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私の【重大ニュース】2008(完!)

Dscf8423▼今年最後のエントリー。2008年365番目のページである。「よくぞ書き綴った」と少しだけ自分をほめてやりたくなってくる。また反面、ちょっと「なぜそこまでこだわったのか」と自分でもあきれる。(^^;ゞポリポリ
 昨日は、家の外回り、門先・庭周りのそうじをした。溝そうじをしていたら、「ゴシタマ」をみつけた。この青い輝きが、なぜかなつかしい思いにさせてくれた。
 なにもおもちゃのない時代、「ゴシタマ鉄砲」をつくって遊んでいた。「竹馬」「パッチン」「コマ回し」などの時代とかさなるんだろうか。時代は流れる。
▼ 大晦日である。でも『地球カレンダー』で言えば、「人類の誕生」はまだまだである。

私の【重大ニュース】を続ける。もちろん今回が最後である。
【7】「新・私の教材試論」をはじめる。
 新・「自由研究」のすすめ試論とならんで、もうひとつの試論をはじめている。それは「新・私の教材試論」である。現在は、「新・私の教材試論(4)」まできている。気まぐれはじめたものだから、不定期である。しかし、続けることだけは、決めている。
 まったくの思いつきの羅列であったり、思い入れの「覚え書き」であったりする。第一に参照するのは「未来の自分」である。このあと、どう展開するのか。私にもわからない。書き続けながら考えたい。
書き続けることによって、教材発掘、教材開発の新たなネットワークができるかも知れないという期待をもっている。『「自由研究」のすすめ』とあわせて、来年につないでいきたい「試論」である。

▼今年のblogはここまでとする。さよなら「2008年」!!
365ページを閉じます。
最後に、一ページでも読んでくださった方、あたたかいコメントをくださった方、みなさんとの「つながり」の実感が支えとなり、楽しみながらここまで書き続けさせてもらいました。深謝。<(_ _)>
 
新年が、みなさんにとっていい年となりますように。

 

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私の【重大ニュース】2008(続々々)

▼ラスト2日だ。とりあえず、片付けておきたいことを順番にならべ、佐藤可士和の教えに従いながら、ことをすすめようとするが、そこはポンコツ頭とからだだ。なかなかついて行かないんですよね。(^^;ゞポリポリ
とりあえが、「空間」の整理からと思っているが、そこで止まってしまう。
 年賀状はとりあえず終えた。しかし、職場に年内仕事を残しているありさまだ。優先順序はどうなっているのやら、悔やんでもはじまらない。
「それより前へ」 これは、今年身につけた最大の「技法」かも知れない。

▼今年を「前に向けて」ふりかえる作業が途中になっている。
つづける。

【6】これからの「理科の自由研究」の研究を始める。
 今年の6月7日に二人目の外孫ができた。その誕生を記念して、こんなページをつくった。最初の動機は、きわめてプライベートである。この孫が「理科の自由研究」をはじめる頃に、参考にしてくれるようにだ。それがおじいちゃんからのプレゼント。
 そこで、夏休みには「新・「自由研究」のすすめ試論」なるものをはじめた。試論だから、まだまだ結論的なことはなにひとつわかっていない。
 それまで考えたことは、新・「自由研究」のすすめ試論(5)」に書いた。
 今読み返してみるとちょっと恥ずかしい。(^^;ゞポリポリ
その最後に、2つの提案をしている。来年へこれは引き継ぐということであげておく。

【提案 その1】
 まわりの大人(親・教師)も、「自由研究」をはじめよう。それが究極の「自由研究のすすめ」になる。
さらには、それが「最新・学問のすすめ」になる。
【提案 その2】
 プロの研究者(研究者であることを自認するすべての人)は、自分の「研究」の面白さ、楽しさを多くの人に伝えてほしい。未来の自分の「研究」のためにも。

▼提案と言っているが、それは内なる自分に向けられた提案である。
究極は、「最新版・「学問のすすめ」だ。それを夢にいだいて、来年につないでいこう。
ラスト二日目の生活はいかに…。

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【Web更新12/28】『理科の自由研究』の研究更新

Dscf8391 神宿れと 松飾りたり ウェブにも
 08/12/27 (土)撮影@安富

■楠田純一の【理科の部屋】 週末定例更新のお知らせ
 これが今年最後の更新である。「日記」がblogなら、「週記」は、このWebページと意識しだしたのは、今年の途中からである。今年も、週ごとに小さな小さな微更新を繰り返してきた。
 一回一回の更新は「微更新」だが、一年たってみてみると、けっこう更新されているのである。
【2008年度更新】の朱文字が目立つようになってきている。
 これも多くの人にお世話になって教えてもらったおかげです。Webページ(HP)立ち上げから、今年は10年の節目の年でした。次なる10年に向けての年でもありました。
 立ち上げから、ほとんどスタイルを変えていないページです。自画自賛ではないですが、こんなページめずらしいですね。それは、外見の「スタイル」だけではありません。Webに対する考えもほとんど変わっていないです。
これからも、変える必要はないかと思っています。
 Webページをのぞいて下さる方も、こちらのblogが中心になってひとときのこと思うと少なくなってきていますが、楽しみにしていて下さるかたもあるようで、これはこれからも続けていきたいと思います。

◆表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ マツ
 こちらの方も、更新のたびに、表紙の一枚を変えてきた。ヘタな一句を添えて (^^;ゞポリポリ
今年一年間は、一枚をのぞいて「校庭の樹木シリーズ」で通した。同じ校庭でも、実際は学校は変わっているのだが、校庭の樹木に対する惚れ込みは変わらなかった。今、一枚一枚見てみると、その一枚を撮ったときの風景や空気のにおいや、ときには「心情」をありありと思い出してしまう。
 2008年、最後は「マツ」だ。もう世間では門松がたっている。我が校庭にも、みごとなマツが一本ある。
幸せの神様だけでなく、「千客万来」、「welcome」の象徴であろうか。
Webにも、それを拝借することにした。

『理科の自由研究』の研究 更新
 これは、今年新しくつくったページだ。
 冬休みにも、自由研究あっていいな。と思っています。今回は、「課題研究」2題をだしていますが。
 どんなのが出てくるか楽しみである。

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私の【重大ニュース】2008(続々)

▼残り4日目の朝、めざめて外に出た。そして、夜空を見上げた。冬の朝の夜空はとてつもなくきれいだ。とりわけ北斗星が目立ってきれいだと思った。一時間たって、また外に出た。今度は、北斗星はより天頂にきていた。
なんと、ほんとうに動いているのだ。あたりまえだ。
 この「あたりまえ」を科学で認識したのは、たった400年前のこと。ここから科学がはじまった。星から光が出て、何万年とかけて今届いているそれに比べれば、400年前なんて、極々最近のことなんだ。
ああダメだ、こんなこと考えていると、すべてが「ちっぽけ」なことに思えてくる。
▼その「ちっぽけ」な、しかしそこからしかはじまらない「今」を語ろう。
今=2008年を語ることを続ける。

【4】ついに「理科ハウス」に行った。
 「世界でいちばん小さな科学館」=理科ハウスがオープンしたのは、今年の5月16日であった。待ちに待ったオープンだった。いのいちばん駆けつけたかったが、時間がとれなかった。夏休みに入って、その機会ができた。7月26日、念願の理科ハウスに行くことができた。
 予想どおりというか、それを上まわる「世界」がそこにあった。「理科ハウス」詣でからはじまる「世界」があると確信を深めた。私のなかでの【重大ニュース】からはずすことができない出来事だ。
 
【5】大賀ハスを育て、観察し、追いかけた。
Dscf8386_2 前記の「理科ハウス」と関連して、理科ハウスオープンの翌朝、5月17日、それを記念して、昨年の夏に阪本さんからいただいていた大賀ハスの種子3粒の発芽処理をした。そのうちの一粒がうまく発芽した。その後、それを観察をつづけた。あの2000年の眠りから目覚めた「大賀ハス」の末裔である。その観察から、あらためて「生命」のすごさ、植物の偉大さ、「観察」という「科学の方法」の重要性を学んだ。
 故大賀一郎先生を追いかけて、府中にも行ってみた。理科ハウスで「兄弟の大賀ハス」も見せてもらった。
そして、夏の終わりには、大賀池にまで辿り着いた。
 今、私の大賀ハスは、かたちを変えて眠っている。春には、掘り返し、植え替えをするつもりだ。
どんな姿で眠っているのだろう。来年は花を咲かせるようになるだろうか。楽しみである。

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私の【重大ニュース】2008(続)

Dscf8364▼昨日、「仕事納め」の日の朝、私は新幹線「のぞみ」車上にいた。東京での「研修」に向かっていたのである。
25日から、寒気が吹き出していた。これでは、今日は雪だろうと思っていた。しかし、はじめ車窓の風景に雪はなかった。しかし、みごとなものである。あの例の「関ヶ原」あたりだろうか。脊梁山脈を越えた雪が太平洋側にもれてきていたのだ。
思わず、デジカメをとりだし雪景色を撮った。それまで本を読んでいたが、なんかわくわくした気分になる。一転、「修学旅行」気分である。
やがて、雪景色は消える。「やっぱり」である。東京は雪景色かと思ったが、そこまでではなかったようだ。
また、しばらくすると今度は、車窓に富士山だ。きれいだ、みごとなものだ。自分の席にじっとしておれなくなった。
私の腕ではうまく撮れないだろうと思いながらも、デジカメのシャッターを切り続けた。もう完全に修学旅行モードである。
Dscf8368▼東京は青空が広がっていた。東京の師走の青空をみる経験ははじめてかも知れない。研修で、澤本和子先生(日本女子大学人間社会学部)のお話を聴いた。共感する部分、学ぶところの多いお話だった。

とりわけ、「知的好奇心を活性化する 5つのいっばい」の話は心に残った。
「5つのいっぱい」とは

・知りたいこと不思議がいっぱい
・不思議を聞ける相手がいっぱい
・調べればわかる経験がいっぱい
・わかったことを教える相手がいっぱい
・わかり合う喜びを分かち合う仲間がいっぱい
である。
▼私にとっての2008年とは、この「5つのいっぱい」を網羅した「いっぱい」を楽しめた年だった。
【重大ニュース】を続けよう。

【3】 【理科の部屋】の「紀の国オフ」が実現し参加した。 
 これこそ先の「いっぱい」を凝縮したような楽しいものだった。和歌山の阪本さんのご尽力によるところが大きいオフだった。ヒトから学ぶことがこんなにも楽しいものであるということを実感した。
【理科の部屋】4@folomyで、毎日のように「出会っている」のだが、実際に顔を会わせて、膝を交えてお話をする。それはオンラインとは、またちがった楽しや「学び」がいっぱいだった。
「大賀池」にも行った。「熊楠」にも少しだけ「出会った」気分になった。(このメンバーで熊楠顕彰館記念館に行ったのだ。思い出すだけでも興奮してきますね。なんと贅沢な!)
自分のやっていることも「発表」し、聞いてもらった。うれしかったですね。
先の「わかり合う喜びを分かち合う仲間がいっぱい」を実感!!でした。お世話になった阪本さんに心から感謝します。深謝。<(_ _)>

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私の【重大ニュース】2008

▼今年も、残すところあと6日となった。
一応の「仕事納め」も今日だ。
実質的な「仕事」は、いっぱい残りすぎている。(^^;ゞポリポリ
「時間」は待ってはくれない、不可逆的である。

生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答える。(『生物と無生物のあいだ』より)

と福岡先生は教えてくれた。
その「時間」、私のなかでの「時間」を書き留めておくこと、それは未来の「時間」のためにも、あながち無駄な営みではなかろう。
▼ここまでで私は、今年出会った本のことを書き留めながら、2008年をふりかえろうとした。
今度は、今年出会ったあったコト・モノ・ヒトでふりかえってみよう。
ここは、昨年と同じように【重大ニュース】というかたちで…。【十大ニュース】とはしない。
ここでは、ランキングには意味がない。
思いつきである。内部からは、ランキングはできない。ランキングは「外部」からのみ可能である。
十もいくかどうかわからい。与えられ「時間」内で可能なかぎり書き留めようと思う。
▼いつものことだが、前振りが長すぎる。これが、私の作風…(・_・)......ン?(^^;ゞポリポリ

【1】blogを書き続ける! なんと言っても、これはいちばんにあげるべきだろう。
2008年、これが私のなかで「どんな年」と問われれば、「blogを書き続けた年」
と答えるだろう。転勤した4月1日をのぞいて、毎日書き続けた。
 自分でも、それは少しだけ誇れる。毎日書き続けることにこだわった。
なんでも「三日坊主」の私にして驚異的なことだ。「日記」でもこんなに書き続けた年はない。
 誰でもできることを、誰もできないぐらいに繰り返しやると、何かが見えてくるかも知れない。
そんな思いからである。
一日一エントリーもっと書きたい日もあった。逆に外出していてなかなか状況的困難な日もあった。
しかし、いっさいの「言い訳」は排除した。
梅棹先生の「一枚一項目」のカードのこだわりに見習ってそうしてきた。
いくつものことが見えてきた。
blogとWebページのつなぎ方もわかってきた。
連動してのWebページの更新もできるようになった。\(^O^)/
私のなかでのblogとSNSの関係も少し見えてきた。
先駆的な友人たちが、教えてくれた「blogの可能性」も少しわかってきた。
私の2008年のすべてはこのblogに書き込まれているはずである。
そんな2008年であった。

【2】授業を再開した。
 久しぶりに、本格的に理科の授業をさしてもらえるようになった。
これは大きい。
 やっばり、授業は楽しいものである。
 教師は、やっぱり「授業をする」職業なんである。
けっして、うまくいく授業ばかりではない。うまくいくことなんか滅多にない。
長年やってきているが、ヘタクソな授業だ。
でも、授業をやっていると、生徒も見えてくる。
本もいっぱい読みたくなる。自分でいっぱい学びたくなってくるのである。
最もよく学ぶものこそ 最もよく教える
である。
 いろいろあるが、ともかく楽しいのである。
これは、今年の年はじめの「一年の抱負」でもあった。

もちろん「つづく」

今日は遠くへ出張である。p(^^)qガンバッテ!

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今年読んだ本「ベスト○!?」(完)

▼昨日は2学期最後の日だった。終業式をやった。
この日の朝も、朝焼けがきれいだった。どんな冬休みが待ち受けているのだろう。
多忙感のなかにも、わくわく感があるのは生徒だけではない、私たちも同様である。
「終わり」のときには
いつもきまってこの歌が心に浮かぶ。ながいあいだに、心に染みついて「職業病」のようなもの
「ひとつのこと」

▼まずは、「ひとつのこと」を完了させてしまおう。
今年読んだ本の話だ。

【5】『クマムシを飼うには』(鈴木忠・森山和道著 地人書館 2008.7.30)  
 これは最高に面白かった。いや過去形では語れない、終わっていないからである。
言いかえる。「今、最高に面白い」それがこの本だ。
 今年いちばんわくわくしながら読んだ本がこれだ。
もちろん『クマムシ?!小さな怪物』(鈴木忠著 岩波書店 2006.8.4)はセットで面白い。
私は、紀の国オフに向かう車中で、むさぼるようにこの本に夢中であった。
「クマムシ」と「熊楠」なにも、語呂合わせを楽しんでいたわけではないが、私のなかではつながっていたのだ。
いろんなことが重なっていた。
私は、夏休みに「これからの理科の「自由研究」の研究」をやっていた。
「研究」はこれできまりだ!!と思った。「クマムシ」への興味もさることながら、それ以上にこの本著者に興味があった。面白いと思った。
 子どもたちの「自由研究」の未来を考えながら、結局は大人も含めた究極の「研究」のことを考えていた。
そのときに出会ったのがこの本。そして、なんと著者は、我らが森山和道さんというから、これは読まないわけにはいかないだろう。
 もちろん、研究者の鈴木忠さんも面白い。彼の「研究」に向かうスタンスに惹かれた。なぜ森山さんがこだわったかがわかるような気がする。
 【動物の世界】の授業のはじめに、熊楠の「粘菌」とこの「クマムシ」をもってきた。
子どもたちは、ぜひとも「クマムシ」を見たいと言った。ところが、情けないことに私は、いまだに見せていない。
それどころか、なんと私自身がまだお目にかかっていないのだ。(^_^;)
理科ハウスでは、もう「展示」まで行っているというのに。来年中にはなんとしても…。

▼5冊になったので、ここまでにしようと思ったが、やっぱりもう一冊はあげておく。
私のなかでの「出会った本」ということでは、あげておかねばならない。
Web関係だ。

【6】ウェブ時代「5つの定理」(梅田望夫著 文藝春秋 2008.3.1)
 この本は、読むと言うより、ときどきめくって示唆をもらっているという本だ。
ビジョナリーたちの「言葉」が示唆的である。
この時代を創りだした人たちの「言葉」は、きわめて本質的で、ピュアなものである。
心に響き、アクションを誘発する。
「やっぱり、そうだよな」「これまちがいない」と納得する。
「名言リンク集」などというはからいがあるのもありがたい。
 そのなかからひとつ。

■p.256
君たちの時間は限られている。
その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。
ドグマにとらわれてはいけない。
それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。
他人の意見の雑音で、自分の内なる声をき消してはいけない。
最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。
心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、
もうとうの昔に知っているものだ。
だからそれ以外のことは全て二の次でいい。── スティーブ・ジョブズ
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma─which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others・opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.──Steve Jobs
Steve Job's Commencement address at Stanford University, June 12 2005

※蛇足の蛇足になること承知で次の本(!?)もあげておく。
●ウェブブック『生きるための水が湧くような思考』(梅田望夫著)
 時代はここまで進化してきていることは確かだ。

▼以上で、今年私が出会った本の話は終わりにする。
極私的な読書[覚え書き]だ。
[覚え書き]の読者は、未来の私である。
来年は、どんな本と出会えるだろう。それを考えると楽しみである。
本との出会いは、モノやコトの「発見」であるから、
そして何よりもヒトとの「出会い」であるから面白い。

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今年読んだ本「ベスト○!?」(続々)

▼今年も残すところ8日。
今年読んだ本の話を続ける。本のことを覚え書きとしてまとめていくつもりが、いつのまにか、長くなってしまっている。
 今年の「本との出会い」が、それだけ私の生活のなかで大きなウエイトを占めいたことなのなかもしれない。
続ける。

【4】『南方熊楠・萃点の思想 【未来のパラダイム転換に向けて】』(鶴見和子著 藤原書店 2001.5.31)
 この本と出会いは、私にとってはいちばん意味あることになるかも知れない。
今年の夏の終わり、阪本さんのお世話で、【理科の部屋】の紀の国オフが行われた。
これは、最高に楽しいものであった。そのときの私のひとつの目標として、「熊楠」に会うということを設定した。
 あんまり予習もしていかなかったが、たいへん得るところ多い「熊楠」訪問となった。
 柳田國男が熊楠を訪ねて100年は経過しているのだろうか。
この「知の巨人」は、そう簡単には姿を見せてくれはしなかった。ひょっとしたら、つま先をちらっと見たのかも知れない程度である。でも、わかったことがある。
それは、100年の時空を超えてまちがいなく「熊楠はこれからの人である」とことだ
 行く前から「南方マンダラ」というものが、気になっていたそして、その<萃点>というものが。
 「熊楠」訪問から帰ってきてから、この本を読み始めた。
 驚いた、これだと思った。この「南方マンダラ」を読み解いた人がいたのだ。
それも並みの単なる「解説」ではない。自らに引きつけ、増幅させ『鶴見マンダラ』として。
私は、これからも何度もこの本を読むことになるだろう。
私のすべての発想が、「原点」から「萃点」にシフトしてきているのを感じる。

▼今日で出会った本の話は終わりと思っていたが、ダメだ。
 今日も、書ききることができなかった。明日こそ…。

つづく。
 

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今年読んだ本「ベスト○!?」(続)

▼12月23日、今日は私の「インターネット記念日」。
私がはじめて「インターネット」を見せてもらった日だ。渡部義弥さんに、その年に話題になっていた「現物」を見せてもらったのだ。
 それが、1995年の今日だ。
 この年の同じく師走、日本のインターネットの父と言われる村井純の『インターネット』(岩波新書1995.11.30)側題となっていた。彼はこの著で言った。
 この著の最後にイソップ物語「北風と太陽」をたとえにあげてこう言った。

 「太陽」のやりかたというのが、インターネットのいままでの発展を支えてきたのではないか、これからもインターネットはそのような形で発展していくのではないかと思っています。(P206)

 それから、13年が過ぎた。インターネットは急激な進化をとげた。時代はWeb2.0時代からWeb3.0時代へと向かっているのかも知れない。
 いつも、ゆっくりと時代についていく私には、最先端の道はわからない。でもわかることがある。
13年前の
 村井純の「太陽路線」は、時代を超えて有効である。これからも…
 それがWebの本質そのものだから。
▼13年前に出会った本を語りだしたところで、思い出した。
今年であった本のことを語りはじめていたのだ。その続きをあげていく。
前に『知的生産の技術』をあげた。それに関連して次はこれだ。

【2】『佐藤可士和の超整理術』(佐藤可士和著 日本経済新聞社 2007.9.14)
 私には耳慣れない「アートディレクター」「クリエイティブディレクター」の肩書きをもつ彼。私は、新聞の記事で一枚の写真(この本の扉にある)を見て、なにか感じるものがあってこの本を手に入れた。 
 実に面白い、グングンとこの人の世界に引き込まれるのを感じた。最初は、自分の日々の営みとあまり関係なさそうに思えたが、それはまったくちがっていた。究極は日々の生活のなかでの「思考の整理」である。
それへのプロセスが書いてある。職種なんて関係ない。
思考をするすべての人々に関係ある提案である。私は、この本のなかにある「整理のプロセス」をスキャナーで読み込み、PDFファィルにし、パソコンのディスクトップに貼り付けている。プリントアウトとし、手帳挟みこんだり、家と職場にプリントアウトしたものをよく見えるところにおいている。
 そして、ちょっと仕事の区切りのときにこれに目をやるようにしている。

▼こんな調子では、新しい年がきてしまう。ここで「整理のプロセス」に目をやる。(^^)V

【3】『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著 講談社現代新書 2007.5.20)
 私がこの本を手にしたとき、すでにこの本はベストセラーとなっていた。へそ曲がりな私は、この本を寝かしままにしていた。2学期、授業が【動物の世界】に入る頃だった。読み始めたのは…。
 「なんだ、これは…面白すぎる」、帯に書いてある「読み始めたら止まらない」は、くやしいけどホントだった。
著者がくり返し語る、生命の姿。『動的平衡』!、これぞ生命科学のキーワード。
なんで今まで読まなかったのだろう。この人の書いたものを。(・_・)......ン?
自分でも不思議なぐらいだ。文体にも惹きつけられる、これもうわさ通りである。
心象風景の描写はいつしか、「科学」にいきつく。そこで語られる科学は、私たちのぞむ「等身大の科学」。
合点することばかりだ。
 続けさまに、この人の世界に引き込まれていった。
◆『生命と食』(岩波ブックレット 2008.8.6)
◆『できそこないの男たち』(福岡伸一著 光文社新書 2008.10.20)
 近著。この本からは、この人のフーレズを使わせてもらって
 授業で『人間は考えるちくわである』という言葉まで造らせてもらった。深謝。
◆『プリオン説はほんとうか?』(ブルーバックス)
◆『もう牛を食べても安心か』(文春新書)
も買い込んだ。今は、まだ寝かせている。
今読んでいるのは
◆『ロハスの思考』(ソトコト新書 2006.5.20)
である。これもまた、私をあらたな世界につれていってくれている。
2008年 今、福岡伸一は、私のなかでは「ときの人」なんである。 

まだ つづく。 


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【Web更新12/21】【化学変化】更新

Dscf8074 櫨の実も ながめたるまに 師走かな
 08/12/19 (金)撮影@安富

楠田純一の【理科の部屋】週末定例更新のお知らせ
 早いものです。今年もあと10日残すのみとなりました。
もうカウントダウン開始である。今年の元旦のblogをみていると、今年の抱負の第一は「楽しむ」としている。そういうことでは、今年はけっこう抱負を実現できた年になったのではと思っている。
Web更新にしても、けっこう楽しくやれた。
 今年中にもう一回やる予定でいるから、今年ラスト2の更新ということになる。

表紙が画像2008 校庭の樹木シリーズ 櫨の実
 このシリーズは昨年から引き続いてである。一年分を見ていると面白い。その画像を撮ったときの風景や気持ちすら思い出すのである。なんか感傷的になったりもする。
 句もつけているが、あまり上達していないが、そのときどきどうその樹木をみたかがわかる。楽しいものだ。
 この櫨の実も、再登場である。夏に見たときには、冬になって時間の余裕ができたら、これを使って「櫨蝋」に挑戦してやろうかなと思っていた。そんなこと思っているあいだに年の瀬だ。
 来年への楽しい宿題としておこう。

【化学変化】更新
 こちらの実践DBのWebページ更新も今年の大きな成果である。
 授業をさせてもらうことができるようになったのが大きい。やっぱり自分で授業にかかわりながらの情報発信ということになると、一挙に現実味をおびてくるのである。
 一時間一時間の授業がblogネタになるのである。これをWebページにつないで、実践DBのWebページにつないでいく。これも楽しい作業である。この方式が定着した一年でもあった。
 【化学変化】のところは年を越すことになったが、来年はじめの授業もこのblogを書きながら構想していっている。
そう、授業が終わってからの実践DB化だけでない、これからの授業を構想するときにも、このblogはとても有効なのである。これも今年の大きな「発見」である。
 ということで、この冬休みのあいだにこの単元の最後まで構想・準備をしておこう。
「楽しく」である。

では、ラスト10日に向けて…。 

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【推薦本】『理科は感動だ!』

▼今日は、冬至だ。南京をたべる日だ。
昨日は、ひとくぎりつけた日だった。時間があったので、やっとビデオに取っておいてもらった
●NHKスペシャル『雨の物語~大台ヶ原 日本一の大雨を撮る~』を観た。
これは、ほんと感動である。\(^O^)/
よくぞ撮ってくれたという感じですね。
いっぱい「教材」につながるシーンがあった。
貴重な映像群だ。
それにしてもすごい雨粒が降るものだ。かつて「雨粒」について
多くの人に教えてもらいながら
『雨粒の大きさと形』という文章を書いたことがある。
 しかし、ここの雨粒は、その常識を超えていた。
一粒の雨粒からはじまる生命の物語。
映像が美しい。感動の連続である。
そして、ぜひこの大台ヶ原に行ってみたいと思った。
行ってみたいところばかりつくることになるが、ここにはぜひとも…。
▼「感動」といえば、昨日
この本を読んだ。
『理科は感動だ!』~子どもたちを理科好きに~(小森栄治著 明治図書 2008.12)
そうだ、えーちゃんこと小森栄治さんの本だ。
小森さんは、今年の3月で「現場」を離れ
さらに拡がった「現場」で、発信をつづける「理科教育コンサルタント」として活躍しておられる。
タイトルの『理科は感動だ!』は、小森さんの一貫したモットーである。
【理科の部屋】で、交流しているとき、何度も何度も聞かされたことば・・・。
私は、今年の4月から、久しぶりに「授業」を再開している。
小森さんが「現場」をはなれるのと入れ違いになってしまった。少し残念なところはあるが、小森さんのことだから
もっともっと拡大した「現場」から、情報をいっぱい発信されるだろう。
そのはじめがこの本なのかも知れない。
「授業」を再開してみて、よく小森さんのこの言葉を思い出す。
『理科は感動だ!』
なんと、みごとに的を射たフレーズだ。
「感動」なきところに、授業は成立しない。
▼では、「感動」はどこから生まれるのか。それを書いてくれているがこの本だ。
これまでに雑誌に記載されたものを編集されたそうだが、
単に集めてきたというのだけでない。一挙にならべてみることによって、発信しづけてきた「文脈」がより力強く、鮮明になってきている。
 単なる「焼き直し」ではないのだ。あらたな「書き下ろし」以上のものがある。
それは、彼の理科教育にかける姿勢と深く関係しているように思う。
小森さんのことだから、徹底して「現場」に則しているのだ。けっして、先に「理論」があってというのではない。
「現場=理科室」から生まれて、「現場=理科室」で活きる願いがあるだけだ。
その願いとは、「子どもたちを理科好きに」である。
理科教師なら、誰もが願うことを願い
誰もがやれそうなことを、誰もできないぐらい徹底して繰り返しやる。
授業づくりも
理科室経営も
形成的テストも
教材研究も
すべてがそれだ。
そのノウハウが書かれた「はじめの」本。

私は、ゆっくりだ、今さらのごとく授業をやりながら「理科は感動だ!」のフレーズに納得している。
同時に、私は同時代の理科教師として、「小森栄治」さんという理科教師に感動する。
いつも、等身大にすごい実践を「やさしく」語り続ける彼の姿勢を尊敬する。
これからも大いに学び続けたい。
「理科教育コンサルタント」という立場で、どんな情報を発信されるか。
これから、ますます楽しみである。

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【授業】炭素の燃焼

▼昨日は、一昨日(12/18)の夜のお二人の科学者の話の余韻をひきづっていた。
ホンモノの二十一世紀の原子論者たちの最先端の「眼」を意識していた。と言っていいだろう。
私は、どこまでも等身大で考えていこう。
「H2O」もさることながら
「CO2」こいつも不思議をいっぱい持った物質だ。
生命の不思議とつながる物質である。
お二人の先生に話にもしばしば出てきた。
その二酸化炭素をつくるのが、今年最後の授業。
▼授業の流れとしては、「水素の燃焼」につづく部分である。
私自身がいちばん感動した方法でやろう。
この実験をはじめて見せてもらったとき、これは絶対に受けると思った。
今回使用したのは、竹炭だ。
なにかの意図があったわけではない。
たまたま別の機会に購入しておいたものがあったから、これを用いたのである。
もちろん、先に化学反応式
C+O2→CO2
は書いておいた。図も書いておいた。
丸底フラスコになかに、CとO2を書き込んでおいた。
後ほど「質量保存」を図で確認するためにも…
▼竹炭にピッカリテスターで、電気を通すこと確認した。単純なこと、あたりまえのこと。
でも、「おおっ!!」と感動してくれる。
炭とダイヤモンドのこと、
たまたま竹炭からの連想で「エジソンの電球」のことを話したりしていた。
つぎに酸素だ、ボンベから丸底フラスコへ吹き込んでいく
あたかも私には、原子(分子)がみえるかのごとく、
いっぱいになったら、こぼれ出るのを手ですくうがごとく これはやっばり受ける。(^^)V
火のついた線香で確認。
「ポッーン」という音が小気味いい。
その感じ好きで何度かやってしまう。
そして、炭のかけらを入れる。
ゴム栓でふたをする、このゴム栓に風船をつけるアイデアはすごい。
たしか鈴木清龍先生に教わったと記憶する。
ゴム風船をつけるだけで、この実験はすごくやりやすく安全になった。
すごい進化をとげたのである。
ゴム栓をしたところで、質量をはかってっておく。
各班に、丸底フラスコをもってまわり炭がたしかにあることを確認させる。
Dscf8082▼いよいよ例のトーチランプで、丸底フラスコの底を加熱する。
やがて酸素は膨張して、風船はふくらむ、でもゴム栓がとんでしまう心配はない。
さらに加熱を続ける。
炭のかけらに火がつく。
同時に丸底フラスコをグルグルと回しはじめる。
「わっきれい!!」
のことば飛び出す。
あらかじめ、デジカメ撮影を前の方にすわる生徒にたのんでおいた。
私「今だ!!」と

Dscf8088グルグル回しながら、丸底フラスコを各班にもって回る。
炭の量が多かったのだろうか。
それとも竹炭だからだろうか。えらく長く燃え続ける。
やっと火がおさまったら
丸底フラスコの回転をやめる。
「あれっ、スミは!?」
この瞬間が面白い。
しかし、今回は私にも「あれっ?」であった。
それは、丸底フラスコのなかに白いモヤモヤとしたものが残っていたのである。
これって何?、ひょっとしてこれが「けむり」か!?
炭の入れすぎ、それとも竹炭でやったからか。
失敗か。いやいやこれきあらたな「発見」か。
ここで問題にする私の心の余裕はなかった。
消えてしまった炭を強調しながら、丸底フラスコを見せに回った。
▼そして聞いてみた。
「丸底フラスコ全体の質量はどうなっただろう」と
「軽くなった」に3~4名が手をあげた。
いいな。「消えた」「見えなくなった」の実感のもとづいている。
「重くなった」には、誰も手をあげない。
いつも何人かは「二酸化炭素」→「重い」という生徒がいるもんなんだが。
化学反応式も図も書いている、その効果だろうか。
測ってみたら、ほんのわずかだけ質量は減っていた。
問題する数値ではなかった。今考えてみると、なんでだろう。少しは、もれたのだろうか。
誤差はどこから、やっぱり考えさせるべきだったかな。

一挙に「質量保存の法則」の言葉も出しておく。
変化後の原子モデル図も書いておく。
石灰水白濁で「二酸化炭素」の確認もしておく。

▼このなかで、Mgを燃焼させて、再び「炭」を取り出す実験。
「原子は不滅だ!!」今回はやらなかった。
やっぱり「還元」のところでやることにしよう。

実は、この後、つづけて「金属の燃焼」も一挙にやってしまった。
スチールウールの燃焼、鉄粉の燃焼、銅粉の燃焼、Mgの燃焼と…。
もちろんそれぞれ、化学反応式を先に書いておいてやった。
来年になって別のクラスでやったとき報告しよう。

これにて、今年の授業報告は一応終わりとする。

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つきない「水」の不思議

Dscf7940▼昨日、ずっと欲しかったものをダウンロードした。
前から、アップされていることは知っていたが、なかなか実際に自分でやってみる機会がなかったのだ。
●「一家に1枚周期表第3版」
である。
A3版でプリントアウトして張り合わせてA2版になるという理屈か。
やってみると、けっこう簡単にできる。ここまで大きいと、十分に使える。
何枚か製作してみた。理科室にも、何枚かはりつけるつもりだ。
自然も暮らしもすべて元素記号で書かれている」
というコンセプトがお気に入りだ。
すべての人々が二十一世紀の原子論者に!
と通ずるものがある。
▼昨日は、ちょっと充実していた、夕方には
お二人の大学の先生の話を聴く機会があった。
◆公開講演会『生命の起源と水』
が姫路獨協大学で行われたのである。
案内が学校にも送られてきていたし、面白そうなテーマなので聴きに行った。
予想は裏切られなかった。お二人ともが実に面白い話であった。
●国際水・蒸気性質協会ヘルムホルツ賞 受賞講演
 『水の多様性 -分子レベルで見た水の振る舞い-』
(姫路獨協大学薬学部 准教授 吉井範行先生)
●『生命の誕生と水』
京都大学 化学研究所 教授 中原 勝先生) 
 ポンコツ脳には、ちょっとついていけない部分もあったが、
「水」のことを面白く、熱く語られるのにぐんぐん惹きつけられ
その世界をうんと楽しませてもらった。
授業でやっているようなことが出てくると、なんかうれしくなってしまったりした。
お話を聴きながら、何度も、何度も自問してみる。
「水とは…」
このまか不思議な物質。この世の中の不思議はここからはじまっているのかも知れない。
お二人の先生に、私にとってはまたあらたな「水」の顔を教えられた。
「超臨界水」
もう一般的な世界では、あたりまえなのかも知れないが
私には水の新しい顔だ。
もっと、もっと水のことが知りたくなってきた。

お二人の先生を話を聴きながら、先生たちには「原子」はどのように見えているのだろうか。
最後の質問コーナーで聴いてみたくなったが、ちょっと恥ずかしくなってやめた。
今 思うと、勇気をだして聞いておけばよかった。
また、聞く機会があることを願っておこう。

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今年読んだ本「ベスト○!?」

Dscf7910▼一昨日、すきま時間を利用して、加茂神社の「丑」を見てきた。それにしてもみごとなものだ。
今年のはじめには、こんなかたちで、これが見ることができるなんて思ってもいなかった。
ちょうど、師走の風があるとは言え、天気がよくポカポカ陽気で、のんぴりとこの芸術作品を観ておられる老夫婦もおられた。あいさつはただひとつ。「ほんと、すばらしいですね」の繰り返しだ。
▼そうだ、この季節になっているのである。今年もあと残すところ2週間をきった。
そうだ今年も、ゆっくりと歩んできた私の小さな歩みをふり返ってみよう。
まずは、手始めに、今年出会った「本」をふりかえってみる。
「今年読んだ本ペスト○」としたいが、気まぐれな私のことだ。
そんな枷をつくってしまっても意味はない。
ふり返りながら楽しむに重きを置いて、書き綴ってみよう。
▼読んだ本というならば、まず持ってこの一冊をあげる必要があるだろう。

【1】『知的生産の技術』(梅棹忠夫 岩波新書 1967.7.21)
 この本との出会いは、今年ではない。最初の出会いから38年近くたっているだろう。
この間に何度か読んだのだろう。
 しかし、それは「眺めた」だけかも知れない。
今年の出会い・「読み」は特別だった。
2月6日に、このblogで読み始めている。
 blogで本を読む。私にとってははじめての試みだ。多くの人にコメントもいただいた。あらたな人とのつながりもできた。
 私にとっては、「原点」の見直しであり、これから展望するのに意義ある「読書」となった。
なんと、それは3月8日までかけて読んでいる。2ヶ月以上かけているのである。
その軌跡を、自分自身の歩みの参考とするためWebページ『知的生産の技術』を読むにもしてみた。
 今読み返してみても面白い。

▼あれ、やっぱりそうだ。
一冊だけ語るのにこんな時間を使っている。(^^;ゞポリポリ
やっぱり「ベスト○○」にしない正解のようである。
また、時間ができたらつづけよう。

<つづく>

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「こども環境白書」と原子論的物質観

▼一昨日、学校に環境省発行の「こども環境白書2009」がおくられてきているのを見て、新鮮な驚きと感動があった。
 「( ゚o゚)ハッこれって、なに理科のテキスト!?」
 「ここに、ちゃんと理科と生活の関係が唱われているではないか\(^O^)/」
と思った。
▼そこで、次に思ったのは、日々の「理科の授業」とリンクすることだ。
たとえば
これからめざすエコ社会(接続可能な社会
で語られている、「1 低炭素社会」を真に理解し実現していくためには、絶対に中学校理科で学習しているような内容のことがベースになければならない。
 ここで語られるCO2とは、
あの黒い炭を丸底フラスコのなかで燃焼したときに、炭が消えてしまってできたCO2なんである。
カルメラ焼きをふくらませたCO2であり、
石灰水を白く濁らせたCO2である。
細胞が呼吸したときに発生したCO2なんである。
▼誰もが、はじめて知って感動と不思議をおぼえた、それと地続きのところに「科学」がなければならない。
そして、生活に使われなければ意味がない。
「学び」に値するとは、そんなこと。
読み・書き・そろばん(数学)の基礎学力のことが、話題になってからも久しい。
ここからは、完全に「我田引水」である。
これからの時代は
読み書きそろばん+原子論
これを「基礎学力」とよびたい。
▼原子論的物質観を身につけることこそが「生きる力」の基盤になるのである。
それは、大人であっても事情はかわらない。
接続可能な社会(「低炭素社会」「循環型社会」「自然共生社会」)のなかでは
「原子」が見えてきてこそ、物質とより安全に、よりゆたかにつきあっていけるのである。
▼そのことは、
「ごみのこと」「化学物質のこと」
でより顕著に言えるのである。
 ここでも「原子不滅の法則」は生きているのである。
 この冊子をみながら、もっともっと「原子」が見えてくる授業を工夫していかねばと思ったのである。

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冬休み課題研究2題

Dscf7885▼授業に行く前に、葉のおちてしまったケヤキの枝ごしの「青空」を見た。
校舎の北側だから、寒い。その寒さが空の透明感を増しているように感じるのかも知れない。
こんな「青空」を見て、はじめての原子論者デモクリトスは何を見ていたのだろうか。
そこに「ア・トム」が見えていたのであろうか。
二十一世紀の原子論者たる私たちに、何が見えてくるのだろう。
▼もうちょっと下火になっただろうか。奇妙な言葉がはやっていた。
「KY」=「空気が読めない人間」だそうな。
「場の雰囲気を理解しない人間」というぐらいの意味なんだろうか。
予定調和のできない人間、バランス感覚のない人間…。なんかあげていくうちに自分のことみたいでいやだな。(^^;ゞポリポリ
 それに対抗するわけではないが、私も造語をつくってみた。
「KM」=「空気が見える人間」 だ。
原子なんて肉眼で見えるわけがない。
それを想像の眼で見るのである。
デモクリトス以来の「想像の眼」で…、
それだけではない、私たちにはガリレオ以来の「科学の眼」も手に入れることができるのだ。
「KY」を言う前に、「KM」になろう。
▼なんか変なところに話が飛んでいる。冬休みが近い。
二十一世紀の原子論者たらん生徒に、冬休みの課題2題である。
●家での生活の中で「化学式」をみつけよう。5つ以上
 化学式を使って化学変化を考える。
 化学式は憶えるものではない。使うものである。
原子論的物質観を育む練習。

●「天気コトワザ」をさがしてみよう。5つ以上
できるだけ、地元に残っているものを聞き取りをしてくる。
取材をするのである。
観点望気の科学の有効性を学ばせたい。Webの時代だからこそ

どんなものが上がってくるのか。新年が楽しみである。o(^o^)o ワクワク

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【Web更新12/14】【化学変化】等更新

Dscf7827 こころざし 咲き貫くや アベリアも
 08/12/11(木)撮影@安富

■楠田 純一の【理科の部屋】の週末定例更新
 師走も半ば、今年も残り少なくなってきた。
この週末定例更新も、定例どおりだと、後2回更新するのみとなった。
blogが「日記」なら、このWeb更新は「週記」と、自分のなかで位置づけてやってきた。その「歩み」が定着したのも今年のこと、それも今年の半ばからである。
 これが、私にとってはいちばん生活のリズムにあっているスタイルのようだ。

◆表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ アベリア
 こちらの方も、あと2回となってしまった。
 実は、4月に学校を転勤したので、同じ校庭でも、変わっているのである。でも、校庭の樹木に対する思いは同じである。可能な限りこのシリーズは続けるだろう。
 四季折々の校庭の樹木たちの顔を追い続けることは面白いのである。
 実は、デジカメも途中で変えている。ちょっと思った画像が撮れなくなっている。(腕のことはソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ)冬休みちょっと本気で検討だ。
  今週はアベリアだ。「返り花」というのがあるらしい、しかしこいつはそうでもないような気がする。
咲きぶりは変わっているが、夏以来ずっと咲き貫いているように思う。
 どれほどの「意志」があるのかと思うほど…。
 樹木ひとつひとつにも、ちがった「顔」「こころざし」「スタイル」があるかのようだ。

◆【化学変化】更新
 このように、blogとWebページをつなぐ更新をはじめたのも、今年の成果だ。
それも本格化したのは今年後半になってからである。
 今週は、授業そのものもさることながら、その周辺のことも書いた。
 これからも、さらに原子論的物質観について書いていきたい。それは、私自身の「物質観」を検証し鍛えることになるだろうから。

◆【天気の変化】更新
 これは、ほんとうの微更新だ。
 このあと、冬休みの課題、新しい時代の「天気の変化」学習の構想などをあげていければと思っている。
授業に入る前に、それこそ私自身の「学び」を開始しなければ…。

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二十一世紀に生きる原子論者!

▼今朝、起きたらやっぱり雨だ。
あの「月が暈をかぶったら雨」はあたったことになる。(^^)V
天気コトワザは、営々とした生活のなかから生まれた。
そこには、蓄積してきた知恵がつまっている。
Webの時代にあっても、有効なものは使っていきたいものだ。
それが、21世紀の「科学」だ。
▼昨日、新聞やテレビで知った。
今年一年を象徴する漢字は「変」に決まったそうな。
なるほどと納得してしまう。
やっぱりみんなの思いなんて共通するものなんですね。
「変化」をみんなが感じているんですよね。
これを知ったいちばん最初の連想は
「化学変化」の「変」だ。
視野が狭いのかな、やっていることに夢中になってしまいすごさますべてが
我田引水流になってしまう。
「化学変化」の授業をやっているから、「化学変化」なんだ。なんと単純な!
▼単純ついでに、昨日は、ここのところ気になっていた本を読んでみた。
気になっていた本とは
■『ミクロ探検隊~わたしたちの原子論~』(大竹三郎著 大日本図書 1972)
である。
 なぜ気になったか。それは今、「原子」の授業をしているからである。
そして、その「原子論」という言葉に惹かれたからである。
 もうずいぶん以前に買って読んだものだろう。その記憶すらうすれしまっている。
再度読みはじめたら、やめられなくなってしまい最後まで一気に読んでしまった。
小中学生向けに書かれた本だから読みやすくなっている。
だからと言って「遠慮」はいっさいない。と著者大竹先生自身も「おわりに」で語っておられる。
▼まず、最初に共感し、感激したのは、この本の出だしが落語「ガマの油うり」の例の「一枚が二枚、二枚が四枚
と…」のせりふの話からはじめて、「二等分を八十回続けていくと」と「ア・トム」にいきつく話からはじまっていることについてである。
 これは、今回の私の最初の授業「はじめに原子ありき」と同じだ。!!
ちょっと大それた表現だ。私の授業と同じだというより、「教科書」と同じだというべきかも知れない。
1円玉のAl原子の数をあつかわれるところまで同じだ。
このあと「原子集団」のふるまいとして、化学変化を語っていかれるところなど、みごとである。
▼ この本は、大竹三郎先生の「いつかは書いてみたい」というの強い願望から生まれた本だそうです。
なにか、すごく納得ができ、共感できます。
 大竹先生と言えば、数々の化学実験の工夫・開発の財産を私たちに残してくださった先生です。
それは、今も教科書に「鉄と硫黄の団子」等々いっぱい残っていますよね。
 私たちの大先輩です。ちょっと雲の上という感じをもっていましたが、生前一度だけ電話と手紙で「連絡」いただいたことがあります。
 「大人も感動する科学読み物を」という文章を書いたときに大竹先生の本をお薦め本にあげたことが縁で連絡を下さったのです。
 連絡を下さった後に出された本をおくってくださったりしてもらってとてもうれしかったです。
 再度、この『ミクロ探検隊』を読んでみて、
今、強く思う。生前に失礼は省みることなく、一度お会いして直接、先生の「原子論」を聞きたかった。と
▼大竹先生は、この著の「おわりに」

 わたしの化学の勉強は、二十三年まえ、昭和二十四年の九月、神奈川県平塚市の海辺の中学校で、そこの中学生といっしょの生活の中ではじまりました。(P178)

と書かれている。23年間現場で生徒たちとともに「化学」を学んでこられた。そして自分の「原子論」として、この本を書かれた。その間に不満があったという。
 最大の不満は、科学の中でもっとも正当であるはずの「原子論」が、学校の理科の勉強では、市民としての権利さえあたえられていなかったことです。(P179)

と大竹先生が書かれてからも36年の歳月がすぎました。
 今の「理科の勉強」はどうなんでしょう。と自問してみる。
自分の一時間一時間の授業ふりかえることからはじめるしかない。
▼デモクリトスをはじめとする「原子論」は、古代ギリシャに誕生した。そして、15世紀 ルネサンスで復活し、
16世紀~19世紀の近代科学のよりどころとして「原子論」は発展した。20世紀にはついには「ア・トム」は「アトム」でなくなった。そして今は21世紀!
 大竹先生は、この著の最後に太字でこう書いた。

 これを受けつぐわたしたち、ぼくら、二十一世紀に生きる原子論者!
 
 

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【授業】カルメラ焼き(続)

▼今朝は、起きて外に出たら、月に暈をかぶっていた。
少し天気が崩れるのだろうか。
冷え込みがそんなに厳しくないこともたしかだ。
例によって「きょうの天気のツボ」をみる。
やっぱりそうだ。低気圧がある。
「日本海側から崩れる」とも予想が…。
「月が暈をかぶったら雨」は当たるだろう。
この大気の物理学実験を観察つづけよう。
ところで、大気中に、こうして水が含まれている。
空気も見えないし、含まれる水も見えない。
「見えないけれど、たしかにそこにあるもの」
それを昔の人はどのように認識してきたのだろうか。
「原子が見える」以前の話だ。前科学は必ず非科学とは限らない。
すごい「科学」が眠っている可能性もある。
▼気体というのは、けっこうやっかいなものだ。
でもそこに、感動、不思議、驚きがいっぱいつまっている。
「見えないけれど、たしかにそこにあるもの」として。物質として確かにあるのである。
代表的気体のひとつであるCO2
こいつが今回の実験の主役である。
Dscf7821▼今回の「カルメラ焼き」実験のこれまでとはちがうところは、
はっきりと 化学反応式
2NaHCO3 → Na2CO3 + H2O + CO2
を書いてしまってからの実験である。
以前の実践においても、
「化学式」を書いたりしてある程度意識していたが、
今回はきっちりと「化学反応式」まで書いておいての
「CO2発生実験」と位置づけた。
見えないCO2の存在を「カルメラのふくらみ」で実感するのである。
かたまったあと食べようとしたらそこにはCO2の存在場所を証明するスカスカ空間が。
Dscf7825▼熱分解で、CO2は発生する。
だから、温度が大切、低い温度では熱分解はすすまない。
温度が高すぎと大量のCO2が発生し、割れてしまう。
その温度を知ったのは、この「実験」をはじめてからずいぶんとたってのことだ。
▼文句なく生徒たちが楽しむ実験であることはまちがいない。
いつやっても、なんどやっても楽しくやってくれる。
今回は、以前から予告しておいてやったから、けっこう楽しみにしておいてくれた。
すべてが「成功」したわけではないし、何回かやっても「失敗」ばかりのところもあったが
けっこう楽しみ、みんなが「カルメラ焼き」なるものを味わってくれた。
▼驚くことは、この実験がちゃんと写真までついて、教科書に登場しているということだ。
分解実験の「定番」として、市民権をもっているのである。
その点では、授業でも扱いやすくなっている。ありがたいことだ。\(^O^)/

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【授業】カルメラ焼き

▼昨日の朝
私は、久しぶりにあの緊張感とワクワク感が入り交じったなんとも言えない感情で
少し興奮していた。
 それは、はじめて教壇にあがったときのようなあの「感じ」である。
それは、1.2時間目と引き続いて
 あの「カルメラ焼き」の実験をするからであった。(教科書等も含めて「カルメ焼き」となっているが、私には「カルメラ焼き」の方が馴染みあるし、そう言ってきたからここでもそう言うことにする。もちろん同じものである。)
 何十年にわたり、何度もやってきた実験。
一応の成功の秘訣(ツボ)も心得ているつもりである。
でもやっぱり「緊張」なんである。(^_^;)
▼前日までに、ザラメ、「タンサン」等を買い込み、鍋を準備し準備万端整えていったつもりだ。
でも、授業でやるのは、ほんと久しぶりである。
10年ぶりぐらいになるだろうか。
 理科教師にとって「教材」というのは、
とても面白い位置をしめているものである。
 単なる「教える材料」だけではくくれないものがある。
授業そのものであったり
自分の自然観や世界観を表象するものであったりする。(少しオオバーかな(^^;ゞポリポリ)
▼私にとって、教材としての「カルメラ焼き」との出会いの歴史も古い。
いちばん最初に、教材として出会ったのいつだっただろうと思い出してみた。
さしたる「記録」をしていないので、メモ書きと「記憶」にたよるしかない。
はじめて見せてもらったのは
78年の科教協の「お楽しみ広場」ではなかったかと思う。
そうだとすると、30年前になる、なんと古い話だ。
Dscf7848▼私は、なんとか実際に自分の授業でもやってみることはできないものだろうか。
と思いはじめていた。はじめて見せてもらってからは数年は経過していだろう。
そのころには先行実践の情報もよく知らなかった。
専用のガスコンロを買い込んだり、専用鍋の入手にいきつくまでにづいぶんと時間をかけていた。
最初は、家のあるオタマでやっていた。
何回もやるうちに、持つところ熱くなっては、専用の「取っ手」をつけたりしていた。
専用の鍋を求めて、姫路の問屋街を訪ねたり
関東方面に就職した友人に連絡して、浅草の問屋街を捜してもらったこともある。
夏休みブルブル汗をかきながら
うまくふくらもコツを会得したくて何度も何度も挑戦した思い出も

Dscf7861▼ああ…、授業報告のはずが、年寄りの「思い出」話になってしまっている。(^^;ゞポリポリ 

つづく

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【授業】水素の燃焼

▼自分のなかでの「スピードアップ」を心がけようと決意した。
ことあらたに言うことではない、ずっとそのつもりだった。
でも、「失敗」してしまうのである。
ついつい「プライオリティつけ」に失敗してしまうのである。\(__ ) ハンセィ
▼授業の報告をつづける。
「化学反応式」でマクロとミクロをつなぐこと続けている。
「分解」の化学変化の次は「燃焼」である。
ここは、固体どうしの化合「鉄と硫黄の化合」からはじめる方法も考えることできるが、
今回は教科書どおりの展開とする。
水の電気分解の延長として、今度は「水素と酸素の化合」をとりあげるのである。
最初に大きく黒板で、原子モデルを使って
「原子」を見ながら化学反応式をつくりあげる。
繰り返しだ。
 何度も何度も繰り返しながらスパイラルに概念をつくりあげていこうと…。
▼水素、酸素はそれぞれのボンベを使用する。
水上置換で水素と酸素の混合気体を3本の試験管にあつめる。
A H2:O2=1:2
B H2:O2=1:1
C H2:O2=2:1
集めたら、上下にひっくりかえして
まるで見えるがごとく
混ざり具合を確認する。そして、マッチで火をつける。
 ここで、中村先生が、エンピツの芯に電流を流す実験を大学生と一緒に楽しんでおられる報告が、【理科の部屋】4@folomyにあった。その様子を思い出した。
 生徒に前に出てきてもらって、火をつけるをやってもらうことにした。その方が、自分のかわりにその生徒がやってくれているということで、少しでもよりリアルに体験できると思ったからである。
Aから順番にやる。
一回一回どよめきと歓声である。
光と音で実験だ。「聞き分け」「見分け」だ。
Cのときには、もう予想もできる。
「だいじょぶ」
「爆発!!するで…」と。
予想どおり、少し満足。
▼水ができたことは、試験管のくもりで確認はするが、もう化学反応式で確認しているからさほど注目あたいすることではない。
 そこで、もう一度化学反応式にもどった。 
H2:O2=2:1がいちばん大きな爆発だった。
それは、すでにこの化学反応式に書いてあった。
「どこですか」
左辺をさす。
「ここですね。H2の前の2とO2の前の透明の1ですね。これで H2:O2=2:1」

最後に、もう一度、これをちょっと大量にしてやってみよう。
ナイロン袋に、だいたいこの割合に入れて、発火器で点火してみる。
長い間、私自身もやっていない実験だ。
ワクワク半分、ドキドキ半分だ。
「バッーン!!」
一瞬 静寂
予想はしていても、唖然だ。
驚き・歓声がつづく。
アンコールは受け付けないことは最初に言っていたが、授業が終わった後に言ってきた生徒がいた。
▼ もっと、もっと発展的なこと、ここでやりたいが、ひとまずは「ここまで」としておく。
再びオストワルド「化学の学校」を見ていると
この「爆鳴気」(上P182)のところで、ほんといろいろと発展させている。
なんどでも思う。
やっぱりすごい!!と。

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【授業】塩化銅の電気分解

▼どうも、スピードには、その人その人にあったその人の「スピード」があるようだ。
私は、この「スピード」というものがゆっくりである。
比較の問題であるが、やっぱり人に比べて遅い、ゆっくりなようだ。(^^ゞポリポリ
だから、世間がはやく動き出すと、私はすぐ取り残されてしまう。
師走に入って、なにかと世間はスピードアップしているようだ。
『ゆっくりゆくものは 遠くゆく』
が単なる言い訳になってしまわないように
私も、私のなかの「スピード」をアップしていこうと思う。
▼授業の報告を続ける。
 もう化学反応まで、学習をすすめているんだが、ここでもどって、電気分解の2題目「塩化銅の電気分解」をやる。これは、イオンの学習がきちっと位置を確保している時代には、電解の定番実験であった。
今は、分解に注目してここに出てきている。
 あの青いきれい液のなかから、10円玉の銅をとりだす。
やっばり不思議なことは不思議である。
一度は見ておくに値するだろう。
▼今回は、電気分解を手回し発電機(ゼネコン)でやってみることからはじめた。
銅を取り出すには、ずいぶんとエネルギーが必要であることを実感させたかったからである。
一生懸命回して、電気分解をやっているときに、ちょっと液から炭素棒をあげると、軽くまわる。
それで、その差がわかる。
 次に、電源装置でやってみる。
 ドンドンともやもやとした黒いものが炭素棒に付着してくる。
 引き上げて、ろ紙の上で、試験管そこで擦ってみたら、ちょっとだけ光るものを確認できた。
そうしなくても、10円玉の銅であることは確認できる。
 塩素は、ろ紙に薄くしみ込ませたインクを漂白することで確認した。
▼この実験も、以前には
『金属から塩の仲間へ、塩の仲間から金属を』(p227「たのしくわかる化学実験辞典」1996)
としてまとめたこともある。
 その後、いろんな取り組み発展もあるようだ。
 炭素棒としてシャープペンの芯をつかったりという工夫もあるようだ。
 それらの工夫も含めて、この定番実験はどこに位置づけるのが一番に有効なのか。
実践的検討が必要だろう。
 

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すでに『化学の学校』はあった。

Dscf7792▼週明けの朝、グランドあるいてみた。冷え込みがはげしい。
足元のこのサクサク感!
なんだろう。
そうだ、霜柱だ。この感触なんか なつかしくもある。小学生のころ、これを踏みしめながら学校に通ったころを思い出したりもする。
 田んぼに氷が張り、小学校から帰ったら、そこで「アイススケート」を楽しんだのを思い出したりする。
 この霜柱の水と、あの電気分解をして、水素と酸素をとりだした水とは同じだ。
つながっているんだ。そう思うと、なにか感動してしまうのである。
▼電気分解が一時間でうまくいかなかったところリベンジしてみた。
ひょっとしたら、生徒たちはもう一生、「こんなことを体験」することができないかも知れないと思うと
「わかる」「知る」だけでは終わらすことできない。
そんな思いからのリベンジだ。
 今度は、やはりうまくいった。
 水素に火がついた。やっぱり驚く。
 線香がも燃えれば、酸素の威力にも感動するのである。
少しずつ、少しずつ「原子」が見えてきて、その実在に確信がもてるようになっていく。
▼こんな驚きや感動、誰も抱く不思議
それと地続きにつながった「化学の学校」が必要ではないか。
100年前のオストワルドの「化学の学校」をつまみ読みしていて思った。
それは先週のことだった。
しばらく時間をおいていたら、思い出した。
そう言えば『化学の学校』というサイトがあったと。
SCCJ化学の学校/提供/日本コンピュータ化学会(SCCJ)
である。
 偶然とはこわいものだ。ここが設立されたのは、ちょうど12年前の今日、つまり1996年12月9日であるという。
これをねらって書いているわけではないが、なんという偶然。
そして、設立の趣旨にも書いておられる。オストワルドの志を引き継いで

「特に,自然科学としての化学を次の世代に伝えたいという,彼の心を,この学校の活動を通じて,実現しようと試みます。」

と。
 驚き・不思議・感動と地続きにつながった『化学の学校』に、あらたな展開があることを願いたいものだ。


 

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【Web更新12/7】実践DB【天気の変化】更新

Dscf7751 きみゆくや 師走の路に 無垢の色
 08/12/03(水)撮影@安富

楠田 純一の【理科の部屋】週末定例更新のお知らせです。

◆表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ 山茶花
 「我が庭に誇りあり」の文句が校歌のなかにある。なるほどと思う。
 校庭の樹木には、いろんな思いが込められている。金木犀・銀木犀がたくさんあるのにも驚いたが、この山茶花もたくさん植えられている。花のない季節に、それでは、寂しかろとの思いからであろうか。
 無垢な色は、進路説明会の会場よこで咲いていた。

◆実践DB【化学変化】更新
 水の電気分解から、オストワルド【化学の学校】に行きつき、そこから大いに学ぶ必要性を感じている。
21世紀版【化学の学校】が創られたらいいのにな。そんなところへいきついた一週間であった。

◆実践DB【天気の変化】更新
 7~8年ぶりの更新である。
 今年度、最後の単元である。私の理科教師生活のなかでも、思い入れの強い単元である。
授業周辺のことも含めて、blogの記事を中心に更新をくり返したい。
 Webの時代、これまでとはまったくちがった授業の可能性をもっている単元だとも思っている。

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「天気コトワザ」を授業に

Dscf7769▼今朝も、昨日に引き続きよく冷え込んでいる。外に出てみたら西に傾いたオリオンがとてもきれいだった。
ほんとうに冬の夜空はきれいである。空気が澄んでいるせいであろうか。
 夜明け前の東の空もきれいだ。
 空は、見上げること多くなった。ときどき意識的にみるときがある。
そんなときに はたと気づくのである。

こんな、24時間フルオープンでフルシーズンオープン!
の「自然劇場」 こんなの見て楽しまないと、人生大損だ。

と。
▼それから、このシーズンになると、ここにも決まって行ってみたくなるのだ。
「宇宙から地球を眺める」である。
こんなのが簡単に見ることできる時代なんだから、やっぱりこんなのも、見逃したら大損という気になる。
▼【天気の変化】の授業を概観したついでに、ここで、ずっとやってみたくて、中途半端にしかやっていなくて、ぜひ時間かけてやってみたいと思っていたことがある。
 今回、きっとラストチャンスになるだろう。だから、ちょっとはやめに取りかかって挑戦してみよう。
それは
●天気コトワザを授業に取り入れる
ということである。
これまでの【天気の変化】においていくらかはやっていた。
 さらに発展させて、これからも生徒たちが生活する上で役に立ちそうなものをまとめ上げたい。
生涯使っていってくれそうなものを、この授業の最後には提示したい。
▼一般的なものとして、私自身が、使い続けているものとしては、2つある。
ひとつは
「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」
これは、ほんとうに役に立つ、これだけでも天気の学習の80%ぐらいは理解できたといっていいぐらいではないかと思う。地球上であれば、世界どこでも使える大原則。現代天気コトワザの最高峰。
もうひとつよく使うのは、
 「光は東から 天気は西から」
これもよく使う。考えてみるとあたりまえなんだけど、とっさの判断のときに使えるもの。
これが、学びに値する「天気コトワザ」の必須条件だ。
▼この2つに加えて、生涯役に立ちそうなものをつくりあげたいのだ。
きっと、この地域で生活してきた人々のあいだで「使われいる」ものがあるはずだ。
その取材からだ。
まずは、手始めは
冬休みの課題として出してみよう。
どんなものが集まるだろうか。やる前からワクワクである。

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授業【天気の変化】を俯瞰する。

▼今朝はとても冷え込んでいる。テレビの天気予報が言っていた。
「この冬一番の冷え込みになるだろう」と。
その通りになっている。
大気はどうなっているんだろうと「きょうの天気のツボ」を見る。
そこから天気図も、「西高東低」
なるほどと、見えない大気の動きが少し見えてきた。
「冷え込み」は何故かも少しわかったような気がする。
▼そこでそうだと思った。( ゚o゚)ハッ
今、授業は【化学変化】のいちばん面白いところに入っているが
今年度中にもうひとつの単元【天気の変化】もやらねばならないのだ。
この単元のねらいとするところは

Tekitである。
 究極のねらいは「明日の天気を予想する」にある。
▼この単元は、私としてけっこうお気に入りの単元である。
自分でも、いろいろ楽しんできたところである。
授業展開の記録もある程度残している。
ひとつは、実践DB【天気の変化】である。
 また、Webで「教科書」の試みもある。
 途中で断念してしまっているが、その当時の思いは、自分のなかで継続している。
 それだけ魅力的な単元なのである。
 Webの世界は大きく進化した。これからもどんどんかわるだろう。
そんなこれからの時代にも、学びに値する【天気の変化】の学習を構想したい。
今また、そんな気持ちがわいてきた。
▼【天気の変化】の面白いところは、ちょっと視点をかえるだけで、そのつもりで考えてみると
不思議・謎解きの「科学」が、身につけられるというところにある。
そのひとつが、
「私たちは大気の大物理実験室に生活している。」
という認識である。
 毎日、毎日私たちはこの「大実験」を目にしているのである。
この「大実験」の結果を予想することこそ「天気を予想する」
ことなんだ。
 このことは、昔から人々が日々の生活の営みの中で繰り返しやってきた「科学」なんだ。
▼理科室での授業だけが、授業ではない。
冬休みが近づいている。
家庭での生活が多くなるだろう。
年末年始に遠くへ出かけることがあるかも知れない。
それは、【天気の変化】の最高の学習の場となる可能性がある。
ならば、もうこの単元を【化学変化】と並行してはじめてしまおう。
と、この冬いちばんの寒い朝に思った。

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【授業】化学反応式で「マクロ」と「ミクロ」をつなぐ

▼久しぶりの授業である。
なんか、ワクワクしてくる。この感覚が大好きだ。なぜか問われると答えに窮する。
しかし、表現しがたい喜びがある。
その道の人たちがステージに立つようなものだろうか。
そんな格好いいものではないかも知れないが。
どんな営みにも、「ハレ」と「ケ」の世界があるとするなら
私にとっては、授業こそ「ハレ」の世界なんである。
そんなりっぱな授業をやっているわけではないが、いちばん大事に考えているものであることはまちがいない。
▼テスト返しをして、残りの時間は、30分もない。
その中での授業だ。
内容は、「化学反応式」である。
これも同じことである。
Kagakumoku
「原子」が見えていたら、意図も簡単な話だ。
あとは、算数の世界だ。
例の原子モデルを黒板に貼り付けながら
「水の電気分解」の化学反応式を手順を踏みながら完成させた。
これで終わりでない。
繰り返し、繰り返しこれからは「化学反応式」で考えていくのである。
「化学式」を使って、思考し実験をしたと同じように、
これを使って、これから物質の世界を探険していくのである。
▼前単元の「動物の世界」では、
●動物の不思議・謎解きの第一方程式「食べる」
とした。
「物質の世界」では
この「化学反応式」こそすべてである。同様に表現するならば
●物質の世界・化学の世界の不思議・謎解きの方程式は「化学反応式」
ちょっとレベルがちがうのかも知れない。
ここにすべてが含まれてしまっている。
原子論的物質観も
質量保存の法則も
定比例の法則も
倍数比例の法則

なにもかもが。
これを使うことによって、物質の世界の「マクロ」と「ミクロ」をつなぐのである。
▼このあたりのことは、オストワルドも例の『化学の学校』で繰り返し言っている。
やっぱりそうだ。
この100年間、初等化学教育は『化学の学校』をなぞってきたのだ。!!
これからも、きっと…。
 ところで気になることがある。
 オストワルドが『化学の学校』で使っているのは、「化学反応式」ではなく「化学方程式」 の用語なんである。これは、訳の問題だろうか。
 どうも、そうではなさそうだ。
 「方程式」だからこそ、意味をもってくるのである。
 憶えるのでなく、使うためのものなんだ。
そのあたりをズバリ指摘しておられる先生がおられる。
【理科の部屋】でお世話になっている伊笠摩耶さんこと山崎昶先生だ。
近著『基礎から考える化学』(山崎昶著 化学同人 2008.9.10)
の第4章「正しくは化学方程式」に詳しくのべておられる。
 きわめて納得いく話なんである。
 

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再び21世紀版『化学の学校』とは

Dscf7738▼ゆっくり西に一歩一歩坂道をのぼる。それは、一日の生活のリズムを整えるための「歩み」である。距離にして、数十メートルである。のぼりつめて南へもかう。そのとき眼前にいくつもの巣のようなものがぶら下がっている。木々の落葉がすすみそれは目立つようになってきた。
ハゼの実である。りっぱなハゼの木々。150年間も陣屋跡であったいう歴史をもつ校庭。
このハゼの実から蝋燭をつくったという歴史はないのだろうか。
そんなことを想像したのは、この実が緑の夏のことでもあった。今また、北風にゆれる季節を前にして同じ想像をしてみた。
 もしも、そんなことがあったとしたら、そこにも「化学」があったのだろうな。
▼21世紀版『化学の学校』という無手勝流で思いついたことに少しこだわってみる。
「化学変化」のところを授業しているからということで
たまたま手にした『高校化学~その視点と実践~』(盛口 襄著 新生出版1984.8.10)
に次のような文章をみつけた。

19世紀の化学を古典化学・近代化学とするならば20世紀の化学は現代化学と呼ばれるべきです。20世紀化学は、19世紀化学の土台の上にたつけれどもあきからかに一線を画されるものです。その特徴となる点をいくつかあげてみますと

1.原子不可分の原則の崩壊と新しい原子像の確立

2.有機合成工業の急成長 中でも高分子工業の発表とその影響

3.生命体化学の発展

4.機器分析などのあたらしい手法の登場

5.公害と市民化学時代の到来

6.新しい化合物・新しい材料の開発

などがあげられます。(4章 「新しい化学への道」(p182)より)

 この後、盛口先生は、「近未来」を生きる高校生に「現代」化学の息吹ぐらいは感じさせておく必要があると、有機化合物の授業を提案されている。
 そのときに盛口先生の言われた「近未来」は、来てしまっている。
今、この21世紀版『化学の学校』を考えるとき、ここに大いなるヒントが含まれているように感じるのだが、どうだろう。
ソノハナシハ\(^^\) (/^^)/コッチニオイトイテ
▼今日は、化学反応式だ、授業を考えねば…。

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「等身大の科学」の面白さ

▼ちょっとふり返ってみると、一年以上毎日、このblogを書き続けている。
いつの間にやら、自分の生活習慣になってしまったようだ。
それも、朝の目覚めと同時に書くというのが。
 ところが、今朝は、ちょっとちがっていた。朝のいつもの時間が、ココログの「メンテナンス」だった。
 
 眠ろうと思うが、ちょっとこだわってみる。
 「毎日」に…。
▼授業に関連して、ひとつふたつ書き込んでおこう。
昨日のオストワルド著『化学の学校』。
読めば読むほど感動してしまう。
みごとに生徒の「感動」引き出し、次なる謎解きに誘導する。
これぞプロである。「化学」に精通しているからこそ可能なんだろう。
すぐれた教育者でもあった。だからこれが書けたのだろう。
そして、なによりも注目しておきたいのは、この著を書いて6年後の1909年「ノーベル化学賞」を受賞しているのである。例の「オストワルド法」のオストワルドであり、科学者としての業績も大きい。
そのような超一流の科学者なのである。
その彼が書いたというところに意義があるのである。
けっしてぶれることなく、的確に初学者の「感動」と「不思議」を大切にしつつ伝えたいところを伝えていく。
▼21世紀の科学者を自認する人たちよ。
後からゆく人間に科学の面白さ、楽しみ
できるだけ初学者の「感動」や「不思議」とつなぐにかたちで、自分の「科学」を語ってほしい。
「感動」「不思議」を大切にする。
それは、言葉をかえれば「等身大」であることだ。
これからの科学教育の醍醐味は
「等身大」であること。
「感動」「不思議」とつなぐときの最大のキーワードは「等身大の科学」
「等身大」の言葉こそが、授業を豊かにし、
ほんとうの楽しさを生みだしていくのである。

専門家

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21世紀版『化学の学校』を

▼ 昨夜は夕方の金星、木星がとってもきれいだった。
これをすっとカメラにおさめる技術があったらなあ、と思いながら、自らの目に焼き付かせておいた。
そして、今朝起きてみると、阪本さん@和歌山がみごとな写真を【理科の部屋】4@folomyにアップしてくださっていた。ほんと、きれいだ、「夕暮れの景色」のオマケつきだ。
ありがたいことだ。感謝<(_ _)>
▼授業の方は、期末考査で少しのあいだストップである。この間を利用して、これまでとこれからの授業の流れを再び概観していた。
 流れはスムーズだろうか。
 電気分解の操作主義になってしまっていないだろうか。
炭酸水素ナトリウム、酸化銀の熱分解から水の電気分解へ
どこか飛躍はないのだろうか。
 その間に、過熱水蒸気をもってきた。なんとなく自然な流れである。
 いきなり「電気分解」には以前から、唐突な感じをもっていた。
どこかに、この「認識の流れ」てあったような気がしていた。
▼みつけた!!
そうだ、あのオストワルドの名著『化学の学校』(岩波文庫)だ。
それは、「十七 水素」(上巻p172)にある。
この講では、水素の名前の由来からはじまって、水から水素を取り出すにはという話になる。
生徒は酸化水銀のときのように「加熱」することをあげる。
先生は応える「加熱」しても「水蒸気」だという。
生徒は、もっと「加熱」したらと言う。
先生は、言う「まったくあたっています」と。
けっして生徒の考えを全面否定をしない。それを生かしながら、あらたな世界に誘導していく。
それでも、生徒は「私にはよくわかりません」
そこで先生は、水から灼熱した鉄で酸素を奪う実験を提案する。
(これまでの私のやってきたのは、ここで「水から水素を取り出す」であった。)
実験をやってみる。
「ええ、鉄は実にうつくしい火花を散らして燃えます!」と感動する。
でも、生徒は続けて言う。
「それはますます不思議なことです。」(p174)
と。
 こうして、講義は展開されていく。
 他のページを開いても同様である。
▼みごとである。
ここには、生徒の感動や不思議を置き去りにしない科学がある。
等身大!の科学だ。
オストワルドがこの著を書いたのは1903年。
瞬く間に世界の化学の教科書になった。納得のいく話だ。
それからちょうど100年がたった。
 今さらのごとくこの名著『化学の学校』に感動すると同時に、(ちょっと大風呂敷を広げて)提案する。

この100年間の人類の叡智を集めて
21世紀版『化学の学校』を書こう。
 

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【Web更新11/30】【化学変化】更新

Dscf7715 ふんわりと 未来のせたり いのち旅
 08/11/29 (土)撮影@安富

■楠田純一の【理科の部屋】
週末定例更新のお知らせ
 ついに、師走である。
 今年中にやってしまいたいことリストアップしていたら、次々と出てくる。ちょっとあせってくる。(^_^;)
でも、もうひとりの自分が言う
 『忙しさで 心を 亡ぼすことなかれ』
と。

◆表紙画像2008 校庭の樹木シリーズ アオギリ
 このアオギリはなかなか存在感のある木である。これで、何度目の登場だろう。
それぞれの季節に「気になる」のである。
 今また、例の種子を包み込んで、ふわりと舞い降り、北風に吹かれて「いのちの旅」にでる。はたしてどこかで芽生えることがあるだろうか。こんなアイデアどこから出てきたのだろう。
やっぱり自然は天才だ。

◆実践DB【化学変化】更新
 「はじめに原子ありき」ではじめた化学変化の学習
いよいよ本格化し、「化学式」を使ってマクロとミクロの「のぼりおり」をはじめている。
実験がうまくいくいかないより
初発の「感動」を大切にする展開にもっていきたいものだ。

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