだ!!
授業で、直径13㎝の地球儀を教室に持っていっていたら、休憩時間に、生徒たちが遊んでいた。
「おまえ、何日行けた?」「○○日!」
?(゚_。)?(。_゚)?
何をやっているんだろうと、見ていたらミニ地球儀を一回だけ手をふれて回転させて、何回回転するかを競いあっているのである。
( ゚o゚)ハッ
そうなんだよな。一回転すれば、一日なんだ!!
そうすると、今年になってからもう30回も回転してしまったんだ。
誰かが言った。
『おれなんか、一年なんかすぐやれるぞ!!』
▼昨夜から、すごい暴風雨である。今朝、外に出たら、雨はやんでいたが、風は残っていた。
大気はどうなっているのかな。「天気のツボ」から、天気図をみる。
なるほど(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
暴風雨の正体がわかる。やっぱり行われているんだ。
絶え間なく「大気の大物理実験」が。
よーし、この不思議・謎解きをもっとすすめよう。
Dscf9070▼授業は、「私たちが大気の海の底にすむ」こと、「大気層のきわめてうすっぺらい」ことをやってきている。
次に問題としたのは、この大気に含まれる「水」だ。
ちょっと前単元を意識して「H2O」を連呼する。
H2Oの三つの顔を確認する。それが、分子の運動の状態によることは簡単に図にしめす程度にした。
ここで、【三態変化】の学習が生きてくるところである。
 さあ、この「気体ビュン ビュン…」になってしまったH2Oをどうしたら、「見る」ことができるだろう。
そんなところからはじめた。
▼教科書の流れにそうかたちで三つ「科学の言葉」をおさえた。
意識的にゆっくりとていねいに
●飽和水蒸気量
●湿度
●露点
と。

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【授業】上空のようす(2)

Dscf9025▼「雲見」を意識的にやるようになると、いろいろと「発見」がある。「発見」と言っても、特別に大きなことでは、そんなのあたりまえのことばかりなんだ。ずっとずっと前から繰り返してきていること、人類なんかかけらもないような時代から…。きっとこの地球誕生からずっとずっと…。
 たとえば、朝の「雲見」と、昼の「雲見」、夕方の「雲見」とちがうのである。当たり前すぎるぐらいあたりまえのこと。時々刻々と「雲のかお」を変わっているのである。
昨日は、朝方の「雲見」だった。「雲見」の楽しみのひとつに、「色」の楽しみというものがある。
空の色は、大気の状態を反映して、ほんとうにみごとな「色」を表現してくれる。
特に、明け方の空はすぱらしい。
▼授業「上空のようす」をつづけよう。【天気の変化】最初の授業だ。
最初に、
「我々は大気の海の底にすんでいる」
「地球は大気のうすいうすい着物をきている」
「天気の変化はそこでおこっている」
こんなことを知っておきたかった。そして、そのイメージをもって学習をすすめたかったのだ。
具体的には、こうだった。無限に続きそうな青空にも限界があること、それはとりもなおさず、大気の存在の限界でもある。さらには、雲の高さの限界から、この十数㎞のうすい大気の層のなかで、天気の変化がおこる。
Dscf9048▼思い入れがすぎてしまい、展開最後の部分が時間切れとなっていた。
地球を直径13㎝の円で、予想もし話をすすめていた。
それを立体的にした地球儀はすでに見ていた。
さらにインパクトのあるかたちで、この事実は、脳に焼き付けてもらいたかった。
今回は、その10倍を見せたかった。
これは、ずいぶん以前にもやったことがあるが、それらの「もの」はどこかにいってしまっている。
あらたに何ヶ月も前から、構想していた。
Dscf9064▼10倍といえば、桁をひとつあげるだけ
それでもすごいことになる。
13㎝は130㎝だ。つまり地球は1メートル越える球になるんだ。
「お話」だけではわからいものそこにはある。
あらたに「巨大ふうせん」を入手した。「送風機」もあらたに購入した。
ふくらましはじめると
(゚o゚)ゲッ!!と表情になる。50㎝を越えてくると、
「えっ、まだやるん?」という声も それを無視してドンドンだ。
「十倍にしなければ…」と。送風機の威力はすごい、またたくまだ。
そして確認する。
青空は50㎞→0.5㎜×10=5㎜
雲  は10㎞→0.1㎜×10=1㎜
(゚o゚)ゲッ!!
そんなものなんだ。

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「雲見」のとも(非接触温度計)!

Dscf9023▼昨日は、意識的にはじめた「雲見」二日目、なんとこの日は見るべき「雲」がない。
全天を見渡す、ほんとうにめずらしい。どこを見てもまさに「雲ひとつない」天気なんである。こんな日にこそ「青空」授業やってみたいな。
▼昨日の宮澤賢治の「雲見」の話から、「雲見」のすすめを書いたときには、なんの道具も、準備もいらないと書いたが、それはその通りでだからこそ「すすめ」を書いたのだが、あると滅茶苦茶面白いなと思うものがあった。
それは、すでに私は手に入れて使っていたものである。
「非接触温度計」というシロモノである。
こいつはいい!!
こいつは「雲見」を何倍も楽しいものにしてくれる。
手に入れたのは、ちょうど一年ほど前である。このblogでも関連した記事を何度か書いている。
スキー場で、「天からの手紙」が送られてくる空に向けたり
炎天下のグランドで、青空に向けたり
真夏の東京の空に向けたり
大賀ハスを追った府中への旅の空に向けたり
等々いろいろやってきている。
▼昨日の「雲見」でも、雲一つない青空にこれを向けてみた。なんと
「-17°~-15°」を示すのだ。
(゚o゚)ゲッ!!  やっぱりだ。「上空へ行けば行くほど温度は低いのである」
雲は、こうして発生するのである。
その「からくり」を想像するのに必携のアイテムだ。
「雲見」のともに最高!!
いよいよ、こいつの授業での「本番」が近づいている。
さあ、どのように…。

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「雲見」のすすめ

▼私には、なおそうと思ってもなおらない病がある。それは「ばっかり病」というやつだ。
そのことに凝りはじめると、そのこと「ばっかり」になってしまうのである。自覚症状があるだけ、まだましなったかと自分をなぐさめてみたり、癒してみたりするが、症状はかわらない。
 今は【天気の変化】学習をはじめた。だからだろうか、かかりつつあるのは「空ばっかり病」だ。
Dscf8995▼いや、今にはじまったことではでは、「空」の不思議さ、美しさ、すばらしさについては何度もふれてきたはず。
気づきもしてきたはず。自分の住む世界の180°を占める世界。昼夜問わず、そこで展開されるドラマの数々、
こんなの見逃していたら、人生の半分は損をしてしまう。
そう思ったこともある。
だから、見ていたはず、でもやっぱり意識的みるとやっぱりちがって見えてきたりするものだ。
▼ちょっと面白い言葉をみつけた。
この空の魅力を語った名著『空と色と光の図鑑』(斎藤文一、武田康男著 草思社 1995.10.11)を読み返しているときだった。
 そこに、宮澤賢治の童話のなかの「雲見」が紹介されていた。(P28)
我々の「花見」「月見」と同じように、蛙くんたちの「雲見」があるという話だ。
面白い!!原文を読んでみたいと思った。
さっそくググってみた。
▼あった!!それも、なにかの縁だろうか。例の青空文庫にあった。
宮澤賢治『蛙のゴム靴』のなかに出てくる。こうだ!

 三疋(びき)は年も同じなら大きさも大てい同じ、どれも負けず劣(おと)らず生意気で、いたずらものでした。
 ある夏の暮(く)れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座(すわ)って、雲見ということをやって居りました。一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峯(みね)を見ることが大すきです。じっさいあのまっしろなプクプクした、玉髄(ぎょくずい)のような、玉あられのような、又(また)蛋白石(たんぱくせき)を刻んでこさえた葡萄(ぶどう)の置物のような雲の峯は、誰(たれ)の目にも立派に見えますが、蛙どもには殊(こと)にそれが見事なのです。眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
 雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。ペネタ形というのは、蛙どもでは大へん高尚(こうしょう)なものになっています。平たいことなのです。雲の峰(みね)はだんだん崩(くず)れてあたりはよほどうすくらくなりました。

 蛙くんたちは、どうやら夏の積乱雲を見ていたようだ。宮澤賢治ならではの一節だ。
▼これは面白い。
私も蛙くんを見習って、天気の学習の事始めに、この「雲見」をやってみようと思った。
なんの道具も準備もいらない。
時間も決めない、気ままにだ。
一日に5分、いや長ければ3分、それでも長ければ1分…
ともかく一日一回 
この「雲見」を楽しんでみようと思った。
ひょっとしたら、私設「気象台」への一歩になるかも知れない
なんて夢見ながら

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【授業】上空のようす(1)

▼昨日の朝、私はいささか興奮ぎみであった。それは、一月終わりの週のはじまり、少し「ねばならぬ仕事」を、最初の月から残してしまってはという気持ちと、授業が新しい単元=【天気の変化】に入る、あのワクワク・ドキドキ感とが入り交じった感じだ。
 思考の交通整理が必要なんだが、うまく切り替えできていかない。なんとも「混沌」とした感覚。
ネガティブにとらえることは、もうやめよう。創造前夜の「カオス」ととらえよう。
それが、「これまでとはちがうぞ!」と自分に意思表明をしてみる。
Dscf8950▼そんな意思表明をしてみると、世間がパッと明るくなったような気分になった。定期散歩と太陽が昇ってくるのが重なっていた。ひとつの柱が立ち上ってきた。そして、見る間に世間は赤く輝いていった。
今度は、この空を丸ごと「科学する」のである。
 今回の【天気の変化】いろいろ迷いもあったが、
最高の教科書「自然」!、最高の指導書「子ども」!で決着をつけている。
準教科書としては、いろいろ使おう。手持ちの教科書は「準教科書」の筆頭。
そのスタンスでいこう。
 でも、最初の授業は、どうしてもここから出発したかった。
「上空のようす」である。
▼究極のねらいは、
Tekit_2
ここにある。手持ちの「教科書」を概観しながら、この「ねらい」を説明する。
ひょっとしたらここがつまずきの第一歩かもしれない。(^_^;)
「もっとも教えたいことは言わない。」 
この教授学の大原則を踏み外しているかも知れない。でも、言っておきたかった。\(__ ) ハンセィ
▼さて、私の定番の発問である。
何十年も繰り返してやってきた「はじめに」だ。
直径13㎝の円=地球をプリントしてくばる。そして、
Dscf8972教室の窓から空を見る
「あのどこまでも続きそうな青空は、どこまで続くのだろう」
「あの雲、いちばん高いところはどこに…」
「この13㎝の円に書き込んでみよう、それとも書き込めないぐらい高い!?」
▼今回は、少しバージョンアップしたところがある。そのひとつが
「青空はなぜ青い」の説明を少しだけ加えてしまったのだ。
空気分子による光の散乱、
「二十一世紀の原子論者!」たらんとする人間には話しておきたかった。
前の単元とのつながりを教えたかったのだ。
それも、「思い入れ」が先行しすぎると、子どもたちの脳に「教えたいこと」「学ばせたいこと」がしみ込んでいかない、「感動」引き出せないのかも知れない。あとから考えると、少し\(__ ) ハンセィ
資料を見て、青空50㎞、雲10㎞ を確認する。
(゚o゚)ゲッ!!という「感動」はどこまで引き出せただろう。
▼つづけて、今回は「3Hの法則」にのっとり
「まいど1号」宇宙到着→689㎞起動 も追加してみた。
でも、実はこのあとに、今回更新の最高ネタを準備していた。
それをやる時間がなくなってしまった。
そのあたりは次回に…。

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【Web更新1/25】09-04【化学変化】更新

Dscf8927 寒の風 耐えてこそなり たくましさ
 09/01/24 (土)撮影@安富

楠田 純一の【理科の部屋】09-04 定例更新のお知らせ
 今年になって4回目の更新です。いつのまにやら、一月も終わりの週になってしまいました。光太郎の「牛」、今一度読んでおこうかな。どこかで、多忙さが「こころ」を消耗させていっているような感覚になる。
一ヶ月間でどこまで、歩んだのかな。ふりかえる週に今週はしようと決意する。

◆表紙画像2009更新 校庭の樹木シリーズ イヌツゲ
 校庭のいろんな場所、石垣に植えてある。目立たぬと言えばその通りで、あまり注目されるようなことはすくない樹木。イヌツゲだ。マメイヌツゲと言った方がいいのかも知れない。
私は、この実が好きだ。この漆黒の色に「たくましさ」を見るからだ。今日も、寒の風に耐えて、この「黒い輝き」が校庭をガードしているように思えた。

◆【化学変化】更新
 「はじめに原子ありき」からはじめた今回の【化学変化】の学習は、終わりもやっぱり「原子」だった。
「二十一世紀の原子論者!」という言葉は、今回は多用している。
 そうなってほしいというこちらの願望だろうか。
 折しも学習指導要領の改訂で、この春から移行期に入る。今一度、「原子論的物質観」を軸にして、中学校化学の授業の再構築がされていくといいのにと願うばかりだ。

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最高の教科書は「自然」!

【化学変化】の単元を終えて、次の【天気の変化】を考えはじめている。まずは、教科書を概観するところからはじめた。前にここをやったときは、現行学習指導要領の前だっただろうか。
今年度、授業をやるようになってすごく驚いていることに、教科書の様変わりだ。
「ものたりなさ」を感じる人もいるようだが、私には、うれしいところもいっぱいある。
「あれ!こんなの教科書にのるようになったのか」と感動することすらある。
たとえば
「究極のクリップモーター」「なんでもスピーカー」「カルメラ焼き」「ビースピ」等々である。
もっと古い話で言えば
「液体窒素」や「ゼネコン(手回し発電機)」などは今や定番ではないか!。
そう言えば、今年の共通一次に「ゼネコン」は登場していたのでは…。
私たちが、「これぞ!」と思って夢中で取り組んできたものが、市民権を得て教科書に登場しているのである。
それは、やっぱりうれしいこと。
▼ちょっと話がそれてしまいそうだ。(^^;ゞポリポリ
迷っていたのだ。次の単元【天気の変化】を教科書通りの順番でやるか、それとも、これまでの自分の実践してきた順番でやるか。教科書だって、使いやすくなっているし…。
Dscf8894_2 迷いながら、空を見た。まさに雲ひとつない「快晴」。そして、やり残し仕事をかたづけに、西へ十数㎞車を走らせた。そしたら、空から白いものがチラチラと…。あれ…?(゚_。)?(。_゚)?
そこで、はたと気づいた。
 なにを迷っているか。なんと小さな「こだわり」を抱いているのだろうか。
ここにあるではないか。教えたいこと、学ばせたいこと。ここに最高の「教科書」が。
学ばせたいのは、今、まさに自分のまわりで進行形で展開する「大気の物理学」。
そして、数時間後の明日の天気を予想する「学力」
だから、どのように授業を展開するかは、この「教科書」に準ずればいい。
▼この理科の授業づくりの大大原則。
もう一度自分でも確認しよう。
・最高の教科書は「自然」そのもの!
・最高の指導書は「子ども」!

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【授業】「二十一世紀の原子論者!」の旅は

▼いつもの「天気のツボ」が、「この冬いちばんの冷たい空気がやってくる」と教えてくれていた。今外に出たら、どうりで、冷えているはずだ。
 はやくも週末か。と「ため息」のようなものが。
 ちょっとずつ、ちょっとずつ思考することと、営みのあいだにタイムラグがおこっている。これは、やばいどこかで軌道修正をしなければ…。
 それには、私の場合はやっぱりこのblogだ。!
▼ついに、この単元最後の授業だ。
「はじめに原子ありき」ではじめた授業は
「二十一世紀の原子論者!」に で終わる。
ねらうところも一貫してきた。
最後にもういちどあげてみよう。
Kagakumoku
▼具体的には教科書を「化学反応式」(気持ちは「化学方程式」と言いながらも)でまとめるということをやった。
そう、この便利なもの、化学者たちが作りだしてくれた「化学の国の言葉」。
やっぱりこれを使わなければ…。使ってなんぼのものだ。
使えないようなものなんかいくら学んでも意味はない。
ここに「原子論」のすべてが集約されていると言ってもいい。
▼あげた化学反応式はちょうど10個になった。
それぞれの実験を思い出しながら、ひとつずつ少しだけコメントを付け加えた。
もちろん化学反応式の作り方にもふれながら…。
(1) 2NaHCO3 → Na2CO3+H2O+CO2
(2) 2Ag2O → 4Ag + O2
(3) 2H2O → 2H2 + O2
(4) CuCl2 → Cu + Cl2
(5) 2H2 + O2  2H2O→ 2H2O
(6) C + O2 → CO2
(7) 2Cu + O2 → 2CuO
(8) 2Mg + O2 → 2MgO
(9)  Fe + S →FeS
(10)  Cu + S → CuS

▼実際は、もっと実験をやっている。しかし、ここではあげなかった。ここでは、「化学反応式」を学ぼうとしているのではない。化学反応式の有効性を学ぼうとししているのであるから。
最後にもうひとつ有効で便利なものにふれた。
それが、周期表だ。
 この単元を学習するなかで、何度か教科書の裏表紙ある周期表を見た。「定比例の法則」では原子量の書き込んである「周期表」を見た。
 なんとも便利なものがあったものだ。こんな有効なものを利用しない手はない。
 物質探険の旅には必携である。物質の世界の「地図」なんだから
周期表については、あらためて
●「一家に1枚周期表」

を紹介した。
 実際に、A2版でプリントアウトしたものを見せながら、可能な環境にあるのならば、ダウンロードして家のなかのよく見えるところ掲示しておこうと呼びかけた。
▼【化学変化】の単元の授業はひとまず終わるが、これは学習の「終わり」ではない。
すべての営みのなかでのほんとうの学びは今から「始まる」のである。
「二十一世紀の原子論者!」の物質探険の旅は、今からはじまる。
化学式・化学反応式という「言葉」と
周期表という「地図」を携えて

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【授業】定比例の法則(2)

Dscf8886▼昨日は、寒中にしては比較的あたたかい雨がふっていた。しかし、週末にはまた寒波がやってくるという。
「天気のツボ」を見てみる。
なんか「変な天気」になっているな。南の方に寒波が、そして北が比較的あたたかいとは…。
まあ、そのように「大気」が動いているということだろう。
 そうだ!いよいよこの「大気の物理学」、【天気の変化】の本格的学習が近づいている。
▼【化学変化】の授業の終盤の授業報告を続ける。
最後の峠は、「定比例の法則」だ。
それは、そんな昔の話ではない。たった200年ほど前の話だ。
プルーストが「定比例の法則」言い出したのは18世紀末から19世紀はじめだ。
ラボアジエからプルーストへ。そしてドルトンへ
彼らには、原子はどのようにみえていたのだろう。
「二十一世紀の原子論者!」たらんとする我々に見えているものとはちがうのだろうか。
たった200年ほど前の科学史。
学びに値するものが、ここにある。
Dscf8882▼もう少し、具体的に記録しておこう。Cuの燃焼、Mgの燃焼の実験のあと、教室での授業をした。
各班でやった実験は残念ながら、グラフ化できるものではなかった。
実験データとして、教科書にあるものを使った。
そして、グラフ化し
Cu:O=4:1 Mg:O=3:2
を誘導した。これは、感動の事実だ。
計算問題に対応して重要。そんなけちくさいものではない。
もっと、もっと「二十一世紀の原子論」にとって重要。偉大なる「発見」がここにある。
▼周期表を見る。教科書の周期表を利用しようと思うが、なんでだ!!
「原子量」がない!!。これでは周期表ではないではないか。
今回は、理科ハウスの周期表をコピーして使わせてもらう。
原子量の簡単な説明をする。
そして、数値をあげる「Cu=63.55」「O=16.00」
この数値の意味するものは、感動である。そう、まさに「4:1」ではないか。
「Mg=24.31」「O=16.00」だって同様だ。
この感動の事実が意味するものは大きい。まさに原子は実存するのである。
原子の実存を確証する教材に仕上げなければならない。

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【授業】質量保存の法則-2

▼未来に向けての「言葉」が、世界を駆けめぐった日。
私は、「環境教育」についての研修会で、未来の地域の自然と環境教育についての講演を聴いた。
学ぶところの多い講演であった。その講演のなかで、50年前つまり、半世紀前の地域の自然についての話があった。言われてみてはたと気づくのである。
 実はサステイナブルな世界はすでにあったのではないか。
たった半世紀のあいだに喪失しまったのだろうか。私は半世紀前には、小学生だった。
思い出してみた。まわりの山や川のこと、遊びのこと、生活のこと…
Dscf8839▼研修に出る前に授業をした。
「質量保存の法則」もうひとつのクラスである。
「こんなあたりまえのこと…」
「これがすごいこと…」
 一見相反するようなフレーズを繰り返し強調していた。
実験は、前のクラスと同じ教科書に準じて
・沈殿ができる場合
・気体が発生する場合
を扱う。
個人的な好みでは、「水+パブ」の方が好みだが、今回はやらなかった。
▼それよりここで気になったのが、この実験で使う「はかり」のことだ。
今は、すべてデジタルになっている。電子天秤だ。より正確に「はかる」ことの意義はわかる。
山崎昶先生は『基礎から考える化学』(山崎昶著 化学同人 2008.10.1)の冒頭で、
「化学とは「はかる」こと」
と言い切っておられる。
納得できるはなしだ。その通りだと思う。
しかし、ここではどうだろう。
ここでの実験の意図を考えたとき、同じ「はかる」でも、私にはアナログ天秤の方がふさわしいように思えてくるのだが…。アナログ人間のさがか!?
 まずは、この「あたりまえ…」が、体感的に認識される方が…。
どうだろう。

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【授業】鉄と硫黄の化合-2

▼今朝は、歴史的に「記録される日」になるんだろうな、と思う。
どんな「ロゴス」が世界を駆けめぐったのだろう。
私は、続けよう。
「はじめに原子ありき」を。
▼もうひとつのクラスでの「鉄と硫黄の化合」実験をおこなった。もう、すでに書いたし、そこから発展して「試論」にも、この実験の教材史についても書いた。
 しかし、きっとこの実験を生徒たちと一緒にやるのは、最後だと思うと、なんかやっぱり書いておきたくなってくる。これまでも卒業生たちと話をしていると、よく話題になる一時間でもあるから…。
Dscf8812▼この定番実験に深くかかわられた大竹先生は教材は「仕上げらなくはなりません」と言われた。
 私は、この実験をどう仕上げたのか。そんなたいそうなことは言えない。
でも、ここまできたよ。と言うことだけは「記録」しておこう。
 ひょっとしたら思わぬ展開があるかも知れないので…。
▼この実験のねらいとしては
つぎのようなことがある。
(1) 化学変化によってまったく新しい物質(新しい性質をもった)ができる。
(2) 化学変化には熱の出入りが伴う。
▼(1)に関連して、鉄は磁石にひっつくが、硫化鉄は磁石にひっつかないのだ。
ところが、実験後に磁石にも引き寄せられるということがよくあった。反応が不完全であるためだろうか。
私は、どうしても後でのくだくだした解説よりも、
化学変化の瞬間に、「ほんとうだ!変わったのだ!」という実感で終わられたかった。
私が最後にいきついた方法は、
最初、混合物を試験管に入れて、化合させる前に、フェライト磁石の破片(前もって鉄製乳鉢で、「究極のクリップモーター」で使った磁石をくだき作っておく)を試験管にくっつけておく。そして、化合させる。
 化合が下の方へ進行してくると、磁石はポトリと落ちる。
「あっ!変わった」
それで終わりである。後から、ひっつけようとしてもひっつかない。
▼もうひとつだ。それは(2)に関連してだ。
 この実験では、大量の熱が発生する。「熱の発生」を印象づけるために、大竹先生たちは「鉄と硫黄の団子(お粥)」に向かうのであるが、私は、もう少し単純だ。この実験だけで言うなら、熱の発生で試験管は「高温」になっていることを実感させたかった。
 いくつかの場面で使った方法、それは「マッチに火をつける」という方法である。
すぐに思い出すのは
「過熱水蒸気(水)でマッチに火をつける」
「食塩の液体でマッチに火をつける」
等である。「おっ、これは熱いんだ!」の体感!である。
試験管が赤熱が終わり、もう冷えたかなぐらいにやるのが、効果的である。
それだけ、熱を発生したのだ。説明が必要でなくなる。
▼何回もこの実験をするなかで、これが面白いかなと思う方法である。
「工夫」と呼ぶにも憚られるような小さなこと。
誰かに教えてもらったことなのかも知れない。別にプライオリティを主張するようなことでもない。
失笑を覚悟でやっぱり書いておこう。
これが、私のこの実験・教材に対しての私流の現時点での「仕上げ」である。

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【授業】定比例の法則(1)

▼今日は大寒である。そして、私の誕生日である。
あらためて、自分の年齢を確認して驚いてしまったりしている。
昨日までと何かが変わるはずはない。
自分でその年齢をつぶやいてみる。
ちょっとちがった響きだ。それは、なんだろう。
▼「誤謬」という言葉がある。論理の破綻・誤りを意味することばだろうか。
生活のなかでの「誤謬」は、自分勝手な思い込みからおこることが多い。私などは、この「思い込み」の連続であるから、「誤謬」の連続であることが多い。
でも、面白いと思うのは、「誤謬」に気づいたとき、「発見」があるということだ。
その「発見」はとても楽しいものである。
年齢を重ねることで、なにかが成長したかというと、この「発見」を楽しめるようになったぐらいかな。
▼授業報告にもどろう。化学変化の授業は、最後の「定比例の法則」だ。
なにかと忙しくて、昨日の朝からの準備となった。
合間合間をぬっての準備だ。
この準備もなかなか楽しいものである。燃焼皿にこびりついた、酸化マグネシウムがある。
うすい塩酸で処理をした、またたくまである。以前、このときアンモニアの匂いをかぎつけ、そこから「窒化マグネシウム」ができていたことを教えてもらい発見したこともあったな。
それは「窒素は反応しない」の誤謬への気づきでもあった。
▼CuもMgも一緒にやってしまう。Cuをやる班とMgをやる班に分けてやることにする。
これまでに何度もやってきた実験である。
なかなか、うまく数値が出たと記憶はない。しかし、
各班でやっているところへ、トーチランプを持っていって加勢をしてやる。
少しでも顕著に酸素との化合させるため。
結果は、うーん今 ひとつだ。
?(゚_。)?(。_゚)?

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【Web更新1/18】09-03『新・教材試論』更新

Dscf8746 冬空に 実も似合いたり 百日紅
 09/01/15(木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】週末定例更新のお知らせ
 はやくも今年に入って、3回目になってしまった。それだけ日にちが過ぎたということでもある。一日一日の生活にも「個性」があるように、一週間一週間にも「個性」があるのではと思ったりする。
 かつて、「生活綴り方」の子どもたちは、生活を「作文」というかたちで書き綴ることによって、自らの生活をみつめ、心豊かな生活をつくりだしてきた。
 私は、今、それを見習って生活を書きつなごう。書く営みによって「つないでいく」。
そしたら、きっと何かが見えてくるそんな予感がする。
 私は、ゆっくりだ。立ち止まることはあるかも知れない。
でも、休んだら、また出立!

◆表紙画像2009更新 校庭の樹木シリーズ 百日紅
 夏の花と言いながらも、名前の通り、長きにわたって校庭でその優しくあでやかな姿を楽しませてくれた。
2階の教室に座って、外を見ていたら、ニョキッとのびた枝の先に、夏の花の実が。
寒の空には、この実が妙に似合っていると思った。

◆実践DB【化学変化】更新
 今回の「はじめに原子ありき」からはじめた授業ももう終盤である。「鉄と硫黄の化合」の定番実験を経て、「質量保存の法則」まできている。後は「定比例の法則」で終わる。
 「二十一世紀の原子論者」は育っているのだろうか。自らはどうだろう。

◆『新・私の教材試論』更新
 気まぐれにはじめたこの「試論」も、いつのまにか(7)まできている。
3A1Aの法則3Hの法則は、どこまで有効なんだろう。大先達の「教材論」に、共感するものを「再発見」してうれしかった。
これからも、多くの人の「教材論」から学んでいきたい。教材史にもすごく興味が出てきた。


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【授業】質量保存の法則

▼1.17から一夜明けた。14年前もそうだった。
一夜明けて、ほんとうの「たいへん!!」がわかりだしたのだ。何が起こったのか少しずつわかりだした。
そして、非日常のあってはならない光景が、テレビの画像を通して進行形で伝わってきた。
驚いた。哀しみが伝わってきたのは、もっともっとずっと後である。
驚き、恐ろしかった。
ライフラインは寸断され、これまで「つながっていた」ものすべてが切れていった。
▼わたしたちは、1.17で多くのかけがいない「いのち」の「つながり」を喪った。
もっとも哀しい事実だ。
しかし、その尊い犠牲のうえに、わたしたちは気づくことがあった。
この世の中は「つながっている」という事実だ。
人は「つながりあって生きている」という事実。
人だけではない、すべての「事物」もつながっているという事実。
日常では気づかなかったこと、哀しいことに、この「非日常」になって気づいた。
復興とは、この気づきを「日常」にすることだった。
つながってあることの「あたたかさ」「すばらしさ」「ありがたさ」を自覚することだった。
私にできること。
それは、この気づいたこと「つながっている」ことを、学び続け、自分でわかったことを伝え続けること。
それだけだ。
▼続ける。授業の報告を、つぎは「質量保存の法則」をやった。
原子が見えてくれば、きわめてあたりまえのこと。
教科書の表現をかりれば こうだ。
「化学反応の前後で、その化学反応に関係している物質全体の質量は変わらない」
もう少し使いやすくしてみよう。
「物質の出入りがなければ 質量は保存される」
「軽くなれば 何かが出ていったのだ」「重くなれば 何かが入ってきたのだ」
こんなわかりやすく こんなあたりまえのこと、
でも、とって重要な法則
ラヴォアジエがこの法則を提唱し、近代化学がはじまるのである。
「二十一世紀の原子論者」にとってもきわめて有効な法則である。
▼実際の実験は、今回は教科書に準じて
○うすい硫酸とうすい水酸化バリウム水溶液とでの白い沈殿ができる反応(演示実験)
○うすい塩酸と炭酸水素ナトリウムの反応(生徒実験)
の2つでおこなった。
前者では、白い沈殿ができることから「重くなるのでは…」という日常概念をくだくためのもの、後者は、気体(二酸化炭素)という目に見えない「物質」でも、出入りがなければ質量は保存され、出ていけば質量は小さくなることを示すもの。この「あたりまえの法則」をどこまで、通せるかがキーだ。
 後者の実験のとき、ペットボトルのふたをあけた瞬間。
生徒がこういった。『あっ、スプライトの匂いや!』
そうだ。我々は、視覚のレセプターだけでない、臭覚のレセプターも持ち合わせているだ。
これは、生徒に教えてもらった、私の「発見」である。
そして思った、この実験缶入りドリンクでやっても面白いかも知れない。
そしたら「日常」と「つながっていく」と。

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あれから14年、そして

▼私は、今このblogの「あの朝から13年が。そして…」を読み返していた。
そうだ、それからは一年の時間経ったのだ。
あれからだと14年だ。今も14年前と同じようにコンピュータの前にいる。
14年の年月を何で計ればいいのだろう。
自分の人生の「時間」だろうか。
まわりの人間の「時間」だろうか
地球が何回太陽の周りを回ったか、
地球が何回自ら回転したかの「回数」だけで計れるのだろうか。
「いのちの時間」は、ほんとうにそれだけで計れるのだろうか。
いや、そうなんだ!!、それが厳然たる「事実」。
▼一年前、地球が一回太陽のまわりを回ってくる「元の位置」だ。
そのとき私は最後にこう書いた。
『あれから、13年が過ぎた。私たちは、どこまできたのだろう。私は、なにをしてきたのだろう。多くの犠牲者たちの「いのち」の発信に応答してきただろうか。改めて「いのち」の応答の継続を決意する13年目の朝だった。』
そして、コメントに応答してこう書いている。
『でも、これは「思い出」として風化させてしまうことできないですよね。今も発信されつづけている犠牲者たちからの「いのち」のメッセージを受けとめ、応答メッセージを返していかねばならない。山崎断層の上に生きる私たちはなおさらである。』と。
 なんという偶然であろうか。
私は、一年経った今、この山崎断層そのものうえを、毎日勤務でピストン運動をしているのである。
▼昨日、防災訓練をやった。ひとつだけどうしても伝えたかった。
『山崎地震は必ず起こる』ことを
これは、防ぎようのないこと。だって、大地はそのように動いているんだから…
山も 川も 海も そうしてできたんだから
真横を通る「中国縦貫道」だって、それを利用してつくられているんだから…。
そして、動きは現在進行形なんだ。
そのことを理解するために【大地の動きをさぐる】の学習があるのだ。
▼「わたしたちには地震を防ぐことはできないが、できることがある それは防災・減災だ」
生徒たちに告げながら、実は自分に言い聞かせていた。
できることをやる。そのために学習もある。
そう考えると、自分のすべきことがほんの少しだけ見えてきたように思う。
私は、ゆっくりだ。
少しずつ、少しずつ…。
▼1984年5月30日午前9時39分「山崎断層地震」があった。校舎がまるで怪獣映画のセットのように揺れるのをこの眼でみた。あの光景は忘れることができない。
そうだ そのときから、もう私の「宿題」は出ていたのだ。
もうすぐ、14年前の「あの時」になる。
合掌をしよう。
そして…

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【授業】金属の燃焼

『記憶せずに記録する』はあの梅棹忠夫さんの言葉だ。
その記録もできだけリアルタイムなものがいい。色褪せたり、変形しない方がいい。
私は、自分の拙い授業のすべてを「記録」できたらと考えている。
「教材試論」の方に、あまりに書きたいことが出てきてしまったもので、そちらの方を数日優先させてしまった。
▼ここで授業にもどる。
大まかに流れを復習してみると
「はじめに原子ありき」→「化学式」→「化学反応式」→「分解」→「化合(燃焼)」→「化合(Fe+S)」→「質量保存の法則」→「定比例の法則」となる。
ひとつのクラスは質量保存の前、もうひとつは、「炭素の燃焼」「金属の燃焼」を終えたところである。
「燃焼」(酸素との化合)のところで限って言うならば

流れはこうだ。
「水素の燃焼」→「炭素の燃焼」→「金属の燃焼」
▼「炭素の燃焼」までは、報告していた。
もうひとつのクラスの「炭素の燃焼」もやった。
同じように「竹炭」で今回は挑戦した。
前と同じように「白いモヤモヤができる」これは、なんだろうわからない。
炭素の微粒子だろうか、竹の炭は繊維質が多くて、木炭とはちょっとちがうのだろうか。
ここでは、「すっかりと消えてしまう」というところに、不思議があり、感動するのだからこれはまずいのかも知れない。(要検討!)
 それでもきっちりと驚いてくれた。
『あれ、炭消えとる!』
さすがに、今回は「風船のなかに入ったんやろ」の発言はなかった。
たまたま今回は、ゴム風船をつけたゴム栓を、実験中に落としてしまった。
質量も測ってやっていたので、これは私の失敗である。
でもやりなおしはせずに、質量を測ってみた。
やっぱり質量が若干減っていた。
つかさず、誰かが言った。
「さっき、風船のんとれたやン」
おお、見えている。すごい!!
化学反応式で、再度確認した。
▼時間のピッチをあげた。「金属の燃焼」も一緒にやった。
最初は、スチールウールである。
あのスチールウールを丸めて燃焼させるという「定番」実験は教科書から消えている。
なつかしいな あれ!。
今回は「鉄でもかたちを変えれば燃えるぞ」とあつかうだけ。
鉄粉をトーチランプの炎のところで撒いてみた。
「きれい」「あっ 線香花火や」
できるのは「酸化鉄」と。
つづいて、銅粉でやってみる。青緑の炎になる。
もっときれいな大きな炎になった印象があるが、これは粉の大きさにもよるのだろうか。
こうして、花火はつくられると話だけ。
化学反応式を書いてみた。あまり抵抗なく書けるようになってきている。
つぎは、マグネシウムリボンを燃焼させてみた。
あいからず人気は高い。「目がおかしなった」はやっぱりでる。
これも化学反応式を書いて確認する。
「金属の燃焼」には、これまでけっこうこだわってきただけに、
それにくらべたら、今回はほんと「あっさり」とだ。

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新・私の教材試論(7)

Dscf8729▼はやくも小正月である。2009年の1/24は終わってしまったことになる。なぜか、心のなかに正体不明の「あせり」見えかくれする。
 これではいかん。光太郎の「牛」だ、あれを想起しよう。今年は、そうきめたはず…。
小正月の前夜は、「とんど」だ。今年は、久しぶりに市川べりに「とんど」に行った、正月飾りのものも燃やした。
この時期のこの行事、「七草粥」、「とんど」等々これらのなかに、「科学」を見ようとするのは、あまりにも独善的な妄想であろうか。
▼「科学」「理科」の話をつづける。
大竹三郎先生の「教材を仕上げるのだ」という表明だった。
さらに、「これから」に大いなるヒントを書いてくださっている。

やはり、自分の中に、それだけの必然性がなくてはなりません。そうした必然性は、果実の熟するのに似ていて、ある期間の熟成を待たないと、具体的に現れてこないようです。それもなにかのきっかけが必要です。わたしの場合実験改善の必然性も、新しい実験の発見も、そのきっかけは、授業における子どもの発言です。また、授業をした先生のつまずきです。(同書 P120より)

なんと説得力のある言い切りだろう。神髄の表明である。
数々の教材を開発してこられた大竹先生の真骨頂がここにある。
▼私は、「鉄と硫黄の化合実験」の教材開発史をふりかえりたくて、この本をひっぱり出して読むことになった。それが、とんだ収穫である。
「二十一世紀の原子論者!」を説いた大竹先生の真意を読んだ気がした。
しかし、ここまでだけだっだったら、私は、ここの「試論」としては書かなかっただろう。
実は、私としてはここまでが前段なんです。
私は、この本を少なくとも一回や二回は読んでいるだろう。アンダーラインも引いたりしているから、それなりに意識して読んだことがあるんだろうと思う。
 しかし、まったく読んでいなかった。自らひきつけ、自らの文脈のなかでは読んでいなかった。
そんな気になってなってきた。そこで、もう一度最初からこの本を読み直してみることにした。
▼そしたら、あったのだ。
どうして書き記しておきたことが。
「教材を仕上げる」道のりは遠く、けわしい。しかし、道のりの先にある喜びは大きい。
大先達は、この道に、道に迷ったときのために、『道標!』を立てて置いてくださった。
それは、<学校の実験の条件>として、
5つある。
① 授業の課題が実験の方法に明確に表現されていること
② 当該の学問から見て許容できる正確さをもつこと
③ 短時間でできること
④ 道具・装置、操作が簡単であること
⑤ 安全であること          
(同書P16より)
私は、これを読んだとき思わず膝を叩いた。
そして、驚いた。
「なんだもうここに書いてあったのか」とちょっとくやしい気分にもなった。
▼この『道標』には、解説板までついていた。(゚o゚)!!
この5条件を具体的に書かれている。
① 子どもたちの気持ちを捉えるものであること(たとえば、おもしろさ、意外さ、きれいなど)
② 目的がわかりやすいこと(先生の説明があって、実験がわかるのでなく、子ども自身の口から先生が期待する答えが出せる)
③ つぎへの発展に結びつくものであること(そのやり方や装置、問題が他の実験で広く使えるなど素材的であること、あるいは応用できること)
以上三つを考えています。(同書 P47より)

まいりました。感服です。
▼私は、この「新・私の教材試論」のはじめに、すぐれた教材の2つの法則を浅学無知を省みず提案している。
・3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則
・3H(ホット・本質的・ホンモノ)の法則
である。(参照 試論(2)
大先達の『道標』と見比べてみる。
みごとに重なってくる。
「なんだ、もう言われていたのか」という思いのつぎに
「やっぱり」という気持ちになり、そしてなにか「うれしさ」がにじみわいてきた。

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新・私の教材試論(6)

▼昨日は、朝でかけるときは、寒かったが雪は降っていなかった。朝の校庭散歩のときもそうである。
ただ校庭には三連休のあいだ雪が、その痕跡を残していた。
 自宅と学校では、緯度的にも地形的にも似たようなものだと思うが、そこには若干の「ちがい」があるようだ。それを【天気の変化】ときには、読みとれるようになりたいな。「大気の物理学」の問題として。
 10時頃から、本格的な雪がふりだした。本格的に雪化粧をしていく校庭をみながらそんなことを考えていた。
▼授業もやった。もうひとクラス『炭素の燃焼』『金属の燃焼』である。この授業報告もしたい。しかし、昨日の朝に書き始めた「試論」の方が気になる。
ちょっと迷いもあるが、ともかく気になる方を続けることとする。
■『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5)
で大竹先生の「再発見」をなどっていた。
オストワルドの『化学の学校』での「再発見」までいっていた。
つづいて、大幸勇吉著『化学講義実験法』(共立出版1938)といく、そこにより具体的記述を発見して、大竹先生は、こう言っている。
「鉄・硫黄のこの実験は、戦後派のわたしたちには目新しくても、戦前のある時代では、多分、普通の実験だったと思います。」(p118)
▼まだまだ、この教材史「再発見」はつづきます。
次は、宇田川榕菴『舎密開宗』(1837~)にいきつきます。なんと、日本の「化学」はじまりの書にまでいきつくのです。
それに終わるのでなく、そこからイモヅル式に、ニュートンの『光学』(1704)まで追いかけておられる。そして、こう結論されている。
『結局、わたしの想像では、この反応は錬金術時代のもので、そのはげしさからたいへん注目されていた反応だったと思います。』(P119)と。
▼私が、なぜ「鉄と硫黄の化合実験」の教材史にこだわっているか。実は、この先にあったのです。
今日の私たちに、きわめて示唆的な文章があります。書き留めます。

わたしは、現在、学校で実施されている多くの実験が、なお教材として仕上げられていないと考えます。これらの実験が授業の課題にピタリ答えられるように、その内容、形式ともに仕上げられなくてはなりません。ところが、わたしたちは、もうこれ以上、変えようとしても変えられないものと受けとめています。とくに長い歴史をもった伝統的な実験に対してそうです。(同書 P119より)

すごい意思表明です。理科教師としての誇りに満ちた決意です。
「教材」あるのではない、「仕上げるんだ」とは すごい!!
納得であり、感動です。強く共感もできます。

まだあるんです。書かずにおれない、もっとすごいことが…

<つづく>
 

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新・私の教材試論(5)

▼昨日、成人の日も比較的ゆっくりとした。朝から、日の出、日の出前の画像を撮りたくて寒空のなかを「その時」を待った。しかし、いっこうに雲がどいてくれない。北の空をみてもそうだ。生野峠のむこうでは、あの様子では雪だろう。「今回の雪は、けっこう西日本にまで降っている」とテレビの天気予報が言っていた。その通りだ。
昼間は、生野峠からの「おこぼれ」もなく、しかし「北風」だけが強かった。また空をみた。
空をみながら、「そうだ、この時間があるときに【天気の変化】の授業の構想をたてておかねば…」と思い教科書を少していねいに読むことからはじめた。
▼【天気の変化】を俯瞰しながら、今、進行形の【化学変化】が気になってくる。
あの「鉄と硫黄の化合」実験のことが、ちょっと尾を引いている。定番実験になるまでの、この実験の教材史が気になっていた。鉄と硫黄の混合物を試験管に入れ、その上端を熱するという工夫によって、この実験は定番になっていった。
 それでも、この実験は「仕上がって」はいなかった。「鉄と硫黄の団子」実験により、定番の位置をより確かなものにしていった。その歴史である。
 この教材史・教材開発史に、大いに学ぶものがあるのではないか。それは、私の直観である。
▼一冊のちょっと古びた本を本棚からひっぱり出してきた。
■『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5)
です。
 確か、この本に、この実験の開発史が書いてあったはずとかすかな記憶が。
ありました。
 「4 実験の再検討における発見」(p116)のところです。
そこに、非常に興味あることが書いてあるのです。教材研究をするなかでのあらためての「発見」が書いてあるのです。それだけではありません。さらに示唆的なことがいっぱい書いてあるのです。
「あれ!? 読んだはずだけど…、こんなこと書いてあったのか」と私には再発見でした。
まず、実験そのものについてです。
 大竹先生もイモヅル式につぎつぎと「再発見」をしていきます。
最初の再発見は、あのオストワルド『化学の学校』(下巻 p112~p114)です。
私もあわてて、『化学の学校』をひらいてみました。
ほんとだ、ちゃんと書いてある。驚きであり、感動でもある。
まだ、まだある

<つづく>
 

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【Web更新1/11】09-02【化学変化】更新

Dscf8630まだまだと フウの実ひとつ 寒の朝
 09/01/08 (木)撮影@安富

■楠田純一の【理科の部屋】週末定例更新のお知らせ
 今年になって2回目の更新です。早いですね。
ほんと、日はどんどん過ぎていくものです。このWeb更新に「週記」の意味をもたせたいという思いは、年がかわっても変わってはいない。
 今は、一週間のblogをWebページに「リンク」するという作業が中心になっている。その作業をやりながら、自分の「現在地」の確認ということをやっているのかも知れない。
blogの1エントリーごとには、直接つながりはないかも知れない。しかし、私の情報発信の軌跡であり、すべての営みの「足跡」である。
 前にも触れたことがあるが、最近、私は自分のblogを毎朝あけたときに楽しみにしていることがある。アクセスカウターの数もさることながら、blogの右下端にある「検索フレーズランキング」というものだ。
例えば、これを書いている12日の朝現在ではこうだ。
■検索フレーズランキング(09.01.12朝)
1位:高村光太郎 牛
2位:炭酸水素ナトリウム
3位:理科ハウス
4位:新年の抱負
5位:京大型カード 使い方
6位:すぐれた教材とは
7位:寒ツバキ
8位:直線電流のまわりの磁界
9位:鉄 硫黄 化合 教材史
10位:理科 化学反応式

 自分の発した「情報」が、情報の大海のなかで、他の無限大の情報と「つながり」はじめている。偶然の出会いによって。私は、このランキングの「からくり」を今もってよく知らない、わかっていない。
このランキングを辿っていくと、おもしろい世界の「発見」につながることもある。
ここで思い出すが、「ネットワークと教育」のなかでの森山和道さんのあの言葉だ。

マルチメディア時代──とは、10年に一度しか閲覧されない資料を、どんどんどんどん蓄積していく時代なのかもしれない。

そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。

例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。

 14年の時空を超えて、「今」のこととして、私にはリアルに響いてくる言葉だ。
さあ、ゆっくりと、私も…。

◆表紙画像集2009 校庭の樹木シリーズ アメリカフウ
 始業式の朝、私は久しぶりに校庭の早朝散歩に行った。グランドの南端にあるアメリカフウも、みごとに落葉し、枝だけになっている。寒に入り寒さにふるえているかに見えた。
 地面には、フウの実がひとつ 「まだまだと」寒に耐えていた。
そこに、生命の営みの「あたたかさ」と「したたかさ」を見る思いがした。

◆実践DB【化学変化】更新
 冬休みの課題研究からもわかるが、生徒たちには、かなり「原子」が見えてきたようだ。
「鉄と硫黄の化合」、そしてそのあと「質量保存の法則」「定比例の法則」とつづく。blogでの報告をつづけよう。
つなげば、新しい「授業」が生まれるかも知れない。

◆【理科の自由研究】の研究更新
 「冬休み課題研究」の分を追加した。これからは、「夏休みの自由研究」に特化せずに、このページの更新もつづけていきたい。究極は「新・学問のすすめ」なんだから。

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身の回りは「化学式」いっぱい!(続)

▼昨日は、今日の準備のためほとんど家にいた。雪は一時的に降っただけで、雪景色にはならなかった。すぐに「みぞれ」になっていた。全国各地では、結構雪が降っているようだ。
「天気図」見てみると、なんか納得してしまう。この状況はもう少し続きそうだ。今日は、我が家では行事でたくさんのお客さんをむかえる。
大丈夫かな、足元は…。そんなことで、昨日は家でうろうろしていたのだ。
▼家で生活するなかで、あの「身の回りの「化学式」」のこと思い出していた。生徒たちもこうして、「化学式」を発見したんだろうかと、こんどはこちらが「追体験」をしていたということだ。(^^;ゞポリポリ
生徒たちが出してくれたものを、もう少しくわしく見ていく。
やっぱりいちばん多いのは「台所」である。これは予想できる。
 NaCl からはじまり、調味料、ミョウバン、酢、デンプン、小麦粉、砂糖、卵の殻(CaCO3炭酸カルシウム化学式を調べたようだ)
エタノール(C2H5OH)、塩化マグネシウム等々ほんと多種類の化学式を調べ上げている。
考えてみる「食の製造工場」は「多様なる化学工場」のようなものなんだ。
だから、「化学式」いっぱいであたりまえということになる。
さらに「あたりまえ」を言うなら、我々は「化学式の物質」を体内に入れているということだ。
▼次に多いのは、お風呂場である。洗濯場であることもある。トイレも多い。
ここにも、いっぱい「化学式」があったようだ。日本語だけで表示してある場合は、なにかで調べもしてくれたようだ
(ネットを利用したのかも知れない)。
・入浴剤、ここでも例のNaHCO3が頻繁に出てきているのに驚く。
整髪剤、シャンプー、石鹸、洗剤、カビハイター、アルコールタオル等々に実に多種類の「化学式」をみつけている。
酸化マグネシウム、硫酸ナトリウム、硫酸銅、硫酸コバルト、水酸化アルミニウム…ここでもあげればきりがないほどあがってきている。
薬箱も「化学式」の宝庫だ。この場合はダイレクトに「化学式」があったようで、たくさんあげている。納得できる。
冷蔵庫のなかも、かなり入念に探索している。スーパーの売り場に探索にでかけた生徒もいるようだ。(まいったな<(_ _)>)
こうしてかきあげながら、やがて気づいてきた。
「今の家庭には、理科室の薬品だな以上に多種多様の化学物質(「化学式」)でいっぱいである」と。そして、これらはすべてが「二十世紀の化学」がつくりだしたもの。
「では二十一世紀の原子論者!はどうするのか」はちょっと後にしよう。
▼ちょっと視点をかえてみる。
報告を見ていて、「あっそうか!」とこちらが教えられたことがいくつもある。
例えば、「二酸化珪素SiO2 おばあちゃんの家 水晶」とあげていた生徒がいた。こんなのは、私の頭のなかにはなかった。考えてみたら、そうなんだ。なぜ場所を限定する必要があるのだろう。
私たちの身の回り(環境)は、すべて化学物質で満ちあふれているというか。私たちの身体をも含めて、すべてが「物質の世界」なのである。
こんなことに今さら気づくとは。
▼生徒たちは、この「物質(「化学式」)の世界」をより豊かにとらえていた。
家のなかだけでなかった。倉庫に行って、肥料をみている。
Ca(OH)2、NH4Cl、HNO3等々をみつけている。すごい!!
まだまだつづく。
 また視点をかえてみよう。これにも私は唖然とした。
「Cu 十円玉・銅 貯金箱」「Al 一円玉 財布」…。これには参った。たしかにそうだ、私が要求したのは「化学式」だ。化合物とは言わなかった。だから単体でもいいんだ。
そう勉強したんだし…。
こんなのもある「H2O 水 水道の蛇口」
ひょっとしたら、生徒たちの方が先に「二十一世紀の原子論者!」になってしまったのかもしれない。


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【授業】鉄と硫黄の化合

▼先ほど、外に出てみると、「みぞれ」のような冷たいものが…。「天気のツボ」を見てみる全国的に見ても今日は「雪」のところが多いようだ。さてここまでやってくるかな。
 凍結も心配だ。明日(11日)は、我が家でちょっとした行事の予定がある。だから、この後の天気は、ちょっと心配なのである。このようなときには、ほんと「天気の変化」とより身近な問題になるんですよね。
「天気の変化」授業構想も、停滞したままになっている。気がかりなところではある。
▼授業の方は、昨日から再開だ。
冬休みの課題を見る限りにおいて、生徒たちはかなり「原子」が見えてきている。と思える。
再開最初は、「鉄と硫黄の化合実験」である。今や、化学変化の「定番」中の「定番」実験である。
私自身にとっても、回数多くやった実験ということでは、ベスト3ぐらいには入るだろう。
Dscf8651▼ところで、この実験いつごろから、教科書にのるようになったのだろう。
手持ちの資料も整理が悪く、すぐにはひっぱり出せない。あるもので調べてみた。
そしたら、『ミクロ探検隊~わたしたちの原子論~』で「二十一世紀に生きる原子論者!」と読者に呼びかけた大竹三郎先生が次のように書いておられる文章をみつけた。

現在では誰もがよく知っている鉄といおうの反応のやり方は、わたしと神奈川理科サークルが、1962年に「科学の実験」誌に発表したものである。(同誌、1962年7月号)その後、この反応のやり方は、化学反応における発熱のことと生成物の性質についての確認が明確であることから広く普及し、中学校だけでなく高校の教科書、文部省版の指導書にまで採用されるようになった。ゅ(「鉄といおう反応の新しいやり方とその意義について」『理科教室』1974年10月より)

 なんとそうすると、開発から47年の定番実験ということになる。
おおかた半世紀にも及ぶ歴史をもつ実験!!
Dscf8654▼ソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ
久しぶりの授業、私の方も緊張気味。
これまでだと、この前に「銅と硫黄の化合」実験をやっていた、今回はちがう、「炭素の燃焼」「金属の燃焼」つぐ授業である。
鉄粉14gと硫黄8gはあらかじめ測っておいた。
最初に、化学反応式を板書した。さして違和感はない。
ここのところずっとやっているパターンだ。実験方法についても教科書に準じた。
少しだけ変えたのは
・磁石は、フェライト磁石の破片(鉄製乳鉢で少しくだいておいた)をあらかじめ試験管につけておいた。
・「発熱」を印象づけるため、反応後に試験管にマッチ棒つけるようにした。もちろん発火する。
ぐらいである。
実験をはじめたら、とんだアクシデントが生じた。ガスバーナーのガスがでない。?(゚_。)?(。_゚)?
急遽、トーチランプで上端部を加熱に回った。
赤熱されて、反応が下部すすでいくところが見どころなのに…。ちょっと躓いたが、なんと実験はスムーズに進んだ。生成物に塩酸を加えて硫化水素の確認には、十分に注意した。
▼冬休みの課題の続きとしては、ゆで卵の黄みにできる黒い部分(硫化鉄)の話を出した。
さらなる「発見」があれば、次のクラスでやったときにあげることにする。
ちょっとアクシデントもあったが、なんとか、新しい年の最初の授業を終えた。

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身の回りは「化学式」いっぱい!

Dscf8621▼昨日は始業式。だから、これからは少し生活時間帯をシフトをしていく必要がある。できるだけそれを意識して、冬休みのあいだも普段通りの生活を心がけてはいたつもりだが…。
 通勤のため、外に出る時間がちがってきた。それはちょうど武田康男さんに教えてもらった「空のクライマックスタイム」なんだ。色具合、空気のにおい、静寂、「寒」の寒さ…。身が引き締まる。
▼始業式を終えて、しばらくしたら例の「冬休み課題研究2題」が出てきた。
どんなレポートが出てくるのだろう。ワクワク気分だった。
パラパラ見るだけで、
実に面白い。!!
これは、こちらの思惑をはるかに超えていた。
まずは、「化学式」の方から少しだけていねいに見ていく。
▼出した課題はこうだ
********************************************************
 「化学式」の学習をしましたが、私たちの身の回りには、化学物質がいっ
ぱいあります。家での生活のなかで化学物質を表す「化学式」をみつけて
例にならって「物質名」「化学式」「みつけた場所等」を書いてみよう。
5つ以上みつけてこよう。
【例】炭酸水素ナトリウム NaHCO3 
・台所の棚、「タンサン」の箱 ふくらし粉として使う。
********************************************************
 2学期は、実験がこんでいて、くわしくは説明する時間はとれなかった。これをプリントしてくばるだけだけになってしまった。それなのに、こちらの言いたかったことは、十分に伝わったようだ。\(^O^)/
▼まずは、こちらの予想していた場所でみつけている。
・台所
・お風呂場
・洗面場
・トイレ
ここまでぐらいは、発展すればいけるかなと思っていたが、
もっといろいろあった。
・自分の部屋
・机の上
・おばあちゃんの部屋
・家の倉庫、納屋
・車庫
・スーパーの棚
・道路 等々
まいったな。実はそこまでは考えていなかった。と言うより、正直に言えば「考えられて」いなかったのだ。
▼では、具体的にどんな「化学式」があがってきたのかは、のちほど書くことにしよう。
あまりにも面白すぎるだが…。
昨日のつづきでいうなら、どうやら「概念くだき」が必要なのは私の方のようだ。

<つづく>

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「概念くだき」と科学

▼冬休みが終わった。今日から三学期がはじまる。始業式である。
朝起きて外に出た。
全天 星空きれいだ。
冷たい空気をいっぱい吸い込んだら、なにか気持ちが引き締まる思いだ。
さあ…。
▼昨日、【理科の部屋】4@folomyで、トシ先生が「ガラスの弾性」の大学での授業を報告されていた。
はやくも5日から授業されたようだ。
報告を読ませてもらいながら
こちらまで、楽しい気分になってきた。
同時に、なつかしい気分にもなってきた。
この実験は、初任のころ夢中になっていた実験のひとつであるからだ。
私は、大学では教育のことよりも、工業のことを中心に勉強してきた人間だ。
と言ってもあんまり勉強はしなかったけど…(^^;ゞポリポリ
「材料力学」なんていう講義もあったと思う。
だから、言葉としては、材料の「弾性」ということについては知っていたような気がする。
それは、気がするだけで、ほんとうは何もわかっていなかったのだけど…。
それが、面白いんだけど…。
▼私は「変形と力」の授業をすることによって、生徒たちの驚きの声から、
「ほんとうだ!!」と
「弾性」を知ることになるのである。
それが
◆「力学の第一歩」の授業
大まかな流れだけをあげている。
くわしくは記録していない。残念である。今度、機会があれば、ぜひとも「記録」はしておきたい。
▼生徒の「驚き」から、その当時、自分がよく使っていた言葉を思い出す。
「概念くだき」
という言葉だ。本来「作文教育」などでよく使われていた言葉と記憶する。
理科の授業においてもこれがすごく大事だと思っていた。
私たちは日々の生活のなかで学習し、知らず知らずのあいだに「日常概念」を形成してしまっている。
ときに「固定概念」とよばれるものである。
真に科学的概念形成のためには、この概念をつぶしてしまう必要がある。
それが「概念くだき」
ガラスは、壊れやすいもの、変形なんかしない、すぐ壊れてしまう。
でも、「ガラス棒の弾性」実験をみると、それはちがうということがわかる。
ちゃんと「ガラスだって ボインボインだ!!」
「固体は なんだってボインボイン(弾性)!!」の概念が形成されるのである。
「科学」はこうして自分のなかに形成される。
それが、今もかわらない私の考えだ。
▼しかし、考えてみると、ありがたいことだ。最初にこの実験をやってから30数年の時が経過している。
時代はWebの時代になった。
でも、その時空を超えて、トシ先生から今も学びつづけている。
トシ先生に感謝である。同時にこれを可能にしてくれているWebの時代にも感謝である。 深謝<(_ _)>

私は、明日9日より授業だ。さあ…。

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七草粥とコウガイビル

▼はやくも七草粥をたべる日となった。ほんと、またたくまに「時間」はすぎていくものである。こんな調子では、一年間なんて、すぐだなと、ちょっとメランコリーになる。
朝起きて、台所にいったら、なんとスパーで買ったパックに入った「七草」が準備されていた。(゚o゚)ゲッ!!
はじめてだ。これは、いままでは昨年もあげているが、我が家特製「七草粥」を食べていたのである。今年から、ちょっと一般的になるのかな。ちょっと淋しい。でも自分でつくるようになるまでは、そんな贅沢はいってはいけない。
どんな感じだろう楽しみである。
 しかし、人々の「食」についての知恵というものは、たいしたものである。営々と続けられてきた生活のなかでの知恵である。この時期に、若菜で胃をいたわるとは…。ここにもすぐれた「常民の科学」がある。
▼「科学」と言えば、今日はガリレオが木星の衛星3個を発見した日(1610年)だそうだ。例の暦にそのように書いてあった。なんと、それから約400年か。
七草粥を食べ出したのと、どちらが古いだろう。
へんな比較をしてしまう。
私には、どにらにも「科学」があると思ってしまうのだが。
Dscf8610▼「科学」「食べる」つながりで妙なことを書く。私は、妙なものを飼っている(!?)。それは「コウガイビル」というものだ。ことのはじまりは、2ヶ月ほど前に(08.11.15blog)運動場で生徒に教えてもらって捕獲したものだった。
「食べる」を不思議、謎解きの第一法則とする【動物の世界】の学習は終えていた。
しかし、いろいろ動物に興味をもってくれたのが、うれしくなってしばらくこれを飼ってみることにしたのだ。
当初「ヤマビルの一種」と思っていたのがちがって「コウガイビル」であることもわかった。まちがいなく「ウンチ」をしているのもわかる。「エサ」なんかわからないし、やっていない。
水だけは、ときどき与えている。
 なんと、そのコウガイビルは、何も「食べる」ことはしないのに、今も生きているのである。
冬眠(・_・)......ン?
でも、ときどきは大きくのびて動いている。
第一法則はどうなったんだろう。例外なんかあるわけない。
生命には、まだまだ…?(゚_。)?(。_゚)?

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何度でも「原子論的物質観」とは

▼昨日から、暦のうえでは、寒に入った。いちばん寒い季節に突入したのである。いつも感動してしまう、みごとな「自然の読みとり」である。その通りに冷え込んだ。
仕事はじめである。久しぶりに理科室へいった。今年は、理科室の廊下に例の「太陽・月・星のこよみ」を掲示した。「1月分」と「1月の見どころ」とそして、年間の「天気表・生物季節」を掲示した。「天気表」の方は、365日毎日記録する予定で…。できるかな。家の自分の部屋と同じ設定にした。
これが、はじめての仕事であった。掲示したものを見ていると、実に多くの「情報」がつまっている。
もちろん、前の「小寒」なども当然である。これも「自然を読みとる」ための大きな武器になる。
▼年末年始で授業から遠ざかったせいだろうか。この「自然を読みとる」感性も鈍ってきているのでは自身が不安である。授業では何をやっていたのか。思い出す
Kagakumoku
そうだ、これである。
「原子」である。「原子が見えるようになる」これが、大きなねらいであった。
原子が見えるようになって「原子論的物質観」という物質観が思考の中に根付く。
それこそが、「自然を読みとる」のに大きな力となるのである。
▼400年前のガリレオの「科学」のはじまりもそこにあった。
21世紀の科学リィテラシィーとしての「生命観」も、ここにはじまるのである。
もちろんこの後やる予定の「天気の変化」も同じである。天気の変化を「大気の物理学」としてとらえていくためには、大気=空気、水を「原子の眼」でみてこそなのである。そしてこそ、より豊により本質的な理解がすすむのである。
 もう、それは「教科書」の世界を飛び出して、生活のなかでも活きてくるのである。
それが「原子論的物質観」!

▼大言壮語はつつしもう。
一歩、一歩だ。
このあとの「質量保存の法則」も
「定比例の法則」も、原子が見えたら、あたりまえのこと
この「あたりまえ」を人々を「科学」と呼んできた。
もっと具体的、授業準備を今日からはじめよう。o(^o^)o ワクワク
 

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【Web更新1/4】09-01【新・私の教材試論】開設

Dscf8490 初日の出 代わりたらんや 寒椿
 09/01/01 (木)撮影@安富

楠田純一の【理科の部屋】定例更新09-01
 今年はじめての定例更新です。
 一年間で、どれだけが更新できるかわかりませんが、今年も微更新をくり返していきます。
それこそ、「ゆっくり 楽しく くりかえし」ですね。

◆表紙画像2009 校庭の樹木シリーズ 寒椿
 もちろんタイトルどおりページの方も、年がかわりました。
ここにも書いたが、初日の出を見ようと、出かけた。初日の出は空振りに終わったが、その代わりにと言ったらおかしな話だが、私は校庭を散歩する機会ができた。寒椿は、ちょっと薄化粧でむかえてくれた。
その一角には、新年をむかえた明るさあった。
 今年も、四季折々の校庭の樹木たちとの会話をつづけてみようと思う。

◆【新・教材試論】開設
 このblogを利用してはじめている試み。ある程度つながりのあるかたちでつづけて書こうとすると、前回まで何を書いたのかを参照する必要がある。もちろんカテゴリーで集めて参照すればできることであるが、それをより簡単にするためにWebページも開設してみた。
 この手法は、昨年に気づきやりはじめた方法、Webページとblogを連動させるのに、とてもいい方法だと思っている。「参照」、「更新」、「連動」がより簡単にできるのである。
今のところ、「新・教材試論」は(4)まで来ている。一年でどこまで書けるだろう。自分の楽しみでもある。
ゆっくりと ゆっくりと
「ゆっくりゆくものは 遠くへゆく」になることを願いつつ。

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「授業」を語るのは楽しい。

▼正月三日目の昨日は、恒例の大学OB新年会(今年は神戸)にいった。卒業してから何十年と営々続く会である。私は、やっぽどことないかぎり、ここへ出席をする。
 ほとんどが「先輩」たちである。
大学を卒業して以来、「現場」と言えば学校しかしらない私は、ここで「社会のこと」を勉強してきた。
今の世の中がどうなっているのか。
「社会」「経済」「文化」「本」「音楽」「映画」「旅」等々もうすべてを教えてもらう。
同じ時代を生きているいるにもかかわらず、見る位置がかわるとこうもちがうものかと驚く。
それぞれが、自分の「最近」を語る。
夢中になっていることを語る。楽しそうに語られると、その世界に惹かれる。
▼自分がこの一年いちばん語れるものはなんだろうと考えたら、
このblogのことと
「授業」だった。授業のことを語っているときが、いちばんワクワクしてくるのである。
世に「団塊の世代」と言われる人たちは、今、新たな「歩み」を開始しはじめている。
その「夢」や楽しみを聞かせてもらっているだけでも楽しい。
自分には、それが…。
あるのは「授業」だけ。それが、最高のものという自負がある。
けっして、すぐれた「授業」をしているなんて言えたものでない。
でも、「授業」をすることは楽しいのである。また、それを語るとき、楽しくなっている自分を「発見」する。
教育現場の最前線は「授業」にある。
それを楽しませてもらえること感謝しなければ…
よし、来年のこの会には、また新しい「授業」のこと語るぞ!
と決意するのだった。
▼もうひとつあった。帰りの電車のなかで、理科教師をめざす教え子にであった。
話すのは、やっぱり「授業」のことになる。
「液体窒素の実験」「究極のクリップモーター」「ブタの心臓」「カルメ焼き」…。
あんまりにも進歩していないことに赤面しつつも
「あれはおぼえていますよ」なんて言われると、ついついうれしくなって語ってしまうのである。

正月三日目は、とてもうれしい日になった。

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ノーベル賞と新・教材試論

Dscf8581▼昨日は、早朝より我が家恒例の「能勢妙見山」初詣に家族ででかけた。これは、もう何十年と続けている。私が小学生のころから、今は亡き父親がここに連れて行ってくれた。私の記憶に残る唯一の「家族旅行」だった。だから、単なる初詣以上の意味をもつんだ。
とここまで書いて、このblogの去年の「今日」をみてみた。驚きだというか「進歩」のないというか。(^^;ゞポリポリ
まったく同じことを書いている。ちょっとは「進化」したところをと言うことで、山頂で例の非接触温度計を雪の降るなかに向けてみた。おお寒い。
▼帰ってきてから、再び年賀状の整理をした。そして、外に出たついでにコンビニで「週間文春 新年特大号」を買った。コンビニで本を買うなんてはじめての経験だ。なぜ、その雑誌を買ったかというと、ひとつの記事を読みたかったからである。いつもお世話になっているシェーマさんの本が紹介された記事である。
あった。
●「ドコバラ! 竹内久美子 NO.055「特別編:ノーベル賞の秘密は美にあり!?」(P160)
いや、なかなか面白いではないですか。竹内先生ってなかなか面白い文章をかかれる先生なんですね。
私が知らなかっただけか。
「ドコバラ」なんだ、これはなんだと思ったら、「ドウブツ コウドウ学 バラエティ!」の略らしい。なんかウィットがありますよね。と思ったら、この連載が本になっているとか。
「やっぱり」、みんなが感じること同じなんだな。へんに納得である(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン
ソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ
 お目当ての「文章」はあった。こうだ!

…こんな美しいタンパク質を私は他に見たことがありません。ぜひ見てほしい。その際には、『パソコンで見る動く分子辞典』(本間善夫、川端潤著、講談社ブルーバックス)をお薦めします。この本にはDVD-ROMがついていて、大まかな立体構造で見たり、一個一個の原子組み上げられた構造で見たり、それらを回転させて見たり、といろいろ楽しめます。略(P161)

▼では、これはどんな文脈のなかで出てきたのか。
それは、あの例のノーベル賞の下村先生のGFP(緑色蛍光タンパク質)についてなんです。
オワンクラゲのGFPのすばらしさ、すごさを竹内久美子先生はこう言っています。
 ここが最大のポイントで、医学の分野などで次々応用の利くのはこの単純さのおかげなのです。下村さんはGFPの美しい光に魅せられて、これほど美しいからには何かがあると直感したそうでが、その通りだったのです。(P160)

 いいですね。
「単純さ」
「美しい」
「魅せられて」
すごく納得です。そして、ここからは完全に我田引水モードです。
私には、「すぐれた教材」も同じだ!!
と「我田」に結びつけて考えてしまうのである。
昨年から、私は『新・教材試論』をはじめた。そのなかで、すぐれた教材の「第一法則」
3K(感動・簡単・きれい)1A(安全)の法則
という我流の法則を提唱した。
それと同じことを言っているように読めてしまう。これは、自己満足にすぎないでしょうかね。
▼その下村さんが、朝日新聞平成20年12月30日の「時の人」年末インタビューなかのトップ登場し、自らの人生と「研究」を語っている。この人のすごさにあらためて感動する。そして、自らを「ぼくはアマチュア化学者だ。ちゃんとした有機化学の教育を受けていないが、そこが強みでもある。」と言い切る下村さんに惚れてしまう。
▼もうひとつある。
同じく朝日新聞だが元旦に特集を出している。その第3部『学ぶ楽しさ』である。その一面はこの「美しい」オワンクラゲの写真を記載している。そして、谷川俊太郎さんが「かすかな光へ」というすばらしい詩を寄せている。

3つの記事をならべてみながら、「ゆっくりと楽しく」今年の自分の「学び」を思う、正月二日目であった。
さあ、今日は正月三日目、なにに・・・。

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高村光太郎『牛』は実にいい!

Dscf8475▼昨日、元旦は、「初日の出」を観ると「初詣」と「初出勤」(!?)を兼ねて安志稲荷に行った。これは、ずいぶん以前から計画をしていた。「初日の出」を観るスポットも決めていた。早めに、「初詣」をすませて、その場所で、その時を待った。条件が少しまずいなと思った。空のまわりは晴れているのに、日の出の方角だけには、厚い雲がある。その雲は移動してくれそうにない。
 スタンバイからも入れると、30分以上待ったであろうか。「はよ行こう」の家族の声に抵抗しつつ粘ったが、断念せざるを得なかった。なんと初春から…(/_;)
365日待とう、来年再挑戦だ。
まあ「ゆっくり ゆっくり 楽しく」は今年のモットー。
▼家に帰って空をみたら、陽は高くなり青空が広がっていた。なんということだ。!!
元旦ということで、「太陽・月・星のこよみ」カレンダーをひらこうとして、表紙の文字から気づいた。
そうだ、今年はあのガリレオから400年 「世界天文年2009」なんだ。ここから「科学」という名の「不思議解き」「謎解き」ははじまった。
私も、可能な限り等身大に「不思議解き」「謎解き」を楽しもう。
そう言えば、夕方に見た金星と月はきれいだったな。
▼正月の楽しみのひとつに年賀状がある。
一年一度だけの交流もあるけど、近況を報告しあい楽しいものである。「元気ですか」と声をかけあうだけ、それだけでも結構、元気をもらったり、勇気づけられたりするものである。
うんと、教えられたりするものもある。
「自然の品格」という言葉が目に留まった。わかるような気もするが、どんな意味なんだろう。
今度あったら、直接聞いてみよう。
▼ネットでの年賀状も、いくつかみて教えられた。いつも博識でいろんなことを教えられている「へえさん」の年賀状に、今年の干支にちなんで高村光太郎の『牛』が紹介してあった。
詩集をひっぱり出してきて読んでみた。Webにもこの詩の全文と朗読があったので合わせて朗読もしてみた。
いや、実にいい!!
みごとだ。
すべて 言葉にしている。
すごい観察眼だ。なんという思考だ。!!
私の今年の「ゆっくり 楽しく…」とピッタリと重なる。
詩人っていいな。
なんとみごとに言葉を発するのだろう。
今年の歩みで迷ったら、また朗読してみよう。


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新年の抱負2009

Dscf8120 初春や 夢ふくらませ 不思議解く
  @福崎  2009 元旦
 今年もよろしくお願いします。

▼さあ、2009年のはじまりである。まずは、この最初のエントリーを書き始める。年が変わったら、なにかが突然と変わるわけではない。数時間前の夜が、いつもの朝になるだけ。
 でも、気分がちがう。
まちがいなく「新しい朝」だ。元旦である。
恒例により、「新年の抱負2009」あげておく。また、今年の大晦日に読むために。

◆今年もblogを書き続けよう。
 これをいちばんに持ってきた。昨年に引き続き、ともかくこれだけは書き続けようと思う。それが、どれほど有効な「知的生産」の営みであるかに、気づきはじめたから。
中味は、いろいろ変わっていくかも知れないが、ともかく「書く」にこだわり続けよう。
できるだけ等身大に、
楽しく
最大の読者=「未来の自分」のために

◆blog、SNS、Webページでヒューマンネットワークを楽しもう。
 「楽しさ」が力であることも、これまでのヒューマンネットワークから教えてもらったこと。「響き合い・学び合い・高め合う」ネットワークの構築は、
ずっとずっと願ってきたこと。
これは今年も…

◆究極の「時間」の整理学を身につけよう。
 「空間の整理」「情報の整理」そして「思考の整理」と追求してきた。
そして、気づきはじめたんだ。
究極は「時間」だと。
生命体も「時間」の流れのなかにある。
大地も、空も、海も山・川も すべてのモノも
全宇宙が、「時間」の流れのなかにある。
「時間」の整理学は、スピードアップすることではない。
等身大に、この「時間」の流れをとらえていくこと。
それはむしろ、「ゆっくり」と日々の営みを繰り返すことなんだ。
それは、自分なりの「時間」の流れを創造すること。

◆「不思議解き・謎解き」を生活化しよう。
 自分の「不思議解き」「謎解き」 と日常生活、全然別個のものではないし、対峙するようなものではない。
むしろ、それが同次元で展開することにこそ意味がある。
 一時間一時間の授業のなかで、生徒たちとともに
日々の営みのなかで、不思議を「発見」し、感動する。そしてさらなる「謎解き」への意欲が高まっていく。
それを至福の楽しみとする。
そんな「生活」をしよう。
まとめて言おう。 今年は
●「ゆっくり 楽しく …」
である。

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